女傑
神聖国オルフートの将軍、エイカは国境沿いの街、ディルスを攻め落とした後そのままの勢いで次の街、ビックスに向けて進軍していた。
ビックスを落とせば次はトーカ王国の首都、エーオンに辿り着く。
ここ数年来のオルフートの悲願、トーカ王国の制圧を自分の手で成し遂げる目前まできたことに彼女は思わず涙を浮かべてしまった。
しかし今は個人的な感情は抜きにして任務にあたらなくてはならない。
同じオルフートの将軍、ガオルは一足先にトーカ王国が差し向けた軍と戦っていると報告を受けていたので、自分たちもそろそろトーカ王国の軍と交戦状態に入るはずだ。
エイカがそう考えていると、部下から前方にトーカ王国の軍が見えたとの報告を受けた。
部下からの報告を受けたエイカは、すぐに全軍に指示を出した。
「悪魔たちを突撃させた後、全軍突撃!降伏など認めないわ!一人残らず殺しなさい!」
エイカの檄を受け、オルフートの兵士たちは怒号をあげながら前方のトーカ王国の軍に突撃した。
オルフートの兵士たちに先駆けて悪魔たちがトーカ王国の兵士たちに迫る中、トーカ王国の軍から巨大な竜が飛び出して悪魔たちに襲い掛かった。
竜は悪魔たちを噛み砕き、その尾で悪魔たちを地面へと叩きつけた。
瞬く間に悪魔数体が消滅させられたのを見て、エイカは楽しそうに笑った。
「とうとうあの杖を持ち出したわね。まともに相手をしないで!悪魔たちに竜から離れて旋回するように命令を出しなさい!」
トーカ王国の軍から飛び出した竜は、トーカ王国に伝わる魔導具、『ディーナの杖』により召還されたものだった。
この竜はオルフート製の悪魔をものともしない戦闘力を持つが五分しかその体を維持できない。
しかも『ディーナの杖』は一度使うと二十四時間使えなくなるので、この竜を相手にする時は倒すより防御に専念した方がよかった。
そのためエイカは悪魔たちに竜と戦わないように命じさせたのだが、これはトーカ王国も予想していたのだろう。
悪魔たちが竜と距離を取るとすぐに竜はエイカ率いるオルフートの兵士たちに襲い掛かった。
自分たち目掛けて突撃してくる竜に兵士たちが動揺する中、エイカは兵士たちの前に出ると水属性の精霊魔法を発動して氷壁を創り出した。
「慌てないで!この竜さえ消えたら私たちの勝ちよ!竜は私が食い止めるからあなたたちは隊列を崩さずに後退して!」
竜の襲撃に動揺していたオルフートの兵士たちだったが、エイカの指示を受けてすぐに落ち着きを取り戻した。
その後犠牲者がゼロとはいかなかったがエイカは竜が消えるまで耐え抜き、後は自分たちがトーカ王国の兵士たちを蹂躙するだけだとエイカは考えていた。
しかしそんなエイカに悪魔の管理を担当している者が慌てた様子で近づいてきた。
「どうしたの?悪魔に犠牲が出たことなら気にしないで。まだ三十体は残っているでしょう?それを早くトーカ王国の兵に差し向けて」
部下が何を慌てているのか分からなかったエイカだったが、部下の報告を聞いてエイカも表情を変えた。
「上空で待機させていた悪魔たちの反応が全て消えました!短時間で何者かに倒されたようです!」
「そんな馬鹿な!トーカの連中にそんなまねができるわけが。…まさかゼキア連邦と手を組んだの?」
ラミアやオーガといった亜人だけで構成されたゼキア連邦の助力をトーカ王国が得たのだとしたら、オルフートとしても戦略を練り直さなくてはならない。
亜人たちは数こそ少ないものの一人一人の力は人間を上回るからだ。
何の準備もせずにハーピィの群れの相手などしたらこちらにどれだけの被害が出るか分かったものではない。
どうやってあの排他的なゼキア連邦の力を借りたのかとエイカが驚いている中、部下の報告はまだ終わっていなかった。
「それが、悪魔たちを倒した者を誰も見ていないのです。おそらく少数の精鋭によるものかと」
「そんな馬鹿な!そんな者がいればとっくに前線に出ていたはず…」
部下からの不可解な報告に声を荒げたエイカだったが、そこに兵士たちのどよめきが聞こえてきた。
今度は何だと兵士たちの視線の先に目をやったエイカは、黒い羽を生やした少年が上空にいるのを目の当たりにした。
「ちっ、この忙しい時に」
ガオル同様恭也の正体にすぐ気づいたエイカは、兵士たちをかき分けて恭也に近づいた。
そして恭也もオルフートの軍勢の前に降り立ち、恭也とエイカは直接対峙した。
「どうも初めまして。異世界人の能恭也といいます」
「オルフートの将軍のエイカよ。私たちの悪魔を倒したということはあなたはトーカの味方ということね?」
「そのトーカとかいう国に行ったことないんで別に味方ってわけじゃありません。ただ戦争してるところを見かけたので止めに入っただけです。そっちが負けそうだったらそっちに味方してたと思います」
目の前の異世界人の真意がつかめなかったエイカは、さらに質問をすることにした。
「たまたま通りがかっただけということは別の用があるということ?」
「はい。異世界人の一人がこの大陸に上級悪魔を送り込もうとしてるんで、それを止めに来ました」
そう言って恭也は『情報伝播』を発動した。
オルルカ教国で暴れた上級悪魔の姿を脳裏に送り込まれ、エイカ、そして一部のオルフートの兵士たちの表情が変わった。
恭也が『情報伝播』を解除してしばらくしてからエイカが口を開いた。
「なるほど。こんなのが後四体も来るとなると私たちも準備をしないといけないわね。…私たち手を組めると思わない?オルフートは魔術の研究も進んでいるし、金儲けしか取り柄が無いタトコナやあなたが来なければ私たちに負けていたトーカなんかよりよっぽど頼りになるわよ?」
この大陸に来てすぐにこの提案をされていたら恭也も騙されていただろうが、あいにくオルフートについての情報はガオルから収集済みだった。
「異世界人捕まえた上に人質とって無理矢理力使ってるような国と手を組む気はありません。技術の方は後で有効活用させてもらうとして、王様やあなたたち軍の幹部にはそれなりに罰を受けてもらいます。後ついでに言っとくと、ガオルさんとその部下の人たち、とっくに僕に負けてますから」
恭也のこの発言を聞き、エイカはため息をついた。
「まったく口程にもない。だけど彼と戦ったばかりということはあなたも魔力をかなり消耗しているでしょう?その状態で私に勝てるかしら?」
水属性の精霊魔法で先手を打とうとしたエイカだったが、それより早く恭也は『情報伝播』を発動した。
映像などといった生温いものではなく全身を焼かれる痛みを直接送り込まれ、エイカはすぐに戦いどころではなくなった。
地面に倒れ込んだエイカのわき腹をウルの羽でえぐり例の魔導具を取り出した恭也は、その後例の魔導具を持っている他の兵士たちからも魔導具を取り出そうとした。
しかし兵士たちに近づこうとした恭也の耳にエイカの叫び声が聞こえてきた。
「なめるなあぁ!」
叫び声と共にエイカが繰り出した精霊魔法をまともに受け、恭也は完全に氷漬けになってしまった。
氷漬けになり恭也が驚いたことで『情報伝播』が解け、エイカは息を荒げながら立ち上がった。
恭也がいつも『情報伝播』で行っている敵の制圧は敵を傷つけずに痛みを与えているだけなので、本来オルフートの将軍や軍幹部が恩恵を受けている異世界人の治癒の天敵だった。
しかしエイカは与えられる痛みに気力だけで耐え抜き、恭也への反撃までしてみせた。
精霊魔法が使えるだけで出世した女という陰口に負けまいと精進を重ねてきたエイカだからこその離れ業だったが、このエイカの攻撃は恭也を文字通り驚かせただけだった。
「うわっ、あれ気合でどうにかなるんだ…」
『魔法攻撃無効』と『束縛無効』で氷漬けから難無く抜け出した恭也は、全身を炎で焼かれる痛みに耐えながら恭也に攻撃してきたエイカに心底驚いていた。
「ちっ、数多くの能力を持っているという話は本当だったのね」
自分の魔法による束縛から難無く抜け出した恭也を見て、エイカは舌打ちをしながらも次の攻撃を仕掛けようとした。
しかし今回は氷漬けになっている間に準備をしていた恭也が先手を取れた。
エイカの影から伸びた『キドヌサ』がエイカの体と手足を縛り、エイカは突然動きを封じられたことに驚いた。
「くっ、どうして殺さないの?なぶり殺しにする気?」
「いえ、そもそも誰も殺す気無いですから。もっともそっちの出方次第では一回ぐらいは死んでもらうことになりますけど」
束縛されても恭也への敵意を失わないエイカとは対照的に、恭也は呆れた様子でエイカに視線を向けながら自分が死者を蘇生できること、そしてそれを利用して相手が死ぬような拷問を何度も行えることを告げた。
その後ゾワイトたちに行った制裁の光景をエイカとその後ろの兵士たちに見せると、兵士たちはすぐに恐怖で顔を青ざめた。
さらにもう一度オルルカ教国での上級悪魔の件についての映像を今度はエイカの後ろの兵士たちにも見せ、恭也はこの世界の人間同士で争っている場合ではないとエイカに伝えた。
「さっき見せた悪魔は一体一体が僕と同じぐらいの強さです。僕相手に勝てないみなさんじゃ、例え相手の国に勝ってもその後で悪魔たちに滅ぼされて終わりですよ?」
実際のところは上級悪魔一体が相手なら高確率でウルを連れている恭也が勝つが、今回はこう言った方が話が早いと思い多少話を誇張した。
「何で戦争なんてしてるのか知りませんけど、僕が間に立つんで停戦なり不可侵条約なり結んで下さい」
恭也がこう言った途端、エイカの表情が更に険しくなった。
自分の発言の何が気に障ったのか尋ねようとした恭也だったが、それより先にエイカが口を開いた。
「私たちを助けてやるとでも言いたいの?あなたたち異世界人はいつもいつも私たちの問題にしゃしゃり出てくる。目障りだ!消えて!」
エイカが怒号と共に創り出した巨大な氷の槍が恭也に直撃したが、恭也は微動だにしなかった。その後何事も無かったかのように恭也はエイカとの会話を続けた。
「何か怒らせるようなことを言ってしまったみたいですね。自分で言って思ったんですけど、僕みなさんが何で戦争してるのか知らないんですよね。教えてもらっていいですか?」
「…あなたは闇魔法で相手を洗脳できるのでしょう?聞きたければ洗脳して聞き出せばいいわ」
軍人だった父親の仇のトーカ王国にもう少しでとどめを刺せるというところで邪魔をしてきた恭也とエイカはこれ以上話したくなかった。
そのため口をつぐんだエイカに恭也は容赦無く洗脳魔法を使い、オルフートとトーカ王国の戦争の原因を聞き出した。
二年前に領土的野心からトーカ王国がオルフートに戦争を仕掛け、一時はオルフートの方が街をいくつも攻め落とされる程の劣勢だったらしい。
しかしオルフートで学者をしているエイカの妹が研究していた異世界人や封印されている魔神から魔力を抜き出して悪魔を生み出す技術を使い、オルフートが半年程前に形勢を覆したらしい。
ここまでエイカから聞き出した恭也は、ようやくエイカの態度に納得した。
自分の国に攻め込んできた国への反撃がようやく始まった時に無関係の異世界人が介入してきた上に、その異世界人がここに来た理由が別の異世界人の侵略行為なのだ。
エイカじゃなくてもオルフートの国民なら誰でもいい加減にしろと思うだろう。
しかしこれ以上の戦争を恭也に見逃す気が無い以上、エイカを始めとしたオルフートの国民には我慢してもらうしかなかった。
それで恭也がオルフートの国民から恨まれるのは必要経費だと割り切ろう。
そう考えた恭也はエイカにこの場は引くように頼んだ。
「何の関係も無い僕に口を出されるのは不快でしょうけど、でもこれ以上人が死ぬのは嫌なのでここは引いて下さい。トーカには僕が必ずみなさんがするつもりだった以上のことをしてみせますから」
「あなたに勝てない以上従うしかないわ。…でも忘れないで。私たちオルフートの者は、決してあなたに感謝なんてしないわよ」
こう言って恭也をにらみつけてきたエイカを見て、ここまで申し訳なさそうにしていた恭也が不快気に顔をしかめた。
「みなさんが僕に感謝しないのは当然でしょう。感謝されるようなことしてませんから。でも異世界人捕まえて電池代わりにしてる国の人が一方的に被害者面するのは勝手過ぎると思います。…とりあえずこのまま帰ってくれればこれ以上は何もしません。僕が上級悪魔と相打ちになるの待ってた方が利口だと思いますけど」
恭也のこの発言にエイカが納得したのかは分からないが、エイカが先程言った通りエイカたちが恭也に勝てない以上ここは引くしかなかった。
その後エイカは兵士たちを連れてオルフートへと帰って行った。
その後トーカ王国の軍勢に向かった恭也は、司令官らしき男にここでオルフートに追撃を仕掛けるなら自分への宣戦布告と見なすと警告した。
その後司令官とその周囲の兵士を『情報伝播』で脅し、恭也はその場を後にした。
とりあえずこの場でできることはしたつもりの恭也だったが、エイカに『不朽刻印』を刻めなかったのが不安の種ではあった。
最後までエイカが恭也に精神的に屈服しなかったからで、精霊魔法の使い手、しかもあれだけ気丈な人物の動向が分からないというのはかなり不安だった。
ホムラの眷属による監視ができない以上不安はあったが、ずっとエイカを見張っているわけにもいかないのでしかたがなかった。