変化
恭也がソパスに帰省して二日目の朝、朝食を終えた後で恭也とノムキナは魔神たちに見送られてタトコナ王国に向かおうとしていた。
ソパスを含むティノリス皇国の街では恭也とノムキナの顔を知っている人間が多く羽を伸ばせないため、最初恭也はオルルカ教国に遊びに行くつもりだった。
しかしその気になれば陸路で行けるオルルカ教国に行くよりも別の大陸に行った方がノムキナも楽しめると恭也は判断し、ノムキナからも反対されなかったため二人の目的地は急遽タトコナ王国に変更された。
「こちらのことは心配なさらずにどうかごゆっくりお楽しみ下さいまし」
「うん。お願い。今日はすぐには連絡取れないから何かあったらよろしくね」
今日の恭也は魔神を一人も同行させずにノムキナと出かけ、一応連絡用にホムラの眷属を『格納庫』に入れてはいるがいつでも連絡を取れるとはいかなかった。
「任しとけって。アクアとライカ以外はここに残るんだから何かあっても余裕だろ」
「まあね。じゃあ、そろそろ行くよ」
ウルの自信に満ちた発言を聞いた後、恭也はトーカ王国の街、イーサンに設置されたライカの魔導具目指して光速で移動した。
そして十秒程経ちノムキナが『救援要請』で恭也のもとに呼ばれ、それと入れ替わる様にライカが他の魔神たちの前に姿を現した。
ライカが帰って来たのを見届けたホムラはすぐに魔神たちに指示を出した。
「ではこれからそれぞれの仕事をしていただきたいのですけれど、その前に昨日伝えた通りまずは研究所に向かってもらいますわ」
ホムラの発案で魔神たちはこれからソパス研究所に向かい、ディアンとの戦いに備えてある準備をすることになっていた。
もちろんホムラは恭也の勝利を疑ってはいないが、楽に勝てるに越したことはないので可能な限り準備はしておくべきだろう。
自分たちの主である恭也があまり戦いの手段としての魔法や魔導具に興味を示さない以上、自分たちが率先して動かなくてはならない。
そう考えて今回の魔神全員でのソパス研究所訪問を提案したホムラがマンタを召還すると、他の魔神たちもマンタに乗り一同はソパス研究所へと向かった。
『救援要請』でタトコナ王国の港街、ブイオンに転移したノムキナの目にまず飛び込んで来たのは巨大な船で、その後海岸独特の臭いや人々の喧騒が聞こえてきた。
恭也にあらかじめ能力で別の大陸に転移させると聞かされてはいたが、それでも実際に一瞬で見慣れない地に転移させられてノムキナは驚いていた。
「大丈夫ですか?」
転移により目の前の光景が急に変わったことに驚いていたノムキナだったが、恭也に話しかけられたことでようやく落ち着きを取り戻した。
「すいません。転移、でしたっけ?にはあまり慣れてなくて」
「しかたないですよ。経験する機会ほとんど無いですし」
コロトークたちの研究次第では今後転移の技術が普及するかも知れないが、今のところ転移は恭也だけが使用できる能力だ。
慣れろという方が無理だったので恭也はノムキナが落ち着くまでしばらく待ってからこれからどこに行くかをノムキナに尋ねた。
「これからどうしますか?しばらく海を見てもいいですし、街の方に行ったら演劇やってるところがあるみたいですよ?」
恭也はすでにウォース大陸の多くの国で顔を知られている。
そのため今回のノムキナとのデート先に恭也がタトコナ王国を選んだのはほとんど消去法によるものだったが、一応恭也もタトコナ王国で遊ぶとなるとどこがいいかは把握していた。
もっとも恭也がタトコナ王国の名所を把握していたといっても、これは今回の恭也とノムキナの外出のためにホムラが前もって調べておいた結果だ。
恭也がホムラにノムキナと出かける先はタトコナ王国に決めたと伝えると、ホムラはすぐにタトコナ王国の観光名所を教えてくれた。
あの様子だと少なくともウォース大陸にある国の名所は全て調べていただろう。
恭也はホムラの底知れなさを改めて感じると共に自分の恋愛方面の経験の無さを思い知らされた。
もっとも恋愛方面の経験の無さというならホムラは恭也以下なので、今回の結果は単に計画性の有無が原因だったのだが恭也はそれに気づいていなかった。
恭也の質問を受けてしばらく考え込んだ後、ノムキナは海を見たいと言った。
「ソパスでは海を見る機会無いですし、セザキアにいた時も海は見たことありませんでした。だから近くまで行って見てみたいです」
「分かりました。あっちから下に降りれそうですから行ってみましょう」
そう言うと恭也はノムキナの手を握り歩き出し、ノムキナも軽く恭也の手を握り返して歩き始めた。
二人が海岸に着くとノムキナは波打ち際まで近づき、しばらくの間砂浜に波が打ち寄せる様子を物珍しそうに見ていた。
「ここで魚とか貝とかが取れるんですよね?」
「はい。ある程度沖に行かないとどっちも取れないと思いますけど」
「せっかくですし後でいくつか買ってお土産にしませんか?海のものは腐りやすいって聞いてますけど凍らせれば大丈夫だと思いますし」
ノムキナのこの発言を聞き、恭也は海産物の輸送を商売にすることを思いついた。
恭也とアクアは『格納庫』を使う際中身を共有しているためこの場で恭也が買ったものを瞬時にダーファ大陸にいるアクアが手にすることができる。
ライカによる光速移動という手もあり、いずれにしろ魔力を一万消費する恭也の持つ転移系の能力を使わない形でなら品物の輸送は継続できて商売になるはずだ。
恭也の考えている方法なら海産物以外も輸送できるため、これはかなりの商売になるのではないだろうか。
そう考えた恭也はさっそく思いついたばかりの案をノムキナに伝え、恭也の案を聞くなりノムキナは笑顔を浮かべた。
「すごくいい考えだと思います。それならいっそのこと香辛料とかも買って、どういうものが人気か調べましょう」
「そうですね。あ、でも前にコーセスの人から聞いたんですけど海産物は食べ慣れてないときついらしいですから、その辺りは気をつけた方がいいと思います」
「……なるほど。その辺りは使用人の人たちと話して料理方法を色々試してみたいと思います」
最近はノムキナも屋敷の使用人たちと打ち解け、料理についての話などをするようになっていた。
彼らと相談すれば慣れない食材でも何とか調理できるだろう。
そう考えながらノムキナは恭也の表情を確認した。
味覚の無い恭也と食材や料理について話すことにノムキナは少なからず抵抗を感じていた。
しかし恭也が気づかれていないと思っている以上ノムキナから指摘するわけにもいかず、それに今回の食料の輸送は恭也から話題にしてきたのだ。
ここで気を遣うのも恭也に悪いと判断してノムキナは恭也と今回持ち帰る品物について話を詰め、しばらく波打ち際を歩き回った後で二人は市場へと向かった。
恭也とノムキナが市場に向かうと昼前ということもあり市場は多くの人間でにぎわっていた。
ほとんど遠出をしたことがないノムキナはもちろんわざわざ市場まで食べ物を買いに来ない恭也も物珍しそうに所狭しと各店に並ぶ商品を見ていると、ある露店の主に声をかけられた。
「兄ちゃんたちこの市場は初めてかい?」
「はい。仕事の都合で最近引っ越して来て今日は彼女と二人で買い物に」
まさか遠く離れた大陸から転移して来ましたと言うわけにもいかず、恭也は露店の主に適当な嘘をつきつつ目的だけは正直に伝えた。
何も知らない露店の主が恭也の嘘に気づくはずもなく、露店の主はいつも通り自分の店の商品を客に勧めた。
「なるほど、そういうことなら一匹どうだい?安くしておくよ?」
店主にそう言われて恭也たちが並べられた商品を見るとこの店は主に海産物を取り扱っている様子だった。
ちょうどよかったので海産物を初めて見るノムキナに代わり恭也が店主と話し、買った商品いくつかをその場で凍らせてもらい二人は店を離れた。
恭也は近くの路地裏で買った商品を『格納庫』にしまい、その後ノムキナにこれから何がしたいかを尋ねた。
「演劇というのも興味があるんですけど少し歩き疲れました。ちょうどいい時間ですしどこか静かなところでご飯にしませんか?」
ノムキナにそう言われた恭也はノムキナと共に再び路地裏に入るとマンタを召還し、その後魔導具でマンタ共々姿を消しながらブイオンの郊外に向かった。
マンタの移動速度なら数分程で街から離れることができ、二人はそれ程時間をかけずに人目の無い静かな草原を発見した。
恭也たちが発見した草原の近くには舗装された道が通っていたが今は誰もおらず、昼食を取るには絶好の環境だった。
マンタから降りた恭也は『格納庫』から敷物とノムキナ手作りの弁当を取り出し、ついでにホムラの眷属も取り出してホムラに何か変わったことは無かったか確認した。
特に何も起こっていないというホムラの報告を聞いた後恭也は眷属を『格納庫』にしまい、そのまま昼食を取ることにした。
相変わらず味は分からないものの彩りが鮮やかなノムキナ手作りの弁当は見るだけで恭也の心を楽しませた。
「これ見たことない野菜ですけど旬のものですか?」
「ああ、それは私も最近知ったんですけどティノリスの北で採れるキーバっていう野菜です。煮物にするといいって聞いたんで弁当にはちょうどいいかなと思って」
ソパスはティノリス皇国の中央寄りにある街なので、距離が離れている北部からも野菜を取り寄せられる程流通網が発達しているのかと恭也は驚いた。
「へー、おもしろい食感ですね。あちこち行ってる間は食事も似た様なのになりがちなんで嬉しいです」
「喜んでもらえたならよかったです」
実のところソパスとティノリス皇国北部の物のやり取りはまだ簡単ではなく、今回このキーバを取り寄せるためにノムキナは領主補佐としての立場を私用した。
これがほめられた行為でないことはノムキナにも分かっていたが、味以外で恭也に食べてもらう弁当の中身に変化を持たせたいと考えての行動だった。
そのかいあって恭也は本当に興味深そうにキーバを食べていた。
もちろん恭也に味が分からないからといってノムキナは今回の弁当に手を抜いたりはしていない。
味付けはもちろん栄養まで考え、キーバを始めとする食材選びにも力を入れた。
そうしたノムキナの努力の集大成とも言える弁当を食べ終え、恭也は満足そうに弁当のふたを閉じた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
弁当を食べ終えた恭也に嬉しそうに視線を向けるノムキナを見て、恭也は不意に恥ずかしくなった。
年下のノムキナに完全に甘やかされているように感じたからだ。
そのため恭也はノムキナが自分の分の弁当を食べ終えるのを待ち、何かして欲しいことはないかノムキナに尋ねた。
恭也の質問を受け、ノムキナは少し悩んだ後でためらいがちに口を開いた。
「……私ともホムラさんたちみたいに話してくれませんか?」
「え?」
ノムキナの頼みを聞き、恭也は一瞬呆けてしまった。
ノムキナが何を頼んでいるかが分からなかったからだ。
そんな恭也を見てノムキナはさらに自分の要望を伝えた。
「恭也さんってホムラさんや他の魔神のみなさんとはもっと砕けた話し方してるじゃないですか?私ともああいう話し方で話して欲しいと思って」
「ああ、なるほど」
これまで特に意識していなかったが、確かに今の自分の話し方は恋人と話すにしてはどこかよそよそしかったかも知れないと恭也は反省した。
もちろん恋人とどの様な話し方で話すかなど人それぞれだが、相手が話し方を変えて欲しいと言っているのだからここは変えるべきだろう。
そう考えながら恭也はノムキナに話しかけた。
「じゃあ、これからはこの話し方でいくよ。……名前呼び捨てにしていい?」
「はい!」
恭也からの提案を聞き嬉しそうに笑ったノムキナだったが、なぜかその後も何かを求めるような視線を恭也に向けてきた。
一体何だろうと不思議に思った恭也だったが、ノムキナが目を閉じたことでようやく察しをつけた。
結局リードされっぱなしだなと自分に呆れながら恭也はノムキナの肩に手を置き、そのままノムキナと唇を重ねた。
久しぶりのキスはお互い不慣れなため実際に唇を重ねた時間はそれ程長くはなかった。
しかし二人は不慣れなりに互いの存在を確かめ合い、その後最終的に二人は肩を寄せ合って座り込んだ。
「こうしてると暖かいですね」
今は季節の境目の時期で時折り吹く風が若干肌寒く感じることもあった。
しかしここで寒いなら魔法で火でも起こしましょうかという程恭也も無粋ではなく、数秒悩んだ後恭也はノムキナの肩に手を伸ばしてノムキナを自分の方に抱き寄せた。
抱き寄せられたノムキナはそれに一切逆らうことなく笑顔で恭也に寄りかかり、そのまま二人は何をするでもなくたわいもない話をして時間を過ごした。