第6話 『大人VS子供』
神様、どうかお願いします。
望みが一つかなうのなら――どうしても、忘れたいことがあるんです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それで、カケルのお父さんで間違いないんだな?」
その後、男を見失ったカケルは、騒ぎに集まった人混みを避けるように帰宅した。
メメに案内された部屋はベッドが二つと小さい机が一つ置いてあるだけの簡素なものだ。
カケルはその部屋でベッドに座り、男爵と顔を突き合わせて現在に至る。
男爵の問いかけに、カケルは先ほどの光景を思い出しながら頷いた。
「暗くてかなり見えづらかったけど、多分」
「だとすれば、カケルの悩みの象徴はまず間違いなくカケルのお父さんだな。いまいち向こうの目的が読めないが、明日からはお父さんを探すことを目標にしよう」
手短に指針を決めた後、男爵は「イレギュラーだな」とシルクハットのつばを握った。
「カケルのお父さんが力を使えた以上、俺を封じた鎖も十中八九カケルのお父さんが原因だ。だがどうして夢の住人が力を使える。……俺はてっきり、ひょっとしたら俺の同類がどこかに存在していて、偶然この夢に入り込んできたんじゃないかと思ってたんだがな」
カケルも頭を捻るが、どれだけ考えてもそれらしい答えは出てこない。そもそもカケルは『力』について漠然としか理解していないのだ。
次第に頭が熱を帯び煙を上げ始める。
「ぐぬぬぬ、全くわからん……。なんかない? 男爵――」
縋るように顔を上げたカケル。だが、男爵の横顔を目にして、思わず口をつぐんだ。
カケルの鼓膜を、そうか、と静かな呟きが打つ。
「同類がいるかもと、思ってたんだがな」
静かな、どこまでも静かな呟き。その男爵の姿が、カケルには小さく見えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、カケル達が考察を切り上げたタイミングで部屋にノック音が鳴り響いた。
「お二人とも、入っていいですか?」と扉越しに聞こえたのはメメの声だ。
「おー、いいよ」と返事をし、扉を開けたメメにカケルは首を傾げる。「どしたの?」
「少し時間があったので、お話でもと! あとこれ、紅茶です。熱いですよ」
「おもてなしも完ぺきとは、愛い奴め、近う寄れ」
メメは机にお盆を置くと、湯気の立つカップを配り、手招くカケルの隣に腰を下ろす。
揺れるベッドの中、カケルはカップを口元へ運び、慌てて舌先をひっこめた。
「あち」
メガネを曇らせ、息を吹きかけるカケルに、メメは「熱いですって」とクスクス笑う。
「ミグローさんとトモリはどうしてる?」と紅茶を啜りながら男爵が訊いた。
「お父さんはまだ下に。トモリは……多分寝てます。あの子いつも寝てるので」
「はは、その距離感、なんか兄弟っぽい」
らしくないバッサリとした返事に笑うと、カケルは「そういえばさ」とメメを見た。
「さっきトモリが言ってた、黄金牛って何?」
「ああ、それはですね!」
言葉を聞いたメメが元気よく手を打つ。食いつきがいいのは獣の話題だからだろう。
「黄金牛とは昔から伝わる。一口食べれば十日は飢えないという伝説の牛のことです!」
「一口で十日って……おとぎ話みたいなもの?」
「いえ、黄金牛は実在が確認されています。ですが数が少なく人間に対する警戒心も強い種なため、実際の捕獲は十数年に一度、下手をすれば数十年に一度しか成功しません」
「それがこの村と関係あるのか?」
男爵の問いかけに、メメは獣耳をピンと立てながら神妙に頷く。
「はい、その昔、この村の付近には多くの黄金牛がいたそうです。それはもう、この国の中でも頭一つ抜けた生息数だったとか。そこに黄金牛を捕獲する術を持っていた初代の村長が訪れ、ここに村を作って栄えたのが、この村の始まりだそうなんです」
「なるほど、読めたよ。この村にはその捕獲方法が伝わってるから、才能攫いにも目をつけられてる可能性が高かったわけだ」
人差し指を立て意気揚々と指摘したカケルに、メメは残念そうに首を振る。
「それが、村長さんは何故か捕獲方法を誰にも教えなかったんです。捕獲もどうしても食糧難の時だけ、それも一人で行っていたそうで……。村長さんが亡くなって以降は捕獲もうまくいかず、ここは普通の村になりました。なんですが、その、よその人たちが……」
「捕獲術がこっそり伝わってると勘ぐったってところか。捕獲が出来るなら、それは立派な『才能』だ。なるほど、村の人間が才能攫いを警戒するのも無理のない話だな」
言葉の先を引き受けた男爵に、メメは「考えすぎだと思うんですけどね」と苦笑した。
「あ、ってかそうだよ! 俺、メメにもっと色々獣のこととか教えてもらおうと思ってたんだ。流石に村に来るまでのあれだけじゃ足りない! メメ、教えてプリーズ!」
両手を合わせるカケルの言葉に、メメも柔らかく笑う。「ええ、任せてください」
そのまま三人――主にカケルとメメは話し込み、男爵が「そろそろ眠るか」と提案したのは、カップの中の紅茶がすっかりなくなってからのことだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、メメが自分の部屋に戻り、カケル達の部屋も消灯した後のことだ。
「夢の中の世界で眠るって何?」という問答も終え、毛布にくるまり眠っていたカケルは不意に目を覚ました。初めての体験の連続で気持ちが昂っているのか、目を閉じていてもなかなか寝付けない。
そのままカケルは夜風にあたろうと枕元の赤メガネを取り、寝ているだろう男爵を起こさないようにそっと部屋を抜け出した。
月明かりを頼りに廊下を歩き、階段横の吹き抜けにたどり着く。
一階まで見通せるそこは、カケル達がこの家に着いた時にミグローの立っていた場所だ。
家に吹き抜けがあることもよく考えればおかしいが、恐らくこれもカケルの想像力を元に生まれた「夢の世界」が持つ歪さなのだろう。
その場合、カケルには家を想像する力すらないことになるが。
そんなことを考えながらカケルが階段に爪先を下ろした瞬間、不意に話し声が聞こえ、思わず動きが止まった。
発生源は階段下のリビングだ。吹き抜けを覗き込むと、微かな灯りに囲われたメメとミグローの姿が見えた。
声量を抑えてこそいるが、聞こえてくる語気は明らかに穏やかな時のそれではない。
部外者が聞いてはまずいか、とカケルが引き返そうとしたその時。
「メメ、どういうことだ」
はっきりと聞こえた詰問するような声に、カケルは再度、動きが止まった。
「白獅子に追われただと。また獣を刺激したのか。この前これっきりだと言ったのは?」
「……ごめんなさい、嘘つきました」
「……トモリめ、知りながら黙っていたな」
弱々しい返事にミグローが溜息をつく。カップの鳴る音と、一瞬の沈黙が訪れた。
「――この村の現状は何度も説明したはずだ」
嚥下音が微かに響く。カップの中身を飲み干したのだろう。ミグローが話し始めた。
「子供が減り続けこの村は年々貧しくなっている。疫病に災害続きで、畑も狩りも今年は殆どダメだったそうだ。村から去る人も出始めた。私も何十年も先までは働けない」
階段の影からそっと覗き込む。座るメメの正面に、立つミグローの大きい影が見えた。委縮しているのか、メメは小柄な体が更に小さく見えるほど俯いている。
「大体、危険だと何度言ったらわかる」
「でも、今までは一度も危ない目には……」
「今日、命の危険があったのだろう。それなら同じことだ」
苦し紛れの反論にぴしゃりと言い放つミグロー。それにメメの肩がびくりと跳ねる。
抑揚の薄い語気でありながら、有無を言わせぬ気迫がそこにはあった。
「メリットとデメリットの比較は怠るなといつも言っているだろう。なれる可能性の極めて低い獣遣いに命を懸けるなど、お前の行動はどうみても天秤が釣り合ってない。私に反対されずとも、己を顧みなければ獣遣いになるより先に命を落とすのが関の山だぞ」
その気迫に反論も出来ず、メメは痛みに耐えるように目を瞑り、拳に力を込める。
親子喧嘩。
一方的ではあるが、階下で展開されているのはおそらくそれだ。
友人が叱られるのを目にした居心地の悪さにカケルは顔をしかめるが、重要なのはそこではない。
メメはミグローの言葉で傷ついているのだ。友人が目の前で傷ついている。カケルはそれを偶然目撃してしまった。
だが、目撃していながら、それでもカケルは――
「止めないのか?」
不意の背後からの声に、カケルは「ひ」と身を縮めた。すぐさま振り返り、そこにいた人物を目にして「なんだ」と声を潜めながら脱力する。
「起きてたんだ、びっくりさせないでよ男爵。ってか止めないのかってどういう……」
「俺に睡眠は必要ないからな。……いや、カケルはこういう時、咄嗟にメメを庇うタイプかと思ってな。俺の勘違いだったか?」
声を潜めて返す男爵。その問いを聞いて、カケルは目を細めた。
問いの意味は分かる。もっともだ。傷つく友達を庇うのも一つの友情だろう。だが――
「――庇いたいけど、庇えないよ。いや、ミグローさんの言い方とか思うところはあるんだけどさ。でもこういうのってメメたち親子の問題じゃん? 多分二人はこれまで何度も話し合って、積み重ねて今に至るわけでさ。それを知らない部外者の俺が、最後の部分だけ見て口を挟むのはなんか独りよがりっていうか、やっちゃいけないんじゃないかって」
静かな声で、出来る限り丁寧に、カケルは思考を言葉でなぞる。獣遣いの夢はメメの内心に深く踏み込んだ問題だ。だからこそ、迂闊なことも間違ったこともしたくない。
「いこうぜ男爵。流れでつい聞いちゃったけどこれ以上は野次馬だ。早く――」
「いい加減わかるだろう、メメ」
瞬きで感情を切り替え、背を向けかけたカケルの言葉尻に、ミグローの声が重なった。
嫌な予感がした。その、これまで以上に感情の排された冷たい声音に。
急かされるように振り返った視線の先、メメを呑み込むように影を落とすミグローは、立ちはだかったままゆっくりと口を開くと――
「お前の夢は――無理だ」
瞬間、メメの表情に痛ましいものが走った。
それは親が突き付けるにはあまりに残酷な一言。可能性の芽を断つ、見限りの言葉だ。
ミグロー自身すら、これまでは「獣遣いになれる可能性は低い」と迂遠な表現をしていた。それは、親が子の夢を「無理だ」と否定する意味を理解していたが故のはずだ。
それを、超えた。積み重ねを知らないカケルでもわかる。ミグローは今、一線を越えたのだ。
言葉を失うカケル。そのまま恐る恐るメメを見て、カケルは更に言葉を失った。
「――――」
それの意味に気が付き、カケルは強く奥歯を噛む。こんなもの、そうせざるを得ない。
――そう、メメの強く握りこんだ拳が、隠しようもない程に震えていたのだ。
「あーごめん男爵。さっき言ったの全部嘘」
「……カケル?」
驚いたような男爵の声を背に受けながら、カケルは――
「そこまでにしてくれませんか」
――カケルは階下に降り、ミグローに制止の言葉をかけていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
振り返ったメメが大きく目を見開く。その亜麻色の瞳に映った自分の場違いさにカケルは苦笑した。
一方、ミグローはメガネの位置を直しながら、乱入者に眉一つ動かさない。
「……起こしてしまいましたか。失礼、客人に聞かせるような内容ではなかった」
「なんで……」と呆然と呟くメメに、カケルは肩を竦めて返す。
「なんでもなにも、友達が怒られてたら庇いたくなっちゃうでしょ」
あっけらかんとしたカケルの物言いに、メメは言い訳を探すように視線を泳がす。
「ち、違うんです、これは私が嘘ついたり悪い子だっただけで、お父さんは――」
「だけど、メメは簡単に嘘をつく性格じゃない。それなりに理由があったんだろ? 例えば、どれだけ頼んでも獣の研究を――獣遣いの夢を、認めてもらえなかったとか」
糾弾するようなカケルの視線と言葉に、ミグローはメガネの奥の目を細める。
「聞いていたならわかるでしょう。メメには一日も早く私と同じだけ仕事を出来るようになってもらわなければならない。地に足つかない夢を否定するのは、親として当然です」
「その理屈はメメが与えられた仕事もこなさず獣遣いになろうとしてた時だけ言えるやつでしょう。メメのことだ、言われたことは全部やってるんじゃないですか?」
カケルの指摘を受けて、ミグローの瞳に微かに揺らぎが生じた。
「それは……」
「やることやって残りでやりたいことやってるならいいじゃないですか」
初めて言葉の切れが悪くなったミグローに、カケルは間髪入れずに追撃する。
「大体ミグローさん本当に、メメがどれだけ努力して何が出来るようになったか理解してるんですか。一度でも同行したことは? 話を聞いたことは? 本当にあるんですか」
カケルの語気が徐々にヒートアップしていく。
今日一日で見せられたメメの知識は一朝一夕で身につくようなものではない。
『時間の許す限り研究している』という言葉に恥じないほどの努力の跡が、知識の端を見せられただけのカケルにも見て取れたほどなのだ。
低く静かに息を吐くカケルを見て、メメが驚愕したように喉を震わせた。
「カケルさん……怒ってるんですか?」
その言葉に、カケルは何も答えられない。答えられないし、止まれなかった。
「……メメさ、震えてたよね。その震え方、覚えがあったよ。獣遣いになりたいって打ち明けてくれた時と同じだった」
口にするのは震えの意味。当時のカケルはそれを、ただの緊張だと思っていた。だが。
「なあメメ、あれは緊張とか、そういう震えじゃなかったんだな。違ったんだよな。獣使いの夢を今まで何度も、何度も何度も否定されてきたから、人に話すのが怖くなっちゃったんだよな。だからメメ、今と同じ震え方してたんだよな」
大きく瞳を揺らすメメ。それはカケルの言葉の正否を、何より雄弁に告げていて。
それを確かめたカケルは不意に、へらり、と場にそぐわないほど表情を崩して笑った。
「……すいませんミグローさん。こういうの、部外者が首を突っ込むようなものじゃないですよね。後で俺のこと怒ってください。――でもどうしても、あれを無視は無理です」
低い声音と共に表情を消す。
思い出すのはメメの、怯えにすら見える緊張だ。彼女が夢を打ち明ける時どうしてあれほどの覚悟を必要としたか、その理由がわかってしまえば、カケルはもう止まれなかった。
笑顔では誤魔化せない程の何かが、カケルを突き動かす。
「『お前の夢は無理だ』って、それはないでしょう。それだけは言っちゃいけないじゃないですか。どうせ夢なんて、大体の人間から否定される。世間は正論で溢れてて、『夢は叶わない』なんてのは常識だ。そんなこと、目指してる本人が分からないわけないじゃないですか。他人に言われるような正論を、考えたことないわけないじゃないですか。目指してる本人が、一番悩んでるに決まってるじゃないですかっ!」
興奮で微かに声が震える。増していく声量で喉が熱を帯びた。
この熱は、メメを守りたいなどと傲慢さと体の良さを兼ね備えた理由が源泉ではない。もっと傲慢でもっと愚かなカケルのための何かだ。
そこから熱が、震えが、激情が、絶えなく湧き出て喉を灼く。
『――狂っている』
喉を、灼く。
「でもメメは努力した。自分を信じた。それがどれだけすごいかわからないんですか? 否定なんてどこでもされるんだから、あなただけはしちゃ駄目でしょう?! ……子供にトラウマ植え付けてる場合かよ。親は――親は子供の夢、応援するもんだろうがッ!!」
熱のままに怒号が響いた。それは残響に姿を変え、後にはカケルの荒い呼吸だけ。
メメの表情に走った緊張と、耳に刺さる沈黙を無視しながら、ミグローを睨みつける。
しかしミグローは、カケルの熱からも全く目をそらさなかった。
「……親は、子供に正しい道など教えられない。だからせめて、間違った道に行かないようにするのが親の役目だ。……私はそう、信じている」
ミグローの瞳は揺らがない。彼にも積み重ねてきた人生があり、今さっき知り合ったばかりの若造の威勢だけではきっと変わることはないのだろう。それでも。
「――俺はメメを肯定しますよ、ミグローさん」
「……自分が何を言っているかわかってるんですか。かなわない他人の夢をただ応援するなんて、わかりきったほどに無責任だ。そんなことは誰もやらない」
「そうですね。だから俺がやる」
強く言い切ったカケルの言葉に、ミグローがピクリと眉を動かした。
ここが限界だろう。これ以上はお互い譲れない。しかしそれならカケルにも策がある。
素早く息を吐くと、すぐさまカケルは頭の隅で組み立てていた策へ意識を移した。
「これ以上は平行線ですね。……わかりました。なら、明後日の昼に時間をください。メメがどれだけ本気かを証明します。そして約束してください。そこでこちらの用意したものに少しでも驚かされたなら、メメが獣遣いを目指すことを認めてくれる、と」
「なるほど」とミグローは提案に目を細めたが、驚く程すぐに頷いた。「いいでしょう」
「ずいぶん急な提案ですが、諦めろと言った手前だ、こちらもそのぐらいは受け入れる責任があります。――ただし、もしメメの努力が私の想像を超えてこなければ、その時はすっぱりと獣遣いを諦めてもらうことになる。それがそちら側の負うべき責任だ」
「ぐっ……」
ミグローの出した条件に、カケルは思わず言葉に詰まる。
一方的に理解を求めておいて失敗すればリスク無しなど、そんな虫のいい話はない。
だがこの話自体カケルが勝手に言い出したものだ。メメにそこまでのリスクを課すのは――
「カケルさん」呼びかけで我に返る。見ると、メメがカケルの袖を引っ張っていた。
「何か考えがあるんですね?」
芯の通った声で問うメメ。その瞳からはもう、迷いは消えていた。
カケルが頷くと、メメは堂々とした態度でミグローに向き直った。「わかりました」
「これでお父さんが納得しなければ、私は――二度と獣遣いを目指しません」
口の端を固く結び、姿勢正しく胸を張る。
対するミグローは「いいだろう」と頷いた。
かくして双方の合意は取れ、深夜のひと騒動は幕を引き、次なるひと悶着が火蓋を切った。