出発前夜
恭也の切り札の確認を終えた後、屋敷に戻った恭也と別れたアロジュートは体を解いた状態でソパスの街並を眺めていた。
十日後に自分たちの住む街がディアンとその軍勢に攻め込まれるということを知らずに日常を楽しんでいる住民たちが行き交う様子をアロジュートは穏やかな表情で眺めていた。
アロジュートは恭也がソパスがある国、ティノリス皇国とも戦ったことがあると聞いていた。
今のソパスを見る限りではティノリス皇国が多くの人間を犠牲にして作られた上級悪魔もどきを使って異世界人及び隣国に戦争を仕掛けようとしていた国だとはアロジュートには信じられなかった。
恭也はティノリス皇国とガーニスの衝突を防いだ以外にも他の国でも奴隷の解放や上級悪魔の撃退などを成し遂げたとアロジュートは聞いており、ウォース大陸でのオルフートとトーカ王国の戦争の仲介以降の恭也の活躍はアロジュートも実際に見聞きしていた。
自分を含む他の異世界人たちと比べても大きな成果を挙げている恭也ならディアンにも勝てるだろうとアロジュートは考えており、今アロジュートが考えていることはディアンとの戦いの後のことだった。
ディアンを倒してしまえば暴力という意味で恭也を阻める者はいなくなり、そうなれば恭也は心置きなく本来の目的のギルドや病院の各地への普及に集中できるようになる。
そうなった場合自分が今の様に恭也に貢献できなくなるのではないかとアロジュートは不安を感じていた。
アロジュートの能力の大半は戦闘でしか役に立たず、戦闘向きの能力以外のアロジュートの能力はほとんど恭也が上位互換を持っているからだ。
その上先程の実験で恭也が新たに三つの能力を獲得したことを考えると、平和になった時恭也の近くに自分の居場所は無いのではとアロジュートは心配していた。
もちろんディアンがいなくなっても犯罪者がいなくなるわけではないのでアロジュートの仕事がなくなるということはないだろう。
しかしディアンとの戦いが終わったら今よりアロジュートの恭也に対する貢献の度合いが少なくなるのは確実で、それを考えるとアロジュートは何故か不快な気持ちになった。
以前いた世界でもそれ程長くはなかったが平和な時期はあり、その時はこんな気持ちにはならなかった。
それにも関わらず自分がどうしてこんな気持ちになっているのかが理解できず、アロジュートは深いため息をつくと恭也の屋敷へと帰ることにした。
この日の夜、食事を終えた恭也とノムキナは恭也の部屋で久し振りの二人きりの時間を過ごしていた。
「お仕事お疲れ様。役所の人たちはやっぱり驚いてた?」
異世界人が悪魔の軍勢を率いて襲撃をかけると聞けば恐怖を感じるのは当然だと恭也は考えていた。
そのためノムキナにあまり恐怖を与えないように言葉を選びながら行った恭也の質問にノムキナは何やら考え込みながら返事をした。
「はい。みんな驚いてましたし怖がってもいました。あさってには街の人たちにも知らせるのでその時は騒ぎが大きくならないように気をつけないといけませんね」
ディアンの狙いがソパスだけならソパスの住人たちに早めにディアンの襲撃を知らせて避難してもらうという手も取れたが,、ディアンの目的はあくまで戦争とそれによる暇潰しだ。
ソパスから離れても安全とは言えず、住民たちに避難してもらっても不要な混乱を引き起こすだけになる可能性が高かった。
そのため恭也たちは住民たちに避難は勧めないつもりだったが、それでも自分たちの命に関わることなのだから最終的な選択は住民たち自身に委ねたいと恭也は考えていた。
また早い内に住民たちにディアンの襲撃を知らせるのはランによる街の周囲への防壁の設置や『悪魔召還』による上級悪魔の準備など大規模な戦闘準備を住民たちに事情を隠したまま行うのは無理だという事情もあった。
「必要なことがあれば何でも言って下さい。恭也さんたちが戦いに集中できるように全力で支えさせてもらうつもりですから」
ノムキナのこの発言を聞き、恭也は頼もしさを覚えると同時に罪悪感も覚えた。
今回の件の住民たちへの周知とそれに伴うソパスでの混乱への対応はほとんどノムキナとホムラ、そして二人の部下が行うことになっていた。
一応恭也が一度住民向けに演説らしきことをすることになってはいたが、それでもソパスのことを恭也はほとんどノムキナとホムラに丸投げしていた。
これに関しては今さら気にしてもしかたがないと恭也は開き直り気味に考えていたが、この状況でノムキナたちの仕事をさらに増やすのはさすがに申し訳ないと思いつつノムキナにあることを頼んだ。
「……それを毎日ですか?」
恭也の頼み事を聞いたノムキナはその内容に驚いており、そんなノムキナに恭也は説明を続けた。
「毎日するつもりはないよ。街のみんなも困るだろうから。十日の間に二回させてもらうつもりで、これはガーニスさんのところとゼキア連邦以外全部の場所でするつもりだよ」
今回の恭也の頼み事は街の住民たちに大きな負担を強いるものだった。
そのため恭也が領主、あるいはそれに近い立場に就いている場所でしか行えず、それでもそう気軽には頼めないことだった。
そのためノムキナも恭也の頼みに即答はできなかったのだが、もし本当に不要なら恭也はそもそも頼んでこないだろうと考えてノムキナは恭也の頼みを聞き入れた。
「分かりました。さっきも言いましたけど戦い以外のことは全部私に任せて下さい。遠慮して負けたら元も子もないですもんね。具体的な日時だけ教えてもらえれば街のみなさんにはあらかじめ知らせておきます」
「ありがとう。ノムキナや街のみんなの協力は決して無駄にしない。戦いが終わるまでは怖い思いをさせちゃうかも知れないけど、当日は街には指一本触れさせないから安心して」
現時点で恭也はディアン相手に一応の勝算を持ってはいたが、それも絶対ではなかった。
恭也たちは襲われる場所が七ヶ所だからディアンの作った改造人間の数もそれぐらいだろうと考えていたがこの予想に確かな根拠は無く、可能性だけなら一ヶ所に十人ずつ改造人間が送り込まれてくる可能性もあった。
不安要素を挙げればきりがなかったが、それでもノムキナの協力で勝算が上がったのは事実だったので恭也はノムキナに礼を述べると共にあえて強気な発言をした。
先程のアロジュートとの実験で獲得したばかりの能力が前提となる作戦を恭也はまだホムラにも知らせておらず、ミーシアやシュリミナにも明日連絡を入れておく必要があると恭也は考えていた。
そんな恭也の前でノムキナは緊張した表情を浮かべ、一体どうしたのかと恭也が不思議に思っているとノムキナが口を開いた。
「明日からまた忙しくなるんですよね?」
「うん。僕かアクアじゃないとできない仕事も多くてアクア一人に任せるのも悪いから。でも十日あるから二、三回は帰って来れると思う」
ライカが仲間にいる以上恭也はその気になれば魔力をほとんど消費することなく毎日ソパスに帰って来ることができる。
しかしディアンとの戦いの様な物騒な案件への対応をしている時は気持ちの切り替えができないので恭也はソパスに帰らないことにしていた。
それを知っていたノムキナは今回もそうだろうと考えていたので恭也の帰宅する回数が予想より多くて驚いた。
そんなノムキナの表情を見て恭也は思ったより帰れていない現状を申し訳なく思い、ノムキナにディアンを倒した後の話をした。
「ギルドはホムラのおかげで順調に進んでるからディアンさんさえ倒したらゆっくりできると思う。そしたら三日ぐらいどこかに旅行に行かない?」
「はい。楽しみにしてますね」
ノムキナはディアンの件が落ち着いたらミーシアとフーリンの件を本格的に進めようと考えており、その前に恭也と二人きりでの旅行に誘われて喜ぶと同時に罪悪感も覚えた。
結局少し悩んだもののミーシアとフーリンに負い目を感じたくなかったので、ノムキナは落ち着いたら四人でどこかに出かけようと考えた。
この自分の考えが実現しないことをまだ知らずにノムキナは恭也にある提案をした。
「今日も一緒に寝ていいですか?」
「……うん」
ノムキナが寝間着で部屋に来た時点で恭也も覚悟はしていたので、恭也はノムキナの提案を受け入れた。
その後ベッドに入る前にキスをしてから二人はベッドに入り、恭也に抱き着きながらノムキナが恭也に話しかけてきた。
「ユーダムが襲われて恭也さんがラインド大陸に行くことになった時は驚きましたけど、後はディアンさんを倒すだけですね。恭也さんなら勝てるって信じてます。戦い以外で困ったことがあったらいつでも相談して下さい。全部終わったら色んなところに遊びに行きましょうね」
「うん。場違いのラスボスにはさっさと退場してもらうつもりだから安心して」
恭也が把握しているだけでも非道な所業をいくつも重ねてきたディアンを相手にただ倒すだけで終わらせるつもりは恭也には無く、必ず十日後に殺す以上の苦痛をディアンに与えてやろうと恭也は決意していた。
十日後のディアンとの戦いを考えた結果、恭也の表情は険しくなっていたらしく、ノムキナが自分の顔を無言で見ていることに気づき恭也は慌ててノムキナに謝った。
「ごめん。ノムキナの前でこんな顔しちゃって」
ノムキナの前では不安や怒りを見せないように気をつけていたので、恭也はすぐに自分の不注意をノムキナに謝った。
そんな恭也に対してノムキナは真剣な表情を向けて自分の考えを伝えた。
「謝らないで下さい。私は私を助けてくれた時の恭也さんの怒ってる時の表情も、ウルさんたちを相手にして困っている時の表情も、私を前に照れてる時の表情も、もちろん普段のかっこいい表情も全部好きです。だから私の前では思ってることを隠さないで欲しいです」
「……ありがとう」
三歳年下の彼女に慰められて嬉しさと同時に恥ずかしさを感じた恭也はそれを誤魔化す様にノムキナを抱きしめ、その後ノムキナの頬にキスをするとそのまま眼を閉じた。
翌朝、ノムキナに見送られて魔神たちやアロジュートと合流した恭也に早速ホムラは昨日眷属を通して知ったクノン王国の現状を知らせた。
「ジュナさんが責められてるってまさか『獣化』使ったせいで?」
「おそらくそうだと思いますわ。眷属に探らせているわけではないので詳しい事情までは分かりませんけれど、他にジュナ様が叱責される理由も思い浮かびませんもの」
「ジュナさんは大丈夫だって言ってたんだけどなぁ。僕に気を遣ったのかな。まあ、いいや。とりあえずクノンに行こうか。もしユーダムを守ったせいでジュナさんが責められてるなら僕のせいでもあるし」
そう言って魔神たちと融合した恭也にウルが話しかけてきた。
(別に放っておいてもよくね?まさか殺されはしないだろうし、クノンって確か今回襲われないよな。あの男との戦いが終わってからでもいいじゃねぇか。ただでさえ忙しいっていうのに)
口にはしなかったがホムラもこのウルの意見には同意しており、そんな中恭也はウルに反論した。
(殺されなければいいって極論過ぎるでしょ。できるだけ他の国のことに口を出すのは避けたいけど、さすがにユーダム守ってくれたジュナさんが困ってるのを放っておくのは悪いよ。それにこれから忙しくなるっていっても別に戦いに行くわけじゃないんだから、ゼルスさんへの説明ぐらいすぐに済むでしょ)
(ふーん。まあ、好きにすりゃいいけどよ)
ウルとしても今から恭也がクノン王国に向かうことにそこまで強く反対する気は無く、他の魔神たち及びアロジュートからも反対意見が出なかったので恭也はすぐにクノン王国へと向かった。
クオン王国内にあるライカの魔導具が置かれている屋敷に移動した後、恭也はすぐにクオン王国の首都、メーズにある王城に向かった。
そして恭也は門の前にいた衛兵に名前と用件を伝えたのだが、城内から戻って来た衛兵の返事はそっけないものだった。
「ジュナ隊長への処分は我が国で決めるため能殿の口出しは無用だと陛下は仰っている。お帰り願おう」
「……分かりました」
まさか門前払いを食らうとは思っておらず恭也は驚いたが、ここで力づくで城に入っても状況がややこしくなるだけだと考えてとりあえず城を後にした。