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20 到着

孤児院を離れて、結構な時間が経った。


馬車の中はすっかり静まり返り、さっきまで窓の外を見て興奮していたライリーも、とうとう疲れ果てて眠ってしまったらしい。

しかも、ジュリアンに嫌がらせのようにもたれかかっているせいで、ジュリアンは物凄く不機嫌そうな顔をしていた。


無理やり離そうとライリーの顔を押してみるものの、びくともしない。

どうやら全く起きる気配もないらしく、ジュリアンは最終的に諦めて、自分も目を閉じて眠ることにしたようです。


そんな二人を眺めながら、私は窓の外へ視線を向ける。


馬車の外には広がる草原や木々が、揺れる景色の中で流れていく。

本当に何もないのね。


ここまで来る間、家らしい家を一軒も見かけていない。

孤児院がひっそりと建てられているのは、やはり理由があるのでしょうか。


……それにしても、公爵家の当主がどうしてこんな田舎まで足を運ぶ必要があったのかしら。


帝国の中にある孤児院だとしても、公爵がわざわざ出向くような場所ではないはず。

それを考えると、なんだか不思議な気がする。


馬車の揺れに身を任せながら、ぼんやりとそんなことを考えていると、前から小さな寝息が聞こえてきた。


ライリーは当然のように熟睡中だが、ジュリアンもとうとう力尽きたのか、静かに眠りに落ちていた。

最初はあんなに嫌がっていたのに、諦めた途端、こんなにも無防備になるなんて。


「可愛い」


思わず小さく呟いた瞬間、ジュリアンの首にかかっているペンダントが赤く光を帯びた。


『やっと、ライラ様と話せる』


小さなドラゴンの姿で、おチビちゃんが現れる。

いつの間にか私の膝にちょこんと座っていた。


「馬車に乗ったときから喋れば良かったのに、どうして今まで黙っていたんですか?」


私は小声で問いかけると、おチビちゃんは少しバツが悪そうに羽をバタバタさせた。


『あの男が近くにいたからだ』

「あの男? もしかして、当主のことですか?」

『うん、そうだ。あいつ、ジュリアン殿のペンダントを見て、少し怪しんでいたんだ』


……まあ、確かに真っ赤なペンダントを見たら、それは怪しむわね。

しかも、子どもがそれをかけているのだから。


『だから、あいつがいない時を見計らって話したかったんだ。さすがに、正体がバレるのは困るからな』


おチビちゃんは私の膝の上で翼を小さく動かしながら、少し不機嫌そうに呟いた。


窓の外に顔を出し、前方を覗くと、公爵が馬を駆りながら堂々とした姿勢で先頭を進んでいるのが見えた。


「……怖いと言われる理由が、なんとなく分かった気がします」


私は窓から顔を引っ込めながら、小声で呟いた。


『まあ、俺からしたら怖くもなんともないけど、あの堂々とした態度と余裕のある振る舞い……。あれはただの飾りじゃない。あいつ、絶対に何かしら裏で考えているんだ』


確かに、公爵家がわざわざ養子を迎える理由も不透明です。

ウィクト家ほどの名家が、そこまでして子どもを欲する必要があるのかしら……。


そもそも、あの当主は結婚しているの? しているなら、子供がいてもおかしくないはず。


「まあ、私たちはとりあえずウィクト家での生活に集中するしかないですね。当主がどんな人物かは、そのうち分かるでしょう」

『それもそうだな。ライラ様も、ジュリアン殿も、ライリー殿も。俺がいる限り、誰一人として手出しはさせないから、安心してくれ』

「私は闇魔法があるので大丈夫です。おチビちゃんはこの二人を守ってあげて」

『ああ、任せてくれ。でも、ライラ様を守るのも俺の役目だ』

「はいはい、ありがとうございます」


私はおチビちゃんを抱きしめて、眠りにつくジュリアンとライリーを見つめる。


ジュリアンとライリーは、揺れる馬車の中で穏やかな寝息を立てている。

ジュリアンは相変わらずライリーにもたれかかられたまま、微妙な表情を浮かべているが、眠っていることに変わりはない。

ライリーはというと、まるで何も気にせず幸せそうに夢の中だった。


馬車の中は揺れと共に心地よい静けさに包まれていた。

ジュリアンとライリーの穏やかな寝息を聞きながら、私も次第に瞼が重くなっていく。


窓の外では、草原がどこまでも続いている。

遠くの空が霞むように見える景色は、どこか現実離れした感覚を与えてくれる。


――二人が、これから幸せな日々を送れますように。


心の中でそう祈りながら、私はそっと目を閉じた。

馬車の揺れに身を任せるうちに、意識が遠のいていく。




●●●




「おーい、お前ら、着いたぞ」


当主の声に、私は目を覚ました。


馬車が止まり、静かになった中で、まだ寝ぼけている頭を軽く振って目をこすった。

前を見ると、ジュリアンとライリーもゆっくりと目を開けている。

結構眠れた気がする。


ジュリアンの首を見ると、おチビちゃんはいつの間にかペンダントの中へ戻っていた。

相変わらず存在感を消すのが上手です。

偉い偉い。


「……着いたの?」


ジュリアンがまだ半分眠ったままの声で呟く。

可愛いです。


「私としたことが! ライラの膝ではなくジュリアンの肩で眠るとは……なんという失態だ」


ライリーが目を覚ますや否や、いきなりそんなことを言い出すものだから、私は目を丸くしながら思わず笑いそうになる。


「はあ? ライリーのせいで、僕がどれだけ肩が痛いか分かってる?」


ジュリアンが寝ぼけ眼で肩を揉みながら、ライリーに文句を言う。


「おいジュリアン。それは感謝の言葉が先だろう? 私がお前の肩で安らかな眠りにつけたということは、お前の肩が優秀だった証拠だ!」


ライリーが胸を張って堂々と言うものだから、ジュリアンは眉間に皺を寄せて深い溜息をついた。


「……優秀とか言われても嬉しくないから。僕の肩は枕じゃないんだけど」

「まあ、私にはライラの膝枕というものがあるからジュリアンはいらないけどな」

「……だったら、最初からライラの隣に座ればいいじゃん」

「ジュリアン、お前が『ライラの隣はラジュリーが座るかもしれないから、座るな』と言ったんだろう?」


二人がそんなやり取りをしている間、私は隣で呆れながら席を立つ。


この二人に付き合ってたら、こっちが疲れます。

もう、二人で仲良く喧嘩でもしていてください。


立ち上がって馬車から顔を出すと、金髪と橙色の瞳を持った御者が私に手を差し伸べてきた。

その瞬間、彼の顔が満面の笑みで輝いているのが見えた。


無駄に顔が整っている顔で見ないでもらえますか? 私は、可愛い人と冷たい人しか興味はありませんので。


「お嬢様、さあ、お手を」


お嬢様ね……。

あっちの世界では何回聞いた言葉やら。


母が名家から縁を切った後も、かつて母に仕えていた使用人たちが、私の目を見て「お嬢様」と声をかけてくるものだから、寒気がした。

むしろ、兄と弟、そして父に対しては完全に眼中になかった。

本当に不気味だった。


そんなことを思いながらその手を取ろうとした瞬間、後ろから腕を掴まれた。


「ライラに触れないでください」


ジュリアンが怖い顔をしながら、馬車の中に引き寄せた。

はあ、ジュリアンって本当に分かりません。

怒ったと思えば、いきなりこういうことをするんだから。


ジュリアンは険しい表情のまま、私の腕をしっかりと掴んでいる。


「ジュリアン、手を離してください」

「……危ないかもしれないだろ。あいつが何者か分からないし」

「ただ手を差し伸べてくれただけです」

「そうだぞ、ジュリアン。さあ、降りるぞ!」


ライリーは、そのまま馬車から飛び降りた。


さすがはライリーね。

けれど、どこかの令嬢が見たら影で笑われそう。

それだけは私がさせません。

ライリーはライリーのままでいいのよ。


ジュリアンは少し不満そうな顔をしていたけれど、渋々と手を離してくれた。

再び馬車から外に出ると、御者は相変わらず満面の笑顔で待っていた。


「お嬢様、どうぞお気をつけてお降りください」

「ありがとうございます」


今度こそ彼の手を取って地面に降り立つと、広大な庭園と壮大な屋敷が目に飛び込んできた。


「……大きい」


あっちの世界でも、この世界でも、また広い家で暮らすことになるんですね。

大きな屋敷を見上げていると、後ろからライリーが勢いよく飛び出してきた。


「これが、私たちが暮らす家か!」


ライリーは目を輝かせながら、屋敷を見上げていた。


「ははは! どうだ? ここがウィクト家だ」


当主は、馬から降りて、誇らしげに胸を張りながら屋敷を見上げた。


「……孤児院の方がマシだな」


そう言って、ジュリアンは私の隣に来て腕を組みながら屋敷を見上げていた。


確かに、私もそう思う。

ルーカスがいて、居心地が悪かったけれど、ここと比べたら孤児院の方が余っ程マシね。


「さあ、行くぞ。ついて来い」


当主が手招きをしながら屋敷の方へ歩き出した。

ライリーは、私とジュリアンの腕を引っ張って歩き始める。


「行こう! ジュリアン、ライラ」

「ちょっと、ライリー。そんなに引っ張らないでよ」


ジュリアン、この様子だと浮かれすぎて聞こえないですよ。


ジュリアンは呆れながら、引っ張られるまま歩き始めた。

やがて、玄関の扉が重々しく開き、私たちは中に足を踏み入れた。


中に入ると、多くのメイド服を来た女性たちが待ち構えていたかのように一斉にお辞儀をした。


そこから、眼鏡をかけたメイド長らしき女性が静かに前へ出てくる。


「お待ちしておりました」


彼女はきっちりとした立ち居振る舞いで、他のメイドさんたちを率いているのが一目で分かる。


「本日よりこちらでお世話させていただきます、メイド長のナンシーと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


彼女の声は落ち着いていて、どこか厳格な雰囲気を漂わせている。

纏められた茶色の髪と、眼鏡越しから見える紫色の瞳が、私たち三人を捉えていた。


「よろしくお願いします」


私が返事をすると、ライリーが興奮した様子で声を上げた。


「凄いな! メイドがこんなにいるなんて!」

「……ライリー、静かにしてよ」


ジュリアンが軽く叱るが、ライリーは全く気にしていない様子だった。


逆にどうしてジュリアンはそんなに冷静でいられるの? 私も少しだけ驚いてしまったのだけど。


「お前たち、これからここで生活するにあたって、何か困ったことがあればナンシーに相談しろ。彼女が全て取り仕切っているからな」


当主がそう言うと、ナンシーさんは丁寧に一礼した。


「はい、どんな些細なことでも構いませんので、遠慮なくお申し付けください」

「ナンシー、まずは部屋に案内してくれ。ああ、ジュリアンは俺が案内しよう」

「え? なんで僕だけ……」

「お前は男だからな。男の俺が案内をしてやる」


当主が妙に力強く言うものだから、ジュリアンは明らかに嫌そうな顔をして首を振った。


「結構です。僕、普通に皆と一緒でいいですから」

「遠慮するな! 男同士、腹を割って話すいい機会だろう! 男の世界を教えてやる」

「そんな世界、教えてくれなくていいんだけど!」


当主はそんなジュリアンの言葉などお構いなしに、肩をぐいっと引き寄せて連れ去っていく。


ジュリアンの抗議の声が廊下に響く中、私とライリーはナンシーさんに促されて別の方向へ向かうことになった。

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