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土曜日、試験から帰った後、僕は興奮してキッチンで母に何時間も学校での話をした。
ジョンやエレーナがとても親切にしてくれた事や、試験の問題がとても簡単で、僕の出来の良さに、先生が答案を見るなり即座に合格を言い渡した事などを得意になって話すと、母もとてもうれしそうに聞いていた。
そして、時々感極まった様に、『まるで、夢のようよ』と言った。
父は仕事から帰り、母から僕の話を聞いた。 父はうれしそうに僕の頭をなでながら、自分の息子として誇りに思うと僕を誉め称えた。 そして、彼は食事の前の祈りの言葉に、息子の成功に対する、神への感謝を付け加える事を忘れなかった。
僕はとてもいい気分だった。
どうして、もっと早くこうしておかなかったのかと思った。そうすれば僕も彼等ももっと早く救われたはずなのだ。
僕はわくわくするのを押さえながら、日曜日を過ごした。
僕は今回の事で、神と言う者に感謝をしてもいいと思ったが、同時に彼が日曜日を安息の日とした事を憎んだ。
僕は早く月曜がやって来る事を望んでいた。 その時はそれが、僕の人生を変える記念すべき日になる様に思えたのだ。
*
月曜日、机に座って先生を待つ僕は昨日までの僕とは別人のような気分だった。
まだ教科書がない為、ジョンの隣に座った僕に、クラスメイト達は容赦のない視線を浴びせた。
クラスのあちこちで僕の話を、ある者は小声である者はおおっぴらに話していた。
ある少年は僕の前に立ち、
「変な奴」
と短く言って立ち去った。
もう一人は黒板の前から僕の方へ、大きく手を振りながら歩いて来た。彼の手が僕の頬に当たりそうになり、僕は慌ててそれを避けた。
「悪いな」彼は唇の端を歪ませて言った。 「小さ過ぎて見えなかったんだ」
クラスの中にクスクスと言う笑いが起こった。僕はジョンの方を見たがジョンは黙って下を向いていた。
*
一時間目は物理の時間だった。
授業の中頃、ある問題に誰も答えらなかった。それは滑車を使った少し複雑なてこの原理の問題で、僕はすぐに分かったがクラスの空気を計りかね、答えるのをためらった。
「誰も分からないのかね」
先生が言ったが、みんな黙っていた。
僕は少し迷ったが、思いきって手を挙げた。 クラスの視線を感じながら、僕はできるだけ何も考えないで、解答とその理由を説明した。
先生は黙って聞いていたが、僕が答え終わると静かに微笑んだ。
「正解だ。ありがとう。今の話を少し分かりやすく説明しよう…」
僕はクラスを見回した。みんなが少し驚いている様子が分かった。悪い雰囲気ではなかった。僕はなんだか救われた気分で席についた。
*
体操の時間は見学をする事になった。
男の子はクリケット、女の子はラクロスをしていた。楽しそうだが、僕にできるはずがなかった。
エレーナも見学をしていたので、僕は思いきって話かけてみる事にした。
「どこか悪いの?」
彼女は陽射しを避けるように校舎の影に座っていたが、弱い太陽の光でも透けてしまう程、彼女の肌は白かった。
「いつもなの。体操の時間は」
「ああ言う事をすると、きっと楽しいんだろうね」
エレーナはその質問には答えず、透き通る瞳を僕に向けた。
「あなたが解いた、物理の問題。みんな感心していたわ」
「ちょっと複雑になっていただけさ。ゆっくり考えれば、みんな解けたさ」
「でも、答えたのはあなただけだった」
「………」
僕は何て答えていいか分からず、黙り込んでしまった。
「何かお話しましょう、あなたの話が聞きたいわ」
僕は戸惑った。同じ年頃の女の子と話すのは始めてと言ってよかったし、エレーナが僕に一体何を期待しているか分からなかったからだ。
「何を話していいか分からないんだ」
僕はエレーナに僕の戸惑いについて正直に話した。
「何でもいいの。あなたの知っている事や興味のある事や…、何でも」
僕は少し考えた末に、昨日読んだニーチェ哲学について話す事にした。神の観念の無力さを認めるべき事や、人の永劫性、超人たるべき自我について説明し。さらに、超人の概念については、むしろゴータマ・ブッダの方が完成されていると言う自分の見解を付け加えた。
彼女がこんな話に興味を持つのかはなはだ疑問だったが、僕は夢中で話し続けた。
彼女は黙って僕の話を聞いていた。
「面白くなかったかな」
僕は話し終えて、エレーナに聞いた。エレーナは首を振って答えた。
「少し難しかったけど、私、そういう話は好き」
「よかった。僕はてっきり君が退屈なんじゃないかと、気にしていたんだ」
エレーナは微笑みながら、もう一度首を振った。
「そういう事はどこで習ったの?」
「家庭教師に来てもらってたのと。本で読んだんだ。なにしろずっと家にいたからずいぶんたくさんの本を読んだよ」
その時、終業の鐘が鳴り、みんなが道具を片付け始めた。
エレーナも立ち上がった。
「ありがとう。これからも体操の時間、私の話し相手になってくれる?」
「僕の話でよければ」
エレーナは歩き始め、しばらくして振り向いた。
「また、ああ言う話を聞かせてね」
彼女の笑顔を見て、僕もうれしくなった。
*
「うまくやっていけそうかね」
放課後、アンソニー先生に呼び出されて僕は職員室へ行った。
「まだ、よく分かりません」
僕が言うとアンソニー先生はうなずいた。
「君は学校は好きかね」
僕はとっさにエレーナの事を考えた。彼女と毎日会えるのは楽しい事のような気がした。 「楽しそうな、気がします」
それを聞いて、アンソニー先生は微笑んだ。 「そうかね、それなら大丈夫だよ。君には学校に来る権利があるんだ。君が望むならその権利は私が守る。約束しよう。何か問題があったらいつでも私に言いなさい」
アンソニー先生は僕に手を差し出した。
「ようこそ、今日から君は我が校の一員だ」
僕はその手を両手で握った。
*
僕は帰る用意をして教室を出た。グラウンドで数人の生徒がサッカーをしている以外はほとんどの生徒が下校してしまい。校舎の中はがらんとしていた。誰もいない廊下に僕の足音がひたひたと響いた。
僕は校庭を抜けて校門へ向かう。西の丘に達した太陽が校庭を明るく照らし、時計塔が長い影を作っていた。
「おい、ちょっと待てよ」
校門を出た所で数人の少年に囲まれた。
いつか南の貯水池に僕を呼び出した少年達だ。
アルベルトと言う少し太った少年が僕に言った。
「おまえがどういうつもりかは知らんが、おれ達はおまえを仲間としては認めねえ」
「僕はあの時、南の池で棒を取った。棒を取ったら仲間にする約束だったじゃないか」
僕は言い返した、こう言う事態は想定できたし、彼等に負けたらもう二度と学校に来れなくなると思った。
「チビ、よく聞け。おれはおまえに取って来いと言ったんだぜ。それをおまえは不様に池に落っこちて『助けてくれ』だってよ…」
そう言ってアルベルトは声を上げて笑った。
周りの少年達も口々に『野郎、小便ちびってやがった』とか、甲高い声で『ママー、助けて』などと叫び、品のない笑い声を上げた。
「とにかく、おれはてめえのようなネズミ野郎と、机並べてお勉強などまっぴら御免だって事よ。ようく覚えときな」
そう言ってアルベルトは立ち去った。
僕はとても少し悲しい気分で帰途についた。