プリキュア オールスターズメモリーズ 感想(まだとちゅう)
プリキュアの世界のみなとみらいが破壊されるのは、実に6年ぶり、そして3度目の出来事である。劇場版でプリキュアの敵に壊滅させられがちな場所として、馴染みの街だ。プリキュアはしばしば神奈川横浜で戦う。
そんな横浜の街を『ふたりはプリキュア Max Heart』のキュアブラック、キュアホワイト、そしてシャイニールミナスが跳び回るところから、映画は始まった。海から迫り来る闇の巨人、パニックに陥る人々を飛び越えて、キュアブラックが拳を打ち込む。巨人は呻き声を上げながら、体勢を崩しぶっ倒れる。その大きさは、四つん這いの姿勢で観覧車と高さが並ぶほどだった。
ああ、そうそうこんなだった。こんな、ウルトラマンみたいなスケールで、女の子が怪物と戦うんだった。記憶が引き出されてくる。上映が始まる前のドキドキ感とはまた違う、ジワリとした興奮に手汗をかいた。
今年度のプリキュア、『HUGっと!プリキュア』の隣に、『ふたりはプリキュア Max Heart』のタイトルロゴが並ぶ。映画『プリキュアオールスターズメモリーズ』は歴代25作に及ぶ映画プリキュアシリーズの中で最もイレギュラーだと言える作品だ。
TVシリーズのプリキュアは2月の第1週からスタートするのが通例で、1クール目を過ぎるところで3、4月の春映画、本編40話ごろ、10月の終わりに秋映画が毎年ある。春映画の方はいわゆるお祭り映画で、歴代のプリキュアが一堂に会し、スクリーンを暴れまわるオールスターズシリーズだ。まだ始まったばかりの新シリーズキャラクターを中心に、突如現れた敵を先輩プリキュアと一緒にやっつける。画面を埋め尽くすプリキュアたちが一つの標的に向かっていく様はプリキュアリンチと呼ぶに相応しい。勢いある画面はいかにも楽しく、旧作ファンは懐かしのプリキュアの登場に胸を熱くする。
自分も、いちファンとしてアツくなる。大いに楽しむ。
のだが、惜しいのだ、どうにも惜しい。春映画、オールスターズというやつは。
プリキュアの映画はそのほとんどが70分。劇場作品としては短く感じられるが、メインターゲット層のちびっ子が集中して映像を見続けられる時間というとそれくらいだという。
そう、40なん人もプリキュアが出てきて、尺が足りるわけが無いのである。そもそもセリフ付きで登場するプリキュアが稀なのである。だいたい半分くらいのプリキュアが一言も喋らない。主役級のプリキュアすらセリフのないシリーズも少なくない。まあ、致し方のないことでは、ある。4歳から6歳の女の子がメインターゲットなのだ。歴代のプリキュアといえど、そのほとんどは初めましてだ。見たことのないキャラクターの多さに、興奮することはするだろうが、古参顔で知らない話を持ち出されても、ちびっ子は困惑するばかりである。だいたい2年も過ぎればセリフがあるかは怪しい。毎年公開後は、ファンは自分の推しのキャラが久々に声付きだったとか、今年はあんまり動いてすらいないだとかで盛り上がる。自分も映画が終わるたび、今年もキュアミューズ喋んなかったなぁ、なんて渋い気持ちになるものである。
そして、脚本がガバガバになりがちである。シリーズが移れば設定が変わる。プリキュアそのものの設定も、伝説の戦士だったり、伝説の魔法使いだったり、伝説のパティシエだったり作品ごとにバラバラである。毎年毎年集まるくせに、おなじ画面に存在するためのことがそこまで厳密に考えられていない。共通の敵を出して、全プリキュアを巻き込みにほうぼうで暴れる。プリキュア同士がそこで顔合わせをすれば、もう映画の尺は半分使ってしまっている。ストーリーもヘチマもない。というのが正直なところだ。しかもご丁寧なことに、ほぼ毎回、特別にスポットが当たる劇場オリジナルのゲストキャラクターが、敵キャラとは別にいる。主役級と、そうしたぽっと出のキャラクターを絡ませたりなんかした日には、ただでさえない尺は、圧縮されまくってしまう。
ここ2年、プリキュアが総数50を超すという段になって、オールスターズ企画は一旦終了。去年と今年の春映画は、名前を変えて、プリキュアスーパースターズとなった。直近3シリーズ分のキャラクターのみが登場し、全員が喋って戦う。ゲストキャラクターにも十分な尺がいき。映画としての完成度は上昇したように思う。
ただこれは、喜ばしいというだけのことではない。もう二度と会えなくなってしまうプリキュアが、多くいるのだ。シリーズが終了したプリキュアに、一年に一回再開するチャンス、それがオールスターズだった。スーパースターズへのシフトに肩を落としたファンは多い。自分も落とした。正直辛かった。
さらに惜しいところがある。低予算スピード納品。これが最も大きい問題だと言えるだろう。劇場公開が三月だとして、全体で70分とはいえ、制作には少なくとも2、3ヶ月はかけたい筈だ。しかし年始はプリキュア本編シリーズ最終話付近の佳境、アンド新シリーズのバンクやらオープニングやらプロモーションやらの準備で、映画を抜きにしても東映アニメーションプリキュア制作デスクが、最も慌ただしくなる時期なのだ。当然動員できるスタッフも回ってくる予算も限られる。
毎年春映画の作画監督を務められる青山充さんは、もうそろそろ70も回ろうか、というお歳だという。毎年クレジットに名前が流れてくるたびに、なんともいえない気持ちになる。もうそろそろ休ませてあげて欲しい、でも青山先生こそがいわば最終防衛ライン。そのお仕事ぶりが安定して素晴らしいだけに、休ませたげてよぉ、という気持ちも、強くなるというものだ。
春映画の事情から考えると、秋映画は色々と対照的だ。秋の映画はこれまでの全作が、その年のシリーズの単体映画。本編4クール目に差し掛かり大いに盛り上がる中で、出し惜しみなしのクオリティの映画ができてくる。本編の設定を活かし、どのキャラもいきいきと活躍する。
さらには、フルCGの短編を同時上映したりと年ごとに新たな試みがなされている。プリキュアのシリーズ単体映画はマジ。ぜひ覚えていただきたい。自分など、劇場行ってびーびー泣いて、幼女たちの不況を買わないか毎年心配している。老若男女の垣根を超えた、声あげて泣いてしまうような、濃厚な感動のエピソードが楽しめるのである。
プリキュア映画といえば忘れてはならないものがある。そう、皆さんご存知ミラクルライトである。14年前の第1作映画から途切れることなく続いてきた、まさしくプリキュアの伝統である。
映画の中で、強大な敵を前にプリキュアがピンチに陥る。くじけそうなプリキュアたちにエールを送り、奇跡を起こす。それがミラクルライトの使命だ。スクリーンの中から、映画を見にきた子供たちに、ライトを振って応援してほしい、メッセージが届く。「頑張れプリキュア」の掛け声とともに子供達が一丸となってライトを振る。あの一体感は他では味わえない。入場時にライトをもらえるのは中学生以下のおともだちだけなので、おおきなおともだちである自分は心の中で応援するだけだが、それでも憧れのプリキュアに子供達が想いを届ける
ミラクルライトの演出には、自分も毎度心をグッと掴まれている。劇場でプリキュアを見る大きな理由だと言える。
さて、ここらで話を今作『オールスターズメモリーズ』に戻してみよう。
もうお分かりだろう。今作がイレギュラーだというのは、史上はじめての、秋のオールスター作品だからなのである。
本来この映画は『HUGっと!プリキュア』の単体映画であるはずだった
現にこの春には過去3作品でのスパースターが公開されているのだ。部分的なコラボレーションというならまだしも、年間通して単体映画のないシリーズは初である。
さらに今作は、秋映画の中でイレギュラーであるが、さらにこれまでオールスターズ系列の作品と比較しても異質なのだ。
そう、冒頭でもお話しした通り、今作では初代『ふたりはプリキュア Max Heart』も主人公格としての扱いを受けているのだ。最初聞いた時は絶対ガセだと思った。異例である。ぶっちゃけありえないと言ってもいい。
繰り返しになるが、プリキュアのメインターゲット層の視聴者の移り変わりは激しい。2年もすれば作品を離れて行ってしまう。だというのに、初代といえば15年前の作品なのだ。当時4歳の少女は今18歳だ。場合によっては子供がいる。現代を生きる幼女にはアス比が3;4の時代なんて思いもよらないのである。
そういう初代とのコラボオールスターズ知らせを受けプリキュアファンはこれまでにない不安に襲われることになった。果たして幼女様は初代の活躍を楽しんでくれるのだろうか、と。
これに対し、東映アニメーションは、慣例に囚われない、実に鋭い対策を下した。
イレギュラーな劇場版作品に備えて、本編にも今までにないものが取り入れられたのだ。通常回であるにも関わらず初代メンバーが登場したのだ。
次回予告を見ながら腰を抜かしたのをよく覚えている。
こうした史上初のコラボ回となった22話では、15年の月日を感じさせない実に自然なストーリーが展開された。
そしてさらに劇場公開を1ヶ月後
に控えた36、37話では歴代キャラクター総出演の
2話構成での大規模コラボ回が放映された。放映は興奮のあまり死んだという気さえした。本当に死んだのかも知れない。通常回とは思えぬ力の入りようは、まだ記憶に新しい。2話に分割された劇場版オールスターズとも言える凄まじく濃厚なエピソードだった。
要するに本編中で映画のための仕込みが行われたということだ。歴代キャラクターの紹介を本編を使って行う。確かにそれさえあれば、オールスターズ映画で削ぎ落せるものは大きい。尺の問題を緩和し、幼女様たちに対し旧作を馴染んだものにするという下準備。劇場作品の前準備としてこれ以上ないものに、誰もが期待を高鳴らせたのだ。
その想いが、戦場と化したみなとみらいで一気に弾けたのだ、という気がする。
本編さながらのキレある作画で行われた、迫力とボリュームある戦闘シーンは、掴みのシーンで使ってしまうにはもったいないくらい贅沢だった。そういう感動は、当時を知らない子供たちにもあるだろう。理屈を抜きにした躍動感に思わず劇場全体が前のめりになる。
ファンとして興奮が燃え上がるのは、やはりバンク書き下ろしの、必殺技「エキストリームルミナリオ」だ。おお、と思わず呟いた。体の芯のところから声が出たと感じた。どうやら作り手側はファン以上にファンのツボを抑えているようだった。まだ開始わずか5分ストーリーは始まってもない。期待に喉が鳴った。
劇場の空気を一気に掴んで行った『ふたりはプリキュア Max Heart』の面々。横浜の街に現れた闇の巨人を軽やかに撃破した。せっかくの休日に水を差された、とぼやくブラック。おなじみの、しかし懐かしい調子で笑い合う3人の少女達。
そして上空からそれを見守る影が一つ。
てるてる坊主のような姿、球体とたなびくローブ、布のような腕でその身体を形作る、異形ミデン。公開前から公表されていた今作の敵キャラクターである。
変身を解除するその前に、ミデンは3人に忍び寄った。表情のない目と口だけの顔は、一見して可愛らしくもある。巨大なてるてる坊主のような姿も警戒心を抱かせない。外見的な、凶悪さや、邪悪さはミデンにはない。そのため空中に制止するミデンを前に3人もどう扱ったものかと、困惑の表情を浮かべる。
「ヨコセ」
低く呻いたミデンはプリキュアを前に目を血走らせた。間髪入れず触手のような布の腕が舞い。プリキュアを抉らんと急接近する。
さすがは初代と言うべきか、一度的と見定めた相手への、思い切った応戦ぶりには、歴戦の記憶を感じさせるものがある。得意の徒手空拳で応戦しようとするブラックを飛行しながら、いなすミデン。ホワイトの空中殺法も決定打を与えるには至らない。十分な牽制を加えつつ、空中に浮かび上がったミデンは眼から鋭い光を放つ。地面をえぐる強力なビームに、防戦をしいられるブラックとホワイト。冷静に追い詰めていくミデンの光線がふたりをついに捉える。
絶体絶命のピンチ。しかしふたりが光に打たれることはない。その代わりに光線の前に身体を踊り込ませたシャイニールミナスの悲痛な叫びが劇場に響いた。
暗転し、タイトルコール、オープニングがかかる。深刻な、緊張感ある序章に思わず見入ってしまう。軽快なアクションシーンを頭の中で反芻するうちに、場面は映った。
爽やかに涼しい秋の公園。『HUGっと!プリキュア』の面々がハイキングを楽しむシーンである。
『HUGっとプリキュア』のメンバーはキュアエール野乃はな、キュアアンジュこと薬師寺さあや、キュアエトワールこと輝木ほまれ、キュアマシェリこと愛崎えみる、キュアアムールことルールー・アムールの5人。
加えてプリキュアの力に深く関わる不思議な赤ん坊ハグたんと、成人男性とハムスターの姿を行き来するマスコット、ハリハム・ハリーの面々である。ハグたんの愛くるしい姿に和むメンバー達。はなとえみるが競って写真を撮りまくる。『HUGっと!プリキュア』のプリキュアはみんな協力してハグたんのお世話をしているのだ。
ゼリーをハグたんに食べさせようとしたところで、オムツを換えなくてはいけなくなった。穏やかで和気藹々とした空気。プリキュアがバトルアニメなのをうっかり忘れてしまいそうになってしまう。
しかしミデンは忘れていなかったようだ。
置いてあった携帯端末の画面がぶるりと揺れる。波はかたちを帯びて、飛び出す。頭上にミデンが出現したのだ。
「みんなのキオク。頂きますわ!オカクゴは宜しくて!」
さっきとはまるで違う、上ずったような調子で高らかに告げるミデン。色の無い白い無地だったローブには、可愛らしいレースの模様が浮き上がり、ピンク色が何層にも重なる。
見せびらかすように、さっきまではなかった、小さい色とりどりのステンドグラスがミデンの周囲を舞う。さらに体表の模様を変化させながら、狂ったように明るい調子で、統一感のないセリフを吐く。
さっきのセリフには聞き覚えがあった。『Go!プリンセスプリキュア』のキュアフローラのセリフを改変したものだ。ローブに浮き上がった模様もキュアフローラの衣装に酷似している。他のセリフも、歴代のプリキュア達のセリフと重なるところがある。
そう、理屈はわからないが、ミデンはプリキュアの特徴を模倣する。これは劇場公開前から発表されていた情報であり、ミデンの最大の特徴と言えた。こういう歴代キャラクターを思わせるセリフの数々に、ファンとして口角が上がっていくのを抑えられない。ミデンとは、大変な見所を備えたキャラクターなのだ。
そんな前評判に違わぬ立ち回りを演じるミデン。先ほどと同様のビーム攻撃を目から放つ。5人すぐさまプリキュアの姿に変身し、戦士の表情へと変わる。ハリーがハグたんを避難させたことを確認し、5人は果敢に飛び上がる。
ブラック、ホワイトのようにあくまで肉弾戦に恃むプリキュアは少ない、というかあの2人くらいである。5人は浮遊するミデンに対し、各々ビームやバリヤを駆使し多彩に応戦する。
「フローラルトゥルビヨン!」
いないはずのプリキュアの技を高らかに叫ぶミデン。美しい花びらの技が同胞たるプリキュアを打った。
それは一応、予想されていたことではあった。歴代プリキュアの姿形を模し、口調を真似るミデン。戦いの際にもその模倣が及んでいたとしたら、と。
それはもうユニークなキャラだというだけでは済まされないものがある。あってはならない状況。イレギュラーな攻撃に、息を呑む。こういう戦いを見てみたかったのだと肌の震えでわかる。劇場版ならでは、掟破りの敵キャラクター。
対応するプリキュアの模様を身体に浮かび上がらせ
プリキュアの技を連発するミデン。流石に歴戦の技のいいとこ取りは手強く形勢はミデンに傾く。
押されがちになり、思わず隙を見せてしまうエール。
そこへ、本命とも言える、ミデンのビーム攻撃が注ぎ込まれた。しかしまた、光線は第1の目標を為損じる。エールをかばうように4人のプリキュアがみを翻したのだ。4人に光線が炸裂し、強い光に包まれる。
光が収まっていく、しかしその中に今までの4人の姿はない。
代わりにプリキュアの姿をした4人の赤ん坊同然の子供が、目を丸くして座り込んでいる。
「ミデンは記憶を奪うの!」
呆然とするエールの前を駆け抜け、人影が飛び上がり、ミデンに痛撃を食らわす。
『ふたりはプリキュア』、ブラックとホワイトである。少しぶつかった後、間髪入れず、子供と化した4人を連れて急ぎ撤退するよう促す。
しかしミデンも負けてはいない。なんとミデンは単独でありながら、2人のプリキュアの絆を糧にする合体技「ダイアモンドエターナル」を繰り出し追撃した。
ギリギリのところでかわしながら赤ん坊たちを抱き上げひた駆ける3人のプリキュア。しかしミデンに容赦の2文字は無い。攻撃を、プリキュアを赤ん坊に変えるビームへ切り替え迫るミデン。その鋭い光線が今度はブラックの背後を狙った。
三たび光線は狙いを外した。今度はホワイトがブラックを庇ったのだった。
ふたり一緒でないと変身していられないブラックとホワイト。ホワイトの脱落につられて、ブラックの返信も解除された。プリキュアとしての運動能力を失い、普通の女子中学生「美墨なぎさ」に戻ってしまったブラック。エールは、なぎさすらも抱き上げ、渾身の力を振り絞り、ミデンの視界から逃れるべく6人を抱え急加速した。
ミデンからは逃げおおせた。一息つきたいところだが、大変なのはここからだ。
公園の東屋へと駆け込んだ一行、エールも変身を解き、はなへと戻った。現状7人のプリキュアのうち5人が幼い姿へ変えられ、変身できるのはエール1人である。
並んだちびキュア達、どうにも様子がおかしい。どうやら変えられたのは姿だけでは無い。記憶をすっぽり無くしている。自分がプリキュアだということはもちろん、お互いの記憶までも無い。
よくて3歳児と言った5人。慌てるはなとなぎさに不審な顔を向ける。知らない場所、知らないお姉さん、周りの子も誰かわからないし、なぜか自分もヘンな格好をしている。
「おうちにかえりたいよぉ」
誰からともなく、そう言った。東屋から逃げ出そうと、ばらばらに暴れ出す。あたりを憚らずぐずり出す子供になってしまった仲間に、げんなりとした表情を向けるはなとなぎさ。とてもいうことを聞かせるどころのことでは無い。
ひとまずハグたんを連れて逃げたハリーと合流するため、公園を探索することにするはなとなぎさ。
そしてあえなくはなはさあやとほまれに逃げられるのだった。
逃げた仲間を追いかけ、また「知らない人」として接するうちに2人の胸の内には絶望にも似た想いが溜まっていくようだった。こうしてスクリーンの外から見ていても溜め息をつきたくなるような勝手ぶりに、身体の疲労はもちろん2人の精神もくたびれ果てていった。
追いかけたり捕まえたりしながら、やっと合流し状況を整理する一行。記憶をなくし子供の姿になったプリキュアを前にして、ハリーは悲観的な考察をする。戻す方法がわからない。ミデンを倒せばあるいはわからないが、今の状況では応戦するのすら難しい。
依然状況を理解せず、帰りたい帰りたいと不満を募らすちびキュアたち。
はなは、思わず泣き出していた。
頼れる仲間を、返して欲しい。私と過ごした記憶を、返して欲しい。
プリキュアたるものへこたれるな、叱咤するハリー。それに対して、プリキュアといっても普通の女子中学生なのだ、となぎさは声を荒げる。後輩の手前、気丈に振舞うなぎさの目にも、よく見れば涙が浮かんでいる。
この辺りの展開は想像以上だったと、言わざるを得ない。プリキュアの面々が幼児化するのは、予告ですでに発表されていたことだったが、ここまで辛い味付けをされるとは思ってもみなかった。ハグたんを中心に、子供の面倒を見ることを明るく描写していた前半とは打って変わったものだ。言うことをきいてくれない、こちらを不審そうに睨む子供達。こちらの気も塞ぐようだ。等身大の少女の絶望は、なによりも素朴に胸を打つ。楽しいだけが子供との付き合いでは無い、というメッセージのようでもある。秋映画はシリアスな展開になりがちではあるが、その中でもこちらにも伝わってくる真に迫った辛さだった。
依然、ミデンは不満だった。
ほぼ全てのプリキュアを手にかけ、記憶を奪い、己の中に蓄えた。美しく、輝けるプリキュアの記憶ならば自分を満たせると感じていた。暗く沈んだ、ステンドグラスの洞窟。その中で、不快を剥き出して飛び回るミデン。
あの時ふたり、プリキュアを取り逃がしたせいだ。ミデンは自らの不足感をそう結論づけたようだった。眼を赤くして、ミデンは逃した獲物を求める。
意気消沈するプリキュア一行。はなは、これまでの仲間との楽しい思い出がつまったデジタルカメラをぼうっと見つめていた。
その画面がぶるりと揺れた。
またも高らかにミデンがカメラの画面から宙へと浮き上がる。
「みんなの記憶を返して!」
つめ寄るふたりを満足げに見つめ返すミデン。
「ワタシィ、覚えてるわよ、なぎさ♪」
ミデンのローブの模様と口調はキュアホワイト、雪城ほのかのものへと、変わっていった。
これまでのパートナーとしての時間を、ほのかの記憶を読み取りながら愉快そうにミデンは語る。閉口するなぎさ。沈痛とはこのことだった。
初代というだけあって、プリキュアの代表として多くのシーンでふたりは先頭を走ってきた。2年の歳月を戦いに尽くした数少ないプリキュアでもあるし、単純に最も多くの映像が作られたプリキュアでもある。初代の思い出は、プリキュアの歴史の中で、最も重厚なものだ。ファンの脳裏にもミデンのセリフに語られるシーンは鮮明であり、戸惑う幼いほのかと、記憶だけを持ったミデンというシーンは、スクリーンの前の初代ファンをも絶望させたに違いない。なんとグロテスクなシーンだろう、と自分もなぎさの心中を思ううち、込み上げてくるものがあった。思い出しながらキーボードに向かう今ですら泣けてくる、映画の中で最も悲惨なシーン。
そして一番の肝であるシーン。
それでも、となぎさは立ち上がる。どんな姿になっても私が一番好きな雪城ほのかはここにいる。大好きな人がここにいて、記憶は私の中にある。
力強く訴えたなぎさは、変身できないまま、しかし恐れずミデンに向かっていく。
ミデンはなぎさのいう意味を理解できないまま、容易くなぎさを打ち払う。
倒れるなぎさに、幼いほのかは寄り添った。記憶はないながらも、ほのかは真剣な表情でなぎさをみつめる。
その時である。
ハグたんの額のクリスタルの飾りから、あたたかな光が溢れた。ハグたんの手に握られたのは、ミラクルライト。
劇場が、にわかに明るくなりだした。ちらほらとライトが点灯されだしたのだ。
なぎさの記憶と想いが、ミラクルライトのオレンジの光に乗って、ほのかの中に流れ込んで行く。
ミデンの中のほのかの記憶が、ミデンのものではなくなった。
「…ごめんね、なぎさ」
傷ついたなぎさを包むように、ほのかは微笑んで言った。
ふたりはプリキュア、復活である。
立ち上がり、手を握る。
「デュアル・オーロラ・ウェーブ!」
15年前そのままの変身バンクがスクリーンを鮮やかに彩る。揺れるミラクルライトを視界の端に捉え、自分は泣いた。
幼いほのかの頼りなく細い声とかけ離れた、キュアホワイトの力強い声に場内が震えた。
立ち上がったのは、ふたりだけではない。