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第5話   『邂逅』


 神様、どうかお願いします。

 望みが一つかなうのなら――どうしても、忘れたいことがあるんです。



               ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「俺が小説家になりたいって思ったのは何年も前なんだけどさ、誰にも言ってなかったんだ」


 メメの背中を目で追いながら、カケルは静かにそう切り出した。


「俺、四月から高三だからお父さんと進路の話とかするんだけど、そこで大学卒業したら専業で小説家になりたい、って打ち明けたら、ちょっと揉めちゃって。色々お説教された挙句、しまいには『夢を追う人間は狂っている』とか言われちゃってさ。ついカッとなって大声出しちゃって。……喧嘩、なんだろうね。俺が一方的にキレてただけだけど」


 カケルは溜息をつくと額を右手で覆い、地面に視線を落とした。


「大人げなかったよ、いい年して親と喧嘩とか。一応心配してくれてるんだし、ってかあっちの意見の方が正しかったし。お父さんとは喧嘩じゃなく話し合いをするべきだった」


 何やってんだろ、と自嘲気味に笑うカケルに、男爵が「ほう」と意外そうな声を出す。


「カケル、落ち込んでるのか?」


「……親と喧嘩して落ち込まないのなんて、親が嫌いなやつだけだろ」


 地面に視線を落としたまま、カケルは投げやりに返す。


「それでも『狂ってる』なんて言われて歯止めが利かなくなっちゃった。夢を追うことを悪し様に言われるのがどうしても嫌でさ。それだけはお父さんの方が間違ってると思う。……だから、俺の悩みは多分、小説家の夢を認めてもらえてないことだ」


 隠してきた悩みの開示。それに覚悟を要したカケルに対し、男爵の沈黙は一瞬だった。


「一ついいか? カケルのお父さんが反対したのは専業でやりたいと言ったからだろ? 小説家になるにしても、小説家と普通の仕事の兼業って選択肢はなかったのか?」


「あー……」


 その問いに、カケルは表情を陰らせた。声のトーンを一段落とし、気まずげに答える。


「人生設計的にも、それが正しいとは思うんだよ。俺も最初はそうしようと思ってたんだ。……でもどうしても、自分が仕事しながら小説家になってる姿が想像つかなくて」


 感情を抑え込んで喋るカケルに、男爵が怪訝な表情をする。しかしその反応にも気付かず、空をぼんやりと見上げ、カケルはつぶやいた。


「『夢を追う人間は狂っている』か。喧嘩までしたくせに、俺は結局、お父さんがどうしてあんなこと言ったのか理解できなかったなぁ」


 カケルが(しお)れながら空を見ていると、不意に、男爵が「手を出してくれ」と促した。

 カケルが言葉に従い掌を広げると、そこに黒渦が生じ、ぽとり、と何かを落とす。


「……力、まだ使えたんだ」


「大きすぎないものと、構造が複雑すぎないものなら何とかな。ただの板レベルで単純ならカケルの身長ぐらいまで出せるが、複雑になれば小さくなるし、限度を超えればミニカーだ。湖の時のような芸当もできない。今の俺が出来るのは本当にこれだけだよ」


 それを聞きながら、カケルは手元に視線を落とす。渦から出てきたそれは、小皿の上に乗った、白い粉のまぶされたパンの耳だった。思わずカケルは目を見開く。


「これって」


「ラスクだ。食えよ、うまいぞ」


 淡々と、男爵は何事もないかのように食事を促す。カケルは僅かに呆気にとられた後、「でも」と苦笑した。


「男爵から出てきたって考えるとあんま食べたくないんだけど」


「いらないか?」とやや残念そうな声音になった男爵に、カケルは再度苦笑して首を振る。小皿からひょいと放り込み、口の中に広がる砂糖の味に、僅かに頬を緩めた。


「うん、確かにうまい」



               ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 そこから歩くこと数十分。草原を進むカケル達は、メメによる生物解説を受けていた。


「あちらにいるのはミジカキリンです! 首が短くて木の実に届かないことから、木の幹を食べるようになったキリンさんです。そしてこっちは――」


「うおおおおお! ミジカキリンーっ!」


「すっかり元気になったな」と呆れ気味な男爵に、カケルは勢いよく振り返った。


「だって首の短いキリンだよ!? プレゼント忘れたサンタさんぐらい価値ないじゃん!」


「なんでだよ。キリン可愛いだろ、模様とか。サンタさんも……ヒゲとか」


「いいですか二人とも。村までで解説できる動植物は安全と効率を考慮すると三つです」


 不意に、指を三本立てたメメが、人差し指だけ残して折り、前方の川を指さした。


「一つ目があれです。幸いにも今日は雲一つない快晴が続いてますし、そろそろですよ」


 その川は水面に顔を出す岩々を十回ほど飛び移ってようやく向こう岸にたどり着くような、幅の広いものだった。深さもカケルの腰あたりだろう。そこに面白い生き物がいるのかと、カケルは無警戒に水辺へ近づく。が、微かな地面の揺れに気付き足を止めた。

 近づき規模を増していくその揺れは、大量の馬の足音のような無数の振動が重なったものだ。

 カケルが視線を落とすと、その先では川の水面がまるで震源のように激しく波打っていて――


「――来ますよっ!」


 合図と共に振動は最高潮になり、水面で何かが爆発した。――否、爆発に見紛う程の噴出だ。顔に弾丸のような飛沫を浴びながら、カケルは打ちあがったそれを目で捉える。


「――魚っ!?」


「雲を食べる魚、クモウオです。普段は水中にいるんですが、雲を食べる時と空中が乾燥した時にだけ出てきて空を泳ぎます。でもすごいのはここからですよ。見てください!」


 水を全身に纏い、爆発のような高速で空に突撃する魚の群れ。大ぶりな肉体の通った軌跡には、当然置いていかれた水が残る。

 だがカケルの目を引いたのは水の跡そのものではなく、水の跡が重力を無視していつまでも落下しない、という事実だった。

 均等に薄く広がった水の跡は、空中にとどまり続け、まるで一枚の細長いガラス板のようだ。

 しかし一匹の作る跡は細長くとも、川の中から横並びに飛び出したクモウオは数十匹にも及ぶ。

 それらが一つにつながり、一枚の巨大で透明な壁を生み出していた。


「すごいな。まるで水のスクリーンだ」


「空気が乾くと雲が出来ませんから、空中に水を撒いて雲が発生しやすくするんです」


 魚たちは解説と同時に上昇を終えると、尾ひれを揺らして優雅に空中を泳ぎ始めた。


「雲がある日はあのまま上空まで跳んでいって雲を食べるんですけど、今日みたいに快晴の時は、何度か今のジャンプを繰り返して空気中の水分を増やします」


 ここまで饒舌に説明してから、ふと口を閉じると、メメは照れたように頬をかいた。


「なんて、全部私の立てた仮説なんですけど」


 はにかみ笑うメメに、カケルは力強い笑顔で返す。


「自信持っていいって! その仮説はめっちゃそれっぽいよ!」


 絶景に興奮するカケルの言葉に、メメは嬉しそうに笑うと「あとあと、こんなことも出来ますよ!」と川から飛び出す岩の上を軽快に跳び、スクリーンの前まで移動した。


「いきますよー」


 えい、とスクリーンに右腕を突っ込むメメ。肘の先に目をやると、スクリーン越しで映る右手は壁と錯覚するほど巨大になっており、存在感を放ちながら緩やかに動いていた。


「この水は光の屈折で、向こう側に映るものをすっごい拡大する特性があります!」


「うおぉぉおお! まじかよすげぇ、俺にもやらせて!」


 カケルは危うい足取りで岩の上に飛び乗り、バランスを崩しながらメメの隣の岩までたどり着くと、右腕を差し込んだ。

 ひんやりした感覚と共に巨大な右手の影が映し出される。上下に振っても、ピースをしても、数十倍に拡大されたサイズが思い通りに動く光景。水に腕を入れるだけで為されるそれに、カケルは「なんかキモイ!」と歓喜した。


「そうだ! カケルさん、握手しましょう」というメメの言葉に誘われ、お互いの右手をスクリーンの向こう側で掴む。必然、二つの巨大な手が握手する光景が目に入り。


「うおぉぉおお! デカい手が握手してる! う、うひ、あっはっはッ! 握手ーッ!!」


「テンション上がりすぎて意味わからんツボり方してるな」


 男爵の言葉も耳に入らないカケルが正気に戻ったのは、腹筋が限界を迎えた後だった。



               ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「それじゃあこれが二つ目です!」


 陸に戻り次に紹介されたのは、一見すると数枚の赤い花弁をもつだけの一本の花だった。

 花の周りにはなぜか下草は生えておらず、緑に覆われる草原において、そこだけ茶色く地面が露呈している。茶色い円の中心に一本、鮮やかな紅の花が立ち尽くしていた。


「綺麗だけど、これ近づいて大丈夫なやつ? チョウチンアンコウ的な感じで、この花に近づいたら地面に食われるとかない?」


「安心してください、そういうことはないので。――ただ、触らないように気を付けてください。その花は手袋をつけないと危ないです」


「罠とかじゃないんでしょ? 毒とか?」


「毒はないんですけど……そうですね、この花の説明をします。この花の名前はカワキバナ。名前の通り水分を常に欲している花です。触れたモノだけじゃなく、周り生き物や空気からも水分を奪ってしまうという、非常に恐ろしい特性を持っていまして」


「え、ちょっと待って、ってことは素手で触ったらもしかして……」


「はい、最悪カピカピになって死にます」


「カピカピになって死ぬッ?!」


「っていうか既に水分奪いすぎて周りの草とかはいなくなりました」


「草が生えてないのってそういうことかよっ?! 早く言えっ!!」



               ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「最後に、これが三つ目です!」


 次に紹介されたものも花だった。白い花弁の花で、今度は一帯に群生している。


「これも綺麗な花だけど、裏があるんだよね?」


「はい、この花は……説明より見たほうが早いですね」


 そう言うとメメは、いつの間にか拾っていた石を花に向けて放り込んだ。

 こぶし大の石が、ごとん、と音を鳴らしながら数本の花の上に落ちる。花が可哀想な光景にカケルが眉を八の字にしていると、次第に潰れた花弁が石ごと、もぞもぞと動き始めた。

 目を凝らすと、花が茎から離れ、石をわずかに持ち上げている。

 白い花弁の下から、折りたたまれていたように手足が数本飛び出した。

 髪のように細い手足は、明らかに昆虫のそれだ。花弁はいつの間にか羽として左右に割れ、羽の隙間からはハエのような頭、胸、腹が覗く。

 一つの花から数匹、全部で十数匹が花弁から昆虫に姿を変え、群れで石を持ち上げた。


「昆虫植物のドカシムシバナです!」


「おおっ! かなりぞわっとするキモさあるけどすごい! 花に擬態した昆虫なの?」


「いえ、花でもあり昆虫でもあります。普段は花として過ごしていますが、自身に危機が訪れると昆虫に変化して防ぐという生態です。花が潰されそうになった時に原因をどかしたり、光合成が出来ない日には虫になって餌を取ってきたりします。でもそれだけじゃありません。石を運ぶドカシムシバナを見てください。何かおかしいと思いませんか?」


「やたら遠くまで飛んでるね。障害物をどかすだけなら脇に置けばいいのに」


「鋭いですねカケルさん。ドカシムシバナはとても力持ちで、群れになればどんな大きな岩も持ち上げられるぐらいなんですけど、その力でどかしたものを、とある草――『落ち草(オチソウ)』の場所まで運ぶ習性があるんです。落ち草は崖際に生える植物なので、必然的に乗ってきたものを岩も生き物も関係なく崖の上から落として排除できるという寸法です」


「へー、すげえ、そんな細かいところまでわかってるんだね」


「村のおじいちゃんたちは崖から落とす習性があるって言ってたんですけど、虫さんが崖を判別できるのか気になりまして、他の基準がないか調べたらわかったんです」


「マジで? メメが調べたの? 凄くない? 一人で?」


「はい。花の上で暴れた後、草を持って逃げたらすっごい追いかけられました!」


「岩をも持ち上げる虫から?!」


「薄々わかってたことではあるが、メメ、結構ワイルドだな」


 カケル達の驚愕を脇に、メメが「あ」と声を出し、前方を指さした。


「見えてきましたね、あれが私たちの村です」


 言って、メメはくるりと振り返ると、


「これで私が今紹介できるのは終わりです。ご清聴ありがとうございました」


 ぺこりと頭と耳を下げ、悪戯っぽく笑った。



               ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……そういえばカケル、どうして小説家なんだ?」


 男爵がそう言ったのは、村の目前、建物の外観すら把握できる場所まで来た頃だった。


「どうして、か。まあ正直言うと、描く側なら何でもよかったんだよね。映画にせよ漫画にせよ、俺は小っちゃい頃から媒体問わず物語が好きだったからさ。物語を書きたいと初めて思った時に、一番ハードルの低い創作が文章だったってだけ。って言っても、小説書くのが好きなのは……あー、うん、小説書くのが好きなのは間違いないよ」


 カケルは僅かに言い淀むと、頭をガリガリと乱暴に掻いた。「ごめん、気にしないで」


 紛らわしい言い方を自戒しながら男爵を伺うが、そこに納得の色はない。


「ん、いや、そもそも俺が聞いたのはそういう意味じゃなくてな……」


 歯切れ悪く返す男爵。その意図が読み取れず、カケルが眉をひそめたその時だった。


「あ、カケルさんっ!」


 響く慌てた叫び声。つられて振り向くとそこにあったのは、牙。

 巨獣よりも鋭く光る牙が数多(あまた)、生え並んでいる。喉奥まで見通せるほど開かれた大口はカケルの鼻に触れる寸前だ。

 それはつまりコンマ数秒後、カケルが噛みつかれることを意味していて――


「――うぉらでばびぁっ! ……あれ、痛くない」


 意識外の急襲に倒れ込むカケルは、来るはずの感覚が来ない違和感に顔をしかめた。


「すいません、紹介できる生き物にまだこの子がいたのを忘れてました! この子の名前はコワイヌ。名前の通り、お顔がちょっと怖い獣さんです! ちなみに甘噛みです」


「はービビった。てっきり白獅子に食われたかと……でもこれ、相当小っちゃい犬だね」


 顔の上半分が完全に口の中なためわかりづらいが、感じる重さは小型犬並だ。


「いきなりカケルに襲い掛かった割には甘噛みなんだな」


「コワイヌは人が大好きな種族なので、危害を加えることは殆どありません。人懐っこすぎて、遠くからでも人を見つけると飛びかかって甘噛みをするぐらいです」


「……ところでこれいつまで続くの? 犬の口の中の景色が思ったよりグロくてきついんだけど。あとメガネべちゃべちゃでエグい」


「珍しいですね……。コワイヌの甘噛み時間は懐き度に比例するので、普通、初対面の相手からは直ぐに離れるんですけど……よっぽど気に入られてるみたいです」


「嬉しくないってその好感度」


「危害を加えることは殆どないと言っていたが、稀にならあるのか?」


「そうなんです。コワイヌは穏やかな種族なんですが、人に懐きすぎると時々、甘嚙みに力が入っちゃうんです。なので多分そろそろ食いちぎられますよ、カケルさん」


「おいなんか急にとんでもねえこと言い出したぞ?! 早く言えよ!?」


 絶叫するカケルは必死に犬を引き剥がそうとするが、食い込む牙が離れる気配はない。


「ちょ、とれない! 食いちぎられたらヤバいなんてもんじゃないって! モザイク必須の大惨事じゃねえか! 嫌だっ! そんなの嫌だッ!!」


「顔の上半分がモザイクか。はは、俺とおそろいだな」


「なに呑気なこと言ってんだ張っ倒すよ男爵!?」


 そんなこんなで阿鼻叫喚しながらも、カケルは格闘の末にどうにか犬を引きはがした。


 メガネを拭きながら改めて焦げ茶の犬の相貌を確認するが、鋭い二つの眼光はどう見ても殺意が迸っているようにしか見えない。

 小さい口の体積を無視した巨大で凶悪な牙が、口内の命を確実に刈り取ろうと鈍く光る。白獅子に匹敵する獰猛さの塊のような形相だ。


「あーくそ、メチャクチャ怖かった。許さねえこの小犬」


 脱力して倒れ込んだカケルに、メメが「カケルさん」としゃがみ込んで顔を寄せた。


「小犬じゃなくて、コ・ワ・イ・ヌです」

「うるせぇっ」


 そんな会話と共に土埃を払い立ち上がると、不意に「あれ?」と知らない声がした。


「メメじゃん、今帰ってきたのか。……そっちの珍しい格好の人達はどちら様?」


「あ、トモリ」


 見ると、桶を抱えた少年が、現代の服装をしたカケル達を物珍しそうな目で見ていた。

 年の頃は十前後、質のいい亜麻色の短髪で囲われた顔は整っており、幼さも相まって中性的な美しさだ。何より、亜麻色の瞳と頭部から生える獣耳にカケルは覚えがあった。


「紹介しますね、この子は私の双子の弟のトモリです。トモリ、この人達はさっき森で白獅子から私を助けてくれたカケルさんと男爵さんだよ」


「やっぱ兄弟か、似てると思った。カケルです、よろしく」


「黒コート男爵だ。気軽に男爵と呼んでくれ」


「俺はトモリ、よろしく。……アンタ達、見ない顔だし見ない服だな。旅人?」


 自分の小さな顎に手を当て、まじまじとカケル達を眺めるトモリ。


「そうなの! だから助けてもらったお礼にうちに泊めてあげようと思って。そうそうトモリ、男爵さんって色々できてすごいんだよ! 凍らせたり! 後で見せてあげるね!」


「いや待て待て。よくわからんけどそれより、助けられたってまた無茶したのか。しかも白獅子? 洒落になんねぇ。二人ともこんなバカを助けてくれてありがとうございます」


 トモリは呆れたように呟いた後、ぺこりと頭を下げながら、手でメメの頭を下げさせた。メメは戸惑いながらも抵抗せず「あ、ありがとうございます」と共に頭を下げる。


「メメの恩人ってことなら案内は任せてくれ――って、うわっ!?」


 不意にトモリが尻もちをついた。見ると、その白い腕には例の小犬が甘噛みしていて。


「村の人間でもびっくりするんだね。コワイヌってここら辺に生息してるんでしょ」


「この顔は何年見ても慣れねえよ。村のジジババも時々腰抜かして動けなくなってるぜ」


「それは割と大ごとなのでは?」


 トモリが溜息をつきながら立ち上がる。四人で歩き始めると、男爵が口を開いた。


「そういえばトモリ君って、メメの話に出てきた時々手伝ってくれる弟か?」


「……そんなことまで喋ってたのかよ」と、呆れたような声音でトモリが返す。


「二人とも仲がいいようだな」


「気持ち(わり)いこと言うなって」


 照れ隠しか、ぶっきらぼうに言い放つ。その微笑ましい光景にカケルが頬を緩めていると、不意に、トモリから表情が消えた。


「っつーかさ」


 声のトーンを落とし、感情の読めない目でメメを見やって。


「メメ、いい加減に獣遣いなんて諦めなよ」


「――え?」


 あまりに唐突すぎる言葉。その意味が理解できず、カケルは思わず声を漏らした。

 それは否定の言葉だ。トモリは手伝ってくれたと、今話したばかりだというのに。

 矛盾にカケルが混乱する一方、メメは困ったように笑うだけで、そこに驚きの色はない。


「トモリ、前にも言ったでしょ。これは諦められないよ」


「今日も危ない目にあったのに?」


「それでも」


 珍しくきっぱりと言い切り硬い意志を見せるメメに、トモリは肩をすくめた。


「メメはさぁ、そういう悪目立ちすることばっかしてっから村の奴らから『才能攫い』の一派だなんて言われんだぞ、わかってんだろ」


「才能攫い……?」


 聞きなれない言葉をカケルが口の中で確かめると、トモリが意外そうに片眉を上げた。


「ん、なんだ二人は知らねぇのか? ここのところ国中で噂になってんだぜ」


「カケルと俺はずっと遠いところから来たからな」


「そっか。才能攫いっていうのは要するに、最近活発な誘拐グループの名称だ。物騒だろ? だけど安心しな、このグループが攫う人間には共通点があって、それ以外の奴らは攫われない。その共通点ってのは、『何かに極めて秀でてる』っていう能力だ。秀でてるジャンルは問わねえ。狩りに人望、大道芸となんでもござれだ」


欲深(よくぶか)だよな」とトモリは笑う。


「ついた名前が才能攫い。それともう一つ、才能攫いには特徴がある。それが、どこからでも才能を見つけ出して攫う情報網の広さと手の早さだ。これが厄介で、本当にド田舎だろうと直ぐに見つけ出すもんだから、隣人が実は才能攫いの一派なんじゃないかって国中が疑心暗鬼になっちまった。うちの村も例に漏れず、いるかもわからねえ犯人探しが始まってる。獣遣いになるなんて言ってるメメは、その槍玉にちょうどよかったんだろうよ」


「……なんだよそれ、理不尽だ」


「そうだな、理不尽だ。まあ、うちの村は黄金牛(こがねうし)のこともあるから自意識過剰になってるんだろ。……ああそっか、黄金牛の説明は……メンドくせ、後でメメに聞いてくれ」


 未知の言葉への言及を止めると、トモリは話を戻した。


「うちみたいな辺鄙(へんぴ)な村に才能攫いが潜んでるなんて完全に与太話だ。俺だってこれっぽっちも信じちゃいない。でもそういうやつらに言わせ放題ってのも気に食わないだろ」


「だが、それが理由でメメが夢を諦めるのは筋が通ってないんじゃないか、トモリ君」


「確かにここでメメが獣遣いを諦めても、それは理不尽に屈しただけだ。でも、それでいいだろ。俺が不思議なのはそこだよ男爵。どうして理不尽と戦ってまで、死ぬ気で努力するんだ。そもそも獣遣いなんてこんな村の子供がなれるようなものじゃないだろ」


「……どういう意味だよ」


 カケルの返答を、トモリは不思議そうに右目を細めた。


「どうもなにもそのままの意味だって。確かに世の中には獣と意思疎通が出来ちゃうスゲー奴らがいるよ。だけどそれになれるのは最低限なれるだけの環境にいたやつだろ。働く必要のない金持ちの息子が道楽でやってみたり、小さい頃から教育を受けてるやつが知識を駆使して試みたり、だ。で、その中の更に一握りの才能のある奴だけがようやく到達するのが獣遣いって領域だ。こんな村で仕事の片手間に目指せるようなものじゃない」


「でも、メメは常に努力して……」


「メメが本気でやってるのは俺も知ってる。でも、努力が実るのにだって土壌は必要だろ。この村にはそれがないんだよ。俺だっていつでも手伝えるわけじゃない」


 淡々と、子供に物を教えるようにトモリは続ける。


「理不尽と戦っても夢が叶わなかったら徒労だ。だったらもっと手頃で手軽な、他の楽しいことを探せばいい。『叶いそうだから』ってのは夢を選ぶ時の立派な理由だと思うぜ」


 話が終わり、一瞬、静寂が訪れた。

 自然と、全員の視線がメメへと注がれる。

 だが俯いたままのメメは、その表情を影に隠し続けていた。そのまま沈黙を貫いて――


「……ないじゃん」


 不意に、今にも掻き消されそうな声が沈黙を破った。その声は掠れ、震えていて。


「叶わないかなんて、やってみなきゃわかんないかも、しれないじゃん……」


 尻すぼみに小さくなる声。それは反論と呼ぶにはあまりにもか細い。

 目を伏せるだけのメメは、それ以上何も言わずに黙り込んでしまった。

 再度の沈黙。重苦しく、先程より粘度の増した空気に、カケルは身動きが取れない。

 不意にトモリが「あー」と声を上げた。沈黙を追い払うようにガリガリと頭を掻く。


「悪かったよ、言葉選びを間違えた。別に傷つけたかったわけじゃないんだ」


 謝罪にメメが無言で頷き、三度(みたび)沈黙が訪れる。カケルは何も言うことが出来なかった。




「――んじゃ、俺はまだやらなきゃいけないことあるから。また後でな」


 沈黙を破りトモリがそう言ったのは、村の入り口に着いた時だった。


 そのまま別れ、三人は石畳の上を歩きながら、まばらな家の間を抜けていく。

 粘ついた沈黙は、未だ残る。メメにちらりと視線を送るが、俯いたままの表情は読めない。

 どんな話題を振ってもぎこちなくなるような気がして、最適な言葉が見つからず、時間ばかりが過ぎていく。

 そんな中、最初に口を開いたのはメメ本人だった。「トモリは」


「トモリは心配してくれてるんです。村から疑われてる件、私だけじゃなく家族のトモリもいい視線は向けられていないんです。それでもトモリがそこに関して何か言ったことは一度もありません。諦めろって言ってくる理由は、いつだって私に関することなんです」


 確かに、とカケルは先ほどの様子を思い出す。まるで普段からメメのことを考えているかのように、トモリの説得は淀みなかった。――そう、説得。歯に衣着せぬ物言いでこそあったが、トモリの言葉と態度から受けた印象は説教でも悪態でもなく、説得だった。


『二人ともこんなバカを助けてくれてありがとうございます』


 メメを助けた話をした時、頭を下げたトモリの行動は、本心からのものだったはずだ。


「……大丈夫、わかってるよ」


 カケルが頷くと、よかったです、とメメは寂しそうに笑った。



               ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「つきました。ここが私の家です」


 その後、家の群れの合間を縫って歩き続け、景色の開けたところでメメが振り返った。手の先にあるのは、石材で壁を作り窓枠や壁の一部を木材で装飾した家だ。


「こっちです」と扉を開けて手招きするメメに誘われるがまま、カケルは敷居をまたぐ。


「お邪魔しま――」「メメ、その方々はどちら様だ」


 家に入るや否や、頭上から声が降り注いだ。声の方角、階段の上に立っていたのは四十代前後の男だ。

 容姿や頭上の耳にはメメやトモリと重なる部分がある。しかし二人が子供の活発さを感じさせるのに対し、目の前の男は大きく異なった。目線の交差した相手に断絶を感じさせるメガネ。そこから冷たい程に感情の抑えられた亜麻色の瞳が覗く。

 男を見たメメが、驚いたように目を見開いた。


「お父さん、今日はもう帰ってきてたんだね。てっきりまだ仕事中かと」


「物を取りに来ただけだ、すぐに出る。それで、その方々はどちら様だ」


 男は淡々と答え、視線をカケル達に向けた。気圧され、カケルは思わず一歩後退る。


「お二人はカケルさんと男爵さん。その……白獅子に襲われてた私を助けてくれたの」


「白獅子に?」


 一瞬の躊躇(ためら)いの後、ばつが悪そうに告げられたその言葉を聞いて、男はメガネの位置を直しながらメメへ目を向けた。

 じっと見られ、メメがたまらず身じろぎをする。

 どこまでも感情が排された、向けられていないカケルすら居心地の悪くなるような視線だ。

 男は不意にメメから視線を外すと、「なるほど」とカケル達に向き直った。


「どうやらあなたたちは娘の命の恩人のようだ」


 階段を降りながら、男は言葉を続ける。


「歓迎しますよ。それに、娘を助けて頂き感謝します。私はミグロ―、どうぞよろしく」


 ミグロ―と名乗った男は床につま先を下ろすと右手を差し出した。百八十センチは優に超えるだろう高い身長に、小柄なカケルはすこしたじろいでしまう。


「ど、どうも」と右手で握り返す。義務的どころか機械的な印象すら受ける握手だった。


 男爵とも握手を終えると、ミグロ―は直ぐに荷物を纏めて扉に手をかけた。


「お構いできずに申し訳ないが、私はそろそろ仕事に戻らなければなりません。それと、もし行く当てがないのなら二階に空いている部屋があります。寝泊りにはそこを。では」 


 呼び止める暇もなく、ミグロ―は扉の向こうへと消えていった。


「……なんで泊まりたいってわかったの?」


 淡々と話を進めるミグロ―に呑まれ、カケルはそんなことしか言えなかった。



               ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 日の入り直後、うすぼんやりと明るさの残る村にて。

 ミグローが去った後、村の様子を見て回りたいと告げ、カケルは一人で歩いていた。

 村の生活様式など、そそる要素は大量だが、それを上回る問題が先程から一つある。


「うん、これは間違いない」


 森の匂いが抜けない村の中、靴底で二度、地面の感触を確かめながらカケルは呟いた。


「間違いなく――()けられてるな」


 振り返ると視界の隅の人影がそっと建物の影の中に隠れた。村外れに来た辺りから、あの人影はこうして遠巻きに張り付いている。

 こんな状況「展開が唐突すぎる」の一言だ。


「こういう時のテンプレといえば……あれれーっ? 道間違えたっけーっ?」


 わざとらしい大声と共に、カケルは人影からの視線が遮られるように角を曲がる。

 気取られないよう後方を確認すると、やはり直ぐに人影が現れた。もはや疑う余地はない。


「ひょっとして才能攫いか? 俺も男爵も浮いた服装してるし可能性はゼロじゃないけど、だとしたら伏線回収早すぎでしょ。でも、他に心当たりなんか――いや、ある」


 微かな呟きで可能性に思い至ったカケルは、拳を打ち合わせ「よし」と覚悟を決めた。

 気合のままに角を曲がるカケル。数秒遅れて、その角から人影が顔を出して――


「捕まえた」


 人影が顔を出すと同時に、待ち伏せていたカケルが飛び掛かった。僅かに大柄な相手に対し、突進の勢いで肩を捉え、不格好に揉み合いながら地面に抑え込むことに成功する。


「誰だお前っ、なんで俺のこと尾けてる! ――ってか」


 両肩を上から抑え、相手の背を地面に押し付けながら、馬乗りでカケルは続けた。


「――お前は俺の、『悩みの象徴』かっ!?」


 もう一つの心当たり。その確信をついた発言に、尾行者の動きがピタリと止まった。

 尾行者は黒い外套を着ており、街灯の薄明りのみの状況も相まって、目深なフードの奥はよく見えない。今の反応は表情より雄弁だったが、それはそれとして――


「まずはその顔見せてもら――っ?!」


 勢いよくフードを掴み、その中身が一瞬チラリと灯りに照らされる。しかしそれに反応するより早くカケルの身体が、突然重力の方向が変わったように後ろに引っ張られた。

 手からフードがもぎ取られ、地上を横切る砲弾のように、カケルは後ろへ飛ばされる。


「が、は」


 一瞬の浮遊感の後、壁に叩きつけられる感覚で現実に引き戻された。壁が軋む程の衝撃に肺の空気が絞り出される。明滅する意識では不可解な現象の原因も不可解なままだ。

 だが重要なのはそこではない。一瞬だったが、フードの奥から目に入ってきた顔、あれは――


 立ち上がった人影は、動揺の隙に地面に掌を押し当てる。直後、石畳が盛り上がった。

「うお!」と驚くカケルの視界から敵の姿が奪われる。慌てて壁の脇から回り込むが。


「――くそ、逃げられた」


 無人の光景に、カケルは(ほぞ)を噛んだ。盛り上がった地面に触れ、再度確信する。


「やっぱり今の、『力』だ。……それにあの顔」


 暗がりで一瞬しか見えなかったが、それでもあのフードの奥には強烈に覚えがあった。


「――お父さん」


 考えなかったわけではない。きっかけがきっかけだ。カケルの悩みの象徴が人になるのなら、まず考えられるのは父親だろう。だが、それでもこれは想定外だ。


「夢の中の人間は力を使えないんじゃないのかよ。くそ、何がどうなってる」


『この夢の中、()()()()ぜ』


 カケルの脳裏に、男爵の言葉が蘇った。


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