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第二章 織田家の発展③

 その後、忠繁は長秀と共に、関所の廃止や税金免除などの改革に取り掛かった。そう、のちに『楽市・楽座』として伝えられていく政策である。初めは半信半疑であった城下の人々も、関所が無くなることで人が入り込んだために、急激に発展していった。これには忠繁の作戦もあり、長秀にお願いして、近隣諸国へ宣伝のために配下の兵を派遣したのだ。東は関東、北は北陸、西は畿内一帯まで派遣し、尾張の織田家は関所を廃止して広く商いをしたい人達を集めると流布したのだ。その効果も出たのであろう。


 忠繁は店が増えると一軒一軒回り、競合同士に軋轢が出ないように心を砕いた。もともと忠繁は不動産会社の営業マンである。地主と建築会社、あるいは大家と入居者など、多くの人の間に入って仕事をしてきたので、こういった調整は得意であったのだ。これによって、尾張城下にはたくさんの人が入り込み、その物流は大いに栄えていく。



 楽市・楽座の施行後、予想通り尾張国内には人が集まり、税収も大幅に増えた。一通り目処がついたため、長秀は忠繁を屋敷に招いた。


「長秀様、お招きいただきありがとうございます。」

「おう、遠慮なく上がれ。」


 今日はお風も一緒だ。仕事の合間は屋敷で家のことをして待っていてくれていた。お風は頭の回転も速い。自分で必要なものを把握して、街に買い物に出かけ、家にいれば炊事に洗濯と、およそ一一歳とは思えないような働きをしてくれていた。


 長秀も、忠繁がお風を引き取り育てていると聞いて、夕方には家に帰れるように取り計らってくれていた。仕事がない日は、お互いの家や街の茶屋に出向き、お風も一緒に労ってくれた。忠繁にとって、織田家での初めての上司が長秀であったわけだが、長秀の面倒見の良さは、信長が認めていたからこそ忠繁を預けたのであろうと推察できた。


「お招きいただき、ありがとうございます。長秀様。こちら、街で買ってきたお酒とお漬物にございます。」

「これはこれは、気を使わせてしまって申し訳ないな。ありがとう。」


 長秀はそう言って、お風の頭を撫でてやった。長秀は二七歳になったがまだ独身だ。しかし、下男がいると言っても、家の中は片付いていて、長秀の細かい性格が表れていた。


「おお、来られましたな。」


 部屋に案内されると、彦衛門や、街の主だった商人達も集まっていた。


「信長様!」


 その集まりの中に、信長も混ざっていたので忠繁は驚き、慌てて膝を付いて礼を取った。お風も忠繁にならって頭を下げる。


「気にするな。長秀から皆を労うと話があったのでな。」


 信長はそう言うと、手にしていた干し柿を食べた。それも、新しく流れてきた商人が作った物だと言う。


「忠繁様。おかげで、わし等も儲けさせてもらいました。最初のころ、反発したのは申し訳なかった。」

「いやいや。誰だって、新しいことを取り入れる時は不安ですし否定的になります。それに、楽市楽座がうまくいったのは、長秀様が、皆様が困らないようにと、心を砕いてくださったからでしょう。」


 長秀と忠繁は、意見がぶつかることもあったが、一方的に考えを押し付けないように長秀が折れ、忠繁の主張を聞き、よく話し合いを重ねて政策を進めてきた。その政治手腕は後の織田家の宝となっていくが、この頃からの研鑽があったからともいえる。


 宴会が始まると、商人達は次々と忠繁に酒を振る舞い、楽市・楽座の政策を褒め称えた。関所と座を無くしたことで、忠繁の目論見通り人、物、金が流通し、街の活性化が図れただけではなく、利益ばかり追求していた阿漕な商人は姿を消した。


「忠繁、よくやったな。さて、街の活性化ができて金も流通するようになった。次は何をする。」


 酒を飲みながら、信長が聞いてきたので、


「そうですね。街道の整備と鉄砲の購入でしょうか。」


 そう答えると、忠繁は街の外へ続く主要道路があまりに悪路であったことを思い出した。


「鉄砲の購入はわしも考えておる。税収が増えたため、それは可能じゃろう。だが、街道の整備、とはどういうことか?」

「はい。尾張には、東西と北へ行く主要な街道がいくつかありますが、でこぼこ過ぎて歩きにくいのです。これでは、兵馬が移動しづらいばかりか、怪我をする可能性もあります。建物を作る時に整地するのと同様に、街道も整地して歩きやすくすれば、敵国へ攻め入る時も迅速に動くことができます。」

「なるほど。しかし、道を通りやすくするということは、我が軍は移動しやすいが、敵も攻め込んでくる時に移動しやすいということになるが。」

「そうですね。ですので、主要な道路沿いには城や砦は立てず、必ず脇道に逸れた場所や、山中に築けば、敵が移動できたとしても、一気に攻め寄せることは難しいでしょう。また、街道は周りよりも少しだけ高い位置に造ることで、弓矢で狙い撃ちしやすくすれば、足止めもできるかと存じます。」


 兵の速度は戦の勝敗を左右する重要な要素の一つでもあった。


「では、街道の整備をやってみるか。長秀とよく相談してくれ。」

「かしこまりました。」


 その時、にわかに歓声が上がったので振り返ると、いつの間にか秀吉が来ていて、上半身裸になって踊っていた。


「もう。お前さんてばすぐに脱ぐんだから!」


 そう言って恥ずかしそうにしているのは、この夏に結婚したばかりの秀吉の正室、寧々(きのしたねね)であった。


「お風ちゃん。バカ様は放っておいて、ちょいと手伝ってくださいな。」

「はーい。」


 寧々は一四歳。お風と歳が近いので、日頃から仲良くしてくれていた。この日は楽市・楽座の大成功と、織田家は税収増、商人達は売上増を祝して、夜遅くまで宴会が行われた。



 翌日、長秀と街道の整地に付いて話し合うと、さっそく人足を雇って整地に取り掛かった。この街道の整備は人々の歩行速度を上げ、そのためにより一層、尾張への人や物の流通を盛んにさせることに繋がった。忠繁としては、歩きやすくすることで、兵の移動を迅速に行うことを目論んでいたが、人の流通に役立つとは考えていなかったので、嬉しい誤算であった。


 始めはどこからともなく現れ、信長に気に入られて働き始めた忠繁のことを猜疑の目で見ていた重臣達も、楽市・楽座の政策の後、見違えるように栄えた城下町を見て、忠繁の見識に感心する者が多くなっていった。特に秀吉と長秀は忠繁を気に入り、自宅に招いては酒宴を開いた。



 時は流れて、永禄六年(一五六三年)夏、忠繁は信長に呼び出され、小牧山城へ登城した。このころ、信長は美濃攻めのために清州城から北に位置する小牧山城へ居を移していた。


「忠繁、参りました。」


 すっかり伸びた髪を後ろに縛り、戦国時代の人間らしくなってきた忠繁は、信長に促されて広間に入った。信長の傍には側近の一人である可成が座っていた。可成はこのとき四〇歳、まさに働き盛りといった風貌で、日に焼けていて身体付きも逞しく大きかった。


「おう、忠繁。よう参った。」

「失礼いたします。」


 今日の信長はなんだか機嫌がいいようだった。明るく笑顔のままさっそく本題に入った。


「忠繁。そなたはこの二年、尾張領内の改革を進めて大きな成果を上げたな。大儀である。これは些少だが褒美じゃ、取っておけ。」


 そう言って、巾着袋に入った金を投げ渡してきた。中身の金額はわからないが、やけにずっしりと重かった。


「ははっ。ありがたき幸せに存じます。」

「そちを呼び出したのはほかでもない。これからわしは天下統一のために動き始める。まず手始めは美濃の斎藤家じゃ。そろそろ帰蝶にも故郷の土を踏ませてやらんと叱られるからのぅ。これから戦も増える。そなたにも働いてもらうつもりじゃが、いかんせんそなたは線が細い。戦になっては心許ない。」

「お恥ずかしい限りでございます。」

「そこでじゃ。しばらくそなたを可成の下に付ける。可成は槍の名手じゃ。武芸を身に付け戦に出られるようにしておけ。」


 信長がそう言うと、可成は忠繁に一礼すると、


「信長様よりそなたに武芸を仕込むことになった。厳しく鍛えるゆえ、覚悟なされよ。」


 そう言って意味ありげに微笑んだ。森可成と言えば、『鬼の三左』と異名があるほどの猛将である。この時代に飛ばされて生活するうちに、忠繁の身は引き締まり筋力もだいぶ付いたとは言え、まだまだこの時代の武将達に比べれば線は細いほうだ。


「可成様に鍛えていただけるとは光栄なことにございます。音を上げぬよう頑張りますので、よろしくお願い申し上げます。」

「うむ。」


 こうして、忠繁は可成の屋敷に行き、さっそく訓練を開始することになった。屋敷に入ると、二人の少年達が駆け寄ってきた。可成の長男・伝兵衛可隆(もりよしたか)一一歳、次男・勝蔵長可(もりながよし)五歳だった。可成は妻・えいとの間には二人のほか、三男・成利(もりなりとし、俗にいう森蘭丸)、四男・長隆(もりながたか、俗にいう森坊丸)、五男・長氏(もりながうじ、俗にいう森力丸)ら、九人の子供に恵まれる。


 しかし、余談だが、今後、森家の男児は織田家のために壮絶な運命をたどる。可隆は一九歳の時に越前攻めの際に功を上げるも深手を負って討ち死にし、長可は信長の死後、羽柴秀吉と徳川家康が対立した小牧長久手の戦いで、眉間を撃ち抜かれて討ち死。成利、長隆、長氏は、本能寺の変において、信長を守って討ち死にする。


「父上ぇ!」

「おぅ、帰ったぞ。忠繁殿、わしの息子達じゃ。伝兵衛と勝蔵、鍛錬の間もうるさいだろうが、堪忍してくれ。」

「いえいえ。男の子が元気なことはいいことです。伝兵衛様、勝蔵様。霞北忠繁と申します。これからお父上に武芸を指導していただきますので、どうぞよろしく。」


 二人の頭をなでてやると、二人は嬉しそうに可成の武勇を自慢してくれた。可成は大柄で身体つきも逞しいが、実に紳士的で、忠繁が信長に召し抱えられた時も、織田家でのしきたりをよく教えてくれた。忠繁にとっては尊敬すべき先輩であった。


 可成の稽古は過酷なものであった。訓練用の木刀と木槍であったとしても、当たれば痛いし、油断すれば大けがをする。この日のうちに、忠繁の身体はあざだらけになってしまった。しかし、忠繁としてもこの世界で生きていくためには身に付けなければいけないことだと考えていたため、倒されても倒されても歯を食いしばって立ち向かった。


 そして、陽が西に傾き始めた頃、忠繁は地面に大の字になると、


「可成様、ま、参りました・・・。」


 とうとう根を上げたのである。しかし、ここまで取り組んだ忠繁に可成は満足しているようだった。


「よい気概をお持ちですな。感服しましたぞ。今日はこの辺にしておきましょう。明日、陽が昇ったらまた参られよ。」

「は、はい。」


 忠繁は立ち上がり可成に一礼すると、挨拶をして家へ引き上げた。家に帰ると、傷だらけの忠繁を見て、夕飯を用意していたお風が驚いて駆け寄った。


「忠繁様、その傷はいったいどうされたのですか!?」

「心配ない。可成様に武芸の稽古を付けていただいた。見た目ほどけがはしてないから大丈夫。」


 そう言って、井戸から水を汲んでくると、全身の汗をぬぐった。お風は忠繁と一緒に来てからというもの、忠繁が仕事をしやすいように、家事に洗濯にとよく働いていた。日中一人残すのは心配だったが、近くに住む秀吉の妻、寧々や、利家の妻、まつが気にかけてくれていたので、その心配は杞憂に終わった。一三歳になったお風は、忠繁のいた令和の女の子よりもしっかりと自立していて、今では留守を任せるのも安心だった。


「忠繁様、あまりご無理なさらないでください。」

「はは、ありがとう。でも大丈夫だよ。これでも楽しんでいるんだ。」


 お風の心配をよそに、忠繁は陽気に笑ってみせた。それからほとんど毎日、忠繁は可成の下へ通い、稽古をつけてもらった。最初は刀、槍、弓矢、馬術など一通り訓練を繰り返した。可成が言うには、どの武器を扱うのが、一番適性があるのか見定めたいからだという。どの武器も見聞きしたことはあっても、実際に手に取って扱うのは初めてだ。馬術などは何度落馬したかわからないくらいだった。


 朝から晩まで訓練を繰り返すと、まるで学生時代の部活かと思うような過酷さがあった。最初の半月は筋肉痛でなかなか動くのもままならなかったが、次第に身体が慣れてくると、重かった木刀も軽く感じるようになり、長時間身体を動かしても息が上がらなくなってきた。帰宅すればお風が食事を用意して待っており、寝る前には井戸の水で絞った手ぬぐいを全身に当て、筋肉の炎症が少しでも治まるように手伝ってくれた。


続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/

「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、

ぜひ高評価お願いいたします!


また、周りの方にもおススメしてくださいね!


現代人の忠繁が鍛えるのは本当に大変だったと思います。

次回の動きもお楽しみください。


野忠

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