『 サツジンジケン 』 著:瀬尾標生
「いらっしゃいませお客様、その物語をご所望でしょうか?」
「お客様に合う物語である事を、私共は心の底から祈ります」
「それでは、ごゆっくりと、おたのしみください……」
『 サツジンジケン 』著:瀬尾標生
後悔するにはもう、遅すぎたんだ。後悔するにはもう遅すぎたんだ。今更ifの話をしたとしてもどのみち過去に戻れるわけじゃない。だったら今のこの状況を理解し受け入れなければならないんだ。どんなに苦くても飲み込めなければならない。でも、やはり考えてしまうな。最初から、こんな旅に出なければ良かったって。
あの事件があった頃から少しの時間が過ぎた。たった数時間の内に俺達の人生は反転し、行き場を失くして暗闇を彷徨っていた。パニックを起こして吐き気がしたり、酷い目眩に襲われたり、怖くて涙を流したり。
でも、そんな出来事があっても時間と言う物は薬としていつの間にか投与されているものらしい。その証拠に、俺を除いた他の皆は少しづつ正気を取り戻していた。
「まさか、殺人事件にあうだなんてね。まるで自分がズタズタにされてる感じがした程怖かったよ」と微笑しながら冗談交じりに数時間前の恐怖を口にする京介。
「ほ、本当に、あれは怖かったね。喉が詰まって息が出来なかったよ」とまだ恐怖した表情を見せる千秋。
「そうよね。私だって心臓が割ける様な感じだったもん。本当に怖かったね」と恐怖を必死に隠す為笑みを見せる秋葉。
そんな三人とは真逆に俺は声すらも出なかった。ただひたすら、ハンドルを握って逃げ道を必死に走ることしにか集中出来ない。目を細めて道のりだけを睨む。カーナビなんて除き見することなく、ただひたすらあの場所から離れた何処かへ逃げたかった。ただ、それだけだった。
殺人事件。そう、俺達が泊まっていた宿で殺人事件が起こった。生まれて初めてそういった事件に遭遇してしまったから、かなり動揺していた。脳が視界と嗅覚を通して伝達してくる情報を処理できず、混乱していたのだ。そしてたどり着いた結論が“逃げる”という選択肢だった。寝てる皆を車に移動させて俺は月が町を照らす夜中、全員を連れて宿から逃げ出したんだ。速度制限なんて気にする暇などなく、その悍ましい場所からいち早く逃げ出したい気持ちに襲われた俺は、逃げる事だけに集中したんだ。
今でも鮮明に思い出す。あの荒れ果てた部屋を、血で満ちた海を、鉄の匂いを。目に焼き付かれ、鼻に焼き付かれたその記憶は、こいつらと違い時間が消し去ってくれるようなものじゃなかったんだ。消えない、消え去ってくれない。本当に、何をしたら消えてくれるんだ。
「ねぇ、いつになったらこの山から出られるの?」
そう聞いてきたのは右側の後部座席に座る秋葉だった。隣の千秋も同じ疑問を持っていたらしく、バックミラーに不安そうな表情を映す。
いつこの山から抜け出せるかなんて解らない。何時間も運転して来たのにもかかわらず、俺達は未だに宿があった山にいる。細い山道を通り待ちに向かっているが、やはり出口は見えなかった。
「それなりに掛かるんじゃないのかな?こっちに来た時も何時間もかかったから」
二人の疑問を冷静に答えるのは隣の助手席の京介だった。確かに街から宿まで来るにはそれなりの時間が掛かった。地元からはそこまで離れていなくとも、山道となれば速度は自ずと落ちてくるし、道が複雑だからさらに時間が掛かる。
だからこそ、余計に怖いんだ。山道は不安定のうえ、天気の所為で遅れる可能性だってあるんだ。出来るだけ早くあの宿から逃げたい俺からすれば、本当に最悪の状況だ。怖くて怖くて、手が今でも震えるというのに、その震える手を止められない。今にでも狂ってしまいそうな感情を必死に堪え、押し殺しながら、またアクセルを踏み山道を進んだ。
それからまた数時間、俺達は未だにただひたすら山道を車で移動していた。速度制限は既に突破し、危険なのは承知のうえで俺は走らせた。もっと、もっと遠くに行かなければと。
だけど、何も変わらなかった。何一つ、状況は変わらなかった。いつになっても、俺はここを抜け出せなかった。もっと、もっと遠くに逃げなければ。
逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて、
逃げて――
でも、出来なかった。逃げても逃げても、終わりが見えてこなかった。
意味が解らない。全然、何一つ理解できなかった。思っていた結果と違うじゃないか。何なんだよ、これは。いったい、何が起こってるんだよ!
何度確認しても、何度自分に問いかけても、何度疑っても、結果は変わらない! 宿から逃げて逃げて逃げて、ただひたすら逃げても、何一つ変わらなかった!
「ねぇ、それがさ……」
「え、それ本当?これは……」
「だから、これはこう……」
「――なんで」
そこでは俺はやっと何かを口にする。この数時間閉ざしていた口を開ける。アクセルから足を離し、ブレーキを思いっきり踏みながら、恐る恐る他の皆を視ながら、絶望に押し潰された笑みをどうにか浮かばせながら、俺は口にした。
「――なんで、トランクに詰められてるはずのお前たちが、ここにいるんだよ」
◆
「朝のニュースです。昨晩、〇〇県〇〇市の山で三人の遺体が発見されました。殺されたのは〇〇〇大学の斉藤京介(20)、木下千秋(19)、木下秋葉(20)でした。斉藤京介は腹部を何度も刃物で刺され、木下千秋は首の骨を折られており、木下秋葉は胸部に刃物を刺された跡が発見されました。なお第一発見者は同じ大学に通う……」
…………
……
◇著者◇
瀬尾標生
※ 初週は公開記念としまして、毎日 19:00 に新しい物語をお届けいたします。