『 トモダチ 』 著:瀬尾標生
「いらっしゃいませお客様、その物語をご所望でしょうか?」
「お客様に合う物語である事を、私共は心の底から祈ります」
「それでは、ごゆっくりと、おたのしみください……」
『 トモダチ 』 著:瀬尾標生
あぁ、満ちていく。満ちて満ちて、やがて溢れていく。それでも、満ち足りていてもまだ欲しがってしまうのは何故だろう。溢れては望み、消えては求め、終われば始める。あぁ、満たしてしまいたい。空っぽになってしまう、この孤独感を。だから、誰か僕を――
あれから約三十分が経った。引き戻ろうにも引き戻せないところまで来てしまったのだ。
「やべぇ、これ本当に怖いんだけど」
「それ、今更言いますか?」
僕はそんな堂々と言葉を口に出来る二人が羨ましかった。病院として機能しなくなりやがて廃墟になり果てたここで、僕は動く事はおろか喋ることすら出来なかったというのに。
「でもさ、やはりこのスリルが良いんだよな~」と先頭を歩く長谷くん。
「本当に君って人は。少しは他の人の事を考えてください。怖がってる人もいるんですから」と答える伊藤くん。
二人は大事な友達だ。二人とも性格は良いし相手の事を考えてくれる。だからこそ、こんな二人に嫉妬してしまう自分を少し嫌いになってしまいそうだ。
「伊藤、お前もしかして怖いのか?」
「先程怖いねと言った人に言われたくありません」
「うげっ」
正論を言われた長谷くんはそのまま黙り込み、後ろの伊藤くんを振り向くことなく目的に向かって進み始めた。
午前一時半、お化けが出るという噂の廃病院に大学の男子生徒たちが忍び込み三十分が経った今、恐怖は各自体の隅々まで染み渡っていた。どんなに誤魔化そうとしても、自分すらも騙そうとしても、真実は変わらない。
恐れている。怯えている。怖がっている。それでも動けない僕と違って二人は前に進んでくる。
聴こえてくるはただの足音のみ。カラスの鳴き声も、水が落ちる音も、誰かが発する囁きも、聴こえない中で足音のみが耳を満たす。
てくてくてく、壁や床を通って病院の廊下全体にその音は反響し広がる。やがてその音がまた耳を満たし、恐怖を身に響かせる。それでも、怯え震えながらも、足音は鳴りやまなかった。
窓ガラスは破片と化し、四方に散り、壁は剥がれては変色し、光は閉ざされ黒く染まる。
「ねぇ、長谷くん。もう戻りませんか?」
「おいおい、何の成果もあげられずに帰るのかよ。せっかくここまで来たのに」
その意見には僕も賛成だった。寝る時間を割いたのが無駄になってしまっては困る。まぁ、それよりもただ得るものなしに帰るという事に長谷くんは不満を持ってるようだが。
「もう直ぐで全ての病室を探し終わるんだ。あと数分で終わるんだから最後まで行こうぜ。それにこのチャンスを逃したら本当に信頼を失うって」
「確かに、この前の記事で大きな事するとは言いましたけど、どんなに大学での信頼を失ってしまっても命さえも失ってしまえば元も子もないですよ」
「大丈夫だって、見つけたら写真などを直ぐに取って逃げるから。そうすれば大丈夫だろうし」
「僕は反対です。やはりこういった危険な行動は避けた方が――っ!」
「静かに! 今何か聴こえたぞ」
耳を澄ましてみると、先程まで小さかった声はちゃんと僕の耳にも聞こえ始めた。
「――テ」
「本当に、何か聞こえてきますね。ほ、ほら、もうこれで充分でしょう。成果は得たのですから……」
心拍数が徐々に増していく。バクバクと、鼓動がただ立っているだけでも感じ取れる。声を聴いて、僕はやはり動けなくなった。動けなくて、でも言葉は発することが出来た。震えながら、僕は口を開けて言葉を口にした。
「――ス――テ」
「き、聴こえたか!? やべぇよ、本当に居るって!」
「だからもういいじゃないですか! 帰りましょう! もうこれ以上ここに居る必要はないですよ!」
「もう少し、もう少しで完全な情報が手に入るんだ! こんな音声だけじゃ何の証拠にもならないし、逆に安っぽさが増してしまう。だけど、ここに写真まで追加されればそれなりには期待通りの記事になって、また俺達は人気者に戻れるんだぞ!」
「そんな事よりも僕達の命の方が大事です! だから――」
「いいから! ついて来いっ!」
強引に長谷くんが伊藤くんを連れて、目的の病室までやってきた。先程までかすかに動かせていた口も、今では開けたくても開くことは無かった。興奮状態だから多分体が言う事を聞かないのかも。
「ゆ、ゆっくり開けるぞ? ちゃんと心の準備をしておけよ」
「……わ、解ってますよ」
ここまで来て帰るわけには行かないと判断したのか、それともただ恐怖心に束縛されて動けなくなったのか、伊藤くんはただ病室の前で長谷くんが扉を開けるのを見守っていた。
ゆっくりと長谷くんが扉に手を当てて押している音が聞こえてくる。古びた扉はまるで赤ん坊の悲鳴のような音を上げてここに居る人達を招いた。耳を刺すかのようなその音に耐えられなくなり、長谷くんも伊藤くんも耳を塞いだが、それでも病室の中を見る為に、長谷くんはまた扉を押し始める。
酷い音がやがて止まり、扉は開いてその向こう側の景色を見ることが出来た。暗く、何一つ鮮明に見えないその一場面、数歩進んだ先で彼らは視界に映るそれに囚われた。その目に映る輪郭に、彼らは本当の意味で停止した。
「お、おい。あれ、なんだよ。あ、あれは!」
「ほ、本当に、これはまずいですって! だから言ったじゃないですか!」
二人は何に恐れているのだろう。何も可笑しなものは映っていない筈なのに、二人の視界には何が映ってるのだろうか。目を大きく開いて悲鳴をあげるほどの物は、僕の視界には映っていないというのに、二人は何を恐れているのだろうか。
誰もいない病室にはベットが一つあるだけで、見えるのは、窓ガラスに反射した二人の輪郭だけだというのに
『タスケテ』
…………。
……。
「あの噂、本当らしいよ」
「嘘!あの病院の?」
「そそ、それよ。なんか調査に行ったうちの大学の先輩たちが行方不明になったって。病院の幽霊の“友達”になって」
「うわ、それ本当?」
「本当よ。少しは信じたら?ちゃんと誰が行方不明になったのか知ってるんだから」
「誰なの、その行方不明になった人って」
「確か経済学部の伊藤綾人って人と文学部の長谷彰の二人らしいわよ」
…………
……
◇著者◇
瀬尾標生
※ 初週は公開記念としまして、毎日 19:00 に新しい物語をお届けいたします。