24 素直になれない気持ち
僕は、ウィクトの養子となった。
無駄に広い部屋に、無駄に多い食事の量。
全てが豪華すぎて、気が引ける。
でも、まさか気性が荒いライリーと、常に人から距離を置こうとするライラと一緒に養子として来るとは、正直信じられなかった。
ルーカスおじさんに拾われた当時の僕は、どうして孤児院にいるのかさえ分かっていなかった。
僕は、ジュリアンという名だけを知っていて本当の家族のことは何も分からない。
そもそも、僕を捨てた親なんて知りたくもないけど。
ルーカスおじさんがどうして僕を引き取ってくれたのか、まだよく分からない。
でも、ペンダントとして見守ってくれているラジュリーと、ライリーやライラがいるこの家で、少しずつでも家族として一緒に過ごしていけるのなら、それが一番だと思うようになってきた。
そうして、ウィクト家にやってきて公爵様に部屋を案内された後、僕は、一人きりでその部屋に立ち尽くしていた。
いや、ラジュリーがいるから二人だけど、寝ているのか反応はなかった。
無駄に広い、豪奢な調度品に囲まれた部屋。
壁にはきらびやかな装飾が施され、柔らかな絨毯が床を覆っている。
窓の外には庭園が広がり、孤児院では考えられないような光景が広がっていた。
そして、棚いっぱいの本は僕にとって嬉しいことだった。
孤児院では、本は限られた数しかなく、同じものを何度も繰り返し読んでいた。それが当たり前だったから、この光景はまるで夢のようだった。
しかも、孤児院の本は絵本ばかりで、ルーカスおじさんに難しい本を頼んだりもしてた。
でもここには背表紙が金や銀の装飾で輝いている本もあれば、分厚い革装丁の本もある。
内容はきっと僕の知らないものばかりだろう。
それでも、この部屋があまりにも立派すぎて、どこか居場所を奪われたような気持ちになる。
孤児院での暮らしは、今思えば粗末だったかもしれない。
でも、それが僕にとっての普通だったし、何よりラジュリーとライリー、そしてライラが近くにいてくれた。
……ライラ。
ライラのことを考えると、胸が少しだけ締め付けられる。
ライラは、いつも僕やライリーと適度な距離を保とうとする。
あの無表情で淡々とした態度が、まるで「私は違う」と言っているように思えてしまう。
だから、ライラが心配で仕方がないんだ。
手を繋いだ時だって、その手を無理やりにでも離してどこかへ行ってしまうのかと思って、離さないでいたけど、それだけじゃ足りないようにも思えた。
どんなに僕が頑張っても、ライラはきっとどこかへ行ってしまう。
僕たちがどんなに声をかけても、ライラは決して深いところまで心を開かない。
ライラの中にあるその壁は、まるで壊せない鉄の扉みたいで、近付こうとすればするほど遠く感じた。
だから、あの手を握ったときも、本当は怯えていた。
もしかしたら、力を込めすぎてライラを傷つけてしまったんじゃないかと。
けれど、ライラは何も言わなかった。
怒ることも、嫌がることもなく、ただ静かに僕の手を握り返してきた。
僕がもっとライラを支えられる存在になれれば、ライラは笑ってくれるのだろうか。
しかし、それは僕のせいで叶わなくなった。
「なっ……! 僕はライラのことが好きじゃない!」
公爵様の部屋で、ライラとライリーを待っていると公爵様は「ジュリアンはライラのことが好きなのか?」と突然言われ、僕は気付けば大声で否定していた。
その僕の言葉がまさか、ライラに聞かれているなんて思わなかった。
僕はどうしていつもこうなんだろう。
自分の気持ちに素直になれないばかりか、相手を傷つけるようなことばかり言ってしまう。
僕はただ、否定をするつもりはなかったのに。
ただ、好きだと言えば良かったのに、どうして否定をしてしまったんだろう。
でも、ライラだけじゃなくライリーのことも好きだ。
けど、それは家族としての好きなのかが分からない。
そのとき、扉の向こうからナンシーの声が聞こえた。
公爵様が「入れ」と言うと、扉が静かに開く。
そこに現れたのは、ライラとライリーだった。
――予想していなかった。
ライラたちがこのタイミングで現れるなんて。
ライラは柔らかい素材のブラウスにクリーム色のスカートという清楚な服装で、いつも以上に優美な雰囲気を纏っていた。
ブラウスには控えめなフリルが施され、スカートの裾には繊細な花の刺繍が入っている。
靴は黒の艶やかな革靴で、ライラの可愛らしさを引き立てていた。
その水色の髪と瞳が、全体の雰囲気に完璧に調和していて、目を離せなくなる。
一方、ライリーはライラとは対照的に、より実用的で洗練された服装だった。
シンプルなシャツに動きやすさを考慮したパンツスタイル、そして低めのブーツという組み合わせは、ライリーの性格を表しているように見えた。
ライリーの髪色に合わせた色合いの服は、まるでライリーのために誂えられたかのようだった。
ライリーの服装も確かに目を引くものだったけれど、僕の視線はどうしてもライラに留まってしまう。
そして、ライリーとライラは僕の向かい側のソファに座った。
ライラの顔から目が離せなかった。
それに、公爵様が何かを話していたが、ライラがどう思っているのか、ライラの反応が気になりすぎて、目の前で起こっていることが頭に入ってこなかった。
でも、公爵様の声がふと耳に入った。
「それで、話が変わるが、お前たちは今日からウィクト家の一員となった。これからは、多くの貴族や社交界といった場で注目されることになる」
社交界……そんな場所、僕にとっては気が重いだけだ。
人が集まる場所で注目されるなんて、考えただけでもうんざりする。
「社交界って、あの貴族たちが集まるところですよね?」
僕が言った言葉に、当主は頷く。
「その通りだ。ウィクト家は大勢力だ。お前たちがこの家の名を背負う以上、嫌でも注目されることになる」
ライリーはそれに嬉しそうに拳を握りしめていた。
「なんだかよく分からないが、騎士として恥じない振る舞いを見せて、皆を驚かせてやろう!」
僕は思わずライリーの言葉を聞いて少し苦笑いしてしまう。
ライリーらしい反応だ。
でも、実際に社交界でどう振る舞えばいいのか、それを考えるだけで頭が痛くなる。
それでも、ライラはきっと完璧にこなしてしまえるんだろうな。
「まあ、それはいいがな。ジュリアン、ライラ、お前たちはどうだ?」
当主が僕たちに視線を向ける。
正直、どう答えたらいいのか分からない。
社交界に興味なんてないし、むしろそんな場所は避けたいくらいだ。
「僕は、社交界には興味がないです。むしろ、ああいう人が多い場所は避けたいくらいです」
僕の言葉に、ライラは少し頷く。
やっぱり、僕とライラは考えが似ているのかもしれない。
「それでこそジュリアンだな。だが、避けるのは無理だ。ウィクト家の頭脳として、お前には期待している。ライラはどうだ?」
「……私もジュリアンと同じですが、存在を消すことができるので、ライリーを監視します」
ライラがそう言うと、当主は思わず笑い声をあげた。
「ははは! 本当に面白いなライラは。存在を消すだと? ウィクト家の一員がそんな地味なことをしてどうする?」
「地味でも効果的な戦術です。目立つだけが全てではありませんから」
その冷静な返しに、僕は少し驚いた。
けど、それがライラらしいなと思った。
ライラはどこまでも目立つことを嫌う。
目立たないことで自分を守るようにしている気がする。
それでも、そんなところが少し切なくて、どこか引き寄せられてしまう。
その後、ライリーは嬉しそうに声を上げた。
「ライラに監視してもらえるだなんて、私にとって最高のことじゃないか!」
ライリーってなんでこんなふうになっちゃったんだろう。
喋らなければ、きっともっと良かったはずなのにあまりにも男すぎる。
そして、変人だ。
変なライリーに当主は笑って言った。
「まあ、心配するな。俺がしっかりとお前たちを守ってやる」
別に守ってもらう必要はないんだけど。
当主が静かに立っていたナンシー目配せをしたあと、再び言った。
「それと、明日から貴族としての礼儀作法を徹底的に叩き込むから覚悟しておけよ」
その一言に、ライリーは表情を曇らせた。
僕も、正直言ってかなり面倒だと思っている。
うんざりだ。
でも、ライラはなんとも思っていない様子だった。
本当に、ライラが分からない。
やがて、礼儀作法の日となった。
朝食を皆と取ることになったけど、一番気に入らないのが公爵様の隣にいる御者だった。
ライラを常に満面の笑みで見つめ続けていることが、あまりにも不快で仕方がなかった。
でも、その御者はウィクト家の三男でエドワードだと知った。
意味が分からない。
貴族は、皆頭がおかしい。
「全くこいつは、俺が甘やかしたせいで、好き勝手にやりたいことをやるようになってな。次男は、家業を継ぐのが嫌だと言ってさっさと結婚してウィクト家を出ていったというのに、こいつは縁談を全て断って俺の傍を離れたがらないんだ」
公爵様は、頭を抱えながら言った。
甘やかしたらこんなふうになってしまうなんて、どれだけあの男を甘やかしたんだと、言いたくなる。
「兄上、僕は結婚しないわけではなく、相手が見つからないだけですよ」
「だったら、縁談を断るのは何故だ?」
エドワードの言葉に公爵が問うと、ライラを見た。
本当に腹が立つ、この男だけは絶対にライラに近付けさせないようにしないといけない。
やがて、ライリーはエドワードに食事の作法を教えられることになった。
そもそも、ライリーに礼儀作法を教えてること自体間違ってると思う。
でも、ライラが完璧すぎるんだよ。
どうして、あんなに平然にやってこなせるんだ。
そんなことを思っていたら、ライラと目が合った。
どうしてこんな時に限って、ライラと目が合う回数が多いんだよ。
初めて手を繋いだ時よりも、心臓の音がうるさい。
そして気が付けば、公爵様にペンダントのことを聞かれた。
やっぱり聞かれると思った。
ずっと、僕の首にかかっているペンダントを見ていたし。
もしこれが、魔族が姿を変えていると言ったらきっと僕たちに対して、態度を変えるに違いない。
ライラもライリーも、僕の失言で不幸な目にあってほしくはない。
僕は嘘をついた。
「.....これは、孤児院にいた頃にライリーと……ライラと一緒に作ったものです」
「……ほう」
「このペンダントには、僕たち三人の思い出が詰まっているんです。孤児院では、自分で作りたいものを作ってそれを宝物にすることが流行っていたので」
「それにしては、不思議な雰囲気があるな。装飾も見事だし、ただのペンダントとは思えない」
「僕たちが嘘をついているとでも?」
「いや、そういうことじゃない。ただ、そのペンダントからカを感じるのだ」
やっぱり公爵様は、危険だ。
もし、本当にラジュリーのことが気付かれたら僕たちはどうなる? 養子ではなく、奴隷として売られるに違いない。
ライラは僕が嘘をついたことを、黙って聞いていた。
なんだか、恥ずかしくなった。
やがて、朝食が終わり、白髪混じりの年配のおばさんが僕たちを見下した目をしながら口を開いた。
「私はリースと申します。メイド長のナンシーが不在のため、代わりに担当させていただきます。今回は、公爵様からダンスの指導のみと聞いていますが、それだけでは済まされない場合もありますから、覚悟をしておいてください」
公爵様の指示なら、指示を受けたことまでやればいいのに、このおばさんはそれ以上のことをしていた。
本当にこういう人は馬鹿で頭が痛くなる。
そうして、基本姿勢だのなんだのと教えられることになったけど、どうして初めてやることなのに急にやらされなくちゃいけないんだ。
ライリーにこんなこと、やらせないでよ。
こんなの、ライリーにとっては拷問でしかないよ。
それでも、ライラは何一つ動じることなく、静かにリースの指示に従っていた。
背筋を伸ばし、完璧な姿勢で動きをこなしていく。
その余裕のある態度に、僕は驚きながらも少し悔しかった。
どうしてこんなに簡単そうに見せられるんだろう。
一方、ライリーはというと、もう表情が死んでいる。
ぎこちない動きでリースに注意されてばかりで、そのたびに小声で愚痴を漏らしている。
正直、見ていられない。
誰が見ても完璧なライラの作法にリースは、悔しそうに歯ぎしりしていた。
「……もう結構です。ライラ様、あなたは隅の方へ立っていてください。その、見下すような目線が気になりますので」
「おい ! それはどういうことだ! 」
「ライリー様、言動にはお気を付けください。ごれはあくまで指導ですので」
「ライラの天使のような顔が、どこをどう見たら見下したようになるのだ! むしろ、お前の方が見下しているように思えるのだが?」
「.....ライリー、その辺にしておきなよ」
こんなのが、礼儀作法を教えてる人だなんてありえないよ。
むしろ、おばさんの方が礼儀がなってないだろ。
それに、これはダンスじゃないだろ。
「ずっと思っていたから言わせてもらうけど、ダンスの指導なら、お手本が先では?」
僕は静かにそう言った。
けれど、自分でも驚くほど低い声になっていた。
リースは、一瞬だけ驚いた表情を見せたものの、すぐに顔をしかめて僕を睨む。
「……もちろん、お手本をお見せすることも重要です。しかし、この場では皆様の基礎を確認することが先決かと――」
「その基礎とやらを確認するために、無駄に感情的な指摘を続ける必要があるのかって聞いてるんだよ」
「ジュ、ジュリアン様、私は皆様に最善の指導を――」
「じゃあ、最善の指導とやらを、まず自分で実践して見せたらどうなの?」
僕の言葉に、リースはピクリと肩を震わせた。
その目は怒りに燃えていて、まるで僕を睨み殺そうとしているみたいだったけれど、そんな視線で怯むほど僕は弱くない。
「……あなたという方は、本当に口の利き方を知りませんね。礼儀というものがまるでなっていない!」
リースは怒りを抑えきれないように、バンッと足を踏み鳴らした。
そして次の瞬間――
パァンッ! と鋭い音が響いた。
頬にじんとした痛みが走った。
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
でも、リースの振り抜いた手と、ライリーの驚愕した顔を見て、すぐに悟る。
……僕は、叩かれたんだ。
「ジュリアン!」
ライリーが駆け寄ってくる。
その目は怒りに燃えていて、今にもリースに殴りかかりそうな勢いだった。
でも、それ以上に気になったのは――ライラだった。
ライラは静かに僕を見つめていた。
その瞳はどこまでも冷たく、静かで――まるで感情を押し殺しているみたいだった。
すると、今まで黙ってペンダントとして見守っていたラジュリーの微かな声が僕の耳に届いた。
その声は、とても焦っているように思えた。
ライラの静かな視線が僕を突き刺すように感じた。
その目からは何も読み取れないけれど、確かに何かが溢れ出しそうな雰囲気を感じ取った。
まるで、自分の感情を必死に抑え込んでいるかのようだった。
ライラの髪が、風もないのに揺れ動いているように見えた。
違う、揺れ動いていた。
僕はこの時思った。
ライラがこれ以上にないほど、怒っているのだと。
それも、僕のために。
ライラは、僕が何を言っても、もう何も聞かないかのように感じた。
その沈黙が、これからどうなるのかという不安と怒りを僕の心に押し付けてきた。
ライラは今、闇魔法を無意識に出そうとしていた。
このままだと、ライラが危ない。




