第七十八話 もし…
思い返せば私は大事な事にいつも間に合わなかった。
初めての恋も、大事な約束も、大切な誰かを看取る事も。
私は間に合わなかった。
ほんのちょっとの迷いとためらいが私の足をいつも止めていた。
だから、私は今度こそ変わろうと一歩を踏み出そうとした。
そう思っていたはずなのに。
「あら、早かったですね。」
私の顔を見て、アムさんから出た第一声がそれだった。
いや、この牢獄のある民家に来て初めて聞いた私以外の声だった。
民家はとても綺麗に片付けられていて、人がいた気配もなかった。
当然…ここにいた誰かの荷物も、もうなかった。
そして、牢屋で紅茶の入ったカップを優雅に口に運ぶアムさんは、朝早くから来た私を見ても驚いていない。
それが意味しているのは…
「…どうして。」
リロさんはもうイガリを出たのだろう。
会長さんも、私も、みんなが今日もリロさんがいると思い込んでいた。
考えてみればリロさんと会えた時、リロさんはイガリを今すぐにでも出ようとしていた。
それを私のわがままで先延ばしにしていただけだ。
でも、でも、どうしてこんなに急に…
「今から話すのはただの私の考え…いえ、妄想です。」
アムさんはカップを置くと、私へ視線を投げかけた。
「あの人は昨日、改めて自覚したのでしょう。自分が誰かといてはいけない人間だと。」
「……!」
その言葉に私の息が止まった。
「氷の女王の話をした時、彼はほんのわずかだけ怒りや憎しみ…負の感情を抑えられなくなっていました。話を聞いただけで、そうなるなら本人を前にしたらどうなるか。」
「…………」
私は思い出す。
あの時、私は息すらまともに出来なくなっていた。
私に向けられた訳でもないのに、たった数秒で私は動けなくなっていた。
「だから誰にも言わずにイガリを出たのでしょう。今度は誰もが油断していた時を見計らって。」
そうだ。
誰もいなくなるなんて思わなかった。
だって、会長さんはリロさんから「細かい話は明日」と言われていたし、昨日は話も中途半端に終わっていたから、執事長さんやゴドさんも今日で全てがはっきりすると思っていた。
…だから、誰も思えなかったんだ。
リロさんがいなくなる事に。
「バース商会の会長なら見抜けていたでしょうが…昨日は相当の疲れがあったはずですし、タイミングとしてはベストだったんでしょうね。」
アムさんの言う通り、会長さんならリロさんがイガリを出る素振りを見せればすぐにでも気づいたはずだ。
でも、昨日は…
もし、私がもっと早く来ていれば…
もし、昨日の内に決意していれば…
そんな後悔がぐるぐる頭を回っていた。
「…また、間に合わなかったんですね。」
誰に言う訳でもなく、私はそうつぶやいていた。




