18 旅立ち
書類に自分の名前を書き入れる。
三つの名前が並んだのを確認すると、ルーカスは静かに書類を折りたたんだ。
「悲しいですね。僕の大切な三人がいなくなってしまうなんて」
「そんなこと言って、ルーカスおじさん。毎日のように僕たちのところに顔を出すの、知ってますから」
「父上! 私は大歓迎です!」
ライリーとジュリアンは、私を挟むようにしてルーカスに向かって言う。
ジュリアンは相変わらず私の手を離してはくれなかった。
それよりも、おチビちゃんがさっきからやけに静かだけれど、大丈夫でしょうか。
私は、ジュリアンに気付かれないよう、首にかけてあるペンダントをそっと見つめた。
すると、それに気が付いたのかおチビちゃんは、「いるぞ、ライラ様」と小さく囁いた。
良かった。
「その様子だと、話し合いが終わったんだな」
穏やかな声とともに、居間に当主が姿を現した。
彼は嬉しそうな顔で書類を見ている。
――決してあなたのためではありませんけど。
「エヴァン殿、書類を」
「感謝する。ほう、いい名じゃないか」
「父上が付けてくださった名前です」
「僕はもともと付いてた名前だけどね」
え? ジュリアンの名前ってルーカスが付けたのかと思ってましたけど、まさか違ったなんて。
まさか、本当にどこかの貴族の子だったりするのかしら。
「ジュリアンか、お前はいい男になるぞ」
「……! と、当然です」
ジュリアンの嬉しそうな気持ちが、手のひらを通じて伝わってくる。
「それに、ライリーもな」
「わ、私は! 騎士になりたいです!」
――ちょっと待ってください、当主。
その言い方だと、まるでライリーが男みたいなんですけど。
まあ、ライリーが騎士になるのは確定でしょうね。
「騎士か! それは面白い。よし、本格的に鍛えてやろう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「うわ、これ以上鍛えたらライリー、本当に男っぽく……」
それ以上言ってはいけません、ジュリアン。
私はジュリアンの足を踏み、睨みつけた。
すると、思いのほか痛かったのか、ジュリアンが椅子から落ちそうになる。
――そんなに痛かったの? 私、優しく踏んだつもりなのに。
そんな様子を見たおチビちゃんは、ペンダント越しに囁いた。
「ライラ様は強いぞ、ジュリアン殿」
うるさいですね。
毛を刈り取りますよ。
「ジュリアン、私に何か言ったか?」
ライリーが不思議そうに聞いてくる。
「……なんでもないよ!」
ごめんなさい、ジュリアン。
ちょっと申し訳ない気持ちになっていると、ジュリアンが人差し指で私のおでこを押してきた。
「大丈夫だよ、ばか」
仕返しですよね。
「ライラは気品がある。成長したら、男どもが放っておけない存在になるな。ははは!」
それは嫌です。
世の中の男なんて、ろくなものじゃないって前の世界でクラスの女子が言ってましたよ。
女を舐めないでください。
そんなことを考えていると、右手に少しだけ痛みを感じた。
そう、ジュリアンが強く握りしめているのでした。
いきなりどうしたのよ。
「ジュリアン、手が痛いです」
私が小さく囁くと、ジュリアンはハッとして力を緩めた。
でも、手は離してくれないのね。
「エヴァン殿、ライラがそのような目にあったら許しませんので」
ルーカスは微笑みながら、当主に言った。
ライリーも何度も首を上下に振りながら、当主を睨みつけていた。
「おいおい、俺をなんだと思っているんだ? 一応、怖いと恐れられている公爵だぞ?」
「だったら、公爵様のような怖い人がどうして子どもを三人も養子にするんですか?」
隣にいるジュリアンが馬鹿にするかのような態度で、言った。
ちょっと待って、そんなに刺激したら、本当に殺されてしまうわ。
当主を見ると、真剣な顔で私たち三人を見下ろしていた。
何、あの顔。
まるで、今から話すことは胸に刻めとでも言うかのように。
「そのことだが、本当は取るつもりもなかったのだ、三人もな。だが、お前たちのような子どもであれば、ウィクト家を支える力になれるかもしれないと思ったのだ」
当主の言葉に、一瞬場が静まり返った……かと思えば、ライリーが首を傾げながら手を挙げた。
「支えるって、具体的には何をするんですか? 私、まだ剣を振り回すことはできませんよ? 悔しいですが!」
「ええ、僕も聞きたいですね。支えるって、重そうですけど、実際どれくらいの負担が……」
ジュリアン、あなた適当に言ってますよね。
それに、手を繋いだまま真顔で言わないでもらえます?
「お前らな、話の重みってもんを分かっているのか?」
ルーカスは口を押さえながら、密かに笑っていた。
当主は若干呆れた様子で私たちを見渡したが、特に怒ることなく話を続ける。
――私、何も言ってませんからね?
「ジュリアン、お前は冷静な判断力と知略がある。将来的にウィクト家の頭脳として活躍してくれるだろう」
「まあ、突然です」
何を言われても堂々としているジュリアン、頭がいいからって! いや、ちょっと調子に乗りすぎじゃないですか?
「ライリー、お前は強靭な精神力と武術の素質を持っている。鍛えれば、立派な騎士になれる」
「では騎士、確定ですね! よし、これでライラと結婚……」
「黙ってください、ライリー」
私は即座に遮った。
ライリーの騎士を目指す姿勢は立派だけど、なんで結婚する方向に話が飛ぶのよ。
あなたが女でも男でも、結婚をする気もありませんから。
そして、当主の視線が私に向けられる。
「ライラ、お前には何か……こう、秘めたものを感じる」
「……秘めたものですか?」
私、ただ普通にここに座っているだけなんですけど。
むしろ何も隠してないつもりなんですけど。
闇属性だということ以外は。
「それがなんなのかは今は分からないが、必ずウィクト家の力になると信じている。まあ、お前は成長したら必ず美人になるだろうし、それだけでも十分だろう。ライリーもな」
信じている、って言われても。
いや、私に聞かないでほしいんですけど。
そんな大きな期待をかけられると胃が痛くなりそうです。
「えっ、私もですか!?」
驚きの声を上げたライリーに、当主はごく自然な顔で頷いた。
「そうだ。今はまだ幼いが、いずれ凛々しい騎士の美しさを身に纏うことになるだろう」
「あ、ありがとうございます……! へへ」
ライリーは嬉しそうに頬を赤らめながら、照れ隠しなのか頭をポリポリと掻いた。
その様子が少し可愛くて、思わず笑いそうになる。
「公爵様、それなら僕にも期待してるってことですよね」
ジュリアンが待ってましたと言わんばかりに口を挟む。
当主は少し眉を上げたが、特に驚いた様子もなく軽く頷いた。
「もちろんだ。ジュリアン、さっきも言ったがお前は既に聡明で才気あふれる男だ。成長すれば、ウィクト家の頭脳として誰もが頼る存在になるだろう」
「ほらね、僕が一番期待されてるってことだよ」
ジュリアンは満足げに胸を張りながら、私の手をぎゅっと握る。
「それはちょっと違うと思いますが」
私が冷静に突っ込むと、ジュリアンはわざとらしく肩をすくめた。
「ライラはさ、もっと自分を信じたほうがいいんだよ。美人になるって保証までされてるんだから」
「その話、もういいです」
私が冷たく言い放つと、ジュリアンはわざとらしく大げさな溜息をついた。
「ライラは本当に謙虚なんだから。まあ、ライラが美人になるのは確定だし。僕がその護衛を務めるのも確定ってことで」
「確定しなくていいです」
「おい、ジュリアン! その護衛は私の役目だぞ!」
ライリーが勢いよく口を挟む。
「騎士志望のライリーより、頭脳派の僕が適任だよ。そもそも騎士は戦場に出ることが多いんだから、ライラを守る余裕ないでしょ?」
ライリーが鼻を鳴らして、ジュリアンを睨みつけた。
「ふん、私はできるが? 戦場でも、敵を一掃しながらライラを守ることくらい朝飯前だ」
「いやいや、それってむしろ戦場でライラを危険にさらしてるってことだよね?」
ジュリアンが呆れたように肩をすくめながら返す。
「お前に守れるなら、私にも守れる!」
ライリーは真ん中に座る私がいながら、ジュリアンを指さし、さらに言い募る。
「はあ、騎士がそんなに万能だと思うなよ。ライラを守るなら、もっと頭を使わないと――」
「二人とも黙って」
私が思わず声を上げると、ジュリアンとライリーはハッとしたように口を閉じた。
全く、くだらないことで喧嘩ばかりして。
おチビちゃんなんか、行儀よく黙ったままでいるのに、二人ときたら。
当主は、そんな私たちのやり取りをしばらく黙って見ていたが、やがてクスリと笑った。
「いいな。実に賑やかだ。まるで嵐のような子どもたちだな」
その言葉に、ジュリアンとライリーがハッとして当主を見上げた。
「嵐って……そんなに騒がしいですか!?」
ライリーが少し戸惑ったように尋ねると、当主は肩をすくめて答える。
「騒がしいのは悪いことじゃないさ。むしろ、静かすぎる家なんてつまらないからな。だが、お前たちの喧嘩がなんの実りもないものだとしたら、それは少し考えものだな」
ジュリアンが少し不満げに口を開く。
もう余計なことは言わないでください。
「別に無駄な喧嘩なんてしてませんよ。僕たちは、ただライラのことを―――」
「守りたいって気持ちは分かった。だが、その方法を巡って争うのは、本末転倒だろう?」
当主はジュリアンの言葉を遮りながら、冷静な目で二人を見た。
ジュリアンとライリーは言葉を詰まらせ、気まずそうに目を逸らす。
待って、これだと私が悪いみたいな感じになるんですが? というか、ルーカスもさっきから笑っていないで何か言ってくださいよ。
私がルーカスに助けを求めて視線を送ると、彼は困ったように笑いながら首を振った。
え、 何その反応? 私が悪者みたいになっている状況を放置するつもりですか? 見損ないましたよ。
「エヴァン殿、そろそろ本題に戻っていただけますか? 子どもたちに喧嘩の仕方を指導しているわけではないでしょう?」
今まで黙って見ていたルーカスが当主に視線を移して口を開いた。
その言葉に、当主は軽く眉を上げてから微笑を浮かべた。
「ははは、確かにそうだな。だが、こうして子どもたちが本音をぶつけ合うのも悪くない。ウィクト家に迎え入れる前に、お互いの性格を知っておくのは重要なことだ。特に俺がな」
もう私たち三人はお互いの性格は知っているんですがね。
「よし、これでお前たちは正式にウィクト家の一員となった」
「僕たち、本当にここを出るんだね。それに、公爵家の養子になるなんて」
「未だ、信じられないな……」
ジュリアンとライリーは、感慨深げに当主が持つ書類を見つめていた。
確かにまさか、平民ではなく貴族になるなんて思わなかったけれど、今は二人がいるし逃げることはしませんよ。
けれど、捨てられることの快楽はまだ私の中にありますがね。
なんですか? 当たり前でしょう? 文句を言うなら、あちらの世界の父親に言ってください。
「まあ、まだ実感が湧かないのは分かる。だが、これからはウィクト家の一員として誇りを持って生きていくんだ」
当主は穏やかな口調でそう言い、私たち一人ひとりを見渡した。
ライリーは、ルーカスを見るとお互いに微笑みあっていた。
二人が一番親子っぽかったですよ。
そして、手を繋いだままでいるジュリアンも不満げではあるが繋いだ手を強めた。
その様子を見て、当主は満足げに頷いた。
「よし、これで決まりだ。さあ、帰ろう。お前たちが新しい家族となる、その家にな」
その一言で、この場所を出て、新たな生活へと踏み出すのだと私は思った。
まだ見ぬ未来に胸がざわつくけれど、この道を選んだ以上、もう引き返せない――
そんな思いを胸に、私は立ち上がった。




