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 路地は複雑に入り組み、まるで迷路のようになっていた。住居の多くには明りが灯っていたが、外出する人はないらしく、通りに人影は全くない。冷たい風が埃を巻き上げるようにして狭い路地を駆け抜けていく。僕は上着の襟をつかんで前へ進んだ。

 僕は住居地区の真ん中らしい場所の、円形広場に辿り着いた。石畳の広場の中心には青く光る丸い輪が埋め込まれてあり、その輪の中に白い石柱が立っている。

 僕は石柱のそばに寄ってそれを見上げた。 黄金色に照らし出されたその石柱には、東洋のものらしい複雑な文字が刻まれている。 その折れ曲がった先端は空の一点を指していた。

 『地球』

 僕は石柱に刻まれた文字の中で、唯一この文字だけを判別する事ができた。あるいは石柱の指し示す方角に地球があるのかもしれなかったが、極地の空には黒く厚い雲が風に乗って渦巻いていて、その向こうにあるであろう星空を見る事はできなかった。

 「何をしてる」

 突然、背後からの声がした。

 僕は驚いて振り返る。そこにいたのは、革命軍の制服を着た少年兵だった。少年は長い銃身の銃を構え、神経質な視線を僕に向けている。

 「僕は…」

 「夜間の外出は禁止されている。不審者は連行するよう命じられている。こっちに来い」

 僕は二、三歩彼の方へ歩くふりをして、彼の足もとを駆け抜けた。彼は一瞬驚いて銃を地面に落としたが、慌てて拾い上げ僕に向けてそれを乱射してきた。

 僕は路地に逃げ込み、迷路の中を走り抜けた。やがて、耳をつんざくようなサイレンが響き渡り、街中の窓に明りが灯った。

 僕は物影に潜み、行き交う人々から身を隠した。建物の間の狭い隙間に入ると、そこには金属の細いパイプ張り巡らされていて、両側の建物の壁に刺さりながら、上に向けて伸びていた。僕はそのパイプを掴み、左右に移動しながら、屋根を目指して登っていった。 屋根には赤いタイルが張られていたが、それ程強く固定されてはいなかった。僕はそのわずかな隙間をこじあけて、屋根裏に潜り込む事に成功した。

 屋根裏は下の部屋から暖かい空気が登ってくるため、凍える事なく過ごせそうだ。僕は屋根の隙間から外の世界の喧騒を眺めた。

 外の路地では憲兵や住民が、路地の隙間や物影をくまなく覗きながら、僕を捕らえようと捜し回っていた。

 僕はしばらく見ていたが、やがてウトウトと眠りだしてしまった。

   *

 翌日、僕はけたたましいサイレンで叩き起こされた。屋根の隙間から覗くと、町中の投光機に火がはいり、辺りが太陽が登ったように明るくなっているのが分かった。

 すぐに人々が扉から飛び出してきて、路地に整列をした。そして、憲兵を先頭にして広場に向けて行進を始める。

 やがて広場に集まった人々に、浴びせるようにおかしな音楽が流された。

 広場のあちこちにあるスピーカーは、それぞれが全然違う音楽を流し、それぞれの曲には男や女の声で囁くような言葉が混じっている。

 『労働は楽しい』『革命万歳』『皇帝陛下は偉大だ』…

 時々、洩れ聞こえる言葉もあったが、ほとんどは様々な音や言葉がでたらめに混じりあっている為に、よく聞き取る事ができなかった。

 その音楽を聞いてしばらくすると、人々は口々に何かを叫びながら、笑い声を上げ始めた。ある者は手をつなぎ踊りだし、ある者は飛び跳ねながら何かを叫んだ。

 憲兵は全く無表情で彼等を取り囲み、銃を抱えて出口を塞いでいた。

   *

 男も女も子供も、建築現場では驚くほど組織的に動いた。男達がロープで鉄骨を持ち上げ、女達がそれを正しい位置に保ち、子供がよじ登って建物に固定した。ある者は建材を運び、ブロックを積み、壁を塗った。ある者は石を取り除き、地面をならし、穴を堀って基礎を作っている。

 彼等はほとんど休みを取らないが、疲れた様子も無く働き続けた。憲兵は銃を構えて、遠巻きに人々を監視していたが、みんなが強制されて働いているようには見えなかった。

    *

 労働終了の時間になると、再びサイレンが鳴り、投光機の光が消された。しばらくすると、人々がざわざわと家路につき始める。

 僕はその中の一団に村の人達の姿を見付けた。そこには村長もアルベルトもエレーナもいた。僕は屋根に這い出して、彼等の後を追った。

 僕は、列の中程に両親の姿を確認した。

 彼等はみんな穏やかな笑みを浮かべて歩いている。やがてある地区で解散すると、みんな周囲の家に入っていった。

   *

 僕は人がいなくなるのを確認して、建物の隙間を注意深く降りていった。そして、父と母が入っていった建物に近寄る。

 僕は窓枠に登り、中の様子をのぞく。

 暖炉には赤々と火がたかれ、僕の母がその前に座っていた。父は皮の上着を着て、壁に掛けられた棒を掴んでいる。僕は窓を叩いた。 母が僕に気付いて窓を引き上げた。

 「おまえは…」

 「母さん」

 母は僕の手を取って部屋の中に招き入れてくれた。

 「おまえ、こんな所まで何をしに来たんだい」

 「僕はみんなを助けに来たんだ。この都は近い将来、南の太陽で焼かれるんだ」

 それを聞いた母は困った顔をした。

 「何故こんな所に来た。この役立たずめ」 父が僕に向かって怒鳴った。「あの瓶の中でおとなしくしていれば良かったんだ」

 母も父にうなずいた。

 「そうよ。父さんの言うとうりよ。あなたはここへ来るべきではないわ」

 彼等は革命軍のせいでどうかしてしまっていた。僕はなんとか彼等に納得させなくてはいけないと思った。

 「僕は瓶の中で知ってしまったんだよ。政府軍が南の太陽を使って反撃に出るんだ。もうあまり時間はない。早く逃げないとみんな死んでしまうだよ」

 父は厳しい目で僕を睨みつけた。

 「分かってるのか、今、おまえは革命思想を侮辱したのだぞ。皇帝陛下の都が政府軍の攻撃に屈すると思うのか」

 「おまえは本当に何も分かっていないのだね」

 母は悲しそうな目をして僕を見た。

 「違うんだ。僕は本当に…」

 「おまえは今、捜索命令が出ているお尋ね者だ。私はおまえを軍に引き渡さなくてはならない」

 父は棒を振り上げて僕に近づいた。

 「おとなしく父さんの言う事を聞くんだよ」 母は心配そうに様子を見ている。

 「父さんも母さんも騙されているんだよ。みんな村にいる時は、もっと幸せだったじゃないか、あんな厳しい労働なんてする必要はなかったよ。目を覚ましてよ…」

 父は僕に向けて思い切り棒を振り下ろした。棒は僕を掠めて床に当たり、真っ二つに折れた。

 「クズめ。どれだけ俺達を失望させる気だ。おまえは悪魔の子だ。おまえは俺達に取り付いた悪魔なんだ」

 父の瞳は押さえられない程の怒りに燃えていた。母は顔を押さえて泣いている。

   *

 「見つけたわ」

 父が僕に手を伸ばした時、窓の外で声がした。エレーナだった。エレーナが窓から僕達の様子をのぞき大きな声を上げていた。

 「エレーナ!」

 僕は彼女に叫んだが、彼女は無視するように大声で人を呼んだ。やがてドアは蹴破られ、人々がなだれ込んで来る。

 「反革命分子め」

 一人の兵士が人々をかき分けて入ってきて、銃を乱射した。

 父と母はそれぞれ、手でそれを遮るような仕草をしたが、弾丸は容赦なく手の平を突き破り顔や体にめり込んだ。彼等は飛び跳ねるように回ってやがて床に倒れた。

 「何て事を…」

 僕は顔を上げて兵士を見た。「き、君は…」

 そこにはジョンが立っていた。ジョンの持つ銃の先からは白い煙が出ている。

 「皇帝陛下は反革命的なおまえを寛大な処置によって村に残した。なのにこんな所までのこのこ来やがって」

 「僕は君達を助けるために来たんだ」

 「助けるだ」ジョンは鼻で笑った。「調子に乗るんじゃねえぞ、…ネズミ野郎」

 それを聞いて、回りで見ていた人々、エレーナまでも、が笑った。

 「………」

 「命令ではおまえを逮捕しろと言われている。しかし、逃亡するなら射殺をしてもよいとの許可が出ているんだ」

 ジョンは銃口を僕に向けた。

 僕は血を流して床に倒れた父と母を見る。

 両親は僕が生まれてから、ずっと僕を重荷にして生きて来なくてはならなかった。

 僕は彼等を助けるために来たつもりなのに、こんな災いに巻き込んでしまった。僕は彼等にとって、本当に悪魔の子なのかもしれないと思った。

 村人達は両親の死体を見ても、平然と笑っている。僕が彼等を説得する事など、とても不可能な事に思えた。

 もっとも、父と母をこんな目に合わせて笑っているような人々を、何故救わなくてはならないのかも僕には分からなくなった。

 僕は後退りして暖炉に近づいた。

 「動くな。じっとしてろ」

 ジョンが僕に照準を合わせながら言う。

 ジョンが引き金に手を掛けた瞬間、僕は暖炉の蒔きをジョンに投げ付けた。そして、ジョンがひるんだすきを見て、僕は窓から飛び出した。

 「待て。畜生め」

 ジョンは慌てて飛び出して僕に向けて射撃を始めた。その背後から騒ぎを聞き付けた援軍が僕を追ってくる。僕は狭い路地を走り抜けて大通りに出た。大通りは皇帝の宮殿から正門まで一直線に伸びていた。僕は大きな門の方向に真っ直ぐ走る。背後からは銃の発射音と、多くの軍靴が走り寄る音が聞こえた。 弾丸が僕の足もとで弾ける。僕は全力で走った。

 その時、脇の道から一台の救急車が飛び出してきて、僕と彼等の間に割って入った。

 「乗るんだ」

 扉が開いた。その運転席にはクリスがいた。 「さあ、早く乗るんだ」

 クリスは手を伸ばし、僕の腕を掴んで助手席に引き上げ、扉を閉めた。その瞬間窓に被弾してガラスの破片が飛び散る。

 「クリス。こんな事をしたら君も…」

 「さあ、出発するぞ」

 クリスは車を門に向けて発進した。クリスは運転しながら、僕に一枚のカードを差し出した。「車を門の前に止めるから、君はこれを装置に差し込むんだ。僕は医師として門のを自由に出入りする事が認められているんだ」 話している間にも弾丸が次々と車体に命中するのが分かった。

 「クリス。君だけでもまともでいてくれてよかったよ。ここから逃げたら政府軍に救出を求める方法を考えよう」

 「さあ、降りるんだ」

 クリスは門の前で車を横向きに止めて、僕を車から降ろした。そして、クリスは車の窓を開けて追っ手に向けて銃を撃ち始めた

 僕は車から降りて、門の横にある機械を調べた。僕は光る表示版の上にクリスのカードを差し込む場所があるのをみつけ、そこによじ登った。

 カードを差し込むと門は低い軋みを上げてゆっくりと開き始めた。

 「クリス。開いたよ。行くんだ」

 僕が車に乗ろうとするのをクリスは遮った。

 「こんな物で逃げれば連中はすぐに追って来る。君一人で行くんだ」

 「クリスを置いては行けないよ」

 クリスは銃を下ろして僕を見た。

 「僕はこんな体だ。君について逃げる事などできないんだよ」

 クリスは僕に向けて静かに手を差し出した。「本当の僕は、彼等に捕らえられた時に死んでしまったんだ。分かってくれ」

 僕は前にクリスを見送った時のように彼の指を握った。彼の指は前よりも幾分ごつごつして力強いものになったようだった。

 「残念だよ。クリス」

 「僕もとても残念だ。君はとてもいい友人だった。君とはもっと色々な事を語り合いたかったよ」

 僕は車を降りて門へ向かった。僕が門を出た所で振り返ると、クリスの乗った車が激しく火を吹いて炎上しているのが見えた。

 そして門はゆっくりと閉じて行った。

    *

 僕はしばらく歩いた所で再び都を振り返った。門は閉じたままで追っ手がやってくる姿は見えなかった。

 暗黒の世界。氷上に浮かぶようにそびえる北の宮は、最初に見た時のように神々しく静かに輝いていた。

 黄金色に輝く宮殿のドームや天に伸びる高い塔の姿がにじんで見える。

 僕は泣いていた。声を出さずに僕は泣いていた。

 北の宮を取り囲む山脈の上に、微かな太陽の光が差していた。雲の切れ間からは輝く星が見え、青く輝く母星である地球の姿も見えた。僕は光の世界と暗黒を分ける岩山を目指して、来た道を引き返した。

 僕の涙は次から次へと溢れ、小さな頬を伝って流れ落ちた。

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