検問所突破
恭也がキースの家を出て街道へ出ようとしていたちょうどその時、村人たちの会話が聞こえてきた。
「ダニアンは助からなかったらしい」
「くっ、中級悪魔を見かけたらすぐに逃げろよ。常識だろ」
戦闘用の魔導具無しで中級悪魔を倒そうと思ったら二百人は必要で、勝てたとしても生き残るのは数人だ。
たいていの村には、農業や畜産業を行えるぎりぎりの人数しかいない。
そのためそれだけの人数が犠牲になると、たとえ中級悪魔を倒したとしても、その後の村の運営が成り立たなくなる。
もちろん村を焼き払われた場合も並々ならぬ苦労を強いられるが、基本的には中級悪魔が出た場合は、村を捨てて人的被害を抑えるのがこの世界の常識だった。
「けがした奴ら逃がすためにおとりになったらしい。死ぬ時に謝りながら死んだらしい」
「ちっ、かっこつけやがって。まだ子供も小さいってのに」
「俺の妻がついてるが、キノッサさんはまだ寝込んでるらしい」
「当然だろ。しばらくはそっとしとくしかない」
「ああ、俺たちもそろそろ戻るか」
そう言って村人たちはその場を去り、恭也も村を離れた。
彼らの話を聞いた恭也は、一人街道を歩きながらこの世界の治安について考えていた。
助けた人々に聞いた限りでは、周辺の国で奴隷の売買を行っているのはネース王国だけらしい。
そのため奴隷の売買自体は、サキナト、ひいてはネース王国をどうにかすればいい。
しかし悪魔の襲来に関しては、簡単にはいかない。
キースから話を聞いた限りでは、街から離れたところにある村が国から守ってもらえないのは、この世界では当然のことらしいからだ。
これは単純に小規模な村がいくつも点在するため、人手が足りないというのが大きな理由だろう。奪ったはいいものの邪魔なだけだった火属性のバズーカ型魔導具をキースに与えたが、どれだけ役に立つか分からない。
他国から誘拐された人々が公然と売買されている国、そして悪魔の襲来の可能性に常にさらされている人々。
問題山積な現状について考えつつ、恭也は自身の能力について考えていた。
先程の中級悪魔との戦いで、恭也は初めて自分の魔力の消費を実感した。
恭也たち異世界人は、その強力な能力を使えるように膨大な量の魔力を与えられている。
仮にこの世界の人間の魔力の量を十とすると、異世界人には十万もの魔力が与えられている。
この量は人間たちとはるかに力の差がある神が適当に定めた埒外な量で、実際今までの異世界人で魔力の半分以上を一日に使った者はいない。
そのため恭也の今回の消費した魔力も量自体は総量を考えればそれ程大きいものではない。
しかし今まで一度の戦いで五十も消費しなかったのに一気に五百以上の魔力を使ったため、恭也は少し驚いていた。
助け出した人々から聞いた話では、そう簡単にはできないが悪魔を召還して使役する召還魔法がこの世界には存在するらしい。
これを国や大きな組織に組織的に使われたら恭也も魔力切れで負けるかも知れない。
危機感を覚えた恭也だったが、具体的な対策は特に思いつかなかった。
その後消費した魔力自体は二時間もかからず回復し、体調が落ち着いたことで恭也はようやく異変に気がついた。
「えっ、能力が増えてる?」
思わず自分の胸に手をやり、恭也は歩みを止めた。
現在の恭也の持っている能力は、最初から持っていた『復活』の他は『硬質化』、『自動防御』、『魔法障壁』、『即時復活』、『物質転移』、『磁力操作』、『物理攻撃無効』、『魔法攻撃無効』だけのはずだった。
しかし新しい能力が一つ増えていた。
試しに発動して何も起こらなかったが、それ自体はいい。
何も起こらないだけで能力自体は発動しているからだ。
問題はいつこの能力を獲得したかだ。
あの中級悪魔と戦う前にはこの能力を持っていなかったのは断言できる。
新しい能力を獲得した場合、恭也はすぐにそれを実感できるからだ。
魔力を今までにないほど消費して動揺していたためすぐには気づけなかったが、想像以上に苦戦して動揺した中級悪魔との戦いの最中におそらく獲得したのだろう。
何らかの防御用の能力だと思い、この未知の能力を発動しながら近くの岩を殴ったら『自動防御』により『硬質化』が発動した。
そのままでは拳を痛めるから『自動防御』が発動したわけで、この能力が防御用の能力でないことは分かった。
能力の内容がすぐに分からないという状況自体は、すでに『自動防御』や『魔法障壁』の時に経験済みなので恭也はこれ以上の追及を止めた。
どうせ条件がそろえば分かるだろうし、獲得したタイミング的に『物理攻撃無効』や『魔法攻撃無効』の下位互換の可能性も高い。
そもそも現時点での能力の数が戦闘の素人の恭也の扱いきれる数ではなかった。
先程のサキナトのメンバー数人との戦いでも、すでに首輪を巻いていることに慌ててしまったが、その首輪を転移してから恭也の首輪を転移させればよかったことに後で気がついた。
もちろん殺すつもりは無かったが、首輪の転移という回避不可な恭也の十八番が使えていれば、戦闘はもっと楽に終わっただろう。
気休めぐらいにしかならないだろうが、道中脳内シミュレーションでもしてみようと思いながら恭也は、セザキア王国とネース王国の国境にある街、カイナに向けて歩き出した。
その後特に問題も無く恭也のカイナまでの旅は進み、アズーバで助け出した人々全員とカイナで合流できた。
さらにここに来るまでに助け出した奴隷七人を連れ、恭也は国境にある検問所へ向かった。
恭也はカイナにも奴隷がいれば助けようと思っていたのだが、さすがにセザキア王国の衛兵の目も届くこの街に奴隷はいなかった。
三十人近い集団が街中を歩く様子はかなり目立っていたが、カイナまでは恭也の姿は伝わっていないようで、すんなり国境に設置された検問所まで来ることができた。
ネース王国内で助けられた奴隷の通過にネース王国側の衛兵が難色を示したが、表向きは隣国の国民の誘拐などしていないため、衛兵たちは彼らのセザキア王国入国を認めざるを得なかった。
救出された奴隷たちを引き連れ、恭也は無事セザキア王国側の街、スハンナの地を踏んだ。
ここまではよかったのだが、恭也が異世界人だと知った途端、セザキア王国の衛兵たちの表情が一変した。
挙句の果てには衛兵たちは武器まで抜き、彼らの態度はとてもさらわれた自国民を送り届けた人間へのものではなかった。
しかしこの世界での異世界人への一般的な考えは助け出した人々から聞いていたので、恭也は特に慌てなかった。
「僕を殺そうって言うなら相手になりますけど、とりあえずみなさんが離れるまでは待ってもらえますか?」
恭也に助けられた人々を巻き込みたくないというのは衛兵たちも同じだったため、衛兵たちもすぐには恭也に襲い掛かったりはしなかった。
恭也に申し訳なさそうな表情を向けつつも、助けられた人々は衛兵たちに半ば無理矢理移動させられた。
そしてその場に恭也と衛兵たちしかいなくなると、衛兵たちは恭也に襲い掛かった。
セザキア王国側の検問所にいた衛兵二人は先が二つに割れた槍の様な武器を持っており、衛兵の一人が武器を恭也の左脚目掛けて突き出した。
『硬質化』を使い防ごうとした恭也だったが、ここで予想外のことが起こった。
衛兵は恭也の脚ではなく地面に武器を突き刺し、その後恭也の足元が凍り、恭也は動けなくなってしまったのだ。
この魔法が攻撃なら『魔法攻撃無効』で防げたのだが、単に動きを防ぐのが目的のため今回は役に立たなかった。
恭也の動きが止まったところで衛兵二人は、腰に帯びていた剣を抜き恭也に斬りかかってきた。
それ自体は『硬質化』で防いだ恭也だったが、そもそもセザキア王国の人間と戦っている現状自体がまずかった。
この世界のことをもっと知るために恭也はセザキア王国を数日見て回るつもりだったからだ。
そのためできればセザキア王国の人間を傷つけたくはなかった。
そう考えた恭也は逃げることを決め、まずは首輪を自分の首に転移して自殺した。
一瞬恭也の体が消滅するが、すぐに復活した恭也の左脚は氷から解放されていた。
今までの経験から、恭也は自分が復活した際は、恭也が自分の持ち物だと認識している物だけを所持して復活することを理解していた。
恭也が邪魔だと思っていた氷は当然恭也の持ち物だとは見なされず、恭也の目論見通り恭也は自由の身となった。
その後恭也は衛兵たちの持つ槍の様な武器を『物質転移』で奪おうとしたのだが、これは失敗した。
しかしこれ自体は想定してたため、恭也は次の手に出た。
突然目の前の異世界人が自殺をしたと思ったら、次の瞬間には拘束から逃れて平然と立っている。何が起こっているか理解できずに戸惑う兵士たちを横目に、これ以上戦いが長引くのを嫌った恭也は、すぐに首輪を衛兵の一人の首に転移させた。
「なっ、いつの間に?」
話でしか聞いたことがない瞬時に装着者の命を奪う首輪。
それがいつの間にか自分の首輪に装着されていたことに衛兵は恐怖した。
そこに恭也が追い打ちをかけた。
「その首輪の効果は知ってますよね?一つ言っておくと、その首輪の魔法、威力が低いから死ぬまで時間がかかって苦しいですよ」
いきなり恭也に命を握られた恐怖に身動き一つとれない衛兵から視線を外し、恭也はもう一人の衛兵に視線を向けた。
「どちらか一人でも動いたら首輪を発動させます。あなたが動いた場合、この人を殺してからあなたを殺すだけなのでそのつもりでいて下さい」
そう言うと恭也は、衛兵二人から視線を外さないまま二人と距離を取った。
その後曲がり角の手前で首輪を回収すると、恭也は全速力で走りこの場から離れた。
恭也の姿が完全に見えなくなってから、残された二人は連絡用の鳩を城まで飛ばした。
恭也が国境で騒ぎを起こしてから二時間程経った頃、セザキアの王城では王並びに重臣たちがそろっての緊急会議が開かれていた。
「もう貴殿たちも聞いているだろうが、国境に異世界人が現れた。その場にいた衛兵たちを振り切り、セザキアの領内に逃げ込んだらしい」
セザキア王国の現国王、ザウゼン・オルカ・セザキアが国境の衛兵から伝えられたばかりの情報を集めた部下たちに知らせた。
この知らせに対する大臣たちの反応は大きかった。
「そろそろだとは思っていたが、またこの国に現れるとは…」
「すぐに討伐隊の編成を!」
「まずは国民への周知が先だろう!潜まれて単発的に暴れられたら、どれだけの被害が出るか分からんぞ!」
「とにかく一刻も早く殺すべきだ!それに王都ではなく我らの領内に逃げ込む場合もある!そちらの対策も必要だろう!」
会議の参加者たちが口々に意見を述べるが、突如として国内に現れた異世界人を殺すべきという点では意見が一致していた。
このセザキアではわずか五年前に異世界人が暴れ、四千人近い国民を殺した。
隣国のクノン王国からの援軍もあり、物量差でなんとかその異世界人を殺すことはできた。
しかし異世界人が暴虐の限りを尽くした現場の血と戦火の臭いは今でも国民たちの中に恐怖として残っていた。
そのため集められたセザキアの大臣たちは異世界人への敵意をむき出しにしたのだが、そこでザウゼンが新たな情報を追加した。
「まずは落ち着け。実は今回の異世界人は、ネース王国にさらわれた我が国の民とクノン王国の民を連れて我が国に来たのだ」
このザウゼンの発言を聞き、熱を帯び始めていた場がわずかながら落ち着いた。
それを見たザウゼンは、言葉を続けた。
「お前たちが異世界人を警戒する気持ちは分かる。私だって怖い。だが相手が敵対行動をとっていない以上、こちらからことを荒立てるのは得策ではない」
「では陛下は異世界人を野放しにするとおっしゃるので?」
大臣の一人のこの質問に他の者たちは動揺した。
相手は話し合いの通用しない化け物だと考え、即戦争だと考えていたところに王のこの発言だ。
しかも今回の異世界人は彼らの国民の救出まで行っているのだ。彼らの気持ちはわずかながら揺らいだ。
そこにザウゼンは、自身の考えを告げた。
「さすがに野放しにする気は無い。またいざという時のために戦いの準備も進めるが、まずは今回の異世界人と直接話をしてみたい」
「へ、陛下が直接ですか?それはさすがに危険過ぎるのでは?」
「そうです。相手は異世界人ですぞ。話など通じる相手ではありません!即抹殺するべきです!」
その後出た新たな異世界人への対応に関しては過激な意見が大勢を占めたが、それらをしばらく聞いた後で、ザウゼンは静かに大臣たちを諭した。
「先程から威勢のいいことを言っているが、実際に血を流すのは現場の兵たちなのだぞ。戦いは最後の手段だ。特にキスア伯爵、貴殿は異世界人への恨みは強いだろうが、この場は私の顔を立ててくれないか?」
ザウゼンは会議の最後に前回の異世界人の被害を最も多く受けた領地の領主に声をかけた。
キスア伯爵は、この時に妻と次男を喪っている。
ザウゼンに直接声をかけられたキスア伯爵はすぐには返事をできなかったが、やがてザウゼンに礼を述べた。
「ご心配していただきありがとうございます。おかげで落ち着くことができました。そうですね。五年前の恨みを、おそらく血すらつながっていない今回の異世界人に向けるのも筋違いというものでしょう。何よりあのような悲劇をもう見たくありません。今回の異世界人との交渉が平和にすむことを願っています」
キスア伯爵の領民以外にとっては、異世界人による惨劇はほとんどが伝え聞いただけのものだ。
他の領主たちも例外ではなく、キスア伯爵にこう言われると、他の者たちも強硬策を取ろうとは言いづらかった。
「うむ、賢明な判断に感謝する。衛兵たちにはこちらから攻撃を仕掛けないことを徹底させて、まずは王城に、いやさすがに王城はまずいか。よし、会談場所はどこかの宿を貸し切ればいいだろう。とにかく今は異世界人の発見が先だ。回せる人員は全て回せ!それぞれ部下たちに、これは国防がかかった案件だと自覚させるように!」
ザウゼンの指示を受けた大臣たちは部屋を後にし、部屋にはザウゼンとその背後にずっと控えていた少女だけが残された。
王の後ろに控えていたその少女はわずか十五歳でザウゼン直属の部下となった人物だ。
外見の一番大きな特徴は、やはりその背中から生えた翼だろう。
大きく背中が開いた衣服からはみ出ているその翼は、少女が普通の人間でないことを示していた。
二人きりになってしばらく経ってから、ザウゼンは少女に話しかけた。
「聞いていた通りだ。できるだけ穏便にすませたいところだが、結局は相手次第だ。最悪の場合、お前に戦ってもらうことになる」
「お任せ下さい。陛下から受けた恩を返すためなら、たとえ刺し違えてでも異世界人を殺して見せます」
硬い表情でそう告げた少女に、ザウゼンは諭すように自分の考えを告げた。
「そんなことを言うな。お前を失うなど私にとって、いやセザキア王国全体にとって大きな損失だ。決して刺し違えようなどとは思うな。戦いになった国を挙げて戦うまでだ。いいな?」
「…かしこまりました。私も部下との打ち合わせがあるため、これで失礼します」
ザウゼンの言葉と視線を受けた少女は、一礼すると部屋を後にした。
「やれやれ、この二十年で三回の異世界人とは参るな」
少女が去った後で一人力なくつぶやいたザウゼンだったが、いつまでもこうしてはいられない。自身も立ち上がると、政務に戻るべく部屋を後にした。