契約
「僕はこれからヘクステラに行くつもりですけどアロジュートさんはどうしますか?転移で一気に行くつもりなんで、もしアロジュートさんが転移できないなら近くの街で待っててもらうことになりますけど」
「簡単に言ってくれるわね。上級天使ならともかく大勢仲間がそろってないと能天使が一人で転移魔法なんて使えるわけないでしょう?自分の能力がどれだけ便利か分かってる?」
「いや、まあ、それは分かってるつもりです」
天使にとっても容易ではない転移魔法の行使(恭也の転移は厳密には違うが)が前提の同行を提案され、呆れるアロジュートの指摘に恭也は思わず苦笑した。
「でも転移できないってことならしばらく待っててもらうしかないですね」
明日城を訪れるとヘクステラ王国に伝えている以上、恭也としてはアロジュートとのんびり飛んで行くわけにはいかなかった。
しかしアロジュートは恭也の心配は不要だとある提案をしてきた。
「あたしと主従契約を結んで。天使は一人だけ主を選んで主従契約を結ぶことができるの。主従契約さえ結んだら天使は主のもとにすぐに転移できるし、どれだけ離れていても意思の疎通ができるわ」
「へぇ、それは便利ですね。でもいいんですか?僕なんかが主で」
知り合ってそれ程経っていない自分と聞いた限り重要そうな契約を結んでしまっていいのだろうか。
そんな心配を恭也がしているとアロジュートが口を開いた。
「さっきも言ったけどあんたにはそれなりに期待してるし別に構わないわ。でもその分期待を裏切られたらあたしも容赦しないからそのつもりでいて。魔神との契約と違って天使との契約は天使側の意思でいつでも破棄できるから油断しないことね」
「はい。アロジュートさんの期待を裏切るつもりはありませんから、期待してて下さい」
「ふん。口だけじゃないことを祈ってるわ」
鋭い視線を向けた自分の脅しを軽く流した恭也を見て、アロジュートはすぐに態度をやわらげながら軽い悪態をついた。
「契約って具体的に何やるんですか?」
魔法陣を描いたり親指を歯で切ったりしないといけないのだろうかと恭也が考えていると、アロジュートが恭也に近づいてきた。
そしてアロジュートは油断していた恭也の頬に両手を添えてそのまま恭也の唇を奪った。
「んっっ……?」
突然のことに驚きながらアロジュートの唇の柔らかさ、ノムキナへの罪悪感、そして横で恭也同様驚いているエイカの視線と様々な理由で恭也は困惑した。
しかしすぐにアロジュートとの間に見えないつながりができるのを感じ、恭也は多少落ち着いた。
とはいえアロジュートとのキスは五秒程続き、その間恭也はアロジュートにされるがままとなっていた。
やがてアロジュートが恭也から離れ、その後多少落ち着きを取り戻した恭也はアロジュートに他に契約の方法は無かったのかと問い詰めた。
「いきなり何するんですか?契約って、他に方法は、」
美人のアロジュートにキスをされて恭也も悪い気はしなかったが、かといって許可無く相手にキスをするなど許されることではない。
そう考えてアロジュートに文句を言おうと思った恭也だったが、当のアロジュートは信じられないものを見る目で恭也を見ていた。
「どうしました?」
明らかに自分の文句を聞いていないアロジュートを前にし、恭也は思わずそう質問した。
しかしアロジュートは恭也の質問には答えずただ自分の変化に驚いていた。
そんなアロジュートの口からこぼれたつぶやきは恭也にとっても二人のやり取りを見ていたエイカにとっても意味不明なものだった。
「……信じられない。力天使になってる。ただの伝説だと思ってた」
恭也と主従関係を結んだアロジュートに起こった変化は大きく二つだった。
一つ目は神聖気の回復で、神聖気は天使本人あるいは主が他者から感謝されるか力になりたいと思われた時に回復する。
そのため恭也の人柄を考えるとこれは当然で、アロジュートも契約による神聖気の回復自体は予想あるいは期待していた。
回復した神聖気の量がアロジュートの予想を大きく超えていたが、これは嬉しい誤算というだけで特に問題はない。
アロジュートが驚いたのは自分の天使としての位が能天使から一つ上の力天使に上がっていたからだった。
主従契約を結んだ際に天使の位が上がるという現象自体は天使の間で広く知られていた。
しかしその現象を実際に見た天使は一人もおらず、天使が庇護している人間の中から英雄と呼ばれる人間が現れて上位天使と契約を結んだ際も一度として起きなかった。
そのためこの現象は天使たちの間ではただの伝説だと考えられていて、アロジュートもそう考えていた天使の一人だった。
しかし自分の体に起こった以上信じるしかなく、自然とアロジュートが恭也に向ける視線にも変化があった。
「すごいわね、あんた……」
「はあ、どうも。一体どうしたんですか?急に」
突然褒められて戸惑う恭也にアロジュートは自分に起こった変化を説明した。
「へー、要するに強くなったんですね。おめでとうございます」
この世に降臨した時にすでに決まっている天使の位が上がることは本来あり得ず、唯一の方法とされてきた主従契約でもこれまで誰一人天使は位を上げられなかった。
そのため今回アロジュートに起こった現象は天使にとっては驚くべきことだった。
しかし天使の位すら正確に把握していない恭也にとってはただでさえ強いアロジュートが強くなったというだけなので、反応も微妙なものになってしまった。
そんな恭也を見てアロジュートは改めてあいさつをした。
「あんたは主としてはずいぶんと当たりみたいね。これからよろしく頼むわ」
「はい。それはいいんですけどもういきなりキスなんてしないで下さいね?天使って契約の度にキスしてるんですか?」
「キスっていうのはよく分からないけど、ここじゃ儀式用の魔法陣なんて用意できないんだもの。しかたないじゃない。あ、それともこっちの方がよかった?」
そう言うとアロジュートは纏っていた鎧を消し、薄手の衣服を着ただけの状態になると衣服の首元を緩め始めた。
「ちょっ、待って下さい!何する気ですか?」
いきなり服を脱ぎ出そうとしたアロジュートを見て、恭也は慌ててアロジュートを止めた。
「ん?別に遠慮しなくていいわよ?神聖気思ったより回復できたしそのお礼だと思ってもらえれば。どうせあたし妊娠しないし」
「……もう少し自分を大事にして下さい」
アロジュートの発言を聞き不快そうにする恭也の発言を聞き、身持ちの固い相手にはこの手の礼は逆効果になるというかつての上司の発言を思い出したアロジュートは再び鎧を纏うと恭也に謝罪した。
「もしかしてあんた恋人いる?だったらごめん。失礼なことしたのは謝るから許して」
「恋人はいますけど、怒ってるのそこじゃ、……まあ、いいや。とりあえずそういうことお礼代わりにするの止めた方がいいですよ」
「ええ、昔上司にも言われたわ。もう二度としない」
「そうして下さい」
近くからエイカのふしだらなという発言が聞こえ、恭也はそれに声を出して同意したかった。
しかし恭也は一刻も早くヘクステラ王国に行きたかったので、ロップ並のものを鎧の下に隠し持っていたアロジュートの胸元を記憶から消して話を進めた。
「じゃあとりあえずエイカさんには妹さんとエブタに行ってもらって、もっと細かい話は僕がヘクステラから帰ってきてからでいいですか?」
「ええ、構わないわ。私はもう行くわね」
そう言ってエイカが去った後、恭也はアロジュートに今後の予定を説明した。
「実際に乗り込むのは明日になりますけど、ヘクステラって国の城に乗り込んで奴隷としてこき使われてる種族を助けようと思ってます。僕とアロジュートさんがいれば戦力としては十分ですけど、人手も必要になると思うので水の魔神にも期待してます。水の魔神の名前教えてもらえますか?」
恭也は仲間にした魔神たちから主に名前を付けられた後で魔神呼ばわりされるのは魔神にとって大変不快なことだと聞いていた。
そのため恭也はアロジュートが水の魔神に付けた名前を聞いたのだが、アロジュートは水の魔神の名前を教えると同時にとんでもない提案をしてきた。
「アーシュミアがあたしが水の魔神に付けた名前だけどあんたにあげるから名前は好きにして」
「魔神をあげる?そんなことできましたか?」
恭也も『魔法看破』で魔神の仕様を全て見たわけではないが、契約についてはほとんど目を通していた。
その時に魔神の所有権を他者に譲れるとは書いてなかったので、恭也はアロジュートの提案は不可能だと考えていた。
しかしアロジュートはとても簡単な方法で恭也の考えを否定した。
「あたしが水の魔神との契約解除して、その後であんたが水の魔神倒せばいいでしょ?」
そう言うとアロジュートは恭也が止める暇も無く水の魔神との契約を解除した。
アロジュートの発言からアロジュートが水の魔神との契約を解除したと知り、恭也はアロジュートに苦言を呈そうとした。
さすがにこんな理由で魔神との契約を解除するのは水の魔神に失礼だと考えたからだ。
しかしそれよりも先にランとライカが恭也に話しかけてきた。
(ごしゅじんさまこの女に水の魔神と契約させないで。水の魔神がかわいそう)
(そうっすね。自分がこれされたらと思うと考えただけできついっす。水の魔神もあんな女となんて契約したくないはずっすよ)
アロジュートに水の魔神との再契約を促そうとした恭也の考えを感じ取り、ランとライカはそろって水の魔神とアロジュートの再契約に反対してきた。
仲間にして間もないライカはともかく大抵のことに我関さずの姿勢を取ることが多いランまで強く反対してきたため、恭也は水の魔神と契約することにした。
といってもランの時同様魔力がほとんどない状態の水の魔神を一方的に攻撃することになるだろうが。
とりあえず恭也はライカの移動用の魔導具をその場に埋めるとアロジュートにこの場で待機しておくように頼み、そのまま水の魔神が封印されている場所へと向かった。
その後恭也は簡単に水の魔神に勝利し、無事五人目の魔神を仲間にした。
水の魔神は固有能力で主の姿を模倣できるため、魔神で唯一姿に主の想像が反映されない。
水の魔神の本来の姿はただの球体状の水なのだが、それでは恭也が話しにくいだろうと考えた水の魔神は円錐状の胴体から顔と手だけを生やして人の形に近い姿となっていた。
「色々あったけどこれからよろしくね、アクア」
「はい。これからよろしくお願いします、恭也様」
水の魔神、改めアクアの恭也様という呼び方は、前の主が生きているのに恭也をご主人様と呼ぶのは抵抗があるとアクアから許可を求めてきた。
そもそもご主人様という呼び方自体をしないように頼もうとしていた恭也がそれに反対するわけもなかった。
「いきなり契約解除されて災難だったね」
「前のご主人様とはあまりうまくいっていなかったのでしかたがないです」
アクアによるとアロジュートは最初水の魔神に自分の行動方針を決めさせようと考えていて、水の魔神に付けた名前もかつての上司の名前らしい。
しかし基本的に主の命令を遂行する存在の魔神ではアロジュートの要望には応えられず、それに気づいたアロジュートはその後水の魔神への興味を失い名前を呼ぶこともほとんどなかったらしい。
それを聞いた恭也はアクアに何と声をかければいいのか分からなかったが、何とか自分の考えを伝えた。
「安心してって言うと変だけど、僕はどんどん頼み事すると思うからよろしくね」
「はい。戦闘から夜伽まで何でもお任せ下さい」
「……とりあえず頼まれたことだけしててくれればいいよ」
一部の魔神といいアロジュートといい、男に偏見を持ち過ぎではないだろうか。
強力な能力を持っているのだから他に売り込める長所はいくらでもあるはずだ。
そんなことを考えて恭也は予想以上に疲労したが、その後もアクアとの会話を円滑に進めてアクアの能力を確認していった。
『魔法看破』でももちろん能力の確認は行えるが魔神の能力全部に一々目を通すのは面倒なので、口頭で済ませられるならそれに越したことはない。
固有能力の『主の姿と能力の模倣』以外に恭也の興味を引いたアクアの能力は自分が生成した水を飲ませることで相手の怪我や病気を治すという能力だった。
ただ怪我を治すだけなら恭也の『治癒』でも可能だが、アクアのこの能力は水属性の魔法なので研究次第で完全な再現は無理でも応用ぐらいはできるかも知れないと恭也は期待した。
その他のアクアの能力は他の魔神と似た様な高火力技ばかりだったので、恭也は一度アクアとの会話を止めてアクアと融合した。
あまりアロジュートを待たせても悪いので、アクアと今同行しているランとライカとの融合技の内容の把握はアロジュートと合流してヘクステラ王国に行ってからにしよう。
そう考えた恭也はアロジュートのもとに向かった。