第七十話 犠牲
「………」
暗殺者の手元から遊ばせていたナイフが落ちた。
銀製のナイフが落ちる音だけが牢獄に響き、誰もが息をする事さえ忘れていた。
「え、あの人が会長さんの…でも、どう見ても!」
ルナはそれ以上言う前に俺はゴドさんと執事長に声をかける。
「…お二人とも、本当はとっくに気づいていたんではないですか?」
俺の言葉に二人はゆっくりうなずき、ようやく口を開いた。
「見間違うはずありません…当時の先生のお姿そのままです。」
執事長が声をつまらせ、
「間違うわけねえだろ…姉さんだよ。」
ゴドさんはずっとこらえていたのか目元をぬぐった。
ルナはゴドさんと執事長が最初にアムを見た時の驚きを自分と同じ牢獄での待遇と思っていたが、本当は違っていた。
自分達が世話になり、助けられなかった恩人の変わらぬ姿を見てしまったからこそ、二人は動揺したのだ。
「………」
一方、暗殺者…いや、アムはナイフを拾う事もせず、立ち尽くしていた。
自分よりも何十歳も歳の離れた男達が涙を流している姿をただただ見ている。
端から見れば…会長よりも若いゴドさん達ですら、目の前にいるアムとは親子…孫と呼ばれてもおかしくないほど歳の差がある。
そう、確かにかつてアムと呼ばれた女性と今、牢獄の中にいるアムの年齢は一致しない。
だが、俺はあの戦いで【情報撹乱】の能力を知った。
その特性と可能性も。
「【情報撹乱】で気になっていた事があった。『若木を老木と思い込ませる』事が出来るなら、『年老いた身体を若い肉体と思い込ませる』事が出来るんじゃないかと。」
さっきの確認はそう言った意味で必要だった。
俺は自分の目で暗殺者が【情報撹乱】を自分に使った姿を見たが、暗殺者が自らの口で【情報撹乱】の効力を説明するのでは信憑性が大きく違う。
本人の口から『自分にも【情報撹乱】は有効である事』、『怪我さえなかった事に出来る常識外れの能力である事』、それらを俺個人の推測ではなく、使用する本人の意志で説明が欲しかった。
「老化する身体を若返らせて、不必要な記憶を消していけば、肉体的にも精神的にも常に全盛期を維持出来る。培ってきた技術や得た経験を残しておけば、衰える事もない、成長を続ける暗殺者のできあがりだ。」
ある意味では最強の切り札となるだろう。
真正面から戦う事で何とか倒せたものの、もし同じように狙われれば今度は…
「……」
浮かんだ最悪の結末を振り払っていると、
「…他には?」
アムが真剣な目で俺へ問いかけてきた。
「他にあるなら話してもらえないですか。一つ残らず、全部を。」
少し前までの茶化すような様子はなく、下手をすればひりつくような空気を出すアムに俺はうなずいた。
…元よりそのつもりだ。
「ずっと考えていた。どうして、会長はルナを守りたいと言いながら、暗殺を阻止する手段を考えなかったのか。」
俺を護衛に雇うのは確かに対策にはなるだろう。
しかし、あれが最善の策だったとは思えない。
極端な事を言えば、ルナを一切の外出を許さず期限までの間、屋敷に閉じ込めておけば未来は変わっていたかもしれない。
もしくはイガリから離れた街へすぐにでも移動するだけでも変化は起きていただろう。
俺ですら思いついた考えを会長は口にすらしなかった。
「それに、会長は暗殺者の姿や顔についても何一つ教えなかった。本当に顔は見えなかったかもしれないが、それなら暗殺者の服装や髪型…何でも良いから情報は出せたはずだ。」
刺されている人間の顔だけでなく、星空で場所や時期を見抜いた程の人間が、刺した人間の事を何も伝えなかった。
明らかに意図的に。
…会長は間違いなく切れ者だ。
そんな会長がルナを守りたいと言っておきながら、ルナを完全に守ろうとしていない。
だから、こう考えるしかなかった。
「『ルナを守る事』はあくまで建前。本当の目的は『暗殺者を捕らえる事』。」
そのためには未来を完全に変える訳にはいかなかった。
暗殺者はルナを殺す為に確実にルナの前に現れる。
その状況が暗殺者と接触出来る唯一の機会だった。
もし、暗殺者の顔や姿が分かれば、俺が暗殺決行前に暗殺者と戦っていたかもしれない。
そうなれば会長が視た未来が大きく変わり、暗殺者を捕らえるチャンスは二度となかったかもしれない。
「会長は自分の想い人に会う為に、ルナをーーーー。」
「犠牲にしようとしました。」
はっきりと聞こえたその言葉に全員が一点を見つめる。
穏やかな表情で会長が口を開く。
「そうです。彼女ともう一度会う…その為だけに私はここまで生きてきたんです。」
再び牢獄へ向かう会長は暗殺者を…アムだけを見ていた。
「あの時、視た未来へやっと…やっとたどり着けた。」




