初めての死
「あーあ、もったいね。せっかくの異世界人を。何も殺すことなかっただろ。後で頭に怒られるぞ」
怒りに任せて恭也を殺した男の後ろから男の仲間、エミルの呆れたような声が聞こえてきた。
二十年前から一年に一度現れる異世界人。この世界の人間が使える魔法とは全く異なる異能が使える存在を幸運にも捕まえられたと思ったらこの様だ。
異世界人は目立つ衣服を着ているのでこちらの人間にもすぐに分かり、余程強力な能力を持っていない限りその場で殺される。
初めてこの世界に来た異世界人の影響で、ある国が他国への侵略を是とする国になってしまった。
また降り立った国の住民数百人を殺した異世界人がいるなど、異世界人の影響は甚大だ。
一つ前の異世界人も男たちの同業者が捕まえたのだが、奴隷商人数十人を文字通り消した後で別の大陸に渡り、渡った先で封印されていた魔神を解放し、その結果その国の国土の一部を不毛の大地に変えたと聞く。
こういった積み重ねから、異世界人は見つけ次第殺すべきというのがこの世界の常識なのだが、奴隷商人たちとしては貴重な商品には違いない。せめて自分たちの上司に意見を聞くまでは異世界人を生かしておこうと思っていた男たちだが、殺してしまったものはしかたがない。
とりあえず異世界人のことは忘れて先に進もうとしたエミルだったが、逃げ出した異世界人の死体を見ているはず同僚の様子がおかしいことに気がついた。
「おい、どうした?一応首輪は回収しておけよ?」
そう言うエミルに同僚は無反応だった。
「おい、どうした?どうしたってんだ?何かあったのか?」
少年の能力が分からない以上、首輪に仕込んだ風魔法で殺せない可能性はあった。
そのためエミルが真っ先に考えたのは少年による報復だった。
何かが起こったことだけは確かでエミルは何度も同僚に問いかけたが同僚は全く返事をしなかった。
業を煮やしたエミルは同僚を押しのけて外の様子を確認した。
エミルは手には剣を構え、何が起きてもよい心構えはしていた。
そんなエミルの視線の先には路上に落ちた首輪だけがあり、少年の死体はどこにも無かった。
馬車から降りて辺りを見渡すエミルだったが、周囲に特に変わった様子は無い。
騒ぎを聞きつけて様子を見に来た右頬に傷があるエミルたちの上司、パラガが少年を殺した男に何があったか問い詰めた。
パラガに肩を強くつかまれ、ようやくその男も我に返った。
「あのガキが死んだと思った次の瞬間にはガキの死体が消えてて、後は何が何だか…」
部下の説明を聞いた後、少し考えたパラガは手早く部下たちに指示を出した。
「仮にあのガキが生きてたとしても逃げたってことは能力が戦いに向いてないんだろ。そこまでびびることはねぇ。とは言え追うのは危険だ。もうあのガキは放っといて街に行くぞ!」
確実に奴隷を束縛できると信じていた首輪を残して恭也が消えたことで、自分たちが完全に侮っていた少年がまぎれもない異世界人だとエミルたちは強く理解させられた。
反対意見は全く出ず、一行は急いで次の街へと向かった。
首輪に仕込まれた魔法による風の刃で首を斬られた恭也が最初に感じたのは怒りだった。
子供の頃に感じた死は身近にあるという事実とそれに対する怒り。それを再び感じ、そして今度は死そのものを実際に体験してしまった。
恭也の首にはめられた首輪から出た風魔法の威力は、それ程強力なものではなかった。
恭也を即死させる程の威力ではなく、首輪の魔法が発動してから恭也が死ぬまでに数秒かかった。
その数秒間、恭也はまるで夢を見ているような状態にあった。
異世界に行けと言われ、もちろん恐怖と怒りはあったが同時にどこかわくわくしていたのも事実だった。
しかし現実はこれだ。
まさか異世界に行ってから一時間も持たずに死ぬとは思っていなかった恭也は、これでまた別の人間が自分と同じ様に無理矢理異世界に送り込まれるのかと申し訳なく思った。
しかし異世界というのは想像以上に危険な世界だった。異世界で生き抜くためには風の刃ぐらい防ぐことができないと駄目らしい。死の寸前首に走った刃物に斬られるような痛みを思い出しながら恭也の意識は深く沈んでいき、
恭也は気がつくと、先程自分が死んだはずの街道にいた。
驚きつつも恭也は自分の首を触ってみるが、傷一つ無い。
先程のことは夢なのではと思った恭也だったが、足元に落ちている首輪が先程の出来事が現実であることを物語っていた。
何気無く首輪を拾った恭也は首輪の内側に何やら文字らしきものが刻んであることに気がついた。
先程の男の一人が魔法が仕掛けられていると言っていたので、これがそうなのだろう。
試しに死ぬ間際に聞いた番号を口にすると、首輪の中で風の刃が発生した。
実際にこういった道具を見ると自分が異世界に来たのだということを実感させられた。
しかし首輪がこうして作動するということは、それをつけていた恭也は確実に死んだはずだ。
ということは死んでも蘇ることができるというのが、恭也が手に入れた能力なのだろうか。
そう考えた恭也だったが、ここで自分の中に新たな何かがあることに気がついた。
試しにその何かを使おうと意識すると体全体に何か違和感を覚えた。
しかし見た目は変わっていないため、試しに触ってみると体がまるで金属の様に硬い。
助走をつけて近くの木に殴りかかると、拳には傷一つつかず殴りつけた木の表面が削られていた。
その後何度か試したが、この体の硬質化は自由にオン・オフの切り替えができるようだった。
ようやく自分の力を自覚できて安心した恭也だったが、これでは硬質化と蘇りの二つの能力を持っていることになる。
確か青年は能力を一つ与えると言っていたはずだ。
まさか蘇りの方はこちらの世界に来た人間全員に与えているのだろうか。
そう考えれば先程の連中の一人が異世界から来た人間の存在を知っていたこともうなずける。
送り込まれた人間が全員恭也の様にあっさり死んでいたら、送り込まれた人間の存在が知られているはずがない。
そう結論付けた恭也だったが、そうなると場合によっては何でも消滅させる能力を持っている人物や洗脳能力を持っている人物と争う可能性もある。
しかもお互いに死んでは蘇る泥仕合だ。
ただでさえ勝手の分からない異世界での生活を身体の硬質化という地味な能力でやっていかないといけないのだ。
できるだけ目立たないようにやっていこう。
それにしてもと恭也は、自分の手に入れた能力について考えた。
体を硬くする。
便利といえば便利だが、これ一つで右も左も分からない土地でやっていけとはあまりにも無茶振りが過ぎる。
あの青年は恭也の欲望で能力が決まると言っていたはずだ。自身の欲望など特に意識したことは無い恭也だったが、それでも体が硬ければよいなどと考えたことはない。
それなのにどうしてこんな能力を獲得してしまったのか。
とりあえず死んでも蘇ることができることを確認できたのは収穫だったが、肝心の恭也個人の能力は完全に外れだった。
これでは元いた世界に帰る方法を見つけるのは時間がかかりそうだ。そう考えた恭也は、唯一の持ち物と呼べる首輪を手にして街を目指して歩き始めた。
二時間程歩きようやく街にたどり着いた恭也は、街に入ってすぐに人々の奇異の視線にさらされた。
街に入ってすぐに恭也は自分が今着ている学生服が目立つことに気がついたのだが、以前の世界の持ち物は衣服以外何一つこちらに持ち込めていないため、服を買うことができなかった。
もっとも通貨が違うだろうから、仮に財布があっても買えないのだが。
とにかく今は服装に関しては諦めるしかないと考え、恭也は街を歩いた。
街の建物は高くても三階建てが多く、材質は石やレンガが使われているようだった。
青年によるとこの世界は、あまり科学技術が進んでいないとのことだった。
先程の奴隷商人たちとのやりとり(と呼べる程きちんとしたものではなかったが)で言葉が通じるのは分かっている。
しかし何も分かっていない現状では、この世界の誰かと話してこの世界のことを理解したい。
恭也がそう考えていた時、恭也の視界に一人の男が入ってきた。
しばらくその男の顔を見続け、男が先程の奴隷商人たちの一人であることを確信した恭也は男を尾行することにした。
とはいえ、いくら顔見知りがいないといってもさすがに奴隷商人たちにこの世界について聞こうというのではない。
あの男の行く先には奴隷として捕らわれていた少年、少女たちがいるはずだ。
彼らなら助け出すことさえできたら、少しは友好的に接してくれるだろう。
そう考えた恭也は奴隷商人の後を追った。
今はもうじき夜になるという時間で、人込みもそれ程多くはない。
何とか男から離れての尾行を続け、角を曲がった男を追い恭也も角を曲がる。
そうして角を曲がったと同時に恭也は誰かとぶつかってしまい謝らなくてはと思った恭也だったが、すぐにそれどころではなくなった。
恭也の腹部に深々と短刀が突き刺さっていたからで、傷口からは止まることなく血が流れていった。
「へっ、そんな素人丸出しの尾行してばれないと思ってたのか?」
余裕の笑みを浮かべながら謎の尾行者を刺し殺した男、エミルだったが、自分が刺し殺した相手の服装、そして顔を見て驚く。
「な、こいつはさっきの。やっぱり生きてやがったのか」
生死不明のまま姿を消した恭也を見て驚くエミルだったが、そんなエミルの前でさらに驚くことが起きた。
目の前で自分が刺した少年の姿が消えたのだ。
「なっ、何がどうなって」
慌てて辺りを見渡すエミルだったが、路地にはエミル以外の姿は無い。
足元には一滴の血も落ちておらず、きれいなままの短刀だけがエミルの手に握られていた。
自分が殺したはずの異世界人の能力がまるで分からず、エミルは我を忘れて仲間たちが待つ宿へと向かった。
本日二度目となる死を迎え、恭也は再びまどろみの中にいた。
短刀での攻撃ぐらいなら恭也の硬質化で防げただろうが、不意を突かれてこの様だ。
漫画や映画に出てくる達人のように不意打ちをうまくさばければこんなことにはならなかったのにと思いながら恭也は意識を失い、
再び気がつくと男に刺された路地にいた。
二度目なので蘇ったこと自体に驚きは無かった恭也だったが、周囲の暗さに驚いた。
先程までは確かに夕方だったのに、すっかり夜になってしまっている。
ここでようやく恭也は自身の復活に時間がかかっていることに気がついた。
そしてもう一つ気がついたことがあった。自分の中に硬質化とは別の何かを感じるのだ。
理屈ではなく感覚で新たに能力を得たと確信した恭也は、その能力を発動させようとしたが、何も起こらなかった。
しばらく色々試したが結局何も分からなかった。
途方に暮れつつも、恭也はここで自身の能力について一つの仮説を思いついた。
「もしかして死んで蘇る度に能力が増えてる?」
思わず口にした自分の考えに恭也は驚きと喜びを抑えることができなかった。
まだこの能力を獲得してから二回しか死んでいないので自分の仮説が間違っている可能性はある。
しかしこの仮説が正しいとしたら、恭也は死の恐怖から解放されたことになる。恭也の心は大きく揺れた。
とはいえこの能力については未知の部分が大きく、実は百回しか蘇ることができないという可能性もある。
説明書など無いのだから過信は危険だ。
今は情報集めと人助けを兼ねた奴隷救出に専念しよう。
そう考えた恭也は今後の行動について考えた。
今からあの男を行き当たりばったりで探すのは無理だろう。
かといって、一度は助けるつもりだった奴隷たちを見捨てるのは嫌だ。
何か手は無いかと考えていた恭也は、しばらくしてあることに気がついた。
奴隷商人たちは少なく見積もっても十人は奴隷を馬車に乗せていた。
まさか奴隷商人たちが彼らのために宿をとっているとも思えないので外に駐車している馬車に乗せたままだろう。
それなら怪しい馬車を片っぱしに調べていけばよい。
最悪また殺されても蘇ることができる。
そう考えた恭也は、先程自分を刺し殺した男の向かっていた方角から大体の目星をつけて歩き出した。
幸い三十分も探さない内に目的の馬車を見つけることができた。
夜中にも関わらず腰に剣を携えた二人が馬車を見張っており、彼らが目印になったのも恭也に味方した。
どうせ服装で自分の正体はすぐにばれるのだからと恭也は正面から突撃した。
「おい、昼間逃げた異世界人だ!すぐに頭に知らせろ!」
見張りの一人は仲間にそう告げると剣を抜き、恭也に斬りかかってきた。
恭也はその剣を硬質化した左腕で受け止める。
「なっ、何か仕込んでやがるのか?」
特に防具など装備していないように見える腕で自分の剣が防がれ、男に一瞬の隙ができた。
恭也はその隙を見逃さず、空いた右の拳を思い切り男の胸部に叩き込んだ。
格闘技をやっていない人間が拳を作って攻撃しても自分が拳を痛めるだけなのだが、恭也の場合は硬質化能力のおかげでその心配は無い。
さすがに一撃で相手を倒すことはできなかったが、防御を全く考慮せずに硬質化した両腕で殴りつけてくる恭也の攻撃に男は程なく気絶した。
なお恭也は気づいていないが、恭也の硬質化している腕は鉄と同じ硬さを持つ。
そのためこの能力の発動中の恭也は、人間を殴ったぐらいでは痛みを感じない。
つまり痛みによる無意識の力の加減を行っておらず、その状態で腕をめちゃくちゃに振られて二十回以上顔や上半身を叩きのめされたのだから、相手が生きているのは双方にとって幸運と言えた。
男との戦いに勝利した恭也は馬車に近づいて荷台を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
外から怒号と金属音が聞こえてきて怯えていた奴隷たちだったが、顔を見せたのが数時間前に会った異世界人だと分かり、わずかにだが表情を緩めた。
「助けに来ました。あいつらの仲間が来る前に早く、」
恭也が奴隷たちに話しかけている時に、近くの建物から奴隷商人らしき男たちが七人現れ、馬車を背にする恭也を取り囲んだ。
「ちえっ、しかたないな。ここから出ないで下さい」
恭也は奴隷たちにじっとしているように告げると、奴隷商人たちと対峙した。