17 温かいぬくもり
「ライラ! 本当にすまなかった!」
おチビちゃんとしばらく遊んでいると、突然部屋に入ってきたライリーが声を上げた。
……その様子だと、負けたわね。
ライリーの服が汚れているということは、木の上や草むらに隠れていたのでしょうけど、それでも見つかってしまったのね。
可哀想に。
『ライリー殿、負けたのか?』
「私としたことが! 隙をつかれてしまったんだ!」
「ジュリアンは?」
「体を洗いに行ったぞ」
『……ライラ様。負けてしまったようだけど、どうするんだ?』
「どうするもなにも、大人しく引き取られるしかないでしょう?」
まさか、勝負をしかけた側が負けるだなんて。
こんなこと、あってたまらないけれど、勝負は勝負です。
この孤児院には随分とお世話になったけれど、正直、逃げることができない監獄みたいな場所でした。
次の行き先は孤児院ではなく、恐らく貴族の家……。
警備も厳重になるでしょうし、逃げ出すのはさらに難しくなりそう。
でも、ジュリアンとライリーは今後どうするのかしら。
あの当主が引き取るのなら、私たちは貴族になるというわけで、私よりもずっと目立つ二人は、きっと大変な人生を送ることになるでしょうね。
……頑張ってください。
私は、目立たず、二人や当主に存在を忘れられた頃合いを見て、そっと逃げ出すことにしましょう。
だから、しばらくはライリーとジュリアンが私のことを覚えている間だけ、付き合ってあげましょう。
覚えている間だけは……。
無意識に俯いていたのか、おチビちゃんは不思議そうに言った。
『ライラ様? どうかしたか?』
「あ、いえ。なんでもありません」
「ライラー! 引き取られても私は常に一緒にいるからなあ!」
「苦しいです……ライリー」
首を締める勢いで、ライリーは後ろから抱きしめてきた。
……この様子だと、また逃げる機会を失いそうですね。
けれど、ライリーは騎士になるための稽古で忙しくなるのでしょうし、そのうち距離はできるはず。
ライリーが貴族になったら、令嬢らしい衣装よりも男物の衣装好みそうな気がするけれど……。
逆に、ジュリアンは可愛いものが好きらしいから、女物を身に付ける可能性も……。
いや、そんなことを考えるのはやめましょう。
あまりにもこれは偏見です。
『ライラ様! 俺もいることを忘れないでくれ』
「……はいはい」
いったいいつになったら、私は捨ててもらえるのかしら。
●●●
体を洗い終わったジュリアンが私たちを呼びに来て、当主が待つ居間へ向かうことになった。
ジュリアンは申し訳なさそうに、何度も謝る。
けれど、その姿がしょぼんとした子犬のようで、可愛い。
これがジュリアンの罪よね。
女の子から人気なのが分かる気がする。
そんなことを考えていると、居間にたどり着いた。
当主とルーカスは、私たちに気付くと椅子から立ち上がる。
机の上を見ると、書類らしきものが置かれていた。
きっと、申請書か何かね。
「三人とも来たな。かくれんぼは俺が勝ったということで、引き取らせてもらう」
「……父上、今までお世話になりました」
珍しく、ライリーは寂しそうに俯きながら言った。
まあ、ライリーにとってルーカスは本当の父のような存在だったのだから、寂しいのも無理はないわね。
「ライリー、嫌なら断ってもいいんですよ。それに、ジュリアンも……ライラも」
もう決まったことなのだから、引き取られることしかないじゃない……。
どうして今さらそんなことを言うんですか。
「……ルーカスおじさん、僕たちは負けたんです。大人しく引き取られるのが筋だと思います」
「父上、ジュリアンの言う通りです。私たちは……私たちは……」
ライリーは涙を堪えているのか、唇を固く結んで、必死に泣かないようにしていた。
そんなライリーを見つめながら、当主は困ったように頭を搔く。
――あのライリーを泣かせるだなんて、とんだ悪者ですね。
なんだか腹が立つ。
「父上ー!」
ついに堪えきれなくなったのか、ライリーはルーカスに抱きついた。
よく見ると、ジュリアンまでも泣き出しそうな顔で、そっぽを向いている。
……どうしよう。
こっちまで泣きそうになってしまう。
どうして私まで? 私は捨てられたいんじゃなかったの。
泣いてしまったら、まるでここから離れたくないみたいじゃない。
涙を流れないように、前髪を押さえて隠そうとしたとき、突然、右手に温もりを感じた。
驚いて右を向くと、ジュリアンがそっぽを向いたまま、私の手を握っていた。
温かい。
「……ルーカス殿。俺はしばらく外に出ているから、しっかり話し合ってくれ」
当主は気まずそうにそう言い残し、部屋を出て行った。
ルーカスは鼻水まみれのライリーの顔を拭いながら、ジュリアンと手を繋ぐ私を見つめる。
「ジュリアン、ライラ。そこに座ってください」
最初から話し合いをすれば、かくれんぼで勝敗を決める必要なんてなかったのかもしれませんね。
椅子に座ろうとして、ジュリアンの手を離そうとしたら更に強く握りしめられる。
ジュリアン?
「離さない」
まるで、私が逃げ出すと思っているのか、ジュリアンは静かにそう呟いて、私の手を離さなかった。
誰かと手を繋ぐなんて、今までなかった。
けれど――こんなに安心するものなのですか?
自然と心拍数が上がり、顔が熱くなってくる。
手を繋ぐのって、本当に魔法みたい。
ジュリアンと手を繋いだまま椅子に座ると、ルーカスは机の上の書類を見せた。
「三人とも、これは養子縁組のための書類です。ここに名前を書けば、皆さんは公爵家の養子となります」
なんだか、変な気分。
養子になるというのは、こんなにも複雑な気持ちになるものなんですね。
「分かった」
ジュリアンはそう言って、ためらうことなく万年筆を手に取り、名前を書き始めた。
その姿を、ライリーとルーカスは静かに見守っている。
きっと、ジュリアンなりに覚悟を決めたのね。
「……父上、私も書きます」
ライリーも鼻をすすりながらジュリアンの後に続いた。
そして、次は私の番。
それなのに、ライリーが書き終わっても私の手は動かなかった。
ジュリアンに握られているからというわけでもなく、私は左利きだから関係ないはずなのに。
でも、動かない。
「ライラ、君はジュリアンやライリーのように、何年も孤児院にいたわけじゃないですよね。ここに来てから、たくさん僕を恨んだことでしょう」
ルーカスの突然の言葉に、私は驚いて顔を上げた。
まさか、本当に私に恨まれていると思っていたなんて。
確かに、私はルーカスをそう思っていたけれど……。
握る手が強くなった私に、ジュリアンは空いた左手で、私の繋いだ右手をそっと包み込む。
耳元で「大丈夫」と囁かれて、私は自然と口を開いた。
「恨んだ? そうですね、恨みました。やっと一人になれると思ったのに、あなたは私を拾って、捕まえて、私の好きなものを知っていて……。それなのに、私はいつまで経っても一人になれなくて……」
気が付けば、涙が零れていた。
でも、止まらない。
「ライリー、ジュリアン……ラジュリーとも出会って。私は、もう分からなくなりました」
「……ライラ、正直に言うと、僕は手放したくありません」
「父上……」
ルーカスは穏やかに、けれどはっきりとそう告げた。
ライリーが、ジュリアンが、じっとルーカスを見つめる。
「ジュリアンもライリーも、僕の大切な家族ですから」
――家族。
その言葉に、私は兄と弟を思い出した。
私の唯一の理解者で、大切な家族。
けれど、二人とも離れてしまい、二度と会うことができない。
それなのに、今ここで新たな家族が出来上がろうとしている。
神様はひどいです、私みたいな人間に、こんな温かい家族をくれるなんて。
もう、必要ないと思っていたのに。
「大切な家族だからこそ、ライラには幸せになってほしいと、僕は毎日のように願っています」
幸せになる……。
私が幸せになっていいのでしょうか。
気が付かないうちに、人を傷付けているかもしれない私が、幸せになっていいの? どこかで間違えてしまった私の行いが、目を覆いたくなるほどに眩しいルーカスたちと一緒に、幸せになるだなんて。
神様は、本当にそれでいいの? 私みたいな人間が、捨てられることを強く願ってしまう私が……。
「……幸せになっていいのですか?」
「いいんだよ」
ジュリアンが、手を繋いだまま私を抱きしめた。
「父上も、私もライラが大好きだ」
ライリーもまた、私を抱きしめる。
彼らのぬくもりは、兄や弟のように温かくて、居心地がいい。
そしてルーカスもまた、長い腕で三人を包み込んだ。
……新しい家族が、できてしまった。
「ライラ、君が孤児院を出ても、僕はしつこいくらいに会いに行きますからね」
「……来なくていいです」
「父上が毎日のように来てくれるのなら、私は嬉しいです!」
「そうすると、孤児院離れできなくなるでしょ」
「馬鹿を言うな! 父上は家族なのだぞ!」
「それがなんだって言うんだよ!」
ジュリアンとライリーの日常茶飯事の口喧嘩を聞きながら、私はふっと口角を上げる。
――兄さん、弟くん。
新しい家族ができましたよ。




