番外編 執事長は反省する
「……」
「……」
「………」
「………」
「…………」
「…………」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
冒険者に仕事を斡旋する冒険者ギルドのイガリ支店。
その応接室では二人の人間がテーブルを挟み、向かい合ってはいるものの、会話は一切交わされていなかった。
かれこれ十分は沈黙が続く中、ようやく一人が声を出す。
「…で、何か言うことは?」
沈黙を破ったのは冒険者ギルドの支部長だった。
五十を超え現役から離れてはいるものの、未だに衰えていない筋骨隆々の身体に、生々しく残った多くの傷跡が彼が冒険者として険しい道を歩んできたのだと証明している。
「…ありません。」
その支部長に深々と頭を下げ謝罪するのはバース商会の会長の懐刀とも呼ばれる執事長だった。
「…顔を上げてくれ。」
支部長はそう促し、頭をボリボリかきながら、言葉を選ぶ。
「今回はその…なんだ。事故としか言いようがない。」
「いいえ、私があまりにも浅はかでした。」
事は一時間前に遡る。
***
執事長は冒険者ギルドを訪れていた。
鎧や武器を装備している中、執事服を着た老齢の執事長は明らかに周囲から浮いているが、
「お、お久しぶりです!」
突如、一人の屈強なベテラン冒険者が挨拶をしてきた。
「おや、お久しぶりですね。お元気そうで何より。」
イガリの冒険者ギルドで看板冒険者として知られる彼に執事長は柔らかく微笑んだ。
その微笑みに硬直する冒険者だが、彼は静かに口を開く。
「…今日は一体どのような件で?」
長い付き合いもある為、特殊な依頼を持ってきたかと身構えている冒険者だが、
「少し野暮用でしてね。まあ、すぐに済まして帰りますからお気遣いなく。」
執事長はそう彼を安心させ、受付のカウンターへ向かっていった。
前日、屋敷に侵入したならず者達を一人残らず殲滅…ではなく拘束したものの、バース商会への襲撃は面倒な火種になりかねないものだった。
執事長が屋敷に張っていた結界は防音も兼ねていた為、街の人間は襲撃にも気づいていないが、ならず者達や街の悪党が一夜にしていなくなれば何かしらの疑問を持つ者が現れるだろう。
その報告と引き渡しの手続きの為に執事長自ら、冒険者ギルドへ来ていたのだが、
「おいおい、執事さんがここへ何の用だよ。」
受付に行く前に見るからに荒っぽそうな冒険者達に絡まれた。
「……」
瞬時に全員の顔を確認後、恐らくイガリへ来たばかりの冒険者だと判断した執事長は事を荒立てないように頭を軽く下げる。
「少しばかりお手続きを。ご心配なく、ここには何度も足を運んでおりますので。」
執事長は笑顔で冒険者をやり過ごし、手続きをしようと受付へ行こうとしたのだが、
「おい、じいさん。ここは冒険者の場所なんだよ。てめえみたいな古くさい野郎がいるとカビ臭さが移るんだよ!」
男は執事長の態度に苛ついたのか、語気を荒げてつかみかかろうとするが、
「……おっと。」
執事長は最小限の動きで男を躱すと、そのままリーダーの足をひっかけ、地面に転ばした。
「ッ!てめえ!」
パーティーの人間がナイフや棍棒など武器を取り出す。
「おや、いいのですか?こんな場所でそんな事をして。」
冒険者ギルドでの戦闘は基本的に禁止である。
双方の同意があった場合、『手合わせ』と言う形で訓練場での試合が許可されるが、互いが冒険者である事が前提となる。
「うるせえ!俺達をコケにしといてタダで済むと思うな!俺達は【鋼の角】!B級パーティーだ!見ろ、ここにいる誰一人俺達を止めようともしねえ!そこの看板冒険者もだ!」
リーダーは勝ち誇ったかのような笑みでおとなしくしている周囲を見るが、彼はいくつか勘違いをしている。
一つ、イガリの冒険者達は全員が執事長の強さを知っている事。
二つ、下手に間に入れば自分が巻き込まれると、冒険者だけでなく受付も含めた全員が分かっているから誰も何もしない事。
三つ、執事長は冒険者を『引退』しているものの、冒険者登録を『抹消』していない事。
四つ、過去、同じように絡んだ者が全員同じ末路を辿った事。
「…では、『手合わせ』しましょうか。」
【鋼の角】全員が耳を疑う中、執事長はいつもよりも深みのある笑顔を浮かべる。
「少し私も気が昂ぶっておりまして…どうかお付き合いくださいませ。」
「!?」
ギルド内の冒険者や受付、全員が見た事のないその笑顔に戦慄した。
「あ、あああああああ…!」
かつて若かりし頃、同じように執事長へ絡んだ経験のある看板冒険者に至っては何かを思い出したのか恐怖で泣き出し、過呼吸に陥っていた。
「……」
執事長の事を何も知らない【鋼の角】だったが、自分達が何かをやってしまった事だけは理解した。
思わず一歩足が下がろうとし、
「!?」
下がらなかった。
全員の背にぴったりと見えない壁のようなモノが頭から踵まで張り付き、これ以上下がる事を許さなかった。
「さあ、逝きましょう。」
その言葉を聞き、彼らは気づく。
もう全てが手遅れである事を。
***************
「【鋼の角】の全員に大きな外傷はなし。だが、精神面ではしばらく療養が必要だな。あと、うちの看板冒険者が一名、呼吸困難で倒れたが、こっちも大丈夫だ。」
支部長はそう伝えると、テーブルに一枚の書類を差し出した。
「アンタ達が拘束した連中の報奨金と受け渡しの日時だ。問題なければサインをしてくれ。」
執事長は書類に目を通しながらも、支部長へ尋ねる。
「彼らはどうなります?」
「…今回の一件。普通なら【鋼の角】の人間は冒険者ギルドから永久追放となるが…アンタの件もあるからB級からD級への降格だけで済ましておく。」
それは明らかに軽い処罰だった。
ランクの降格のみで、罰金もなければギルド追放もない。
通常では有り得ない事だった。
「ずいぶんとお優しいですね。」
執事長の安堵する表情に対し、支部長は凍り付いたような表情でぼそりとつぶやく。
「…俺は今日ほどアンタを敵にしなくて良かったと心から思ったぜ。」
訓練場へ連れて行かれた【鋼の角】と執事長を誰も止める事が出来ない中、唯一這いつくばって支部長室へやってきた看板冒険者のおかげで支部長は事態を知る事が出来た。
「し、支部長…本当に、死人が出る…」
慌てて訓練場へ駆け込んだものの、目に飛び込んだのは全てが終わった後の地獄絵図となった訓練場だった。
「………」
少しの間だけ見てしまった『手合わせ』を思い出し、支部長は大きく震えた。
なお、【鋼の角】は一ヶ月後、D級パーティーとして全員が冒険者に復帰。
『見せかけの強さに意味がない』と思い知った彼らは地道な鍛錬を続け、強さと誠実さを身につけたパーティーとして頭角を表し始めるがそれはまた別の話である。
また、【鋼の角】の暴挙とそれによる処分がランク降格のみと言う事で一部から反発が起きたが、
「俺はあんな地獄を一秒でも味わうなら、永久追放も罰金も、奴隷墜ちも喜んで受け入れる…」
と呼吸困難から立ち直った看板冒険者の壮絶な言葉で誰も文句を言う者はいなくなった。
ちなみにだが、【鋼の角】と執事長の『手合わせ』を止める事もなく興味本位で見に行った新人冒険者達も若干名いたのだが、
「人間ってあんなに飛ぶんだ…」
「命ってなんだろう…」
「シツジフクコワイシツジフクコワイシツジフクコワイシツジフクコワイシツジフクコワイシツジフクコワイシツジフクコワイシツジフクコワイシツジフクコワイシツジフクコワイシツジフクコワイシツジフクコワイ…」
と心に大きな傷を抱える事となり、ベテラン達が総出でケアに当たる事となった。




