Ⅰ 暗い窓辺
Ⅰ 暗い窓辺
1
僕は小人だ。
僕は母にとって最初の子供だった。
産婆の手によって抱え上げられた身長が一フィートもない僕の姿を見て、そまつな農家の一室は、水を打ったように静まり返ったと言う。
僕の姿を見た母は強いショックに陥り、父は口にすべき言葉を全て失い、僕は全く泣かなかった。
村で唯一の産婆である村長の母だけが、なるべく平静を装うように努めながら、僕の体を暖かい産湯に浸した。
僕の体は小さかったが、明らかに未熟児のそれではなかった。まるで、完成された子供が縮小された状態で生まれて来たようだった。
東洋の聖人のように杖をついて出てきたとか、彼がしたようにすぐに立ち上がり、聖なる言葉を口にするような大仰な事はしなかったが、僕の姿は立ち会った人々をしばし絶句させるのに十分だった。
初めて吸う空気、初めて見る光。
まるで母の体内にいるような心地のいい産湯に浸り、僕はゆっくりと微笑んだが、その微笑みに応じる事のできる人などいるはずもなかった。
そして僕は、生まれて三日目にして、村はずれの教会で異端審問に掛けられるはめになった。
悪魔の子かどうか調べるため、十字架を顔の前にかざされたり、奇妙な呪文と共に蝋燭の火であぶられたり、はたまた、聖水なる水を頭に掛けられたりしたが、聖衣のポケットの中にウイスキーの小瓶を忍ばせた飲んだくれの無能牧師に、そんな事が分かる訳がなかった。
珍しい儀式を見るために、暇をもてあました多くの村人がやってきたが、集まった人々に分かったのは、僕が泣くと言う事実だけだった。
牧師は慣れない儀式に疲れてしまい、馬鹿馬鹿しくなった見物人も、日を追うごと
に減っていった。
やがて牧師は、父の差し出したワインと僅かな賄賂で手を打つ事にし、僕の誕生は不問に付される事となった。
両親も、最初のうちは異様なその姿に強いショックを受けていたのだが、しかし、次第に僕に暖かく接するようになっていった。
僕は彼等の最初の子供で、何も知らない無垢な幼児だった。
ちょっと人と姿が違うだけで他には何一つ違う所はないではないか、と言う結論に自分達の気持ちを持って行くように努力したし、村の人達も僕を『天使の子』と呼び、少なからず偽善的な感情を持ちながらも、僕を暖かく、新たな村民として受け入れようと努めた。
しかし、当時、最も僕の心を開いてくれた村民は、僕の家で飼われていた老猫のロマノフだった。
なかなか家族になつかず、自分の産んだ子供の世話をせず死なせてしまった事もあるこの気位の高いアラビア猫は、晴れた午後には僕の服をくわえて、村で一番高い木の上に連れていってくれたりした。
ゴチック教会の塔を見下ろす木の上からは、開拓地のつつましやかな東欧風の村落と、それを取り囲んだ地平線まで続く小麦畑が、さわやかな風に揺れるのが一望できた。
僕はそよかぜに包まれて無邪気に笑い、ロマノフはそんな僕のそばにちょこんと座り、遠くの方を眺めていた。
そうやって夏が過ぎ、秋が過ぎたが僕の体は一向に成長の兆しを見せなかった。
両親は僕を、悪魔払いをすると言う祈祷師や、細胞を活性化する薬を与えるという医者に見せたりしたが、どれも彼等の一抹の期待を裏切っただけに終わった。
開拓地の人工太陽は季節を造る為、年に三ヶ月の出力低下をする。そうしないといい麦が作れないのだ。
そうして、寒い冬がやって来る。
暖炉の炎は優しい光で冷えた空気をかき回し、人々の凍り付いた冬の心をなごませる。 出力低下のせいで遥か地球が微かに見えるようになるこの季節は、自然と人々を悲しい気分にするのだ。
「この子はね」
食器のあと片付けをしながら、母は幾分誇らしげに言った。「とても頭が良くて、心が優しいのよ。ロマノフがこんな風に子供になつくのを見た事があって?」
父は、暖炉の側にロッキング・チェアを置いて新聞を読んでいた。
暖炉の前で、僕はロマノフの軟らかい毛にもたれて、すやすやと眠っている。
それはとても幸せそうな、家族の一シーンにも見えた。
「昔読んだロシアの作家が言ったよ。才能には何かの代償を払わなくてはいけないってね」
そう言って彼は僕に目をやり、僕の寝顔を覗き見る。
ロマノフは大きくあくびをした。
窓からは微かな太陽の光が差し込み、その薄いベールのような光の粒子の隙間から、遥か彼方の地球が見えた。彼は故郷のドネツクに思いを馳せ、今日までの長い道程を思った。 彼は暖炉の炎の下の僕に優しく微笑んで、新聞に目を移した。
「きっと、これでいいのさ」
*
僕が三才になる頃から、ロマノフは次第に僕を子供達の中に連れ出すようになった。彼女は、僕を人間の社会に適応させなくてはならないと考えたようだが、それはとても難しい試みだった。
僕は子供達に相手にされないか、または空瓶に押し込まれて坂の上から転がされるなどの酷いいたずらをされるだけで、ロマノフの試みは結果として僕をより閉鎖的にした。
僕はそんな時、いつも自分の家に逃げ帰り、書斎の窓辺から一面の麦畑を眺める事にしていた。ロマノフはそんな僕をいつも悲しそうな目で見ていた。
窓から見える麦畑を、僕は海と呼んでいた。
父から聞いた、空とつながるまで広がり、始終波打っていると言う青い海の姿は、村はずれにある南の貯水池よりはむしろ地平線まで広がる青々とした麦の大地に近い様に思えたのだ。
開拓地で生まれた子供は、共通して海を上手く想像する事ができなかった。そして二つの太陽に囲まれて育った開拓二世の子供達は、その後、一生海を見ずに死んで行く事になるのだ。
開拓団がこの土地に来た後、地球では世界的な革命が起った。旧政府間の協力により進められていたこのプロジェクトは、孤立を余儀なくされ、その後地球との関係は序々に険悪になって行くのだが、その頃の僕はそんな事を知る由もなかった。
僕は窓辺に座り、心地良い風に吹かれながら日だまりの中で眠りに落ちていった。
*
僕が六才になる頃、ある一人の青年が僕の部屋にやってきた。僕はいつもの様に窓から麦畑を眺めていた。
「何を見てるんだい?」
背の高い、丸い眼鏡を掛けたその青年は、細い体を折るようにしてかがみ、僕に話しかけた。
「海」
僕が答えると、青年は大きな声で笑った。
「これは海じゃないよ。海はもっと大きくて深くまで塩水が詰まっているんだ」
「塩水?」
「ああ」
「誰が塩を入れたの」
「最初から塩水だったんだよ。それに海の中には色々な生き物が住んでいる」
「生き物?」
僕が聞き返すと彼は得意げに言った。
「ああ、細い体で海を泳ぎ回る魚と言う生き物とか、八本の足がある蛸と言う奴とか、色々さ」
「牛や羊もいる?」
開拓地にいる動物は、皆地球から連れてこられた家畜とペットばかりだった。
「牛や羊は無理だけど、魚の様な形をした牛や羊の仲間はいるよ」
「塩辛くないのかな?」
青年はまた笑った。
「彼等の意見を聞かないといけないね」
*
彼は地球の大学で生物学を学び、宇宙開拓局からここに派遣されていたクリスと言う青年だった。革命で宇宙開拓局がなくなり、失業中の彼に、両親は僕の家庭教師を頼んだのだった。
クリスは週に三回やってきて、僕に読み書きから算数まで全てを教えてくれた。
しかし、僕が最も興味を持ったのは、クリスが家から持ってきた一冊の大きな動物図鑑だった。
そこには、僕には生きている姿が想像もつかない様な動物もいたし、よく見かける牛や犬といった動物もいた。
CATと書かれたページには、ロマノフとそっくりな猫が描かれていた。僕は一度だけロマノフにそのページを見せてやったが、ロマノフはつまらなそうな顔で一瞥をしただけだった。
僕は一日中夢中になって、その本を眺めて過ごすようになった。
クリスと過ごすのは楽しかったし、ロマノフは、誕生日に母が作ってくれた小さなボールで遊んでくれた。
後になって考えると、その頃が僕の一番幸福な時期だったのかもしれない。