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黄泉之客

作者: 師匠

「お母さんなんて大嫌い!」


私は家をとびだした。

いつもあの人は自分のことばかり。少しも私の気持ちなんて理解してくれたことなんてない。今日だってせっかく……。

家を出てからどれくらいの時間が経ったんだろう。辺りを見渡しても、そこは知った風景ではなかった。

どうやら、いつの間にか遠くまで来てたみたい。


「はぁ。これからどうしよう」


少し頭も冷えてきた。家をとびだしたからといって、行く宛もない。でも、今日はあの人がいるあの家には帰りたくなかった。


「危ない!!」

「えっ」


それは突然の出来事だった。誰かの叫ぶ声が聞こえたと思ったら、私の視界は真っ白い光で埋め尽くされていた。

それも一瞬の出来事で、次に私の体を強烈な衝撃が走った。

気づくと世界が傾いていた。どこか遠くで声が聞こえる。でも何て言っているかわからない。

起き上がろうにもなぜか体に力が入らなかった。それに少し眠い。妙に、半身だけお湯に浸かっているように温かくて、気持ちいい。

だんだんと聞こえる声が遠くなっていき、私の瞼も自然と閉じていった。


「ん、んっー!」


どのくらい眠っていたんだろう。私が目を開けると、そこはさっきまでいたコンクリートで舗装された道じゃなかった。


「こ、ここは……? ひっ!」


そこはこの世の場所とは思えなかった。薄暗いのに、辺り一面が赤黒いことだけはわかる。例えるなら地獄のよう。

恐い。

怖い。

それ以外の感情が湧いてこない。


「あら、起きたのね。ここは、黄泉の国への入り口よ」


目の前から声が聞こえた。

さっきまで赤黒い景色しかなかったはずなのに、そこには1人の女性が立っていた。

その印象は明るい声とは裏腹にどこか冷たい。


「あなたは」

「私? うーん、黄泉の国の門番といったところかしら」

「黄泉の国って……」

「そうよ。ここは死者を選別するための場所。今日は私の当番なの」

「ししゃ、それじゃあわたしは……!」


頭にさっきまでの出来事が蘇る。

ライトをつけて迫り来るトラック。

焦った表情で駆けてくる周りの人たち。

コンクリートに寝ている私。

温かく赤いものが抜けていき、徐々に冷えていく私の体。

顔から血の気が引いていく。思い出した。思い出しちゃった。


「私はトラックに轢かれて、それで」

「そう。死んだ」

「!」


彼女の無慈悲な声が否応なく自覚させる。私が死んだことを。


「そんなのって」


信じたくない。

でも死ぬ瞬間の感覚を覚えている。体が震えてたまらない。


「何をそんなに動揺しているの?」

「だって私死んじゃったんだよ?!」

「どうせ生きてって帰る場所はないでしょ?」

「そんなことっ」

「だって家から飛び出たじゃない」

「なんでそれを……!」

「黄泉の国の入り口を守るぐらいよ? 下界のことを知るなんてわけないわ。フフフ」


薄ら笑いを浮かべる彼女は不気味だった。


「これで動揺する理由はなくなったでしょ? なんの心配もせず黄泉に来るといいわ」

「それは! そう、だけど……」


確かにそうだ。私はあの人に嫌気がさして家を飛び出したんだった。あの人がいる家に帰りたいとはこんな状況になった今でも思わなかった。


それなら、死んでもいいのかな


そんな思いが胸の内に宿る。


「まあまだお客さんなんだけどね」

「それってどういう―――」

「なんでもないわ。それより、死を受け入れたなら手続きをするわよ」

「手続き?」

「死者に記憶があるなんて、未練にしかならないでしょ? 未練を宿した死者は悪霊となるのよ。だから記憶を消去するの」

「記憶を、消去」

「あなたも嫌いな人との記憶なんていらないわよね」


なくなるならそれもいいかもしれない。


「それじゃあまずは最近の記憶から」


門番が私の頭に手をかざすと、目の前に映像が流れ始める。


「これって……」


流れている映像は、事故にあう前の私の姿。場所は家。そこの台所だった。

私は料理をしていた。あの人のために作ろうとしていた。


(あれ、なんであの人に料理を作ろうと思ったんだっけ)


しかし、帰ってきたあの人は料理をしている私を見るなり怒り出した。私の意見なんて聞かずに、ただただ勉強をしろというだけ。

今思い返しても怒りが沸々と湧いてくる。


「その顔を見ると、あなたにとってこれは消したい記憶なのね。それならさっさと消してしまうことにするわ」


私は頷かなかった。

でも首を横に振ることもできなかったできなかった。

門番が映像に向かって、ふぅと息を吹きかけると、私の中で何かが消えていくのを感じた。

でも、それが何なのかはわからない。

ただどうしてか、なぜか物寂しい気持ちが残った。


「じゃあ次ね」


また流れ出した映像は、高校受験の合格発表の日。

私は今の高校に入るために、寝る間も惜しんで勉強をした。

そのおかげもあってか無事に合格することが出来た。思わずその場で泣き出してしまいそうになった。


(まあでも横を見たら涙が引っ込んじゃったよね)


なんせ私以上に喜んで、私以上に泣き出しているあの人がいたから。

周りの人も私も引いてしまうぐらい大泣きだった。


(もう。私以上にはしゃぐからむしろ私が冷静になっちゃったんだよね)


でも私のことで喜んでくれることが少し気恥ずかしくて、でもそれ以上に嬉しくて誇らしかった。


「これも消去ね」

「あっ……」


また私の中で何かが消されていく。さっきよりも大きな悲しみを感じる。

そんな私をお構いなしに次の映像が始まる。

それは私が幼い頃。風邪をひいて寝込んだ時のこと。

お父さんがいない私の家はあの人が朝から夜まで働いている。だから家には私ただひとりだった。

まだ幼かった私は、熱が上がり、苦しくて一人でいる心細しさに泣き出してしまった。

そんなことをしても誰も来てくれるはずがないなんてことは幼い心でもわかっていたけど、それでも涙は止まってくれなかったのだ。

どれくらい泣いたんだろう。声がかすれてきてはじめてそれは来てくれないはずだったに変わった。

突然玄関のドアが開ける音が聞こえ、私一人しかいなかった家にドタバタとした音が鳴り響く。足音の主はよほど急いでいたんだろう。ガンッ、とどこかに足をぶつけた音と一緒に、痛ったぁぁ、と声も聞こえた。それも束の間、私の部屋のドアが開けられた。

そこに立っていたのは、あの人だった。仕事を切り上げて早く帰ってきてくれたのだ。

あの時の滝のように汗を流して心配した表情は今でも覚えている。

そんなあの人を見たら今までの一人だった不安が嘘のように笑いが込み上げてきた。笑う羽田氏を見てあの人が、キョトン、とした表情をするからそれが余計に面白くて笑った。


「懐かしいなぁ」


私の頬を雫が流れていく。それもとめどなく。


「あれ、どうして涙があふれてくるんだろ」

「泣くほど嫌な記憶なのね。そんなに嫌な人生なら早く記憶の消去を済ませてしまいましょ」

「ち、違う! 嫌な記憶なんかじゃっ」


彼女の笑顔は冷たかった。笑顔なのにそこになにも気持ちが込められていないように感じる。

私はその表情に後ずさりをする。

そんな私をお構いなしに、彼女は記憶の消去を進めていく。

中学の卒業式。小学校の入学式。ランドセルを買ってもらった時のこと。誕生日をお祝いしたこと。一緒にお昼寝をしたこと。

次々と私の中から消されていく。

もう思い出せることは少なかった。

涙が止めどなく流れているのにどうして泣いてるのかが分からない。

ただ胸の中がぽっかりと開いている感じだけが残る。


「これであらかた消し終わったかしら。んーっと。じゃ残りも全て消してあげなきゃね」

「もう、やめて……」

「なんで? あなたも嫌な記憶を消すことを望んでいたじゃない」

「私そんなこと望んでない!」

「あらそうだったかしら。確かにうなずいてくれた記憶がないわね」


彼女は頬に手を当て、困ったわという。

もしかしたらもうこれ以上記憶を消されなくても済むかもしれないと喜んだ。

しかし次の瞬間、彼女の表情は冷たく人を突き刺すような笑顔に変わった。


「でも、あなた否定もしなかったわよね?」

「あ。そ、それは……」

「いまさら後悔しても遅いのよ」


冷たく無情な言葉が私の体に響く。


「安心しなさい。記憶がなくなってるから、不安な気持ちが嫌いだった気持ちより上回っているのよ。一時の気の迷い」

「違う」

「違わないわ。だって最初はあなたあんなにあの人のことを嫌っていたじゃない」

「違う、違う、違う! 嫌なことはあったよ。嫌いになったこともあるかもしれない。でもそれ以上に()()()()との思い出は楽しいことであふれてた! お母さんのことが好きなの!」

「覚えてないのにどうしてそんなことをいえるのかしら」

「確かにもう重い出せることは少ないよ。でも楽しかったことを大好きだったことを心が覚えてる!」

「ふ~ん。でも気付くには少し遅かったわね」

「え……?」


私の中から残っていたものが消えていく。

お母さんの表情。名前。

大好きだった人との関係。

何もかもが消えていく。


(ごめんなさい。ごめんなさい。もっと一緒にいたかった。もっと思い出を作りたかった)


記憶がなくなり空虚になっていく心に、私の中に悲しみと後悔が生まれる。


(死ぬなんて、もう会えないなんて嫌だよぉ……)


その気持ちを宿すには彼女が言う通り遅すぎた。


『――――!』


どこからともなく声が聞こえる。


「だれ」


聞き覚えのない声。でもそれはどこか懐かしくて、安心する声。いままで一番身近にあったかのような声。


「どうやら遅かったみたい」

「え?」


そういう彼女の表情はいままでの表情とは違って――


「寿命以外でもう来ちゃだめよ」


彼女は私に手をかざすと、体に全てが流れ込んでくる。嫌なことも楽しかったこともくだらないことも面白かったことも。

何もかもが大切な記憶が戻ってくる。

そして私の意識がだんだんと遠くなっていく。


「次は後悔する前に自分のことを誤魔化さないでその大切な気持ちに気付きなさい」


最後に見えたのは、彼女の温かく慈愛に満ちた笑顔だった。




光が瞼の上からでも刺激し、目を開ける。

そこは、消毒液のアルコール臭が漂う清潔感のある部屋だった。

天井の光が直接目に染みる。


「ここは……?」

「舞!!」


突然横から抱き着かれる。


「バカ! もう心配したんだから! 二度と会えないと思ったんだから……。よかった。生きててくれてよかった……。もう二度と私の前からいなくなることなんて許さないんだから」


その声は懐かしく、安心する声。

とても聞き覚えのある、一番身近にある声。

私に抱き着いて周りを気にせず泣いている顔はいつかのことを思い出させてくれる。

ついつい笑ってしまう。


「もうなんであなたは笑っているのよ!」


抱き着いているおかげで、体の温度を余さずに感じられる。

それは私に生きていることを実感させてくれた。

いまならわかる。

楽しい思い出はもちろん、嫌な思い出も、たとえ消したくなるほどの思い出でも、それはじぶんにとってまぎれもなく大切な思い出なんだ。

なにひとつ消してはいけない大切な思い出なんだ。

いっぱい言いたいことがある。

昔の思い出、これから一緒にしたいこと。

それは一日じゃ足りないくらいにいっぱいある。

でもまず一番最初に言いたいのは、言いたかったのは


「お母さんいつもありがと。大好き!」


私はお母さんに抱き着き、お母さんよりも大きな声で泣いた。

それは悲しい涙じゃなんかなくて、心が温かい気持ちになる涙だった。







************


お母さんと二人で思いっきり泣いてしばらくたち、少し落ち着いた私たちは気恥ずかしくなった。

どちらも無言で微妙な空気が流れる。

最初に口を開いたのはお母さんだった。


「舞、ごめんなさい。あなたの気持ちも考えないで怒ってしまって」

「ううん。私こそごめんなさい。お母さんが今まで私を大切に育ててくれたこと忘れてた。そ、それでね、テーブルにあった料理なんだけど……」

「あなたが家を飛び出して気付いたの。おいしいシチューだったわ」


私は家を飛び出す前に料理を作っていた。だってその日は


「でもどうして料理を?」

「だって、それは日曜日だったから」

「日曜日?」

「うん。五月の第二日曜日」

「それって」

「お母さんに感謝を伝える日だよ。改めて、いつもありがとお母さん」

「も、もう。照れくさいじゃない」

「えへへ。だって伝えたかったんだもん!」


私は母の日にお母さんにありがとうを伝えたくて、料理を作って待っていたんだ。


「なんか舞、あなた急に大人っぽくなったわね」

「そうかな?」


そうだとしたら黄泉の国の前にいた彼女のおかげ。私に大切な気持ちを思い出させてくれた彼女の

いまならわかる。彼女が最初にお客だといったのはこの事だったんだ。私はまだ死んでいなかった。私に大切なことを思い出させるためにあんなことをしてくれたんだ。


(ありがと。大切な気持ちを忘れなくてすんだよ)


「お母さん、大好き!!」

「き、急に抱き着いてどうしたのよ。もう、大人っぽく見えたけどやっぱりまだまだ子どもね」


そういってお母さんは私の頭をなでてくれる。


「うん。私はいつまでもお母さんの子どもだよ」


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