脱走者
去っていく恭也の後姿を黙って見送っていたジュナだったが、ロップに話しかけられて我に返った。
「ジュナ様、ご無事ですか!」
「ああ、私は大丈夫だぞ」
ジュナはロップの前で立ち上がって見せて自分が大丈夫なことを示した。
そんなジュナを見て安心した様子のロップを横目にジュナは今も負傷者を治して回っている恭也に視線を向けていた。
長年に渡りクノンとセザキアの両王国を悩ませてきたネース王国による国民の誘拐。
それを突如として現れて解決したのが目の前の異世界人だ。
不死身の体を持ち魔神を従えてサキナトを潰した少年だと聞いていたので、ジュナは勇ましい人物を想像していた。
しかし実際に異世界人を見たジュナの感想は穏やかそうな少年だった。
その後しばらく恭也の去った方に視線を向けていたジュナとロップだったが、コートネスの悲鳴が耳に入ってきたためそちらに視線を向けた。
二人の視線の先では先程まで戦場を支配していたコートネスがウルになす術も無くいたぶられていた。
「おい、どうした?恭也のを見たから知ってるぜ?精霊魔法は何個も使えるはずだろ?もっと色々見せてくれよ。恭也は俺と遊ぶ時は光属性ばっか使うから他の属性の精霊魔法をもっと見てみたいんだ!」
ジュナとロップが視線を送る中、楽しそうに精霊魔法の使用を求めるウルに対し、ウルと対峙しているコートネスは泣きそうな顔をしていた。
コートネスの体にはいたるところにあざや切り傷ができており、今のコートネスにはジュナたちと戦っていた時の尊大さなど見る影もなかった。
「た、頼む。もう無理だ。投降するから許してくれ!」
ひざまずいたコートネスの命乞いをウルは笑顔で切り捨てた。
「許して欲しければ俺に攻撃しな!羽の一枚でも吹き飛ばせたら見逃してやる!怪我したって恭也が治してくれるから安心してかかってこい!」
そう言うと同時にウルは羽を動かしてコートネスの左腕を斬り裂いた。
「あ、がっ」
すでに体中に似たような傷がいくつもある状態のコートネスはウルに勝つためでなく、これ以上痛い思いをしたくないという消極的な理由からウルに攻撃を仕掛けた。
コートネスの足下から上に風が吹き始め、コートネスの体が宙に浮いた。
そしてコートネスが十メートル程浮いた時点で恭也の声が辺りに響いた。
「ウル、ごめん!サキナトの人たちが逃げ出したみたい!僕先に行って捕まえておく!五分ぐらいしたらウルも呼び寄せるからそのつもりでいて!すぐには戻って来れないからその人に致命傷与えちゃ駄目だよ!」
それだけ言い残すと恭也は『空間転移』を使いその場から消えた。残されたウルは面倒そうにコートネスを見上げると、誰に言うでもなくぐちをこぼした。
「なんだよ。これからがいいとこだってのに。まあ、こうならないように兵士借りに来たんだけどよ。まあ、しかたねぇ。おい、これで終わりだ!聞こえてたか分からねぇが、怪我治せなくなった!運が悪かったと思ってくれ!」
コートネスを全く警戒していないウルの発言だったが、今のコートネスにはウルの発言に怒りを覚える程の気力は残っていなかった。
ただ先程の異世界人の後五分で目の前の魔神がいなくなるという発言だけを心の支えにコートネスは自身の最大の魔法を放った。
コートネスはウルの真上まで移動すると、残されていた魔力を使って雷の雨を降らした。数え切れない程の雷撃が山中に降り注ぎ、木々を砕き、焼き払っていった。
コートネスのこの技は周囲一帯を焼き尽くす大技としてクノン王国では有名だった。
そのため周囲の人々はコートネスがウルの真上に移動した時点で敵味方関係無く一目散に逃げ始めた。
コートネスによる雷の雨は一分と続かなかったが、それでもウルが立っていた場所はひどい有様だった。
生えていた木々は全て原型を留めておらず、焦げ臭い煙が立ち込めた辺りは様子をうかがうことも困難だった。
本来は集団を殲滅するための技を一ヶ所に集中させたのだから、普通なら食らった相手は肉片すら残っていないだろう。
そんな惨状を引き起こしたコートネスだったが、これでウルを倒せると考える程楽観的ではなかった。
残された魔力で浮遊状態を維持してコートネスは全力でこの場を離れた。
魔力はほとんど残っておらず、今のコートネスは一般の兵士にすら手こずるだろう。
しかし今は魔神が再生を終える前にここから離れるのが先だ。
最悪クノンの兵士に捕まったとしても大人しく捕まり、魔力が回復してから逃げればいい。
そうコートネスが考えていた時だった。
「結構楽しめたぜ」
突然自分の後ろから聞こえてきた声に驚いたコートネスが振り向くと、そこには無傷で笑っているウルの姿があった。
「いやー、あんま期待してなかったんだけど思ってたより楽しめたぞ。お前、異世界人とかいうのじゃないんだろ?それでその強さなら大したもんだ。お礼に俺の技をいくつか見せてやりたいところだけど、そろそろ恭也に呼ばれそうだ。とりあえず終わりにしようぜ」
それだけ言うとウルはコートネスの服をつかみ、そのまま力任せに地上へと引きずり下ろした。
ウルとコートネスの戦いを木の陰から見ていたジュナとロップの目の前でウルにつかまれていたコートネスが木に思い切り叩きつけられた。
そのままコートネスは気を失い、無防備な姿をジュナたちの前にさらした。
自分たちが手も足も出なかったコートネスがあっさりと負ける様を見せられてジュナとロップは言葉も無かった。
「おい、お前がこの部隊の偉い奴だろ?こいつ預けるからちゃんと止血しとけよ。こいつが死んだら俺が恭也に怒られるからな」
「ああ、任せてくれ」
魔神と直に話すという状況に緊張しつつもジュナは何とか気絶しているコートネスをウルから受け取った。
その後礼を言おうとしたジュナだったが、ウルはそれを面倒そうに止めた。
「お前らと長々と話す気はねぇ。多分二、三日したら恭也が顔出すと思うから話はあいつとしてくれ」
多少不機嫌な様子を見せつつも明らかにジュナたちには興味が無いといった様子のウルにジュナとロップは戸惑った。
その後ウルはジュナとロップに一度も視線を向けず、やがてすぐに姿を消した。
しばらく呆然としていたジュナたちだったが、いつまでもここにいるわけにもいかない。
負傷者の移送に捕まえた者の連行、国王への報告とやることは多い。
ジュナは部下に手早く指示を出してその場を離れた。
恭也に呼ばれたウルが召還されたのはサキナトの元幹部たちを集めた場所からそれ程離れていない場所だった。
四人の男が『埋葬』で地面に埋められ、その近くには不機嫌そうな表情の恭也がいた。
「あれ、思ったより少ないな。これだけか?」
少なくとも数十人単位での逃走を想像していたウルは逃げたのが四人だけという結果に驚いた。
しかしそれはウルの早とちりだった。
「いや、後三ヶ所に逃げてる人たちがいる。でも合わせても二十人ぐらいかな。多分逃げてない人たちは様子見ってとこなんだと思う」
『不朽刻印』の反応が遠くで動くのを感じながら恭也はウルに現状を説明した。
先程洗脳して聞き出したところ、逃げ出した彼らは『不朽刻印』を刻まれたらどこにいても追跡されるという恭也の説明が嘘なことに望みをかけて逃げ出したらしい。
死ぬまで束縛されるのがほぼ確定な以上、逃げ出そうという人々が出るのは恭也も予想していた。
というより今回ウルの監視を彼らから外したのもこうなるように恭也がお膳立てしたという面があった。
「悪いこと言わねぇから今回逃げた連中は殺しとけ。こいつら絶対また逃げるぞ」
今回彼らが逃げ出したせいでウルはせっかくの遊びを中断させられた。
そのため恭也以外の人間にほとんど興味を持たないウルにしては珍しく、ウルは脱走者たちにいらだっていた。
脱走者たちに対する怒りを隠さないウルの視線を受け、地面に埋められて身動きがとれない脱走者たちは命乞いの視線を恭也に向けた。
その様子を見た恭也は彼らの思惑通りになることを不快に思い、『情報伝播』による制裁を行いながらウルをたしなめた。
「しつこい。誰も殺さないっていうのは大前提だよ。あの雷使い、殺してないよね?」
敵の治療ができずにこちらに戻ってきたため不安が残っていた恭也の質問にウルは軽い口調で答えた。
「致命傷は与えなかったしそんなに深くも斬らなかった。俺があの精霊魔法の使い手渡した連中がちゃんと手当てしてれば大丈夫だろ。でもあいつらがむかついたからってあの男を殺した場合は知らねぇぞ?」
「うん。その場合はしょうがないよ。そもそも精霊魔法の使い手とかどうやって閉じ込めておくんだろ?」
負傷者の治療の片手間で恭也が見ていた限りではウルが戦っていた男の火力はすさまじいものだった。
相手がウルだったからこそ一方的に蹂躙できていたが、あの男なら中級悪魔相手でも互角以上に戦えるだろう。
あんな人物を牢屋に閉じ込めておくなど不可能だろうし、ウルの言う通りその場で殺されている可能性もあった。
恭也が見た限りでは、程の場所では少なくても二十人以上の兵士や犯罪者が死んでいた。
状況から考えて全てあの精霊魔法の使い手が殺したわけではないだろうが、それでもあの男のしたことは許せなかった。
しかしあのような男でも死ぬのは嫌な恭也だったが、まさか国の正規の軍がやることまで口を出すわけにはいかなかった。
複雑な気持ちを抱いた恭也にウルが全く関係無い質問をしてきた。
「ところで今回新しい能力手に入れたのか?あれだけ人が死んでたんだ。一つや二つ、能力増えたんじゃねぇの?」
自分が戦っていた相手の生死についてどうでもよさそうに話していたのとは一転し、ウルは興味深そうに恭也が今回能力を獲得したかを聞いてきた。
そんなウルにため息をつきながら恭也は今回は何の能力も獲得していないことをウルに告げた。
「えっ、まじ?…何でだ?」
「多分だけど具体的にこういう能力が欲しいって僕が思ってないと駄目なんだと思う。今回は事件に気づく能力がもうちょっと便利ならとは思ったけど、特にこういう能力が欲しいとは思わなかったから」
『危機察知』は呼ぶ側が恭也の顔を知らないと発動しないため、今回のクノン王国内での争いでは発動しなかった。
今もネース王国に数多くいるはずの奴隷たちが『危機察知』の対象にならないのもそれが原因だ。
以前ミレズの奴隷が『危機察知』の対象になったのは奴隷の一人がたまたま街の上空を飛ぶ恭也の様子を目にしていたからだ。
しかしこれは例外と言ってもいい幸運な場合で、あれ以来『危機察知』で恭也がネース王国内の奴隷に呼ばれることはなかった。
このことに歯がゆい思いをしていた恭也だったが、ウルはそんな恭也の気持ちも知らず恭也が能力を獲得し損なったことを残念そうにしていた。
「ふーん。なんか損した気分だな」
「損どうこう言うなら犯罪者捕まえるために多くの人が死んでる時点で大損だよ。それよりそれ、他の人の前で言わないでね。余計な反感買っちゃうから」
実際先程の現場で兵士たちの死体を見た時に恭也自身も怒りと同時に能力が増えないことに対する違和感も覚えた。
そのことに気がついた瞬間、強い自己嫌悪に襲われた恭也だったが、犠牲者の知り合いがそれを聞いたら恭也以上に不快に思うだろう。
そもそも誰かの死に立ち会う度に強くなるという恭也の能力の内容自体が印象が悪いと恭也自身が思っていた。
そのため死人が出た現場に立ち会う度に今回は能力獲得できなくて残念だなどと口にしていては相手との友好関係を築くのが難しくなってしまう。
とりあえずクノン王国とのやりとりは後回しにして今は逃げ出した者たちへの処罰が先だ。
『情報伝播』による制裁を受けていた脱走者たちの悲鳴を避けるため、彼らから離れた場所で話していた恭也とウルは彼らに近づくとこの場を離れる準備を始めた。
恭也は彼らに近づくと『情報伝播』を解除し、彼らが落ち着くまで待ってから彼らに話しかけた。
「どうしましょうか?一ヶ月間埋めておくって言いましたけど、その間あなたたちが死ぬ度に戻ってくるのは魔力がもったいないんですよね」
今も埋められている脱走者たちに聞こえるように話しながら恭也は彼らへの罰を考えていた。
埋められている脱走者たちの謝罪が聞こえてきたが、恭也はそれらを聞き流して思考を続けた。
彼らへの罰になりつつ今回逃げなかった者たちへの見せしめにもなるいい方法は無いだろうかと考えていた恭也は一ついい方法を考えついた。
一度考えつくとどうして今まで思いつかなかったのか不思議でしかたなかったが、名案を思い付いた恭也は気分も軽くウルと融合した。
その後埋まっていた四人を洗脳して元いた場所に帰るように命じると、残りの脱走者を捕まえるべく恭也はその場を離れた。
脱走からそれ程時間が経っていなかったこともあり、走って逃げている彼ら全員を捕まえるのにそれ程の時間はかからなかった。
脱走者全員が帰って来るのを待ち、恭也は今回逃げなかった者たちを含む全員を集めた。
そして集められるなり呼び出された者たちの表情が曇るのが恭也には分かった。
それも無理はないだろう。何しろ逃げ出した者全員が洗脳されているのだから。
「今回逃げ出した人たちはこれから一ヶ月間洗脳したままにしておきます。睡眠と食事以外の時間は全部仕事にあてるように命令しておきました。次から脱走者が出た場合は脱走者は刑期を終えるまでずっと洗脳します。消費魔力を考えるとみなさんを一気に洗脳した方が楽なんですけどそれをしないのは僕のせめてもの良心です。これが最後ですからね」
最後の部分を強調し、恭也はその場の全員に最終宣告を告げた。
クノン王国から彼らの見張りを任せる人員を借りる件に関してはうまくいくか分からないので今はまだ伝えなかった。
もっとも今回短時間で脱走者たちが捕まったことで『不朽刻印』による追跡が恭也のはったりではないことが彼らにも伝わっただろうからしばらくは脱走者も出ないだろう。
しばらくは魔力の回復を待ち、『危機察知』で呼ばれる機会を増やすために近隣の街の上空を飛んでみよう。
そんなことを考えつつ、恭也はサキナトの元幹部たちにさっさと仕事に取り掛かるように指示を出した。