第二十話 賢者の怒り
湖のある【中心エリア】の戦いはすでに終わっていた。
膝をつき、自らの敗北を悟った者はそれでも向かい合う敵を睨み付ける。勝てないと分かっていながらも、残された力でのど元を狙おうとするその獣のような目に勝者は素直に感心していた。
「こんな状態でその目が出来るとは驚きですわね。」
アズサ・ソメヤは早い段階で気づいていた。
ワイズ・フールが勝負を急いでいる事に。
遠距離の魔法の撃ち合いになると思っていたアズサの考えに反し、ワイズが行ったのは魔法を使った接近戦のみだった。
自身の魔具の特性に気づいたからこそ、時間を与えない接近戦を選んだのかと考えたものの、それにしてはワイズの攻撃はあまりにもハイペースだった。
まるで『アズサに攻撃をさせない』と言うより、『自分が動ける内に倒す』というように。
…少なくとも自分の知る限りのワイズ・フールならこんなにも直線的な攻撃はしない。それになんとなくだが、ワイズ・フールは本調子ではないようにも見えた。
その為アズサは防御だけに力を入れた。攻撃はあくまでも最小限にし、ゴーレムも防御を主体とした盾型と遠距離攻撃の弓型の二種類だけを召喚した。
その結果が今に繋がる。
止まる事なく攻撃を続けたワイズの攻撃は次第に速度を落としていき、とうとう力尽きたのか、ワイズは立つこともままならなくなった。
アズサもそれなりの痛手を受けたが、彼女自身は気にしていない。むしろ、あのワイズ・フール相手にこの状況に出来た事に満足していた。
アズサは本を持っていない左手を見た。
ドレスの左肩口から先はワイズの攻撃で消えているが、その左手は戦いの後とは思えないほど綺麗なままだった。
…まるで、さっきまで汚れから隔離されていた場所にあったように。
アズサはその左手の感触を確かめるように手を開く、閉じるの動作を繰り返しながら、敗者に声をかける。
「さすがは、ワイズ・フールと言ったところでしょうか。相手が私でなければあなたの勝ち…少なくとも相打ちにはなっていたでしょうね。」
アズサの心からの賞賛の言葉だが、ワイズはその言葉に更に目つきを厳しくした。
「まだ…だ!」
動けないほど弱っているはずのワイズは残った力で立ち上がろうとする。
「…無様ですわ。」
その言葉と同時にアズサの後ろに控えていた弓のゴーレムがワイズの右足に矢を放った。矢はワイズに刺さる前に何かに弾かれたように吹き飛んだが、ワイズ自身はその衝撃で地面に倒れた。
先ほどまでとは一変して、ワイズは見下すように地面に這いつくばる女に侮蔑の言葉を投げる。
「ご自慢の絶対防御魔法も衝撃を防げないほど弱っていますのに…ゴミ虫もそうですが、どうしてそこまで醜く生きようとするのですか?」
地面に倒れ、服が土まみれになってもワイズはその目に影を落とさない。まだ負けていないと言わんばかりのその目が何故かアズサの勘に触った。
次は目を抉ろうかとアズサが考えていた時、ワイズは口を開いた。
「醜い…か。それはお前もだろう。」
その言葉にアズサの動きが止まった。それまで何が起きても表情を崩さなかった彼女の顔が静止した。
「どんなに醜くても…諦めてはいけない事がある…お前が一番知っているだろう。」
その言葉にアズサの胸に焦燥感が生まれる。
【賢者】と呼ばれるアズサ・ソメヤに何故、ワイズ・フールがこんな事を言い出すのか?
ワイズ・フールはまるで【賢者】になる前の自分を知っているかのようだった。
誰にでも過去がある。
その過去には人には知られたくない過去が当然ある。
あらゆる手段を行使し、完全に消し去ったその事実を目の前の女が知っている。
それは絶対にあり得ない出来事だった。
あり得ない出来事だからこそ、アズサはワイズが何を言おうと的外れな事と一蹴するつもりでいた。完全に追い詰めた状態だからこそ、相手にわずかな反撃の糸口すら見せてはいけない。
どんな手段であろうと、会話を断ち切ればその事実を認めた事になってしまう。
心の奥深くに動揺を隠し、無表情のままアズサは聞き返す。
「何をおっしゃっているのかしら?」
ワイズはそんなアズサの事など見抜いているかのように乾いたように笑った。
「あの田舎娘が手帳一つで――――」
ワイズがそれ以上何か言う前にアズサは突如、倒れ込んでいるワイズの頭を蹴り飛ばした。
魔力で強化もしていないただの蹴りは当然ながらワイズの自動防御魔法で防がれる…が、
「殺す…!」
無表情でいたはずのその顔には同じ人物とは思えない程の強い怒りが浮かんでいた。
「殺す!殺す!殺す!殺す!お前は今すぐ殺す!」
口調が変わり、激昂するアズサは怒りに任せ、普段は使わない身体強化の魔法を使い、ワイズの頭を踏みつぶす。
再び自動防御魔法が発動するが、身体強化で大きく威力の上がったアズサの蹴りに対し、弱り切った防御魔法は衝撃を徐々に抑えきれなくなっていた。
「死ね!死ね!さっさと消えろ!」
アズサ・ソメヤを知る者は今の彼女の姿と普段の【賢者】である彼女を結びつけられないだろう。
それほどまでに彼女は怒りに駆られていた。
ゴーレムを使う事を考える事が出来ない程。
「くそ!くそ!死ねって言ってんだろ、虫が!」
街のごろつきと変わらない汚い口調になったアズサだがようやくその足を止めた。
自分の攻撃を決して致命傷に至らせない防御魔法を見て、アズサは持っていた本を開いた。
「もういい…お前は森ごと殺す。あんな男の頼みを気にする事もない。」
アズサ・ソメヤはサティナの長から『ワイズ・フールの居場所と引き替えに森への被害は最小限にする』と取引をしていた。が、すでにそれは彼女にとって優先順位から消えていた。
今の彼女が最も優先する事は『自分の過去を知る者の完全な抹殺』である。
目の前の人間がどれだけ偉大で、どれだけ世界に利益をもたらす研究結果を山のように持っていたとしても、そのたった一つの事に比べれば些細な事なのだ。
放つ魔法はアズサの持つ最大魔法『大地滅亡』。
強制的に圧縮された魔力を急激に解放する事で、周囲を完全に吹き飛ばし、爆破された周辺の大地には強力な呪いを植え付ける。はるか昔に存在ごと消し去られた魔法だ。
魔具である本に魔力を込め、息も絶え絶えのワイズへアズサは狙いをつける。アズサ自身はある方法で生き残る事が出来る為、至近距離でこの魔法を使用しても問題はない。
「…ああ、もういい。」
その様子にワイズは静かに声を出す。
まるで諦めたかのように落ち着いたその声にアズサの溜飲が少し下がる。もっともその程度で彼女は魔法を止めたりしない。すでに発動準備は出来たが、威力を限界以上に上げる為、さらに魔力を魔具に注ぎ込む。
もうまもなくこの森はその存在ごと消える。呪いが植え付けられたこの地に生物が生息する事は二度と出来なくなるだろう。
ワイズはあと数秒で魔法を発動するであろうアズサへ口を開く。
「…残念だったな。」
その言葉の意味を理解する前に、アズサの持っていた本が何かに弾かれたように宙を舞った。
「なっ!」
本はアズサから三メートルほど遠くの地面に落ちた。同時に魔具が持ち主の手から離れた事で彼女の使おうとしていた魔法は強制解除された。
自分の魔具を吹き飛ばした魔法の種類、またその魔法が放たれた方向を確認し、アズサは歯ぎしりを鳴らす。
「風魔法…ゴミ虫、まだ生きていたのか!」
アズサの目線の先には攻撃をした人間の姿が映っていた。
ワイズもその姿を目にする。
着ている服は所々汚れており、赤く滲んでいる場所もある。平然としているが、かなりの無茶をしていた事は遠くからでも見てとれた。
「まったく…本当に困った弟子だ。」
ワイズは小さく微笑み、どこか吹っ切れたようにこちらへ歩いてくる弟子へかすかな声で激励の言葉を送る。
「後は…任せたぞ―――」




