第6話:カイの怒りと、少女の反撃
『神耳の落ちこぼれ』
世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
緊急集会から数週間が経ち、村はかつてないほどの熱気に包まれていた。儀式の準備が本格化した頃、セレンはランツたちと共に長老の館での打ち合わせに同席するようになっていた。 供物となる『瑠璃色の大鹿』を狩るための狩猟班、『白銀の古木』の伐採班、『浄化の大陣』を描くための陣地構築班。大人たちは手際よく役割を分担し、儀式の準備に没頭し始めた。
しかしセレンには、その喧騒の中でずっと、居場所がなかった。
「危ないから、少し下がっていなさい」 「子供は邪魔をしてはいけないよ」
毎日そう言われ、毎日広場の隅に追いやられる。 儀式の最初のきっかけを作ったのは自分なのに。森の悲鳴を聴いて、カイを動かして、両親を動かして、長老を動かして――それなのに、今の自分には何の役割もない。 いや、役割がないこと以上に、セレンの心を重く塞いでいるものがあった。
そんなある夕方のことだった。 長老の館での打ち合わせを終え、一行が村の道を歩いていた時のこと。カイが突然立ち止まり、前を歩くエルランへと向き直った。
「……なんで、見せなかったんだよ」
絞り出すような声だった。 カイの両手は、ズボンの横で白くなるほど強く握りしめられていた。
「俺が掟を破って、死ぬ思いで撮ってきた証拠だぞ! あの恐ろしい鉄の化け物のすぐ近くまで行って、やっとの思いで持ち帰ったのに! なのに長老様に、一言も言わなかったじゃないか!」
カイの悲痛な叫びに、エルランは顔をしかめ、バツが悪そうに視線を逸らした。
「それは……長老様に人間の機械などという得体の知れないものを見せれば、かえって話が拗れると思ったからだ。魔族である我々大人が『直接見て確認した』と言った方が、すんなりと儀式の準備に入れる。結果として、村はこうして素早く動いているだろう?」
「それは建前だろう、エルラン」
カイの父・ランツが、低く冷たい声で遮った。
「君たちは結局、カイが命がけで持ち帰った証拠を、今も『忌まわしい人間のガラクタ』として信じきれていない。だから、長老様や村人たちの前でその存在を認めるのが嫌だった。自分の常識を壊されたくなかった。……違うか?」
図星を突かれたミーナが顔を赤くする。カイの母・サリアも、冷ややかな目を向けた。
「掟を破った息子を叱ったのは当然のことです。でも、あの子が村のために勇気を出して持ち帰った『事実』は、親として誇りに思っています。それを、最初から無かったことのように扱われるのは……非常に不愉快だわ」
村を救うために団結したはずの大人たちの間に、決定的な亀裂が走る音がした。 『人間の技術』をどうしても認めようとしないエルランたちと、『真実を写し取った道具』として一定の理解を示しているカイの両親。
「……集会への声掛けは、西と東で別々にやろう。行くぞ、カイ」
ランツはそれだけ言い捨てると、カイの肩を抱いて背を向けた。 カイは最後に、一度だけセレンを振り返った。 酷く傷ついた、やり場のない怒りの顔で、唇を噛み締めて。
何も言わずに、夕闇の中へ消えていった。
残されたエルランとミーナは、自分たちの保身が招いた結果に、ひどく気まずそうに立ち尽くしていた。 秋の冷たい風が、三人の間をすり抜けていく。
「……さあ、我々も急いで東側の家々に声掛けに行こう。長老様をお待たせするわけにはいかない」
エルランが重いため息をつき、歩き出そうとした時だった。
セレンは、その場から動かなかった。 夕焼けに染まる土の上に立ち尽くし、ギュッと両手を握りしめ、うつむいたまま小刻みに肩を震わせている。
「セレン?」
ミーナが不思議そうに振り返り、娘の肩に手を伸ばそうとした。 その手を、セレンは強く払いのけた。
「お父さんも、お母さんも……っ、ひどいよっ!!」
村の広場に響いた、張り裂けるような叫び声。
「私の話、最初は『熱が見せた幻覚だ』って言って全然信じてくれなかった! カイが命がけで撮ってきてくれた硝子板だって『人間のガラクタだ』って言って、結局長老様には見せなかった!」
ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながらも、セレンは両親を真っ直ぐに睨みつけた。
「私がお願いしたからカイは森に入ってくれたのに……カイが、あんなに傷ついた顔をして帰っちゃったじゃない!!」
エルランが「セレン、それは……」と言い訳をしようとするが、セレンは止まらなかった。
「お父さんたちは、結局『自分の目で見たこと』しか信用しなかった! カイのやったことも、私の言ったことも……子供の言うことは、そんなに信じられないの……っ!?」
静かな夕暮れの村に、九歳の少女の痛切な絶叫だけが吸い込まれていく。 長い、痛いほどの沈黙が落ちた。
エルランは、ゆっくりと膝を折り、セレンの目線の高さまで腰を下ろした。 その顔には、隠しきれない後悔が刻まれていた。
「……お前の、言う通りだ」
重苦しい声が、静かに紡がれる。
「お前が必死に森の危機を訴えていたのに、耳を貸さなかったこと。カイ君の持ってきた証拠を否定してしまったこと。……親として、大人として、本当にすまなかったと思っている。私たちが、間違っていた」 「ごめんなさい、セレン。次は、ちゃんとあなたの声を一番に信じるわ」
ミーナも身をかがめ、セレンの小さな手を両手で包み込んだ。 その手の温かさに、セレンの目から再びポロポロと涙がこぼれ落ちた。
分かってくれた。謝ってくれた。 その温かさは、たしかにセレンの孤独を少しだけ溶かしてくれた。
でも――。 硝子板はまだ、カイの鞄の中にある。 カイの背負った理不尽な傷は、まだ癒えてはいない。
夕闇の迫る空の下。 大人たちの謝罪の言葉を聞きながらも、セレンの胸の奥には、決して消えない冷たい棘が、静かに突き刺さったままだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。




