野村の迷言
「あの人だよ。見えた?」
野村は急に立ち止まって僕に囁いた。
「…は?…アァ…あの人な。」
恐る恐る前を向くと、ようやく僕にも見えた。
僕らと同じくらいの背格好の人で、髪を後ろで縛っている女の子だと思う。
「そうそう。それと犬かな…暗くてよくわかんないけど、散歩してるのかも。」
「いやそれはないんじゃない。こんな満月の夜に散歩なんて。最近村に来たやつならわかるけど、そんな人野村以外にいないしなぁ…。」
僕がそういうと、野村はちょっとムッとした顔で
「あー新参者で悪うございましたね。」
と言った。
なんだ、こいつ怒るときあるのか。
妙に感心しながら、少女をじっと見るが
「いや…あんな子でも見たことないな…。」
「佐々木くんが知らないやつじゃないの?」
「そんな子いないよ。人が少ない村なんだから。野村も知ってるでしょ。」
僕らの住む村は、人口300人にも満たない。子どもの人数はもっと少ない。
僕らの中学校の1クラスの人数は10人だ。
それくらい少ないので、下の学年も上の学年の子も全員顔見知りだ。
もちろん小学生もほとんどわかる。
あんな子はいない。
断言できた。
途端にまたゾッとした。
「なぁ…帰ろうよ…。」
僕は思わず野村にそう言った。
「え?なんで?聞けばいいじゃない。お名前は?ってさ。」
さすが転校生。知らない人に会うことに慣れてるのか。
僕は自慢じゃないけど、あまり知らない人と話すのが得意じゃない。
というかそういう理由で怖がってるんじゃない。
「違うよ。この村でこんな夜に女の子一人っておかしいだろ。絶対普通じゃない。帰ろうぜ。やばいよ。」
僕はもう恐怖心を隠す気もなかった。
ここから離れられるならどんなことでもする勢いだ。
野村は呆れた顔で
「どこがおかしいんだよ。女の子だぞ?迷ったかもしれないじゃん。逆に美人だったら仲良くなれれば嬉しくないの?」
いやポジティブか。
「それは昼間だったらの話な。今は時間外だよ。やめよう。頼む、帰ろう。」
僕は必死で野村に頼んだ。
野村は僕の様子を見て
「佐々木…。」
と言って、真剣な顔になり、
「女の子に声かけるのに時間外なんかねぇよ。」
と言って、ずんずん向かっていった。
僕は呆然と立ち尽くして、野村の背中を見送ることしかできなかった。