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僕は畑を抜けて、山を下った。
山の北側では、周囲は薄暗く、身を切るような冷たい風が、いつも激しい音を上げて吹き荒んでいる。北の土地では太陽が閉ざされ、山の稜線から褪せたような赤い光が、わずかにこぼれるだけなのだ。
植物のほとんど生えない凍てついた大地に、大きな岩がいくつも転がっている。僕は荒れた平原を、北の都目指して一心に進んでいく。 薄暗い風景の先に白く輝く場所がある。
光は上空に厚く垂れこめた黒い雲にも映り、周囲とは別世界のように荒野に浮かんでいる。 あれが、北の都なのだ。
村人たちがいる。皇帝の北の宮なのだ。
僕は懸命に歩を進めた。
*
前方の岩に鎧兜を着けた男が座っていた。男は座った姿勢のまま全く動こうとはしなかった。うつむいている為顔は見えないが、重そうな銀の盾は地面に置かれ、剣を握る右手には全く力が感じられない。
僕は死んでいるのかもしれないと思い。そのまま通り過ぎようとした。
「待たれよ」
錆び付いた鎧兜の軋む音と共に男は立ち上がり、思い金属音を鳴らして剣を振り上げた。
僕は鎧の下の顔を見た。それは一片の肉も残っていない完全な骸骨だった。
骸骨は目玉のない目を僕に向け、顎の関節を震わせて話をした。
「私は不死なる者。安静なる死を求めてこの地へやって来た」
「僕は南の村から来たんだ」
「都へ行かれるのか?」
僕がうなずくと骸骨は剣を真っ直ぐ振り下ろした。「この剣は勇者なる者が持つ時、彼を救い。愚者なる者がこれを持つ時、彼を滅ぼす戦士の剣だ。おまえに授けよう」
そして、骸骨はその輝く剣を僕に差し出した。その剣は僕の小さな手にずっしりと乗りかかった。
「この剣は…」
「やがて、忌まわしき獣が現れ、都へ近ずきし者を阻むであろう。おまえが剣にふさわしき勇者なら、その剣が都への道を開く。さもなくば、おまえは悪魔の手下によって切り裂かれるであろう」
僕は握った剣を持ち上げ、黒い空に向かって突き立てた。剣は鏡のように白銀の光を放ち、風を切り裂きするどい音を立てた。
「やがて、この地には完全なる死がもたらされる。望む者はそれを得て、もし彼等が嫌うならそれを避ければよい。それが神の祝福とて、悪魔の業とてな」
骸骨は岩に腰掛け、最初に姿勢に戻った。「さあ、行くのだ」
僕は更に北の都を目指して歩きだした。
*
獣の遠吠えが僕の耳に聞こえる。僕の目には見えないが、獣は注意深く忍びながら僕が歩くのに合わして移動をしているようだった。 僕は力を込めて剣を握った。
獣は僕を威すように、嘲笑うように、喉を鳴らして僕の周りをうろつきまわる。
北の都は凍り付いた湖のほとりにあった。 白い四角い建造物群、中央に建てられた巨大きなドームを持つ皇帝の宮殿、そして、黒い雲に覆われた空に向かって、気高くそびえる塔。
もう、岩山の方角は真っ暗になり、空には全く光はなかったが、北の都の放つ青白い光が湖の凍った湖面をはっきりと浮かび上がらせていた。
僕は湖の氷盤を目指して歩いた。
*
「待て」
獣が岩影から飛び出し、僕の進路に立ちはだかった。
二つの頭を持ち、蛇の尾くねらせる邪悪な犬。地獄の番犬ケルベロス。突き出た巨大な牙と鋭い爪で僕を切り裂こうと、涎を垂らして僕を見ている。
「おまえはこれより先に行けない。そして、もう後にも戻はれない。おまえの下らない冒険もすべてここで終わりだ」
「都の奴等は太陽に焼かれ、おまえは俺に内臓を食いちぎられる」
僕は銀色の剣を空に向けて突き出した。
剣は鈍く光を反射して、青白く光っている。 ケルベロスの二つの首が低い唸り声を上げた。
「人生は目覚める事のない悪夢だ。奴等は労働を続け、太陽に焼かれて死ぬ。そして、痛みを抱えたまま、永遠に地獄の業火の中を彷徨う」
「おまえはここで尽き果て、天使にも英雄にもなれない。おまえの体は骨まで食われ、悪魔の手下として再生する。俺達のように」 ケルベロスは低い姿勢を取って、ゆっくりと僕の方に近づいて来る。
「幻覚から覚めれば、それはまた幻覚だ。神に救いを求めれば悪魔に惑わされる。地獄の上にあるのは地獄だ」
「俺は完全なる世界を統括する獣。永遠なる地獄を統括する番犬。地獄の番犬ケルベロス」
ケルベロスは叫び声を上げて僕に飛び掛かる。僕は剣を振り下ろす。青い血が氷の湖に飛び散る。勇者の剣はケルベロスの二つの首の間に食い込み、魔獣の体を縦に切り裂いている。ケルベロスの二つの首は恐ろしい雄叫びを上げる。
湖面を吹き渡る激しい風を突き破り、闇の世界に響き渡る悲鳴を残して、ケルベロスの体はゆっくりと崩れていった。
僕は剣をケルベロスの体から抜き、血を噴き出す心臓めがけて、とどめの鉄槌を振り下ろした。
僕は血の付いた剣を氷の湖面に突き立てる。恐怖から解放された僕は、力なくその場に座り込んだ。
*
僕の左足に激痛が走る。僕は左足を抱えて氷上を転がり回る。ケルベロスの蛇の尾がまだ生きていて、僕の足首を噛んだのだ。
蛇は笑う。「幻覚から覚めれば、それはまた幻覚…」
痛みの中で意識を失っていく僕の隣で、蛇は笑いながら死んでいった。
*
やがて、意識を取り戻した僕は、立ち上がり氷盤を歩き始めた。
足下はふらふらして、頭が痛んだ。
北の宮が眼前に見える。
目的地はすぐそこだった。