忘れてしまっても、愛していたことは本当だった
扉の奥に広がっていたのは、静寂と、深い闇だった。
王都地下最深部にある「封印図書館」。本来は誰も立ち入ることのできない、禁忌の領域。
「……息苦しいくらい、魔力が濃いですね」
リゼリアの肩が、わずかに震えていた。
けれど、俺の手を握る力はしっかりとしていた。
「大丈夫。俺がついてる」
「はい……ありがとう、蒼真様」
魔力の圧に身を晒しながら、ゆっくりと階段を下っていく。
やがて、朽ちかけた扉が現れた。
その中心には、見覚えのある紋章が刻まれていた――リゼリアの召喚印と、同じ紋様。
「やっぱり……ここが、私の始まりなんですね」
「……あの契約の夜。ここに何かが起きて、記憶と引き換えにお前が呼び出されたのかもしれない」
「では、開けましょう。真実があるなら、見なければ前へ進めません」
リゼリアが指先を差し出すと、扉の紋章が淡く光り、低く軋む音を立てて開いていった。
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その部屋の中央には、古びた水晶柱があった。
まるで、魂の記録媒体のように、淡く光を放ち、空中に揺れる記憶の断片を映し出していた。
俺たちは言葉もなく、浮かび上がる映像を見つめる。
――そこにいたのは、まだ幼いリゼリアだった。
そして、その隣には、少年の俺がいた。
『僕が君を守るよ。ぜったいに』
『じゃあ、私もあなたを守る。たとえ全部を失っても、きっともう一度会いに行くから』
子供の頃の約束。小さな手と手が、誓うように重なる。
それは――召喚魔法の根幹を変えてしまうほどの、純粋な想いによる契約だった。
「……これって……」
「私たちは、ただの召喚主と召喚獣じゃなかったんですね」
リゼリアがそっと呟く。
「これは、あなたと私が交わした、魂の婚約――互いの存在を探し、呼び合う契約だったんです」
ふたりの子供の姿は、最後にこう言って消えた。
『また出会えたら、もう一度、ちゃんと結婚してね』
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「どうして……こんな大事なことを、忘れていたんだろう」
俺は声を震わせた。
長年空白だった記憶が、映像を見たことでようやく戻ってくる。
「契約の代償だったのでしょう。想いの強さが、逆に記憶を封じた。でも――」
リゼリアが俺の胸に額を寄せた。
「忘れてしまっても、愛していたことは本当だった。それだけは、魂が覚えていました」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
思い出したから、じゃない。たとえ思い出さなくても、俺は彼女に恋をしていた。
「やっと分かったよ、リゼリア」
「……はい」
「俺、あのときの約束を守りたい。また一緒に未来を生きたい。今度は、全部思い出してる状態で、ちゃんと君を迎えに行きたい」
「……ずるいです、蒼真様。そんなの、断れるわけないじゃないですか」
リゼリアはそっと顔を上げ、俺を見つめた。
目にはうっすら涙が浮かび、でもその笑顔は、どこまでも幸せそうだった。
「――もう一度、私と恋をしてくれてありがとう」
「何度でもするさ。俺はきっと、君に何度出会っても恋に落ちる」
ふたりの唇が触れたのは、その直後だった。
魔力も、契約も、記憶も超えて。
ただ、人として、魂が重なった瞬間だった。
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封印の記憶を受け入れたことで、リゼリアの魔力は安定し始めた。
同時に、揺れも止まり、王都の異変は静かに収束していった。
もはや彼女は、過去に囚われた召喚獣ではない。
想いをもって、未来を選ぶ一人の少女として、ここに立っている。
そして俺たちは――
「……さて、リゼリア」
「はい?」
「子供の頃にした、あの約束――もう一度、結婚してねってやつ。覚えてる?」
「もちろん。まさか、今ここでプロポーズですか?」
「いや、さすがにここは味気ないな。せめて、温室で。あの白い花の前で」
リゼリアはくすっと笑った。
「わがまま言いますね。でも……すてきです」
「うん。今度はちゃんと、花が咲く季節に」
「じゃあ、また来年も一緒に。絶対に」
その手を、もう二度と離さない。
何度記憶を失っても、また君に恋をする。
そう信じて、俺たちは未来へ歩き出した――