第二章 織田家の発展④
訓練を開始して半年近く過ぎたある時、
「忠繁殿は本当に一生懸命じゃな。感心なことじゃ。」
稽古後、二人で茶を飲みながら、可成がほほ笑んだ。
「可成様のご指導が楽しいからです。それに、もともと身体を動かすのは嫌いではありません。」
「そうか。」
可成は湯飲みを置くと、忠繁の肩や胸元を触った。
「だいぶ筋肉がついてきたな。この半年、よく辛抱した。色々教えたが、おぬしにはどうやら刀剣が、一番相性がいいようじゃな。明日からは剣術の稽古を中心に、より実践的なことを教えていこう。」
「はい! よろしくお願いします。」
こうして、忠繁は時間の許す限り可成について剣術を学んだ。その合間には、家老である可成の仕事を手伝い、可成が不在しているときは可隆、長可と稽古に勤しんだ。
時は流れ、永禄九年(一五六六年)の夏に差し掛かろうとしていた。忠繁がこの世界に来て、はや六年が過ぎようとしている。見違えるように逞しくなった忠繁は、可成より「これ以上の稽古は必要なし。」と、卒業を言い渡されていた。明日は、美濃攻めの軍議が開かれるため、参加するようにと信長から命じられていた。
忠繁が提案した楽市・楽座はますます盛況を見せ、織田家の財政は大幅な成長を遂げる。当然、忠繁の俸禄も増え、生活にも余裕ができてきた。清州で与えられた一軒家を返上し、今は小牧山城下の一角にある一軒家を住まいとしていた。信長の小牧山移動に合わせ用意されたものである。秀吉や可成の家も比較的近く、変わらない付き合いを続けていた。奉公人も雇うようになり、お風の負担も減らすことができた。今日は忠繁の命で、庭先に大釜を設置していた。
「これは何をするための釜ですかな?」
いい魚を手に入れたからと、遊びに来ていた秀吉が目を丸くして釜を見ていた。大の大人が一人すっぽり入る大きさの釜だ。これらを設置するために、結構な散財をしてしまった。しかし、この時代に来てから、忠繁にはどうしても許せないことがあった。この時代には風呂がないのだ。
この時代の下級武士は風呂に入る習慣がなく、一般的にほとんどが井戸水を使った行水で身体を洗うことで済ませている。また、風呂と言えば蒸し風呂が一般的で、もともとは寺院が健康のために提供していた。やがて寺院は風呂屋を作り、そこで得た収入をお布施として集めるようになったのである。自宅で蒸し風呂に入るのは、信長など大名クラスの上級武将だけであった。現代のように庶民が湯船につかるようになるのは江戸時代に入ってからだと言われている。地域によっては温泉があるようだが、病や怪我を治すために浸かるといった意味合いが強く、身体を休めるものとは考えられていなかった。
「後ほどのお楽しみですよ。」
忠繁はそう言うと、使用人に井戸水を入れ、湯を沸かすように命じ、秀吉を伴って家の中に入った。土間では、お風が寧々と一緒に楽しそうに食事を作っている。寧々は一八歳、お風は一六歳。年齢が近いためか、姉妹のように接し、かわいがってくれている。
「藤吉郎様が私達の面倒をよく見てくださっているおかげで、お風もすっかり明るい娘に育ちました。」
「いやいや。忠繁殿が来てから、この尾張は大いに栄えた。我らの俸禄も上がったし、感謝したいのはわしらのほうじゃ。長秀様も又左(利家のこと)も同じことを申しておる。」
楽市・楽座のほか、主要な街道を広げ平らに慣らし歩きやすくしたことも、流通の拡大に大きく影響した。当初の目論見であった兵馬の移動も盛んに行えるようになった。信長の軍勢は言わば職業軍人の集団だ。戦いの時に早い進軍をすることで有利に戦を進めることができるようになる。織田軍の強さは早さにもあった。
四人で早めの夕食を済ませるころには、下男から大釜の湯が沸いたと報告が入った。忠繁は庭に出ると、大釜にかけた梯子を上って中を覗いた。大量の湯が沸いたのを確認すると、桶で湯をすくっては、これも大工に設置させた竹筒の管に流した。管は傾斜を利用して、家に増築した部屋の中に流れ込むようになっている。そこには、ヒノキの木枠で作られた浴槽が設置してあるのだ。湯を沸かしている間、浴槽には三分の一ほどの井戸水を汲ませておいた。ここに沸騰した湯を流すことで、ちょうどいい湯加減の風呂が沸くはずである。
浴槽も水漏れしないように試行錯誤して大工に作らせた。大工にしてみれば、初めての物を作るので大変であっただろう。その甲斐あってか、水漏れしない立派な浴槽が出来上がった。釜を離して竹筒の管を用意したのは火災対策だ。あまり家に近いところで湯を焚いて火を出したら大事であるからである。
「こんなものかな。藤吉郎様、一緒にいかがですか?」
「お、おう。」
風呂場に移動し、湯加減を確認する。ちょうどいい加減の温度になっていた。
「これを、どうするのじゃ?」
「お召し物を脱いで、裸でここに入り汗を流すのです。」
そう言うと、忠繁は衣服を脱ぎ、そっと湯船に入った。秀吉は困惑しながらも、同じように衣服を脱ぎ、湯船につかった。と同時に、あまりの心地よさに思わず息を漏らした。
「ほぉぅ。これは、なかなか、いいものにござるな。温泉と同じものですな。」
「藤吉郎様は温泉をご存じですか?」
「信長様に仕える前は各地を放浪したものでな。三河の湯谷にある温泉にも入ったことがある。あれは気持ちよかった。それをまさかここで体験できるとは思わなんだ。」
二人はのんびりと湯に漬かり、日ごろの疲れを癒した。途中、何をするのか聞かされていなかった寧々とお風がのぞきに来て、悲鳴を上げて出ていった。しばらくして風呂から上がると、二人に説明をして交代で入ってもらった。どうやら二人とも気に入ったらしい。
忠繁は庭先に秀吉を案内した。夕方になり、風が心地よかった。庭には忠繁が作ったテーブルと椅子があった。丸太を切って貼って繋いだものだ。そこに酒を持ってきて秀吉に注いだ。
「夕涼みができて気持ちいいのぅ。」
「ええ、湯上りの酒はまた格別に美味しいですから。」
酒を飲みながら、秀吉は笑顔で尋ねた。
「しかし、このような技術、どこで得られたのじゃ?」
秀吉に他意はないだろう、単純に好奇心からそう聞いただけだったが、下手なことは言えないと、忠繁はしばし思案した。
「南蛮商船で働いていた頃、南蛮から来た方に伺ったのです。向こうの国では、このように湯に入る習慣があり、それで身体と心を癒すそうです。聞いたことを再現しただけなので、実際にはこのようなものかはわかりませぬが、一度やってみたいと思っていました。」
「身体と心を癒すか。面白き考えにござるな。しかし、よくわかった気がするでござる。」
何度目かの酒を酌み交わすと、秀吉が真剣な表情で何かを考えているため、
「どうかなさいましたか?」
と、聞いてみた。
「明日の軍議には、忠繁殿も呼ばれているであろう。なにがあったかは聞いておるか?」
「いえ。信長様から、明日は出仕するようにと命じられただけでございますが。」
「そうか。まぁ、明日にはわかることだから先に申しておくが、実は、柴田様が美濃攻めに失敗なさったのじゃ。」
「ええっ。勝家様が?」
少し前には重臣の佐久間右衛門信盛(さくまのぶもり)が攻め入ったが、やはり戦果は上がらなかった。今度は猛将と言われた勝家が敗れたとなると、信長の美濃攻略は再び遠退いてしまう。
「しかしの、これは出世の好機でもあるのじゃ。織田家の重臣である柴田様も佐久間様もできなかった美濃攻めを成功させれば、その者の出世は間違いなしでござろうな。」
「藤吉郎様は行かれるのですか?」
「わしがか? ほかの重臣を差し置いてなかなかそれはできぬよ。」
「そうでしょうか。藤吉郎様は柔軟なお考えができるお方ゆえ、新しい突破口を見つけられるかもしれませんよ。」
「それは、わしが農民の出だからと言いたいのか?」
少しむっとした表情を見せたため、忠繁は慌てて否定した。
「そうではございません。信盛様も勝家様も、武士一本で生活されてきた方々にございます。藤吉郎様は方々様々な仕事をした知識と経験がございますでしょう。それはほかの方々にはない、藤吉郎様だけの武器でございます。そのことを申し上げたかったのです。」
忠繁の言葉に、今度は気を良くした秀吉は頭をかいて顔を赤くした。
「なかなか褒められることがないものでな。かたじけない。」
その姿に忠繁は笑った。酒を飲みながら秀吉も楽しそうに笑った。
「それにしても、二人は長湯ですな。」
様子を見に行き、扉越しに声をかけると、
「はぃ。なんだか、ぼーっとしてまいりました。」
寧々の声が聞こえた。
「あちゃー。長湯しすぎですね。寧々様、お風、そろそろ上がってください。長すぎては身体に毒です。」
二人は促され、しばらくして顔を上気させて戻ってきた。二人に水を飲ませながら、
「いつの時代も、女性は長湯なんですね。」
忠繁はそう呟いて笑った。この忠繁式のお風呂は、織田家の中で秘かに話題になり、長秀や可成、そして信長までがわざわざ家まで出向いて来て入っていった。緊張のあまり胃が痛くなったが、信長はたいそう風呂を気に入り、
「忠繁、面白いものを作ったな。褒めて遣わす。さっそく城の中にも作ってみよう。それとな、今後、このような面白き物を作る時にはまずわしに相談せい。」
と言って帰っていった。後日、信長専用の風呂場と、家臣達も使えるようにと小牧山城の一角に風呂場が作られたのであった。当然、忠繁はその工事の奉行を任され指揮を執った。信長は褒美に自宅に風呂を設置した費用の倍以上の褒美をくれたが、
「これ、歴史を変えたことにはならないよな・・・。」
と、一人心配する忠繁なのであった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
戦国のお風呂、
入ってみたいですね(/・ω・)/
次回もよろしくお願いします。
水野忠