災いの芽
正確に言うと恭也はそのまま通り過ぎようとしたのだが、青年の方が恭也を見て声をかけてきた。
「恭也さん、お久しぶりです!」
まるで旧知の仲のように声をかけられて恭也は困ってしまった。
この青年が誰か分からなかったからだ。
そんな恭也の戸惑いに気がついたのだろう。
青年は今度は不安そうに話しかけてきた。
「あの、もしかして私のこと覚えてません?」
不安そうにそう言う青年の顔を見ている内に恭也はこの青年をどこかで見た様な気がしてきた。
あれは確か……
「ああ、もしかして僕が初めて悪魔と戦った時の……」
「はい!あの時助けてもらったキースです!……すみません。なれなれしく話しかけてしまって」
「いえ、そんなことは……。あの時はお世話になりました」
恭也とキースが互いに頭を下げ合う中、ウルが恭也に話しかけてきた。
(誰だよ、こいつ)
恭也と契約して以来ほとんど一緒にいるはずの自分が知らない恭也の知り合いを前にウルが珍しく興味を持ったようだ。
恭也は『情報伝播』でウルに恭也とキースが初めて会った時の光景を見せた。
(うわっ、悪魔に手こずってる。まじかよ)
(あの時は持ってる能力も少なかったからね)
自分から質問してきたのにキースにではなく恭也と中級悪魔との戦いに興味が移っているウルを放置し、恭也はキースとの会話を続けた。
「キースさんは見回りか狩りの帰りですか?」
キースは右肩に以前会った時に恭也が渡した大砲型の魔導具をかけていた。
それを見ての恭也の質問で、実際にそれは当たっていた。
「はい。実は私、見回りとか警備のまとめ役任されちゃって。今も見回りから帰ってきたところです」
「えっ、キースさんがですか?そういうのってもっと年上の人がやるものなんじゃ……」
キースは今年で二十一歳になる。
さすがに恭也はキースの年齢は知らなかったが、恭也よりは年上に見えるとはいえ村全体で言えばキースは若い部類に入るはずだ。
そんなキースが重要な役割を任されていることが恭也には意外だった。
「はい。中級悪魔と戦ったことがあるってことがえらい高く評価されちゃって……」
「ああ、なるほど。街ならともかく村が襲われることって珍しいらしいですからね」
「はい。そんなわけで慣れない命令とかしてるわけです」
キースは口にしなかったが、実はキースが今の大役を任されたのにはもう一つ理由があった。
それはキースが恭也の顔見知りだというものだった。
これに関してはキース自身も疑問を持っており、実際先程まで恭也がキースを覚えていなかったことでキースの考えは正しかったことが証明された。
しかしキースがこのことを口にしなかったのは自分が恭也に覚えていてもらえるか自信が無かったからではなく、恭也が気にするといけなかったからだ。
最初にキースが今の仕事を任された時は勘弁して欲しいという気持ちが大きかった。
しかし他に適任がいないと言われ、元々キースが住んでいた村の村長にも頼み込まれて渋々引き受けた。
そんな事情を恭也が知れば恭也は気にするだろう。
今回コーセス村を作るにあたり、村人たちは恭也から食料に資材、魔導具の提供と多くの支援を受けていた。
そのためこれ以上の苦労を恭也に掛けるのはキースの本意ではなかった。
なおキース本人は気がついていなかったが、村の誰もが遠目から見るだけに留めていた恭也に自分から話しかけ、その後も会話を続けているキースを見て村人たちのキースへの評価はさらに上がっていた。
「本当はこの後一杯どうですかと言いたいところですけど、今はろくに店も無いんで……。村の生活が落ち着いたら一杯おごらせて下さい」
「はい。その時はぜひ」
恭也としてもネース王国の状況を激変させたことに対するネース国民の感想を聞きたいとは前から思っていたのでキースの提案は渡りに船だった。
「今セザキアから職人を派遣してもらえるようにお願いしてるので、この話が無事に進めば村の生活も今よりましになると思います。じゃあ、そろそろ行きますね。毎日は来れないですけど何かあったら今日みたいに気軽に声をかけて下さい」
「はい。その時はよろしくお願いします」
キースと別れた恭也は今度こそ予定通りにニコズへと向かった。
(で、これからどうするんだ?来週魔神倒しに行くとか言ってたけどそれまで適当に村行ったり来たりするのか?)
ウルが聞いている恭也の予定は二つの村の発展具合を見守り、適当な時を見計らってティノリス皇国の魔神を倒しに行くというものだ。
具体的な日数までは聞いておらず、場合によっては一週間以上退屈な時間を過ごすことになるかも知れない。
そう考えてのウルの質問だったが恭也にはすでに明確な予定があった。
(しばらくセザキアに行ってお金を稼ごうと思う)
(金を?まだ結構残ってたろ?)
もちろんウルは恭也の所持金の額など把握していないが、それでも以前硬貨が山積みになった木箱を数箱見た記憶があった。
あれだけの金があればわざわざ金を稼ぐ必要など無いと思ったため、ウルは恭也が金を稼ごうとしていることを知り不思議に思った。
(うん。金貨はもう五十枚も無いけどそれでも僕一人がやっていく分には十分なお金はまだ残ってるよ)
(じゃあ、何でわざわざよそにまで行って金を?)
(うん。この調子だとネースだけでも他にいくつも村を作らないといけないと思うんだよね。今の手持ちだと後村を一つ作れるかどうかって感じだから…)
ユーダム村とコーセス村を作る際に村人たちに行った支援は全て恭也自身の金で行った。
ネース王国の国内に村を作るのにセザキア王国やクノン王国の力を借りると、村の所有権を巡って争いになりそうだったからだ。
ネース王国に出させようとも思ったのだが、さらった人々への賠償金の支払いだけでも十年以上かけて行う予定のネース王国にこれ以上の出費を強いるのは恭也としては避けたかった。
先程のチッスとの交渉の時にも考えたことだが、恭也が命じればそれがどんな内容でもネース王国は嫌とは言えないだろう。
それは恭也も分かっているためネース王国相手にこれ以上何かを求める気は無かった。
(村の連中に出させりゃいいじゃねぇか)
(うん。それについてはカムータさんたちと相談して、再来年から村の収入の一割を僕がもらうってことになってる。だから村からの収入は今はあてにできないんだよ)
(何かしなくていい苦労までしてないか?)
(言いたいことは分かるよ。実際セザキアとクノンにお金はもちろんそれ以外でも助けてもらえばもっと簡単に話進んでるだろうし。でもなあ……)
クノン王国の上層部は国王であるゼルスを始めとして恭也に警戒心を抱いており、比較的うまくやれていると思うセザキア王国にも第一王子のオーガスのような人物もいる。
フオッグのように個人と付き合うならともかく、国を相手としたやりとりは極力避けたいというのが恭也の本音だった。
(国王なんて恭也が脅せば何でも言うこと聞くだろ……)
ウルが呆れたような口調でいつも通りの提案をしてきたため、恭也もいつも通りにそれを拒否した。
(僕別に世界征服したいわけじゃないからね。でもセザキアやクノンでも人助けはしたいと考えてるし、そうするとこっちから行動するしかないんだよなー)
最低でもセザキア、クノン両国に自前の拠点は作っておきたかった。
(奴隷解放した時にもっと恩着せればよかったんだよ)
(今さらそれ言ってもしょうがないよ。もうどうしようもないし)
その後も議論は堂々巡りになり、やがて二人の会話も途絶えた。
恭也は『治癒』を使って金を稼ぐことを考えており、すでにフオッグとアロガンには怪我で困っている人を紹介してくれるように頼んでいた。
またウルとのこれまでの会話の中で恭也はネース王国内だけでやっていくのは限界があると気づかされた。
とりあえず自分の有用性を広めつつ、資金稼ぎと並行して人脈構築も積極的に行っていこう。
資金がなくてしたいことができないというのは嫌だし、考えてみれば無料で何でもしてくれる存在と思われるのは長期的に見れば損をしてしまいそうだ。
人助けのためなら自分の評判など気にしている場合ではない。
そう考えた恭也は特に役立つ意見が出たわけでもない先程のウルとの会話も無駄ではなかったと思いながらニコズへと飛んだ。
一方恭也とウルがニコズを目指していた頃、ユーダム村の南の街、アナシンからさらに南の街、ミレズ近郊では魔導具で武装した兵士四十人が動員される騒ぎが起こっていた。
ミレズが悪魔の群れに襲われた際、中級悪魔一匹をとり逃してしまい、彼らは上司からの命令でそれを追っていた。
十人で一つの隊を作り、街の四方をそれぞれ探索しているところだった。
「ったく、命令とはいえ、やってられないぜ。もうとっくに死んでるんじゃねぇか?」
「だよな。結構傷も負ってたって言うし探すだけ無駄だろう」
いきなりの戦闘ならともかくきちんと武装した状態なら中級悪魔一体程度なら兵士たち数人で十分勝てる。
中級悪魔が逃げ延びているかすら疑わしいと思っているため、彼らの士気は低かった。
「異世界人もびびり過ぎなんだよなー。逃げた中級悪魔が全部上級悪魔になってたら国なんてとっくに滅んでるぜ」
「ああ、まったくだ。今回だって中級悪魔を逃がしたなら探すの手伝うとか言ってきたらしいぜ」
「ああ、聞いた、聞いた。で、面倒になったそいつが悪魔はちゃんと倒したって異世界人に言ったんだろ?助かったぜ。いつまでもあんなのにうろつかれちゃ迷惑だしな」
恭也は暇を見つけてはネース王国内を飛び回り、悪魔の出現や治安の悪化に目を光らせていた。
当然ミレズに中級悪魔が現れたことも知っていたが、恭也が話を聞いた兵士が悪魔は全て倒したと報告してしまったのだ。
そもそも兵士からすれば上司でもない恭也に報告する義務は無く、何より兵士としては恭也に一刻も早く立ち去って欲しかったため嘘の報告をした。
ネース王国内の奴隷の大部分がそれぞれの国に帰り、恭也がユーダム村を作ってからそろそろ一ヶ月が経とうとしていた。
その間兵士たちは国の命令で貴族の家に押し入り奴隷たちの解放を行っていたのだが、これが大変な仕事だった。
ただの商人が相手なら兵士たちはいくらでも高圧的になれるが、相手が貴族となるとへたをすれば自分たちが職を失ってしまう。
その一方で国からは容赦無く奴隷を連れ戻せと言われているため、兵士たちはこの一ヶ月板挟みの状態での仕事を余儀無くされていた。
もちろんその間普段の仕事がなくなるわけではない。
彼らの仕事量は増える一方で、そのためネース王国の兵士たちの間での恭也への評判は悪くなる一方だった。
しかし仮に恭也への兵士たちの悪感情が無かったとしても、今回の兵士の対応は変わらなかっただろう。
ここ数百年の間上級悪魔が出現した例は無く、中級悪魔を取り逃がすことも珍しくはあるがたまにはあることだった。
そのため恭也の今回の行動は兵士たちにとっては過敏を通り越して異常だった。
恭也が以前いた世界で例えるなら巨大隕石の落下を真面目に心配しているようなもので、兵士たちが恭也の言動に呆れた様子を見せるのも無理は無かった。
そうしたわけで大して警戒もせずに歩いていた兵士たちは異臭に気づき足を止めた。
「げっ、もうここまで来ちまったか」
「この先には何にも無いしもう帰ろうぜ」
兵士たちが感じた異臭は兵士たちの視線の先にある湖から放たれていた。
ミレズの南西にあるこの湖は実験に使われた奴隷の死体や研究で出た廃棄物の捨て場所として使われていた。
似たような場所はネース王国にいくつもあった。
元々サキナトの構成員しか近づかない場所だったのだが、恭也がサキナトを潰してからは誰一人近づかない場所になっていた。
異臭が漂いごみが散らばるこの場所にやる気の無い兵士たちが踏み入るはずもなく、ここで彼らの中級悪魔捜索は終了した。
魔導具の残骸と無残に死んでいった人々の死体が放置された場所。
中級悪魔が傷を癒やして力を蓄えるのにこれ程最適な場所はなかなか無かったが、そんなことを知る由も無く兵士たちは街へと帰って行った。