贖罪
バフォメカは『アルスマグナ』製の箱に入れられたまま光速でソパスまで運ばれた。
もちろんその道中でバフォメカは加速の勢いで死に、ソパスに着いてから『不朽刻印』により復活した。
ホムラが『アルスマグナ』製の箱を変形させてバフォメカを外に出すと、バフォメカは自分が見知らぬ建物の中にいることに驚いていた。
箱から出た直後は敵意の込もった視線を周囲に向けていたバフォメカだったが、ホムラの姿を確認した途端急に怯えた様な表情を見せた。
そんなバフォメカの態度を見て多少は暴れてくれた方が楽しめたのにと失望しながらホムラはバフォメカに話しかけた。
「ここは私たちのマスター、能恭也様の所有する研究所ですわ。あなたはこれからここにいる人間たちの質問に答えて下さいまし。もちろん黙秘は自由ですわよ?その方が私も楽しめますもの」
そう言って笑みを浮かべながら手のひらに炎を生み出したホムラを前に今のバフォメカは虚勢を張ることすらできなかった。
魔力がほとんど無かったということもあるが、ホムラに嗜虐的な笑みを向けられたバフォメカは自分が奪われる側に戻ったことを嫌でも思い知らされたからだ。
自分に逆らった者に自分が行った数々の所業を思い出し、バフォメカはすぐにホムラに向けて土下座をした。
「お、お願いです!何でも答えますから殺して下さい!私以外の人間の能力は分かりませんけど、向こうの地理やディアン様の管理してる施設の場所は少しは知っています!知ってることは何でも話しますのでどうかお願いします!楽に死なせて下さい!」
ディアンが失敗した部下を助けるような人間でないことはバフォメカも知っており、自分が目の前の魔神の立場なら決して捕虜に手厚い対応などしたりしない。
そう考えたバフォメカはこうして捕まり自殺もできない以上自分にできることはできるだけ楽に死ぬことだけだと考え、自分の気持ちを目の前の魔神に素直に伝えた。
延々と続く拷問や無意味な実験に付き合わされるなど死んでもごめんだと考えながらバフォメカはホムラの返事を待っていたのだが、そんなバフォメカを見てホムラは呆れた表情を浮かべた。
「何か勘違いしているようですわね。マスターにあなたを殺すつもりが無い以上、私もあなたを殺す気はありませんわ。今からする質問に素直に答えたらその後は普通の刑務所に連れて行くつもりですわよ?」
予想以上の好待遇に戸惑うバフォメカだったが、ホムラはそんなバフォメカからヘーキッサに視線を移した。
「この女は以前マスターに暴言を吐いた上に愚かにも戦いを挑みましたけれど、マスターはそんな人間にも償いの機会を与えていますの。あなたは別にマスターの領地で暴れたわけでもなく、制裁自体はマスターが直々に行っていますもの。大人しくしている限りこちらからは何もする気はありませんわ。ですから大人しくこれからされる質問に答えて下さいまし」
そもそもバフォメカが取引の材料として提示した情報はラインド大陸で戦闘が行われない以上あまり価値が無いものだった。
しかしディアンが十日後にソパスを襲うことを伝えて脱走を企てられても面倒なので、ホムラはバフォメカに十日後のことは伝えずにヘーキッサたちにバフォメカへの質問を指示した。
そしてヘーキッサたちによるバフォメカへの質問が始まる直前、ホムラは先程ホムラに引き合いに出されたことで表情を硬くしているヘーキッサに話しかけた。
「そんなに怖がらないで下さいまし。あなたがマスターと初めて会った時の雄姿は聞いていますわよ?」
いたぶる様な口調でホムラがヘーキッサに話しかけるとヘーキッサは足を止め、他の研究員やバフォメカは固唾を飲んでホムラの言動を見守っていた。
「本当にマスターの寛大さには感謝して下さいまし。あなたが研究のために二百人以上の人間を殺したという資料を見た時のマスターの顔、あなたにも見せてあげたかったですわ」
以前ティノリス皇国と戦ってからしばらく経った頃、ホムラは当時のティノリス皇国の首脳陣たちの刑期について恭也と話し合った。
その際にホムラが用意したヘーキッサに関する資料を見た時の恭也の感情が完全に抜け切った表情はホムラですら恐怖を感じるものだった。
それ程の怒りを押し殺して恭也がヘーキッサたちに寛大な処置をしているにも関わらず、今でもヘーキッサたちは自分たちのことを被害者だと考えている節があった。
そのためホムラは定期的にヘーキッサたちに自分たちの立場を思い出させる必要があり、怯えるヘーキッサたちにホムラは不快そうな表情で指示を出した。。
「早く質問を始めて下さいまし。悪魔を操る魔導具の完成が十日後では話になりませんわよ?」
恭也は十日後の戦いに備えて『悪魔召還』で上級悪魔を創り出す予定だったが、当日の悪魔の操作は別の人間に任せることになっていた。
ディアンとの戦いに少しでも集中するためで、そうなると悪魔の操作は外部から行う必要がありヘーキッサたちはそのための魔導具を今から作ることになっていた。
恭也たちはディアンの様に改造人間を作れないので(できてもやらないが)、改造人間の体に混ぜ込むことが前提のディアン製の悪魔を操作する魔導具を単独で機能するように改良する必要があった。
「がんばって下さいましね?あなたたちは研究員としての価値があるからある程度自由にさせているんですから。もちろんまた刑務所で私や眷属と遊びたいなら話は別ですわよ?」
嗜虐的な笑みを浮かべながらヘーキッサたちを激励したホムラの発言を聞き、ヘーキッサたちはすぐにバフォメカへの質問を始めた。
その後ヘーキッサたちは二十分程かけて悪魔を操作する魔導具を使う際の感覚などについてバフォメカに質問を行い、それが終わった頃外で模擬戦を行っていた魔神たちが帰って来た。
「思ったより早かったですわね」
こちらから他の魔神たちを迎えに行くつもりだったため、ホムラは他の魔神たちが予想より早く帰って来たことに驚いた。
そんなホムラの発言を受けてウルは恨みがましそうにアクアに視線を向けた。
「本当はもうちょっと遊びたかったんだけどアクアが魔力は五千以上使わないようにしろってうるさくてな。しかたねぇから切り上げてきた」
「そういうことでしたの。アクアさんありがとうございます」
自分がいない間に魔神たちの引率役を務めてくれたアクアにホムラは礼を述べ、そんなホムラにアクアは気にしないように伝えた。
「難しい仕事は全部ホムラさんに任せてるんですから気にしないで下さい。それよりヘーキッサさんに一つ頼みがあるんですけど今いいですか?」
捕えた改造人間の前で部下と何やらしている様子のヘーキッサにアクアが話しかけ、それを受けてヘーキッサはすぐに返事をした。
「はい!何でしょうか?」
魔神たちの中ではアクアは比較的人間に友好的だが、先程のホムラとのやり取りのせいでヘーキッサは多少声を上ずらせながらアクアに用件を尋ねた。
そんなヘーキッサにアクアは申し訳無さそうな表情で用件を伝えた。
「『凍魔蒼玉』を十個使ったので十日後までに念のため二十個作って欲しいんですけど大丈夫ですか?」
アクアの専用魔導具、『凍魔蒼玉』は使い捨て前提の魔導具とはいえ作る手間自体は他の魔神たちの専用魔導具とそれ程変わらない。
そのため模擬戦で『凍魔蒼玉』を十個も壊されたと聞きヘーキッサは頭が真っ白になったが、無言で自分を見ているホムラに気づきすぐにアクアに返事をした。
「お任せ下さい!……五日いただければ三十個用意できますがどうしますか?」
恭也や魔神たちからどれだけ理不尽な頼みをされようとヘーキッサたちに拒否権など無く、出された指示には全てお任せ下さいと答えるしかなかった。
自分の要望より多く『凍魔蒼玉』を作るというヘーキッサの提案を聞き、ヘーキッサの心情など知らないアクアは嬉しそうに笑った。
「さすが恭也様に研究所を任されているだけのことはありますね。じゃあ、それでお願いします。正直足りないかも知れないと思っていたので助かりました」
「はい。それでは悪魔操作用の魔導具と合わせてさっそく取り掛かりたいと思いますので、これで失礼します」
そう言ってヘーキッサはホムラやアクアはもちろん他の魔神たちにも深々と頭を下げてから部下たちと共に研究室へと向かった。
ヘーキッサがアクアに伝えた期日は多少余裕を持たせたものだったので、悪魔操作用の魔導具の制作と合わせても十日後までに少しは余裕がある。
これぐらいの嘘はつかせてもらわないと自分たちの身が持たず、ホムラに悪魔や魔導具に関する知識が無いことだけがせめてもの救いだなと考えながらヘーキッサは仕事に戻った。
一方バフォメカを一般の刑務所に連行してソパスに帰る道中、ホムラはアクアと先程のヘーキッサとのやり取りについて話していた。
「先程の『凍魔蒼玉』の件ですけれど、もっとたくさん作らせてもよかったんですのよ?どうせあのヘーキッサとかいう女が言った期日はでたらめですもの」
「えっ、そうだったんですか?五日で三十個も作れるなんてすごいって思ってたんですけど……」
「何なら今からでも作らせますわよ?」
ホムラは自分たちの指示に対してヘーキッサたちが時折嘘を織り交ぜた回答をしていることにはかなり早い段階で気づいていた。
そのためアクアが仲間になりヘーキッサたちに気軽に制裁を加えられるようになった時点で教育をし直そうとも考えたのだが、ホムラは結局この件でヘーキッサたちを責めることを見送った。
普通の刑務所で行わせている単純な肉体労働ならともかくヘーキッサたちに行わせている様な仕事は無理矢理行わせても内容が伴わないと考えたからだ。
そのためホムラはヘーキッサたちの多少の嘘は大目に見るつもりだったが、『凍魔蒼玉』の数は十日後の戦いの結果に関わる重要な案件だったためアクアがヘーキッサたちに遠慮しているのなら今からでも増産させるつもりだった。
そんなホムラの考えを聞いたアクアは素直にホムラを尊敬した。
「すごいですね。人間たちを管理しながらそんなことにまで気を配るなんて。でも大丈夫です。『凍魔蒼玉』はあんまり持ち過ぎても何凍らせたか分からなくなって混乱しちゃいますから」
ヘーキッサたちが作った魔神たちの専用魔導具はそれぞれの魔神の体に収納可能で、『格納庫』を使えないアクア以外の魔神たちも持ち運びには苦労していなかった。
実際アクアも『凍魔蒼玉』は『格納庫』ではなく自分の体に収納しており、状況に応じて必要な『凍魔蒼玉』を取り出せるようにしていた。
しかしアクアの頭では『凍魔蒼玉』で何を凍らせたかを覚えるのは二十が限界で、それ以上『凍魔蒼玉』を持っても戦闘中にもたついてしまう可能性が高かった。
そんなアクアの考えを聞き自分の提案を取り下げたホムラにクノン王国にいる眷属を通して面倒な知らせが入り、ホムラはわずかながら顔をしかめた。
「おっ、何か面倒事か?」
今日はもう急ぎの用事は無かったので魔神たちは全員でマンタに乗って移動しており、これまでホムラとアクアの話を他の魔神たちと黙って聞いていたウルがホムラの表情を見て楽しそうに笑うのを見てホムラは呆れた様な表情を浮かべた。
「残念ですけれどウルさんの考えている様なことではありませんわ。クオン王国の方々が思ったより愚かだった。ただそれだけのことですわ」
放っておいてもその内収まるだろうと思っていたジュナに関するある騒動の結果を聞き、ホムラは心底呆れていた。
ディアンとの戦いを前にこの様な些事で恭也の手をわずらわせるのはホムラとしても避けたかったが、クオン王国での出来事を黙っていたら確実に恭也の不興を買うだろう。
そう考えたホムラは明日の朝一番で恭也にクノン王国で起きたとある問題を伝えることにした。
今頃恭也は久し振りの余暇をノムキナと過ごしているはずで、そんな恭也にそれ程急ぎでもない問題を伝える必要はないと判断したからだ。
眷属からの報告を聞いたホムラはディアンの脅威が間近に迫っている状況で愚かな内輪揉めをしているクノン王国の愚かさに呆れ、この世界は恭也が管理しないと駄目だという自分の考えが正しいと改めて確信した。