研究所にて
恭也を異世界に送り込んだ青年がディアンとの戦いを前に恭也がしたある提案を了承した直後、青年に同僚二人が声をかけてきた。
その二人とはディアンを担当した、あるいはしている神の使いたちで、女と少年の内、女の方が楽しそうに笑いながら青年に話しかけた。
「あんたが送り込んだ人間、なかなかおもしろいこと言ってきたわね」
「ええ、罵られたことはあっても送り込んだ相手に頼み事をされたのは初めてですよ」
異世界に送り込まれた直後に怒りながら元の世界に帰せと叫ぶ者は珍しくないが、今回青年が担当している人間は明確な意思を持って神の使いに話しかけてきた。
神の使いに取引を持ち掛けてくる異世界人など前代未聞で、目の前で笑っている同僚の気持ちは青年にもよく分かった。
「それで、あの人間の頼み聞くんですか?」
女の横にいた少年がおどおどしながらしてきた質問に対し、青年は一切迷うこと無く即答した。
「はい。彼の頼みは聞くつもりです。彼の提案はこちらにとっても利益のあるものですから」
「そうね。予定外とはいえあれだけの能力を持つことになったんだもの。ただ殺すなんてもったいないわ。でもあんたの担当してる人間、本当に頑固ね。あれだけ憎んでる相手殺さないなんて」
恭也たち異世界人を観察している神の使いたちは異世界人たちの言動はもちろん異世界人たちの考えまで読み取ることができた。
そのため青年はもちろん女や少年も恭也がディアンに殺意すら混じった怒りを覚えていることを知っており、それにも関わらずあくまでディアンを殺さずに決着をつけようとしている恭也の提案を聞きおもしろそうにしていた。
そんな女の発言を受けて青年はどこか誇らしそうな表情を浮かべた。
「当然ですよ。あのディアンという人間が誰かのために力を使うことがない様に私が送り込んだ彼も決して人を殺したりはしません。そういう精神の持ち主こそが私たちの与えた力を使いこなせるのですから」
青年から言わせれば誰かを守る能力を手にしながら守るべき対象を戦わせたガーニスも、ただ命令だけを受けていたいと考えながらも恭也の言動に感化されて恭也に積極的に力を貸し始めているアロジュートも、もっと有能な存在になりたいと望みあの能力を手に入れながら自殺を繰り返さないミウも全て紛い物だった。
なお自分の能力を使うことすらなく現地の住民にいいように使われていたシュリミナを青年は心底軽蔑していた。
他者を蹂躙したい。人が寿命以外で死ぬのが耐えられない。
そういった自分の欲望を何よりも優先する存在こそ神の使いが求めている存在だと青年は考えており、そういう意味では青年はディアンのことも高く評価していた。
青年の同僚たちは自分たちが力を与えた相手が無意味に暴れていることを恥ずかしく思っているためディアンへの評価を低くしているようだが、ディアン程他者への愛情を持っていない存在は歴代の異世界人の間でも稀有な存在だ。
そのため方向性こそ違うが純度の高い欲望の持ち主同士の戦いとなる恭也とディアンの戦いを青年は数千年に渡る仕事の末のお祭りの様なものだと考えていた。
そんな青年を見て女は不思議そうな表情を浮かべていた。
「ずいぶん楽しそうだけどそんなにあの男に期待していいの?他の異世界人と同時に戦うならともかくあの男アロジュートとかいう女以外とは別行動取るみたいじゃない」
ディアン以外の異世界人が同時にディアンに挑めばさすがにディアンにも勝つことができるだろう。
そして恭也の能力なら一日は無理でも数日かければディアン以外の全ての異世界人を集結させてラインド大陸に襲撃をかけることもできたはずだ。
それをしなかった恭也の考えが女には理解できなかったのだが、そんな女を見て青年は嬉しそうに笑っていた。
「えぇ、襲われる場所全てを守るために戦力を分散したようですからね。確かに他の異世界人と共にディアンという男に挑めば勝つことはできたでしょう。しかしその場合周りの部下や悪魔の大部分は無視して戦わなくてはさすがに勝利は厳しかったはずです。そうなると統制が取れなくなった悪魔たちのせいで被害が大きくなりますから、それなら待ち受けて軍勢ごと倒すしかないと彼は考えたのでしょう」
ディアン以外の異世界人の力を集結させての短期決戦という案は恭也も思いついてはいたが、青年の考えた通りの理由で恭也はこの案を諦めていた。
ディアンに勝つことよりもその後の犠牲を無くすことを優先し、これでディアンに負けたらただの馬鹿だが自分が送り込んだ少年は果たしてどうなるだろうか。
どちらが勝って世界の支配者となっても青年としては満足だったが、それでもどちらかを選ぶなら青年は自分が選んだ恭也に勝って欲しかった。
しかし二人の戦いに青年は干渉できず、仮にできたとしても自分たちが選んだ者たちの最後の戦いに手を出す程青年も野暮ではない。
そのため青年は恭也の勝利を願いながら恭也が勝った時の用意を始めた。
恭也がアロジュート相手に切り札の確認をしていた頃、魔神たちはソパス研究所で完成したそれぞれの専用魔導具を受け取っていた。
ウル、アクア、ライカ、フウの四人の魔導具は既に完成していたのでアクア以外の三人は予備も含めて魔導具を三つずつ受け取り、アクアは専用魔導具が使い捨て前提のものだったこともあり全部で三十近い魔導具を受け取った。
これでこの四人については終わりだったのだが残るホムラとランは手渡された魔導具の説明を受けて不満そうにしていた。
「申し訳ありません。どうしてもホムラ様の御要望全ては再現できませんでした」
「……今回は時間も無いですからしかたありませんわね。研究の方は今後も進めて下さいまし」
「はい!もちろんです!みなさんの魔導具については担当の者を用意してこれからも改良に努めさせてもらいます!」
自分たちの報告を受けて不機嫌そうな顔で数秒間考え込む仕草を見せたホムラを前にヘーキッサは必死に自分たちのやる気を示した。
魔神たちの専用魔導具の開発自体は以前から進められており、ヘーキッサの言う通りこれからも魔神たちの専用魔導具の研究・改良は進められる予定だった。
しかしディアンとの戦いが十日後に決まったことを受け、今日が魔神たちの専用魔導具の一応の納期となった。
今日はもう日が暮れる時刻なので本格的な活動は明日からになるが、ディアンとの決戦までの間に魔神たちはもちろんヘーキッサたちもすることが山積みだからだ。
オルフートで開発された技術を使っての悪魔の用意に当日に衛兵たちが使う魔導具の整備などを各地の研究機関の人間は十日後までに終えねばならず、その間他のことに人手を割く余裕などとても無かった。
ホムラが専用魔導具に求める水準は他の魔神たちより高く、ヘーキッサたちは正直ホムラの要望を完全に叶えるのは無理だと考えていた。
しかしそれを正直に伝えても痛い思いをするだけなので、ヘーキッサたちはホムラからの催促を受ける度にあの手この手で誤魔化そうとしていた。
もっともそれで誤魔化される程ホムラは愚かでも寛容でもなかったので、ヘーキッサたちはホムラへの報告の度に制裁を受けていた。
そのためヘーキッサたちは今回も顔を焼かれるぐらいの覚悟はしていたのだが、ヘーキッサたちの予想に反してホムラは何もしてこなかった。
一切制裁を加えない自分を見て戸惑いと恐怖の表情を浮かべているヘーキッサたちにホムラは笑みを向けながら話しかけた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですわ。今回は急な話でしたのに一応は私たち全員の魔導具を完成させたんですもの。及第点ということにしておきますわ」
「「ありがとうございます!」」
思いがけずホムラからの賞賛を受けて喜びより安堵が先に来たヘーキッサたちは思わず深々と頭を下げてしまった。
完全に調教が終了しているヘーキッサたちを見て魔神たちの中では比較的良識があるライカとアクアが引いている中、周囲の状況を無視してランがヘーキッサに話しかけた。
「……私の魔導具の術式もう少し簡単にできない?」
金属操作ができるランは術式さえ把握していれば土属性の魔導具限定ではあるがその場で作り出すことができた。
そのためランは今回受け取った全長二メートル程のハンマー型の魔導具、『錬城技巧』を当日までに大量生産するつもりだった。
このことはヘーキッサたちに伝えていたにも関わらず、実際に受け取ってみれば『錬城技巧』に刻まれていた術式はとても気軽には再現できない程複雑なものだった。
これを受けてヘーキッサたちに不快そうな表情を向けるランを見てホムラが仲裁に入った。
「ランさん、落ち着いて下さいまし。さすがに私たちに釣り合う魔導具となると術式もそれなりのものになりますわ。ランさんも中途半端な魔導具でマスターのために働きたくはないですわよね?」
「……それはそうだけど」
ランは十日後ゾアースに配置されており、他の魔神たちもそうだが当日は街の衛兵と共に戦かうことになっていた。
そしてゾアースにはエイカがいる。
さすがにディアンの部下や上級悪魔には勝てなくても中級悪魔が相手となればアクアの加護が上乗せされたエイカはかなり頼りになるはずだったが、ランは当日自分一人でディアンの部下とその軍勢を相手にするつもりだった。
自分の能力なら街を無傷で守るのも容易で、それに加えて兵士たちの負傷もゼロに抑えれば恭也からの評価はかなり高まるはずだ。
そう考えていたランからすればエイカを含む人間たちの参戦は守るのに力を割かなくてはならない分むしろ邪魔で、自分以外は街の中で大人しくしていて欲しいというのがランの本音だった。
そんなランの考えを察したホムラは言い聞かせる様にランに話しかけた。
「自分一人で戦った方が楽というランさんの気持ちは分かりますわ。でもランさん一人で戦って中級悪魔を一体でも討ち漏らして、それが別の街に向かったらそれはマスターの失態になりますわ。今回はどうしても人手が必要になりますもの。人間と仲良くする必要はありませんけれど最低限協力する必要はありますわ」
「……協力ってどうすればいいの?」
さすがに改造人間に加えて上級悪魔数体を相手取るとなると、中級悪魔の群れまで相手にするのは無理だとホムラの発言を聞いてランも納得した。
自分の都合で恭也に恥をかかせるわけにもいかなかったのでランはホムラに助言を求め、そんなランを含めた他の魔神たちにホムラは当日の大まかな行動方針を伝えた。
「ウルさん以外は中級悪魔の相手は人間たちに任せて、改造人間と上級悪魔を倒すことだけを考えて下さいまし」
対多数向けの魔導具を持っているウル以外が中級悪魔の相手までしようとすると、その間に改造人間や上級悪魔の攻撃で衛兵や街に多大な被害が出てしまう。
十日後に戦場となる街の衛兵たちには全員に魔神たちの加護を与える予定だった、それでも改造人間と上級悪魔には通用しないだろう。
結局のところ各地の勝敗は異世界人、魔神、改造人間、そして上級悪魔という強力な存在の戦いで決まるので、自分たち魔神は中級悪魔に余計な力を使うべきではないというのがホムラの考えだった。
そんなホムラの考えを聞きウルは面倒そうな表情を浮かべた。
「めんどくせぇな。そういうごちゃごちゃしたこと考えないで戦いたいんだけど」
予想通りの発言をしたウルにホムラが苦言を呈そうとしたが、それより先にライカがウル同様面倒そうな表情で口を開いた。
「しかたないっすよ。今回は相手が大勢なんすから。それにその内自分たちが人間に指示出すこともあるかも知れないっすから、今の内に慣れておいた方がいいと思うっすよ?特にウルとランとフウは」
アクアとライカも一部の例外を除き人間にそれ程興味は持っていないが、それでも人間相手に表面的な対応ぐらいはできる。
しかし自分が名指しした三人はそれすらできないだろうとライカは考えており、それにホムラも同意した。
「別に人間と仲良くする必要はありませんけれど、自分たちがマスターの部下だということを自覚して最低限の振る舞いはして下さいまし。特にウルさん」
「はい、はい。分かったよ」
大抵のことに興味が無いだけで言われれば素直に従うランとフウと違い、ウルは面倒だという理由で自発的に戦闘以外の仕事を避けようとする。
そのためウルに名指しで釘を刺したホムラに対してウルは面倒そうにしながらも特に反論はしなかった。
しかし面倒な話が続きうんざりしていたことも事実だったので、ウルは他の魔神たちに魔導具を使っての模擬戦を提案した。
「どうせ明日の朝まで暇なんだ。ちょっと遊ぼうぜ」
そう言ってウルは先程受け取った専用魔導具、『染心冥獄』を手にした。
『染心冥獄』は一言で言うと曲刀の形をした魔導具なのだが、刃が枝の様に分岐しておりとても実用性があるとは思えなかった。
手に入れたばかりの『染心冥獄』を手にして笑うウルを見てホムラはため息をついたが、とりあえずの話は終わっており確かに魔導具の試用は必要だろうと考えてウルを止めなかった。
ウルの誘いに乗り他の魔神たちが外に向かう中、ホムラはアクアに頼み『魔法看破』をヘーキッサに譲渡してもらい、その後ホムラ立ち合いの下ヘーキッサは部下と共にバフォメカへの質問を始めた。