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僕は広大な小麦畑を一路北に向かった。北の方向にはどこまでも平野が広がり、限り無い大地の果てには、青い空と交わる長い地平線が見えた。
麦は大部分枯れていて、倒れた麦の間からは僅かな緑の下草が顔を出していた。おそらく、もうしばらくするとこの下草が麦畑を覆いつくし、来年の小麦の栽培ができなくなるだろう。北の皇帝は一体何を食糧にする気なのだろうか。
折り重なった麦をかきわけ歩き続けるのは、小さな僕にとってはかなり骨だった。
幾分、最盛期よりは光を減力したかに見える人工太陽も、それでも、空を転がりながら僕をじりじりと照り付け、僕の気力を奪っていくかのようだ。
僕は小麦畑の真ん中で苦闘しながら、引き返そうかと何度も思ったが、決心が付かず歩き続けた。歩けば歩く程、家からは遠く離れ引き返す考えは実行に移しづらくなっていく。
僕はとにかく北を目指して進んで行った。 *
太陽が三周りする頃、僕の視界の先に緑の山が見えてきた。恐らく貯水池のある森なのだろう。
僕は休憩をはさみながらではあるが、随分歩き続けたのでかなり疲労していた。しかし、視界の先に広がる森までいけば、涼しく休めるのではないかと思い。気力を絞って歩いた。
森に近付くにつれ、心なしか森から涼しげな風が吹いて来るように思える。黄色い麦畑ばかり見てきた僕の目に、森の潤いをたたえた深い緑の色は、やすらぎを与えてくれるように見えた。
森からは小川が流れ出ているらしく、その小さなせせらぎが踊るように弾ける音が、僕の耳に届いた。僕は一生懸命その方向へ歩いていく。
僕は小川のふちに辿り着き、その透き通る清水を手ですくった。水はひんやりとした感触を残し、僕の手のひらからこぼれていく。僕はその水を顔に押し付けた。冷水の感触は僕の太陽に照らされ続けた頬にとても心地よかった。
僕は小川にそって続く登り道を歩いた。森はとても深く、静かで、特別な空気に包まれているようだった。やがて、登り道は直線になり、登りきったその先にとても大きな木が立っているのが見えた。
太い幹のその木は、道の真ん中に立ち、あたかも森の門のようにそびえている。いくつもの枝を方々に広げ、豊かに葉を茂らしたその木は、堂々とした威厳をもって僕を見下ろしている。
僕はその木を目指して山道を進んだ。
坂道を登りきった僕は、その木をよく眺めてみた。近くで見る木は周囲を圧するように、大きく太い枝を伸ばし、年月をへた巨大な幹は力強く大地に根を張っていた。
僕は今までこんな大きな木を、見たことがなかった。
僕が木を通り過ぎて先に進もうとした時、突然木が話し始めた。
「おいおい、森に入るのに長老にあいさつがないなんて、あんまりじゃないか」
僕は驚いて木を見た。木の幹の中ほどには、柔和な老人の様な顔が浮き出て、僕を見下ろしていた。
「ごめんなさい。僕はまだこういう経験が浅くて、よく分からないんだ」
僕が慌てて言うと、木は大きな声で笑った。
「そんな事はまあいいさ。それより私は君の事を待っていたのじゃよ」
「僕の事を知っているの」
「ああ」木はそう言って深く息をついた。「知ってるとも、この年になると大抵の事は分かるもんじゃ」
「大抵の事?」
「そうじゃ。過去の事、今の事、そして未来の事も、もちろん君の事もよく知っておる」
木は僕を覗き込んだ。
「村人の未来の事も知ってるの?」
「彼等の未来についてかね?」
僕はうなずいた。
木は少し難しい顔をして考え込んだ。
「なぜそんな事を聞く。未来は既に決定しておる。君もそれは知っておるはずじゃ」
「………」
「私はそれを知っているだけじゃ。どうする事もできん」
僕は彼の答えに少し落胆した。あの未来を見たのは僕と彼女だけでなく、ある程度知られている事実なのだ。それは僕の挑戦の無意味さを示しているように感じた。
木は僕の落胆を見て取ったのか、ゆっくりと話はじめた。
「私はこの星に最初に植林された木じゃった。私はこの惑星が地球化された最初の木として植えられた。その頃はここもひどい所で、何度ももう駄目かと思った物じゃ。
分からんね、人間はあれだけ苦労して造った土地を、一時の争いの為に破壊しようとしている。この年ではもう空気の変化には耐えれそうもない。これだけ住めばここも都じゃ。仲間達もここを気にいっておる。できればここを彼等の為に残してやりたいものじゃ」
木はそう言って遠くを眺めた。
「もう行くがいい。しかし、その前にこの先の貯水池で少し休んでいくといい。先は長い、休息も必要じゃよ」
僕は長老に礼を言って歩き始めた。
「若いの。未来は常に不安定なものじゃ。私も思い違いをする事だってあるかもしれん。自分の道をを信じるんじゃ」
長老は最後にそう言った。
*
僕は森の中の貯水池についた。深い森に抱かれた青い湖は神秘的な程静まり返っている。
僕は岸辺の柔らかな草の上に腰かけた。
時折、心地好い風が水面を渡り、小さく波を作る。僕は森の木々の間からこぼれる人工太陽の光を眩しく感じながら、いつしかまどろみへ落ちていった。
*
「いつまで寝てるのよ」
僕は声を聞いた気がして、ねぼけた瞳を開いた。僕はぼんやりとあたりを見る。
その時、突然突風が吹き荒れ、湖の水面が波だった。湖の中央に龍巻が起こり、激しい音を立てて水を吸い上げていく。周囲の木々も強風に揺さぶられ、激しく揺すぶられた。 「ワッ…」
龍巻は僕の方に近づいて来る。あまりもの突然の事に、僕はなすすべもなくただ頭を抱えてしゃがみこんだ。
僕はしばらくして風が止んでいるのに気付いた。僕はあたりを見回す。ついさっきの龍巻は姿も形もなく。森は何もなかったかのように静まり返っていた。
「フフフ…」
僕は笑い声に気付いて湖の方を見た。
湖の上では、二枚の鳥の翼を持った妖精が、僕の姿を見ておかしそうに身をよじっている。 「ひどいな。君のせいなのか」
僕が言うと、彼女は笑いをこらえるようにして言った。
「ごめんなさい。あんまり気持ち良さそう眠っているから、つい悪戯してみたくなったのよ」
「どういう事なんだよ。まったく」
僕は怒って立ち上がった。北に向かう山道を進もうとする僕を、彼女は慌てて止めた。
「ごめんなさい。ちょっと待ってよ。長老から北に行く旅人がいるから、平原まで案内するように言われて来たのよ」
「長老から?」
彼女は僕の頭上を飛び越え、僕の前に立つ木の枝に座り、僕を見下ろした。
「私の名前はシルフ。風の妖精よ」
彼女は無邪気な笑顔でそう言うと、飛び立って道を進み始めた。
「早く来なさいよ」
彼女は振り返って言った。僕は彼女の後を追って歩き出した。
*
「風の妖精って、この星の風を全部操ってるの?」
彼女は僕の進む先に飛んでいっては、枝の上に座って後から来る僕を待った。彼女の駆け抜けた後にはさわやかな風が吹き抜け、木々は気持ちよさそうに揺れている。
「まさか。妖精はそれぞれ持ち場が決まってるの。私は森の風だけしか吹かしてはいけないの。だから平原に行くのは久し振りよ」 彼女は後から歩いて来る僕をじれたように待っている。「余計な事をしゃべらないで、早く歩きなさいよ。そんな事じゃいつまでたっても北の極には着かないわよ」
「君が早すぎるんだよ」
僕は不平を言ったが、もう彼女は上の空で、どこからか取り出した鏡を見ながら、長い髪にとかし始めていた。
「わたしはあなたを彼の所に連れていかないといけないんだから」
彼女はなんだか夢見がちな表情で言う。
「彼って?」
「彼は平原の支配者。行けば分かるわ」
彼女はしばらくぼんやりとしていたが、突然我に返ったようになり、再び僕を急き立てた。
「さあ、早く歩きなさい。また龍巻起こすわよ」
僕はまいった事になったと思いながら、早足で山道を進んだ。