第六十五話 お婆ちゃんは心配
第六十五話 お婆ちゃんは心配
マナー講座に疲れ果てダウンしていると、食器を片付け終わったらしい有栖川教授が戻ってきた。
本能的に姿勢を正し、未だ焦点の合わない目を前に向ける。
「楽にして大丈夫ですよ。授業は終わったのだし、多少だらけても何か言う気はありません」
「そうだぞ京ちゃん君。もっとリラックスしたまえ」
座布団の上で足を伸ばしながら、アイラさんがケラケラと笑う。
「貴女は気を抜き過ぎですよ、アイラ」
「そうだよパイセン!もっと淑女らしくあるべきだよ!!」
「エリナ。貴女の言葉遣いも大概です……」
「やーいやーい。君も怒られてやんのー」
「そんな!?お婆ちゃま!私のどこがダメなんすか!立派な忍者なのに!」
「今の発言の全て、ですかね……」
「!?」
「ふっ……まだまだだねエリナ君。私の様な淑女の中の淑女。深窓の令嬢と辞書で引けば名前が出てくる、この無敵美女アイラちゃんの足元にも届かない淑女力だよ」
「てい」
「あ゛っ!?ババ様、今脹脛をついちゃダメぇ!?」
「どうしました、無敵美女アイラちゃん」
「んぬぉおおお!?」
正座で痺れていたのだろうアイラさんの足が、教授の爪先で軽く小突かれる。
3人の漫才を見ながら、自分は思った。
とっても気まずい。
どうすれば良いんだ、この身内ノリ。しかもこの空間には自分以外美女と美少女のみ。アウェー。圧倒的、アウェー……!
隣にいた三好さんが、少し頬を赤くしながらこちらを見た。
「すみません、矢川君。どうやらお婆様もいつになく浮かれている様で……」
「あ、いえ。お構いなく……」
今三好さんの顔を見るのは気まずい。あの全世界の宗教関係者に喧嘩を売っている様な、ドスケベシスター服を思い出してしまう。
落ち着け、矢川京太。詳しく思い出すのは自宅に帰ってからにするんだ……!
「普段はゲストを放置する方ではないのですが、今日は久々に孫が全員揃ったので……」
「なるほど」
申し訳なさそうに笑う三好さん。彼女は今1人暮らし中で、家族とはあまり上手くいっていないと聞いた。
母親の件でこれまでアイラさんと顔を合わせ辛かったのもあって、この家に顔を出す様になったのもつい最近の事だろう。
孫達の無事な姿を見る事が出来て、有栖川教授は嬉しくてたまらないのかもしれない。
「んぐるいいいい……!お゛ごぉ!?つ、つった……!痺れていたうえに、つぅぅ……!」
……それはそれとして、マジで大丈夫かあの残念女子大生。淑女がしちゃいけない顔をして悶えているけど。
孫の無事じゃない姿を放置して、教授が小さく咳払いをする。
「失礼しました。矢川君、この残念な孫ほどでなくとも、リラックスしてくださいね」
「あ、はい」
「そうだよ京ちゃん。肩揉んであげよっか!お酒にも浸してあげよう!」
「肉質柔らかくしようとしてます……?」
なんなの?食われるの?物理的に。
背後からジリジリと近づくエリナさんに、頬を引き攣らせる。
「今日の授業はここまでです。エリナとミーアは、転がっているアイラを部屋まで運んであげなさい」
「ほーい!」
「わかりました」
「あっ、あっ、待って……!エリナ君はいい。だがミーアに私の部屋を見られるわけには……!」
「なぜですか、姉さん。私に見られて困る物でもあるんですか?」
「い、いや。そのだねぇ。決して公序良俗に反する物が置いてあるわけじゃないんだが」
「そう言えばパイセン。『レンゲ』って今パイセンのお部屋?」
「 」
「……なるほど。エリナさん。そちら側を持ってください。私は右側を持ちます」
「はーい」
「タスケテ……タスケテ、京ちゃん君……!」
捕獲された宇宙人の様に連行されるアイラさんから、そっと目を逸らす。
自分には、救えない存在だ……。
「のおおおおおおお!!」
バタリ、と扉を閉め、教授がこちらに向き直る。
「さて。矢川君。突然ですが、貴方に幾つか質問したい事があります。よろしいですか?」
「は、はい」
柔らかく微笑みながら、教授が紅茶の入ったカップをソーサーに載せて目の前に置いてくれた。
「あ、どうも……」
「いえいえ。それで、突然かつ不躾な質問なのですが……矢川君。貴方、今付き合っている女性はいますか?」
「……は?」
思わず素で聞き返した自分に、対面する様に座った教授はニコニコと笑っている。
「私の様な年寄りは、若者の恋愛話に飢えているのです。マナー講座のお代、と言うわけではないのですが。教えてはくれませんか?」
「はぁ……別に、『今は』いませんけど……?」
きょどりそうになるのを堪え、どうにか答える。
まるでかつてはいた様な言い方だが、年齢と彼女いない歴は同じだ。それでも見栄を張りたい時ってあると思うの。
例えば、友人のお婆さんにその辺を聞かれた時とか。
「まあ。矢川君は頼りになるし、てっきり恋人がもういるのかと」
「いえ、そんな……僕なんて」
「なんて、ではありませんよ。貴方の周りにいた女性は、見る目がなかったのですね」
クスクスと笑う有栖川教授に、苦笑を浮かべながら紅茶を飲んで誤魔化した。
あ、この紅茶美味しい。ストレートは普段飲まないのだけれど、これならいける。
「では、今気になっている人は?」
目をキラキラさせて聞いてくる教授に、少し驚いた。この人、こういう顔もするのか。
しかし、気になる人ねぇ……。
こういうと不誠実極まりないが、周りが魅力的な異性ばかりで逆に『誰が』という考えも浮かばない。むしろ全員お付き合いしたいぐらいである。無理だけど。
「特には……」
「そうなのですか。でも、異性に興味はあるのでしょう?お年頃、ですもの」
「か、からかわないでください……!」
目を細めて、悪戯を思いついた少女の様に笑う教授の顔は、少しだけアイラさんに似ている。あそこまで底意地の悪さはにじみ出ていないが。
「これは失礼。ですが、そうですね……。恋愛は、急いでするものではありませんから」
そう言って、教授は少しだけ寂しそうに笑った。
……アイラさん達の母親は、学生時代の恋人と不倫していたんだっけ。
よく考えると、有栖川家にとって恋バナとか地雷原も等しいのではなかろうか。
「貴方の周りには、色んな人がいます。一時の感情に流されず、今の交友関係を大事にするのもいいかもしれません。新しい出会いを求めて迷走するより、ゆっくりと腰を据えるのも良いでしょう」
「は、はい。肝に銘じておきます……」
「ですが……」
彼女の顔が、またあの悪戯っ子のそれになる。
「貴方が将来恋する相手が、私の孫だったら個人的に嬉しいですね」
「……はぁ!?」
驚いて紅茶をこぼしかける自分に、教授は澄ました顔で続ける。
「ほら矢川君。姿勢が崩れていますよ。先ほど教えた通り、背筋はピンっと」
「え、す、すみません」
「……冗談です。驚きましたか?」
小さく舌を出す有栖川教授に、自分の肩がカクリと落ちる。
……冗談って、『両方』だよな?
自分の顔が赤くなっているのを自覚しながら、紅茶を飲み干す。先ほどは美味しいと思ったが、今は味を楽しむ余裕がない。
何やら満足気な笑みで、教授は視線を背後の扉へと向けた。
「さて。若者の時間をあまり老人の世間話で奪い過ぎるのもよくありません。今日はこの辺りにしておきましょう」
「あ、はい。その、ありがとうございました」
「いえいえ。次は英語のお勉強をしてみましょうか。エリナも発音が苦手なので、あの子も一緒に」
「はい……」
「ああ、帰る前にアイラ達にも顔を見せてあげてくださいね。部屋は2階の角です。それでは、また今度」
「わかりました。また、お願いします」
立ち上がり、優雅に一礼する教授に自分もお辞儀する。
そして、階段をのぼりアイラさんの部屋に。広い家だが、各扉にお洒落な字で何の部屋か書かれているし迷う事もない。
『Isla』と書かれた部屋に近づくと、何やら姦しい声が聞こえ始める。何か遊んでいるのだろうか。
邪魔しては悪いとも思ったが、教授に顔を見せろと言われたしなぁ。
「すみません、もう帰ろうと思うのですが」
軽くノックをして声をかけると、すぐに内側から扉が開けられた。
「京ちゃんもう帰っちゃうの!?」
エリナさんである。金髪を揺らし、彼女がこちらに顔を寄せてきた。
「ええ、まあ」
ふわりと感じる香りに胸を高鳴らせながら、顔を逸らす。
「ちぇー。どうせなら先輩と一緒にお泊りしていってほしかったのに」
「エリナさん?いつ私が今日泊っていく事に……?」
彼女の後ろで、三好さんが苦笑を浮かべている。
「駄目なの?」
「……まあ、冷蔵庫の中に急ぎで片付けないといけないものはなかったはずですけど。帰りに買い物する予定でしたし」
「やったー!じゃあ決定ね!歯ブラシとか、たしか来客用のがあるから!」
そう言って、エリナさんがこちらを振り返る。
まるで構ってほしい子犬みたいに目を輝かせて。
「いや僕は無理だから」
「えー?」
「たぶん死ぬ」
「死!?」
そう驚く事でもない。
我、コミュ力がちょっと低めな男子高校生。ここ、女子オンリーの空間。しかも美女ばかり。つまり、死。
子供でもわかる簡単な計算だ。
「しょうがない。今回は見逃してあげよう」
「なに目線の発言なんだ……」
「だがしかし!次も逃げられると思うなよ!必ずや我が手中におさめてくれるわ!!」
「悪の組織目線かぁ」
「ノン!忍者だよ!」
「さよけ」
しかし、この部屋の主がやけに静かである。普段なら這いずってでも会話に参加して来そうなイメージだけど。
そう疑問に思い、首を傾げていれば。
「そうだ矢川君。ちょっと良いですか?」
「はい?」
何故か満面の笑みで、三好さんが部屋の中に手招きしてくる。
入っていいのだろうか。迷いながらも、ゆっくり前進する。
「どうせだから姉さんも見てもらいましょう。私だけ見られたのでは不公平です」
「えっ」
「んな」
20畳はありそうな部屋の奥に、アイラさんがいた。
ブルマ姿で。
白い半袖の体操服に、紺色のブルマである。もはや現代ではエッチなお店ぐらいでしか見ないだろう、あのブルマである。
華奢な両腕に挟まれた巨乳は先端を右腕で隠され、左手は体操服の裾を必死に引っ張って下半身を隠そうとしていた。
だが丈が足りていない様で、綺麗な乳テントを作っているだけ。紺の三角地帯と、剥き出しの白い太腿がバッチリ見えている。心無しかミーアさんのそれよりも尻も腿も肉感的だが、太っている風には見えない。
わざわざ用意したのか厚手の白い靴下に上靴という組み合わせ。長い銀髪がポニーテールに纏められている事もあって、なんか逆に『いかがわしいお店感』が増していた。
アイラさん、こうやって見ると顔立ちは綺麗系で大人びているし、場所もアニメのポスターやら何やらたくさん貼られている部屋だから……。
「きょ、京ちゃん君!?乙女の部屋に入って来るとは何事だね!」
「す、すみません!」
慌てて回れ右しようとしたが、肩を三好さんに掴まれて止められた。
「ふっふっふ。姉さん。姉さんが私にした仕打ちの酷さがわかりましたか?」
「わかった!わかったからせめて『ブラジャーを返して』くれ!」
そう言いながら、こちらに背を向けるアイラさん。ブルマがお尻に食い込み、ちょっとだけ水色の布地が見えていた。
……え、今ノーブラなのこの人!?
「ああ……可愛いですね、姉さん……」
あと隣の人が何かやばい顔してません?もしや僕、姉妹の変なプレイに巻き込まれていたりします?
取りあえず1歩横にずれて拘束を外し、反対側を向いた。
そして、エリナさんと正面から目が合う。
「どうしたの京ちゃん。やっぱりお腹痛いの?」
「……いえ、別に」
猫背になっている自分の背を、エリナさんが撫でてきた。
やめて。今優しくされると罪悪感ががががが……!
「私がお家まで転移で送ろっか?この前マーキングしたし」
「……大丈夫。歩いて帰るから。今日はありがとうございました。本当に」
「う、うん?気を付けてね?」
「うっす。お邪魔しました」
「さあ姉さん。今度はこの猫耳ヘアバンドを……」
「用意した私が言うのもなんだが、エルフ耳とそれの組み合わせは属性が喧嘩しないかね!?あ、京ちゃん君!?助けて!?京ちゃんくぅぅん!!」
有栖川邸を出て、真っすぐ帰宅する。
道中、ひたすらにこれまで戦った強敵たちを思い出した。
蛮族の様な姿からは想像もできない、巧みな槍捌きでこちらを翻弄したオークチャンピオン。
炎の様に荒々しく、我が身さえ鑑みない突撃を繰り返し3人がかりでも苦戦したレフコース。
悪夢としか言いようのない、桁外れの魔力量。それを巧みに操り自分達を圧倒したデーモン。
幾度も死にかけた。その時感じた恐怖と痛みは、きっとこれからも忘れない。
戦闘モードに移行した精神により、生理現象を抑制。静かに家へと帰り、手洗いうがいも後回しにして自室へ。
ベッドへダイブし、枕に顔を押し付けた。
「エッッッッッッ………!!」
魂の叫びである。
強敵との戦いの記憶?なにそれ美味しいの?
この世に『金髪爆乳エルフのスケベシスター服』や『銀髪ポニテ巨乳ハーフエルフのノーブラブルマ』より大切な思い出ってあるのだろうか?いやない。
なお、マナー講座で学んだ事は半分ぐらい頭から抜け落ちていた。次の授業がとても怖い。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。創作の原動力となっておりますので、どうか今後ともよろしくお願いいたします。
Q.ミーアさん、『魔装』があんなスケベな事になっちゃったの!?
A.
三好さん
「なってません!アレは姉さんがどうしても着てほしいと言ってきた、コスプレ衣装です!『魔装』があんな痴女みたいなデザインになったら、もう冒険者は引退ですよ!」
毒島さん
「………」