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 翌日、僕は村に戻った。

 まだ学校の始まらない時間だったが、僕が学校の校庭に座っていると、見回り警備兵がやってきて、たちまち僕を拘束した。

 知らせを聞いた宿直の教育官がやって来た。 僕は抵抗も逃亡の意思も見せなかったので、彼等は手荒な事はしなかった。

 その代わり、彼等は嫌な薄ら笑いを浮かべて僕を見下ろした。

 僕は殺されるのだろうか。

 僕はもう何も期待しなかった。

   *

 彼等は僕を殺しはしなかった。

 その代わり、僕を青い小さな小瓶の中に閉じ込めてしまったのだ。

 分厚い小瓶の中には全く音が聞こえず、中からは少し歪んだ外の世界が、青く見えるだけだった。

 しかし僕は、自分でも以外な程、その場所を不快とは感じなかった。僕はここにいる限り安全で、無理に誰とも仲良くする必要もなかった。外には一切出れなかったが、結局のところ、僕にそんな必要などなかったのだ。 僕は最初、指令部として徴用されている村長の家の地下室の冷たいテーブルの上に置かれていたが、3日後、許されて瓶に入ったまま家に帰る事になった。

 父と母がそろって僕を迎えに来た。

 彼等は僕の姿を見て驚いたようだったが、何も言わず僕の瓶を、持ってきた籠の中に入れた。家路についた彼等は一言も言葉を発しなかったようだった。

 彼等は、僕にはもう何も聞こえない事を既に知っていた。僕はその事を、どうやって彼等に伝えるべきか考えていたので、少し安心した。

 家に帰ると、僕は僕の部屋の出窓の上に置かれる事になった。

 そして、僕は一日中沈まない太陽に囲まれた開拓地の退屈な風景を眺めながら、一日中夢想を繰り返し、気が向いた時に眠る生活を始めたのだ。

    *

 僕は気が向いた時に、気ままに様々な事を思索した。ある時はプラトンのイデア論について考え、イタリアのエチオピア侵攻からヴェルサイユ体制の崩壊までを検証し、プランクの黒体輻射式を思い出した。

 ジャン・クリストフのストーリーを忠実に辿り、免疫遺伝子の再編成やケインズの有効需要政策について考えた。

 インドにおけるヒンドゥとムスリムの関係検証し、旧約聖書とパウロの回心について思索した。ウィルヘルム・ヴントの心理学やピタゴラスの純正調音階について考えた。

 そこは誰にも邪魔されない自由な空間だった。時々母は悲しそうな顔をして僕と過ごしたが、僕はおそらく彼女が思う程不幸ではなかった。

    *

 小麦などの農作物は、革命軍の指導により合理的耕作が計られているようだった。

 例えば彼等は機械を導入した。それは6本の足を持つ蒸気で動くシステムの機械で、昆虫のような姿をしていた。

 鋼鉄の兜虫は畑の中をくまなく走り回ったが、最初はそれが何をしているのか僕には良く分からなかった。

 僕はある日、兜虫が一人の青年を触角で拘束しながら畑を出てくるのを目撃して、兜虫は労働者の管理をしているのだと知った。何だか馬鹿げた気がしたが、確かに合理的耕作には役立ちそうだった。

 ある日、革命軍は村の中にスピーカーのような物を巡らし始めた。それは畑の中までくまなく置かれ、何かの音楽を流しているようだった。

 2、3日すると村人の様子が変わっていくのが分かった。村人達の目付きは変わって、みんな焦点の合わないような目をして、黙々と仕事を続けた。

 しばらくすると、彼等はとても楽しそうになった。彼等はいつもニコニコして労働をして、終わると小躍りしながら畑を出てきた。 彼等は革命軍の憲兵にすら何ごとか言って笑いかけた。憲兵はまったく反応を見せなかったが、彼等は全くお構いなしに笑っていた。 父もニコニコしながら帰ってきたが、父も母も僕の所には来なくなった。

   *

 ある日、革命軍の兵士達は突然村を去った。 彼等は荷物をまとめ、隊列をなし南の方角へ行軍して行った。

 村人は畑に出ていたが、その様子を見ても何の反応も起こさず、相変わらずうれしそうに仕事をしていた。

 彼等は村人の様子がすっかり変わってしまうのを確認して、出て行ってしまったようだった。

   *

 そして、ある日、村人達も出て行った。

 彼等はある日突然、家からフラフラと出て来て、二列に並び、北の方角を目指して歩き始めた。父も母も一度も僕の方を振り向かず、その列についていった。

 僕はその光景を眺めた。僕の青い歪んだ世界から見える彼等は、背中をゆらゆら揺らしながら、陽炎のように彼方に消えていった。   *

 そして、僕は一人、残された。

 そして今日も、僕の思索は白日夢のように、青い瓶の中を限り無く駆け巡っている。

 僕は僕が生まれてから今日までの、僕の半生を振り返っていたが、やっとここまでを語り終える事ができた。

 僕はこの物語を自分に捧げる。

 他に捧げる者など、もう誰もいないのだ。 創造主という者がまだ近くにいて僕を忘れていないなら、別に彼でも構わない。

 でも彼が僕を祝福してくれるとは思わない。

 暗い窓辺に祝福などないのだ。

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