第一章 マナ
銃弾がこだまして皆が耳を塞ぎ、声をあげる。
叫び声や幼児の泣き声だけがそこに残った。
今では何か分からない程に壊れた、家の影に隠れる。
怯えるだけのこの日々から逃げ出すことは不可能だ。
耳を塞ぎ、零れそうになっていた雫を拭った。
「嫌ぁぁぁあああ!!」
さっき聞こえた叫び声が、まだ頭の中に残っている。
無限リピートのように、頭から離れない。
それがまた、恐怖に追い込む。
「嫌だ……誰か、助けて……。」
独りでに呟いた時、近くでまた銃弾が聞こえた。
また人が減っていく。消えていく。
消えた人間はもう戻って来ない。
「おい。」
背後から聞こえた声に、身震いした。
見つかった。殺される。
怯えた目で、振り向いた。
しかし、背後から聞こえた声は意外なものだった。
「大丈夫か。」
そう言って、手を差し伸べたのだ。
視線を手から顔へと上げる。
その手はまだ小さくて、顔はまだあどけなさの残る少年だった。
差し伸べられた手に、ゆっくりと手を乗せた。
すると少年は、にこりと笑って手を握り締めた。
「もう大丈夫だ。走るぞ。」
「え? あっ……!」
何かを言い終わる前に走り出す。
足がついていかない。
「待って……!」
自分の足元を見て、初めて気がついた。
靴をどこかに置いてきたらしい。
周辺は銃で打ち砕かれたガラスの破片が散らばっている。
素足で歩くには危険過ぎる道だった。
少年は視線に気づいたのか、小さく溜め息をつくと、体を屈めた。
乗れ、と言っているのだ。
「え? でも……。」
少し躊躇すると、少年はまた溜め息をついた。
仕方なさそうに近付いてきて、担ぐように軽く上げた。
その瞬間にふわりと体が浮く。
こんなにも軽やかに持ち上げられるものなのか。不思議に思う程、少年は軽く担いだ。
「や、やめろよ! 降ろせ!」
必死で抗って、降ろしてもらおうと暴れるがビクともしない。
「死にたいのか。死にたいのならここで降ろしてやる。その代わり、今すぐここでお前を銃殺する。」
「え……?」
抗う体が動きを止める。
こんなところで死ぬのは御免だ。
「生きたいんだろ。なら、黙って俺について来い。」
命令口調は少し苛立つけれど、きっと悪気はないのだろう。
少年は安心させるように、頭を軽く撫でてくれた。
優しく触れたその手に、自然と涙が溢れてきた。
それがこの戦の中で初めて感じた暖か味だった。
「なっ……何だよ!」
少年が泣き顔を見て、顔を赤く染めた。
また怒られる!と思って目を瞑る。
しかし、次に放たれた少年の言葉は意外なものだった。
「急に泣くなよ。」
少年は戸惑ったように、目をキョロキョロと動かした。
怒っていた訳ではないらしい。
「あ、ありがとう……。嬉しい。」
「履ける靴がどっかにあるはずだ。今から探してくるから絶対にここから動くなよ。」
「え? でも今は……。」
今は危険だ。
さっきの銃弾が聞こえなかったのだろうか。
今出て行くのは、死に向かっているのと同じだ。
死にに行っていると言っても過言ではない状況だというのに、少年を一人で行かせる訳にはいかない。
「大丈夫。俺はお前よりも強い。
それに今死ぬ訳にはいかないからな。」
少年は真っ直ぐな眼をしていた。
綺麗で、純粋で、悪なんてなくて。
今まで感じた事のない想いを、彼は知っているのだと思った。
人が呆気なく死んでいくこの世界には、優しさなんてないと思っていた。
でもこの少年はそれを教えてくれた。
この少年は、不思議だ。
「うん……。」
それ以外何も言えずに、頷く事しか出来なかった。
ただ祈るのは、少年の無事。
こんな自分の為に命を懸けて靴を探しに行ってくれる。
「男なら簡単に泣いたりするな。もっと強くなれよ。」
そう言い捨てて、少年は去って行った。
一瞬疑問視が浮かんだが、それは捨て去ってただ祈った。
靴なんてどうでもいい。
優しい少年が生きてまた戻ってきてくれるように、祈るだけだ。
それだけが今の自分に出来ること。
何の力にもなれない自分がこの戦の中で生き残るには、これしかない。
誰かの為に戦うのは大切かもしれない。
けれど、無力な人間が戦っても何の戦力にもならない。
ならば、自分の出来る事をするしかない。
今の自分に出来ることを。
少年はちゃんと帰って来た。
片手に靴を持って、もう片手に銃を持って。
行く時と違うのは、靴を持っているだけではなかった。
「……っ!!」
声にならない叫び声をあげた。
少年の体は赤く染まっていた。
それも、鮮明な血の色。
付着してからあまり時間が経っていないように思えた。
「俺の血じゃない。とにかく急いでこれを履け。時間がない。」
ハッキリと自分の血ではないと言った。
だとしたら、この少年は他の人間の血を纏っていると言うのか。
この短時間で、少年は人間を殺した……?
「人を……殺したの……?」
「この世界は甘くない。自分が生き残るためなら手段を選ばない。」
否定しなかった。
この少年は危険な臭いがする。
銃殺する、と言ったのは冗談なんかじゃなかった。
本気で少年はそう言ったんだ。
「とにかく安全な場所へ行くぞ。敵が迫って来ている。」
そう言った瞬間に、人の声が聞こえた。
この国の言葉ではない。
敵だ。敵国がここまで攻めてきている。
渡された靴を履いて、少年の後を追った。
絶対に離れるな、と少年はきつく言って走り出す。
足がこれ以上動かないと思った頃には、敵の姿は見えなくなっていた。
「ここが基地だ。」
少年が指さした先に見えたのは、大きな建物だった。
こんな所にこんな大きな建物があったのか。
今まで知らなかった。こんなに大きいのならみんな知っていそうなのに。
「マナ……っ!」
遠くから聞こえた声に、少年が振り向く。
「良かった……。心配したのよ。」
「そんな簡単に死んだりしないって。」
声の主は、可憐な少女だった。
大きな青い瞳が特徴的な美少女だった。
長く黄金の髪は、瞳と同じような青いリボンで一つに括られている。
「その子は……?」
「あぁ。」
少年は何かを言おうとして、あれ?と首を傾げた。
「そういや名前……。」
その一言でハッとした。
ここまで助けて貰ったのに、名乗りもしていなかったのだ。
「私の名前はティア・ブラウン。あなたは……?」
「俺はマナ・リザルト。こいつはベル。」
「ティーちゃん、宜しくね!」
ティーちゃん??
ベルという美少女はにっこりと笑って、そう呼んだ。
「何言ってるんだ、ベル。それじゃあこいつが女みたいだろ。女みたいな顔付だし弱虫だけどそれはあんまりだろ。」
マナと名乗った少年は、ベルにそう言った。
「マナこそ何言ってるの? この子は女の子よ?」
私は二人の会話に、目をぱちぱちさせながら戸惑った。