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 僕を南の貯水池に連れ出した少年はジョンと言う名前だった。ロマノフを葬った翌日、彼は僕の家を訪ねて来た。

 友人が僕を訪ねて来るなどと言う事は、わが家にとって始めての事件だった。

 母はたいそう興奮して、最高級の紅茶を普段は使わないティーカップに注ぎ、焼きたてのアップルパイと共に二階の書斎に運んで来た。

 『ゆっくりしていってね』と言う母の言葉にジョンは曖昧に答えた。

    *

 「君にはとても悪い事をしたと思っているよ」

 僕はなんて言っていいのか分からなかった。 「あの猫は君にとって大切な猫だったんだろう」

 「ああ、ロマノフは…」

 そう言った所で僕は目を閉じた。僕は言葉を失った。僕はこの先ロマノフなしで生きていかなくてはならない。そう考えるととても悲しくて不安な気持ちにならざるを得なかった。「…とても大切な猫だったんだ」

 やっとの事でそう言った。

 「僕はそんなつもりじゃなかったんだ。君をあんな目に合わせるつもりじゃ」

 「仕方がないさ、あれは取り引きだったんだ。危険は僕も分かっていたよ」

 「いいや」ジョンは首を振った。「アルベルトは君をからかっていただけだ」

 「からかう?」

 「そうだ、君は、気を悪くしないで欲しいんだけど、小人だからきっと臆病ものに違いない。だから、からかって遊んでやろうってね」

 「でも、仲間にしてやるって…」

 「君を対等に扱う気なんかまったくないさ。君を笑い物にして遊ぶだけなんだよ」

 僕はその言葉にショックを受けた。僕は甘すぎた。そんなに易々と人を信じるべきではなかったのだ。僕はそんな見返りのない賭けに命をかけ、ロマノフが犠牲になったのかと思うとたまらない気持ちになった。

 「本当に御免よ」

 ジョンは涙を流さんばかりだった。

 「もういいよ。済んだ事だ」

 僕が言うとジョンは『ありがとう』と呟いた。

 ジョンが帰った後、僕は声を出さずに泣いた。

 僕のような特殊な人間が、外部に救いを求めてはならないのだ。神の救いを否定した僕があんな連中に救いを求めるなんて、どうかしていたのだ。ロマノフはそんな馬鹿な僕の為に犠牲になったのだ。

 僕はせめてこれを教訓にしようと思った。

 他人が魂の救いなど簡単に与えてくれるはずはないのだ。

    *

 その日、僕のあまりもの落ち込みをみかねたクリスは、数学の授業を中止して、僕に話をしてくれた。光る星の話だった。開拓地の人工太陽は沈むことがなかったので、僕はそれを見たことがなかった。北の極に行けば一日の半分は闇に包まれるので、空一面に鮮やかな星空が見れるそうだ。

 「光る星だってみんな孤独なんだ」クリスは言った。「見た目には近くに見える星も、ほとんどはお互いが光の速度で何万年もかかるぐらい離れているんだ。生まれたばかりの星も死にかけた星も一生孤独に光り続けるんだよ」

 僕は何も言わなかった。ただ、宇宙の片隅で静かに光を放つ青白い星に思いを馳せた。

 僕も光を放っているのだろうか。

 だとしたらきっと、他の星と違うおかしな色なのだろう。そして、僕は宇宙の片隅で人知れず消えて行くのだ。

    *

 それからの僕の日常は、しばらくの間あまり変化のないものとなった。

 クリスの授業はだんだん高度になり、僕はかなり高度な物理の法則や哲学について学ぶようになった。

 次第に授業は、僕がクリスの持ってくる厚い本を読み、その内容について語り合うと言う形式になっていった。

 「君は驚く程飲み込みが早いよ」

 やがてそれがクリスの口癖になった。

 その頃の僕の楽しみは、膨大な書物を読み、それについてクリスと語り合う事だけだったのだ。

 ジョンが時々僕の様子を伺いに来てくれるようになったが、決してそれがロマノフを失ったさみしさを和らげてくれる事ではなかった。

 あの日まで、僕はずっとこういう日常が続くものだと思っていた。

     *

 僕は地を揺るがすような轟音で目覚めた。窓に這い上がって外を見る。僕は何が起こっているのか、事態が飲み込めなかった。太陽より大きな火球がゆっくりと西の風車の方へ流れている。そして、激しい爆発音と共に西の丘で火柱が上がった。

 やがて、村中が目覚めた。男達が駆り出され、一斉に西の丘に向かう。

 母は不安げな顔で、僕の部屋に入って来ると、父が西の丘に行った事を告げた。

 母の表情に象徴されたとおり、僕達は何か悪い事が起こりつつあるような、不吉な予感を抱えて、父の帰りを待った。

   *

 「なんてこった」

 父は首を振りながら帰って来た。

 「なんてこった」

 父は食卓の椅子に腰掛け、母が差し出す水を一口飲んだ。

 「政府軍の軍艦だったよ。生存者がいてね。診療所に収容したのだが、革命軍がもうすぐそこまで来ているらしい。地球政府は月の前線基地をも失い、敗走中なのだそうだ。この開拓地も革命軍の手に落ちるかもしれん」

 「そうなるとどうなるの?」

 母は不安げに聞いた。

 「分からない」

 ただ父は首を振った。

   *

 翌日、西の丘に政府軍の救急船が負傷者の収容にやって来た。救急隊と共に降り立った軍服姿の男が村長との面会を求めた。

 夕方、救急船が軍艦の生存者を収容して去っていった後、村長が広場に村人を集めた。

 僕も父や母と共に出かける事になった。

 広場には四百人程の村人全員が集まっていて、口々に政府軍の戦況と開拓地の将来について話していた。

 やがて村長が壇上に上がり、広場は静まり返った。

 村長は先日の政府軍の軍艦の不時着についての説明と救助活動への協力の礼を述べ、政府軍の戦況について話した。

 「本日お集まり頂きました。最も重要な要件について話さねばなりません」

 村長は改めてそう言った後、しばらくの沈黙をおいて口を開いた。「この村から十人の徴兵を行うように要請がありました」

 広場の人々がざわめいた。村長はそれを制するように沈痛な表情で続けた。

 「徴兵は志願制で行います。期限は三日後、迎えの艦が来る事になっています」

 村長はそう言い終えると、静かに演壇を降りた。村人はその後ずっと口々に話し続けた。

 翌日クリスが大きな鞄を抱えてやって来た。

 クリスは父と母を前にして、徴兵に応じるつもりである事を告げた。

 開拓局と言う地球政府の機関から派遣されたクリスが、革命軍との戦いに参加するのはある意味では当然だったろうし、開拓地にいながら農地も持たず、仕事のない状態にあるクリスが、村にいずらかったのも事実だったろう。

 父はクリスの手を握り、肩を叩いた。

 クリスは授業が続けられない事について、僕に詫びた。

 「でも、君は学び続けなくてはならない。学ぶことは人間の使命なんだ」クリスは僕に手を差し出した。僕はクリスの細い指を握った。「君はとても優秀な生徒だった。平和になれば、地球の大学に行くといい」

 僕はクリスに礼を言い、彼は鞄を置いて去って言った。

 クリスが去った後、プレゼントだと言うクリスの鞄を開けてみた。

 鞄の中味は学術書や様々な文学全集だった。

 クリスは大学時代、生物学が専門だったので、動物や植物の百科事典や、生物学の専門書も多かった。

 何冊もあったので、僕は夢中でページをめくり続けた。

 彼の本の中には、想像上の生物について書かれた本もあった。世界の文献から集めた幻想生物とその文化的背景について考察を加えた書物だが、その最初のページに僕の関心引き寄せられた。

 一番最初のページは天使と妖精だった。村の人が僕の事を天使の子と呼んでいる子とは知っていたが、僕は天使がどんなものかも知らなかった。

 天使は頭に輪があり背中に羽が生えた裸の少年だった。(雄でも雌でもないと解説にあったが)妖精はそれを小さくした感じの少女だった。

 僕は本当はこういう姿に生まれるべきだったのかもしれないと思った。

   *

 村人がみつめる中、十人の若者を乗せて政府軍の小形輸送機が飛び立って行った。クリスを見送ったのは、僕達の家族だけだった。 村長は口を強く結んだ表情を、全く変える事なく、消えていく輸送機をじっとみつめていた。村長の二十四になる息子もその輸送機に乗っていたのだ。

 アルベルト(僕を南の貯水池に呼び出した少年)はあたりをはばかる事なく、大きな泣き声を上げていた。アルベルトの兄も徴兵に応じたのだと、後になってジョンから聞いた。 クリスは小さな鞄を一つ持っていた。グリーンのジャケットのポケットには読みかけのペーパーバックが突っ込んであり、その姿は戦争に行くと言うよりは、旅行に行くと行ったような印象だった。

 彼は僕に笑顔で手を振って。タラップを登って行った。

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