第十六話 逃走
走る。
さっきまで音を立てないように慎重に進んでいた道を、地面を蹴る音を響かせながら進み続ける。
魔法も、魔力を使った身体強化も使えない今の俺には出来る事は走るだけだ。
モンスターに見つかるなどと気にする余裕はない。
呼吸が徐々に荒くなり、肺が酸素を求める。
段々と重さが増していく足をとにかく動かす。
ただ走るだけなら何時間でも走る事は可能だ。
だが、全力疾走のトップスピードを維持したまま走り続けるとなると、そう長くは持たない。
もうすぐ五分が経つ。
攻撃が始まる!
そう考えた矢先だった。
ヒュー、と上空から音が聞こえ、俺はつい背後、正確には空を見た。
先ほど戦いを繰り広げたグリードスパイダーと同じ大きさの土塊がこちらへ無数に降り注ごうとしていた。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!」
振り返った事を後悔し、最後の力で頭から滑り込むように前方に飛び込んだ瞬間、強烈な落下音と衝撃が俺の体を大きく吹き飛ばした。
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「気配遮断の魔法を使っているようですが、使っている人間はずいぶんと雑ですわね。」
奴、アズサ・ソメヤは嘲るように笑い、再び本を開いた。
「一瞬だけとは言え、あれほどの殺気を出せば魔法の出来が良くても意味がありません。」
本に魔力が凝縮されていく。
あの本は奴の魔法道具…魔具なのだろう。
人間が自分の力だけで魔法を使うには必ず限界が来る。
魔具はその補助を行ったり、人間の身だけでは発動出来ない魔法を発動する。
持ち運びの出来る魔法陣に近いと思ったほうがいいかもしれない。
俺が離れた場所にいながら奴が何を話しているか分かるのも魔具の力だ。ワイズの屋敷を出る時、昔造った魔具を念のため持ち出していたのだ。
…まさかこんなにすぐに役立つとは思わなかったが…
持ち出した魔具の中には囮に使える誘導型の魔具もある。
危険だが逃げた振りを装いながらもこのまま動かずやり過ごし、奴の後を追う事も考えるべきか。
そんな事を考えていると再び奴の声が聞こえた。
「それに…私に明確な敵意を向けたと言う事実。万死に値しますわ。」
周囲の空気が変わった。
先ほどのグリードスパイダーとの戦いとは全く違う冷たい殺気が俺に向けられた。
グリードスパイダーに放たれた以上の何かが来る!
直感し、俺は今まで隠れていた場所から動き出した。
アズサ・ソメヤまでの距離は十メートル以上離れているが、先ほどと同じ魔法が来た場合、十分に射程距離だ。防御しようにも今持っている魔具に防御系の効力があるものはない。何よりグリードスパイダーが受けた魔法はどんな防御だろうと当たれば危険だと本能が警告している。
少しでも離れるしかない。
…【復讐の誓い】や【報復の覚悟】を当てにする気はない。
魔法が使えなくなった以上、スキルに影響が出ている可能性がある。もし、影響もなく通常通りスキルが発動したとしても、このスキルは俺の切り札だ。少なくとも今は、奴にだけは見せてはいけない。
アズサ・ソメヤは【賢者】の通り名を持つ、魔法分析、構築の天才だ。
一度見た魔法を完全に分析し、すぐさま対策を考えつく。
スキルも例外ではないはずだ。
俺でさえ気づいたこのスキルの弱点に気づかない訳がない。
気配遮断を維持したまま俺は駆けだそうとしたが、
「…面倒ですわね。あの話がなければこの森ごと吹き飛ばすつもりでしたのに。」
急速にアズサ・ソメヤの本に集まっていた魔力が霧散した。
同時に張り詰めていた空気も一気に緩んだ。
「五分間猶予を与えましょう。五分後に私のゴーレムがあなたのいる場所へ色々投げますのでどうぞ無様に逃げ回ってください。」
向けられた殺気がなくなり、つい安堵の息をつくが、ゴーレムが投げようとしたモノを見てしまった。
ゴーレムは自らが立つ地面に手を突き刺し、えぐり取った巨大な土塊を投げようとしていた。
無力となった俺には走る選択しかなかった。




