19 出発
別れ際、ルーカスは私たちを強く抱きしめた。
「三人とも、すぐに会いにいきますからね」
……絶対、毎日会いに来る気ですよね。
まあ、少しくらいは顔を見せてあげましょう。
「ルーカスおじさん、そろそろ離してくれませんか? 苦しいんですが」
ジュリアンが顔をしかめながら、もがくように言う。
私も息が詰まりそうだし、手が痛くなってきました。
「ルーカス、私も死にます」
私は少しだけ抗議の声を上げた。
ルーカスの抱擁は温かいけれど、力が強すぎる。
それにほら見てくださいよ、ライリーは今にでも死にそうな顔をしてますよ。
ルーカスは慌てた様子で手を離した。
「あっ、すみません!」
「ははは! さすが母性があると評判のルーカス殿だな。愛が重すぎて相手を潰しそうになるとは」
相手を潰しちゃいけないでしょ。
そんなことを思いながら、私は目の前の豪華な馬車に視線を向けた。
……これが普通なんでしょうか? まあ、公爵の馬車ですし、不思議ではないのかもしれません。
と、そのとき、御者の人と目が合った。
満面の笑顔です。
でも、この当主って本当に怖いと言われてるんですかね? なんだか、そうは思えませんが……。
「よし、そろそろ行くぞ」
「父上! 私、立派な騎士になってみせます!」
「はい、きっとライリーなら立派な騎士になれますよ」
あそこだけ、やけに眩しいんですが。
これが親子の絆というものなんでしょうか? 私には、よく分かりません。
「ライラ、僕たちは先に馬車に乗ってよ。あの空間に僕たちが入ったら、耐えられないよ」
「そうですね」
ジュリアンに手を引かれながら馬車へと向かうと、ふと当主が意味ありげな笑みを浮かべながら近付いてきた。
「お前たちは、手を繋ぐほどに仲がいいんだな」
「なっ……!」
ジュリアンが驚いて、慌てて私の手を離す。
ああ、やっと自由になれました。
それにしても、なんでジュリアンはそんなに顔を赤くしてるんでしょう? 私が近付くと、さらに赤くなって、そそくさと馬車に乗り込んでしまった。
いったいどうしたというの?
「ははは、面白いな。ライラ、気にするな。そういうお年頃だから仕方がない。だが、困ったな」
「……何が困るんですか?」
「ライラとジュリアンがあまりにも仲がいいと、周りが勘違いしそうでな」
当主の言葉に、私は一瞬目を見開いた。
仲がいいのかしら? 私には、よく分かりません。
「勘違いって、何をですか?」
私が眉をひそめて尋ねると、当主は含み笑いを浮かべたまま肩をすくめた。
「それは、お前たちの将来の話というやつだ。仲がいいのはいいことだが、過剰に見えると、いろいろな噂が立つものだぞ」
「仲がいいのは悪いことですか? 家族でしょう?」
「まあ、今は家族だが……もしジュリアンに本当の親が見つかったら、家族ではなくなる」
……待ってください。
ジュリアンを孤児院に預けた親が、まるで迎えに来るみたいな言い方ですね?
そもそも、ウィクト家の子として正式に迎え入れたのに、今さら「本当の親が現れたから出て行け」なんて、意味が分かりません。
「……それって、どういう意味ですか?」
私の問いに、当主は少しだけ表情を引き締めた。
「いや、深い意味はない。ただ、ウィクト家に迎え入れるとはいえ、誰もが元の家族との絆を完全に断ち切れるわけではないということだ。ジュリアンも、自分の本当の親を知りたくなるかもしれないだろう?」
いや、知りたいわけないでしょう。
名前だけ残して捨てたような親ですよ? ジュリアンだって、今さら会ったところで、顔すら知らないはずです。
なんの意味があるというのでしょうか。
「自分を捨てた親に会いたいなんて思う子どもがいると思います? いませんよ」
「ははは、そうだな。ジュリアンはもうウィクト家の一員だ。それに――」
当主は意味ありげな間を挟み、私を見ながら続けた。
「ライラ、お前もだ。ウィクト家に迎え入れた以上、お前たちは皆、俺の子どもとして扱う。それがどんなに賑やかでもな」
「賑やかって、私たちを見ての感想ですか?」
私は少し疑わしそうに当主を見たが、彼は悪びれることなく笑った。
「その通りだ。だが、それがいい。ウィクト家は冷たいと言われがちだが、お前たちがいれば、そんな噂もすぐに吹き飛ぶだろう」
「それって、恐ろしいと噂のウィクト家に傷が付くんじゃないですか?」
私が軽く皮肉を込めて言うと、当主は肩をすくめて笑った。
「噂なんて所詮、他人が勝手に作り上げたものだ。俺にとって重要なのは、家の中がどうあるかだ。恐れられるより、信頼される家である方がいいだろう?」
私は少しだけ考え込んだ。
確かに、恐怖で支配するような家より、信頼がある方が強いのかもしれません。
当主はそんな私を見て、笑った。
「とにかく、お前たちみたいな子どもがいれば、恐ろしい家だと思われるより、賑やかで暖かい家だと思われる方が、俺も楽でいい」
「当主として、それでいいのですか?」
「まあいいじゃないか。さあ、馬車に乗りなさい。ジュリアンも待ちくたびれているぞ」
私は当主の言葉に少しだけため息をつきながら、視線を馬車の窓の方に向けた。
そこから微かにジュリアンの顔が見えた。
……多分、馬車の中が暑くて顔が赤いだけだと思いますけど。
「ライラ! 待たせたな! 私と馬車に乗ろう!」
突然、ライリーが駆け寄ってきた。
元気なのはいいけど、いつの間に。
やがて、ルーカスもゆっくりと近付いてきた。
「ライリー、少しライラと話したいことがあるので先に馬車に乗っていてください」
「分かりました! 父上!」
ライリーは素直に頷き、元気よく馬車へと向かう。
……私と話したいこと? 何もないでしょうに。
「……話ってなんですか」
「ライラ、体には気を付けるのですよ。それと、たくさん食べて、よく寝て、たまには僕のことを思い出してくれると嬉しいです」
何を言うのかと思えば、恨まれている相手に心配をするだなんて。
本当に、この人は馬鹿です。
「どうせまた会いに来るくせに、どこか遠い場所に行くわけでもないのに」
「それでも、ライラ。君たちが新しい家族に迎えられるということは、僕の出番が少なくなるということなんです。寂しくなるじゃないですか」
「……それ、絶対すぐに会いに来る人のセリフじゃないですよね」
ルーカスは困ったように微笑んで――次の瞬間、ふわりと抱きしめられる。
突き飛ばせばいいのに、私はそれができなかった。
懐かしい匂いと温もり。
なんなんでしょう、この感じ。
思い出したくないはずなのに、心の奥がじんと熱くなる。
「ライラ、幸せになりなさい。僕はずっと見守っていますから」
……どうして、泣きそうになるんですか。
私は必死に感情を押し殺し、静かに答えた。
「……はい」
それしか、言えなかった。
この温かさに包まれていると、今まで感じていた恨みや苛立ちが、少しずつほどけていくような気がした。
「さあ、そろそろ行きなさい。新しい家族が待っています」
ルーカスは優しく私を離し、微笑みながらそう言った。
「……ルーカス」
「はい?」
「ありがとう」
そう言った瞬間、ルーカスの目がわずかに見開かれる。
そして――すぐに嬉しそうな笑みが浮かんだ。
照れくさくなって、私はさっさと馬車へと向かう。
御者が扉を開くと、そこにはジュリアンとライリーがいた。
「ライラ! 話は終わったようだな!」
ライリーが元気よく声を上げる。
ジュリアンは……顔を真っ赤にしたまま、私を直視しようともしなかった。
……もう、そっとしておきましょう。
私は二人の向かい側に座る。
馬車が動き出すと、窓の外には小さくなっていくルーカスの姿があった。
彼は変わらず優しい笑顔で、手を振っていた。
「父上ー! お元気でー!」
ライリーが窓から身を乗り出して、大きく手を振る。
ルーカスも、それに負けないくらいに大きく手を振り返していた。
この世界に来て二ヶ月。
私は孤児院を離れ、新しい家に向かうことになった。
捨てられる日は来なかった。
だけど――
この二人となら、「捨ててほしい」という気持ちは、少しずつ消えていくのかもしれない。
少なくとも、二人といるときだけは。
これにて、一章を終えて二章に突入いたします。
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