最終章 元勇者
全てのくびきから解き放たれた。
その瞬間、世界を覆っていた見えない鎖が静かに軋み、そして砕け散った。
祈りを束ねていた神の網は消え、運命を支配していた歯車は停止する。
そして――俺は思い出した
ルクスという名前を
両親が付けてくれた名前を
歯車で無くなった瞬間、俺は一人の人間となった
神が滅びたあと、止まっていた時が再び流れ始めた。
長き年月を超えて不変だった空の色が、初めて移ろいを見せる。
永遠に等しかった命――元勇者の身体にも、ようやく“終わり”の鼓動が戻ってきた。
不老不死という呪いのような祝福は消え去り、肌に感じる風の冷たさが懐かしく思えた。
彼は空を仰ぐ。
灰色に沈んでいた雲が薄れ、光が差す。
世界が少しずつ、「生きている」音を取り戻していた。
皮肉なことに、神への祈りを妨げるために続けてきた救済の行動が、
いつしか“奇跡”として語り継がれていた。
病を癒し、戦火を鎮め、飢えを救う――それらは全て、祈りを失わせるためのものだった。
だが人々は知らない。
彼が神を否定するために手を差し伸べていたことを。
知らぬまま、人々は彼に感謝し、彼の名を讃えるようになった。
――英雄。
そう呼ばれるたび、彼は苦く笑った。
「お前が崇拝されるようになるとは、皮肉なものだな」
背後で、柔らかな声が響く。
闇の大精霊――かつての魔王が、その形なき姿を風に揺らして囁いた。
その声には嘲りではなく、どこか温もりがあった。
勇者は肩をすくめる。
長い旅の果て、ようやく“役目”の意味を失った男の笑みだった。
「まあ……これも悪くないさ」
陽光が彼の頬を撫で、遠くの地平が金に染まる。
その光の中で、風が微かに笑ったように聞こえた。
そして、世界は再び歩き出す。
神なき時代――人が自らの意思で運命を選び取る、新たな世界へ。
――完――




