第六十一話 有栖川教授の誘い
第六十一話 有栖川教授の誘い
久々に薄く白い雲が空を覆う休日。昇格試験に行った、翌日のこと。
今日は、有栖川教授とエリナさんが家に来る日である。
自室の様子を、今一度確認した。
床、掃除した。ベッドの上、綺麗。机の上、コンビニで買ってきた2人分のお菓子とジュース。本棚、偽装完了。ベッドの下、何もなし。クローゼット、奥の隠しスペースの封印完了。
万が一家捜しされた時に備え、錬金術まで使って秘密文書(R18)や極秘ファイル(R18)は隠してある。
歯磨きもした。服も綺麗なやつを着ている。髪の毛もチェックした。目ヤニなんかもなし。
来るなら来い……!
迎撃の準備は万全だ。盛大に出迎えてやるとも!
───ピンポーン。
「ひぇ」
聞こえてきた電子音に、ビクリと肩が跳ねる。
緊張で高鳴る心臓を落ち着かせようと、深呼吸を1回。
そして、急いで玄関に向かう。既に両親が扉の前にいて、戸を開ける所だった。
「はーい。いらっしゃいませー」
普段より数段高い声で対応する母さん。その向こうにいる人物を見て、一瞬、家族3人揃って息を飲んだ。
色素の薄いプラチナブロンドの髪。オカッパに切りそろえられた後ろ髪に、姫カットをアシンメトリーにした前髪。
切れ長の瞳は海の色を連想させる碧眼。すっと通った鼻筋もあいまって、氷の様な印象を受ける。髪の隙間から覗く長く尖った耳が、より彼女が幻想の中の住民であると思わせた。
この世で最も美しい氷像とは、こういう姿をしているのだろう。そう思ってしまう様な、芸術品の様な美女。
しかし、その桜色をした薄い唇には柔らかな笑みが浮かんでいた。それが、彼女が血の通う人間なのだと証明している。
白いシャツに灰色のスーツ、膝までのタイトスカートに濃い茶色のタイツといった服装。首元に細い紺のリボンタイを締めたその人物が、小さく会釈をしてきた。
「初めまして。林崎エリナの祖母。『有栖川エヴァ』と申します。孫達がいつもお世話になっております」
「は、え、いえ!こちらこそ親子共々エリナさん達にはお世話になって……!」
綺麗な所作で頭を下げた彼女───有栖川教授に、両親が慌てて頭を下げ返す。
自分もそれに倣いながら、ちらりと教授の後ろにいるエリナさんを見た。
ニッコリと、笑みを浮かべながら小さく手を振ってくる彼女。今日は藍色の着物と紺の袴姿だ。
こうしていると、祖母と孫というより少し年の離れた姉妹にしか見えない。流石エルフといった所か。教授は雰囲気こそ落ち着いているが、容姿だけなら大学生で通じそうである。
……そう言えば、エリナさんにもエルフの血って流れているのだろうか?
「ど、どうぞ!大したおもてなしも出来ませんが」
「いえ。私の方こそ、ご多忙の中お時間を割いていただきありがとうございます。こちら、つまらない物ですが」
「あ、これはどうも!ありがとうございます!」
美人過ぎる教授に、両親は緊張で汗をダラダラと流しながらペコペコと頭を下げている。
ふっ……流石僕の製造元、有栖川教授のオーラにタジタジだぜ!
なお、自分は数歩後ろの方で両親が頭を下げるのに合わせて一緒にお辞儀している。無論冷や汗ダラダラで。
血の繫がりは、争えないんだよね。
そんなこんなで、教授たちをリビングに通す。すると、
「そうだ。ここからの話はあまり面白いものでもありませんし、子供たちは別室で待っていた方が良いかもしれませんね」
穏やかな笑みでそう告げた教授に、両親は顔を見合わせた後エリナさんと自分を交互に見てくる。
そして、2人して小声でこちらに話しかけてきた。
「く、くれぐれも失礼のない様にな、京太!」
「そんな度胸ないって信じているけど、変な事しないようにね!」
「おう」
こちらも小声で返事しながら、頷く。それはそうと母さん。ナチュラルに息子の事ディスるのやめて?否定はしないけども。
どもりそうになるのを堪えながら、エリナさんに向き合う。
「その……じゃあ、こっちに……」
「ええ。よろしくお願いしますね、京太君」
びっくりした。とてもびっくりした。
思わずエリナさんの顔を二度見するが、彼女はニコニコと静かに笑っている。
「それでは『お婆様』。私は京太君と共に別室にてお待ちしております」
「ええ。くれぐれも失礼のないように」
「はい。わきまえております」
誰だこのお嬢さんは。
静々とうちの両親や教授にお辞儀をして、こちらにそそと歩み寄ってくるエリナさんらしき生命体。
冷や汗が頬と背中を伝うのを感じながら、警戒心を最大限に上げつつ自室へと案内する。
「えっと……どうぞ」
「失礼します」
小さく一礼しながら、こちらの開けた扉を潜るエリナさん(仮)。
そして彼女は、
「さて」
凄くナチュラルにベッドの下を覗き始めた。両膝をついて懐からペンライトまで取り出しながら。
うん。良かった、いつものエリナさんだ。
「どういう事でしょうか、京太君。何故ベッドの下に春画がないのですか?」
「どういう事はその喋り方だよ……」
げんなりとしながら、後ろ手に扉を閉める。
すると、エリナさんの笑みが落ち着いた令嬢のものから、いつもの見ているだけでやかましい自称忍者のものへと変わった。
「えっへん!私だってやる時はやるのである!」
ドヤ顔で胸を張る彼女に、肩から力が抜けた。
「『お婆ちゃま』がねー。お相手のご両親に挨拶をしに行くんだから、きちんとしなさいって。だからきちんとしました!褒めろ!」
「それを普段から維持できていたら褒めますよこんちくしょう」
「?出来るよ?やった方が良い?」
「……やっぱ普段通りでお願い」
「わーい!」
常時お嬢さんモードのエリナさんとか、調子狂うなんてもんじゃない。不気味すぎて鳥肌が立ったわ。
何より身が持たない。美少女があんな丁寧な物腰で普段の距離にいようものなら、『賢者の心核』で頑丈なはずの心臓が破裂する。
賢者の石にもね、不可能ってあるんですよ。
「それより京ちゃん。お婆ちゃまは日頃の挨拶と、ママさんパパさんが『覚醒支援センター』に通うのをやめる様に説得する為、20分から30分ぐらいはお話タイムです」
「はあ」
「その間なにして遊ぶ!?」
目をキラキラさせながら、エリナさんからアイテムボックスからチェス盤とトランプを取り出した。
なんだこの遊ぶ気しかない二刀流。
「チェスにトランプ、将棋や囲碁、めんこやベーゴマも持ってきたよ!」
「なんだその妙にレトロなラインナップ」
「せっかく友達の家へ遊びに来たんだもん!普段のオンラインゲーム以外の事やりたかった!」
「さよけ」
まあ言いたい事はわかる。中学時代、友人達と集まってもそれぞれスマホで遊びながらだべっていただけだし。
そんな事を話していると、ポケットに入れていたスマホが小さく震えた。
画面を確認すれば、アイラさんから『エリナ君と2人なら私も混ぜてくれ』というメールだった。
「ちょっと待って」
「待とう!」
引き出しからイヤリングを取り出し、軽く指先で弾く。
「アイラさん、お待たせしました」
「ハローパイセン!さっきぶり!」
『うむ。ババ様はいないね?いないな。よし』
いつの間にかエリナさんもイヤリングをつけ、トランプの代わりに手鏡を持っていた。
鏡の向こうでジャージ姿のアイラさんが机に両肘をつき、組んだ指の上に細い顎を乗せている。
『状況からして、エリナ君が持ち込んだ物で遊ぼうという感じかな?』
「うん!あ、でもパイセンはどうしよう……」
『別にいいさ。ただ頭を使う系の遊びなら、私は京ちゃん君のサポートに回ろう』
「え、いいんですか?」
それだと2対1になるが……。
「私は一向に構わん!チェス?将棋?囲碁?ベーゴマ?」
「いや、ベーゴマは頭使わないでしょ」
「ちゅっちゅっちゅっ、甘いよ京ちゃん」
「甘いのはお前の舌の動きだよ。言えてねぇぞ」
映画のマネして指を左右に振るエリナさんだが、音だけだと投げキスみたいになってんのよ。
やめなさい。ドキドキするから。
「ベーゴマはね。深いんだよ……」
「いや……悪いけどベーゴマも囲碁もよくわからないから、チェスで」
「オッケー!」
『おや意外だね。京ちゃん君はチェスを選んだか。さては中学の頃に、アニメの影響で無駄にチェスのルールや定石を読み漁った事があるな?』
「ほっといてください……!」
なんで1から10まで人の黒歴史を言い当てるんだよ、この人……!
日本の若者なら1回はあると思うんだ。作戦練りながら、チェスの駒を動かす主人公に憧れる事が……。
「じゃあ早速やろうか!あ、どっちが先攻にする?」
「あ、なら僕が先攻で」
「オッケー!」
……随分あっさり先攻を譲ってくれたが、彼女は知らないのだろうか?
チェスは、先攻側が圧倒的に有利な事で有名である。
だが、淀みなく駒を配置しているので何も知らないとは思えないから、これは彼女なりの『余裕』なのかもしれない。
ならばその油断、存分に利用させてもらおうか……!
たかが遊び。されど遊び。油ぅ断した方が悪いんだよぉ!!
この戦い……僕達の勝利だ!!
30分後。
「いえーい!ヴィクトリー!」
「ば、ばかなぁ……!?」
何故だ、何故勝てない!?あれから3戦もやってまさかの全敗。しかも内容も蹂躙としか言えない有り様だ。
『悔しがる必要はないぞ、京ちゃん君。エリナ君はこういったゲームではやたら強いんだ』
「どやさ!」
『まあ君が弱いのもあるんだけどね。定石とか完全に忘れているだろう』
「ぐぅ……」
だってネットでやり方見ただけだし。しかもその後に『覚醒の日』があったり高校受験があったりで、頭から基本的なルール以外はすっぽ抜けたし。
アイラさんの助言があって一応戦いにはなったが、自分1人だとそもそも勝負として成立しなかった気がする。
「まだ時間余っているかな。次はなにやる?囲碁?トランプ?」
「いや、いったん頭休ませて」
ゲーム中にお盆へ移しておいた、お菓子とジュース。
自分の分のペットボトルを傾ければ、口の中にオレンジジュースの甘さが広がった。オーバーヒートしそうな頭には、これぐらいが丁度いい。
「そう言えば。エリナさん達のお婆さんって流石エルフというか、見た目凄く若いね」
「でしょー。お婆ちゃま、偶に新入生から先輩って間違われるらしいよ」
『偶に私の姉扱いされる事もあるね』
「あー」
確かに、アイラさんが横にいたら余計に姉妹と間違われそうだ。どっちもエルフ耳だし。
『まあ、私と違ってババ様は胸が小さいがな!』
「リアクションに困るのでそういう事言わないでください」
『ちなみにババ様の年齢は『71歳』だ』
「余計困るわ」
というか、あの見た目で70越えは詐欺だろう。20代にしか見えんて。
「エルフって、寿命とかどうなってんですかね」
ネットだと、種族が変わって相対的に若返っているなんて噂もあるが。
「さー。お婆ちゃま自身もわからないって言ってたよ」
『もしも創作に出てくるのと同じで5百年とか1千年生きるのなら、年金が大変な事になりそうだな!』
「そう言えば、この前国会中継でそんな話があったような」
ちらっとだけ見てすぐチャンネルを変えたから、詳しい所は知らないけど。
なんでも、エルフだけじゃなくドワーフも寿命が延びている可能性があるらしい。男性のドワーフは総じて髭もじゃだから、分かり辛いらしいけど。
そのうち、『エルフやドワーフの年金支給は400歳を超えてから!』なんて事になったりして。
「そう言えば、エリナさんもエルフの血が入っているんですか?」
「ん?なんで?」
「いや、だってお婆さんがエルフだし。それにエリナさんも覚醒者だから影響出ているかなって」
前にネットで、エルフになったお爺さんの孫達についての話を見た事がある。
お孫さんの内、覚醒者になった人は若々しい美形に。非覚醒の人はそのまんまだった。
若々しくなった、という事はある程度寿命にも影響してそうである。
そうなると、エリナさんもかなり長生きしそうだと思ったのだ。
「影響かー。わかんないなー。だって私、血縁的にはお婆ちゃまの孫じゃないし」
「……え?」
「私のパパ、血筋的にはお婆ちゃまの甥っ子なんだよ。だから血の繫がりはあるけど、パイセン達よりは薄いの」
「……そ、そうなんだ。変な事を聞いて、ごめん」
「いいよー」
……なんというか。
もしかして、アイラさん達の母親以外にも厄ネタあったりする?この人達の家系。
人に歴史ありというが、色々あり過ぎだろう有栖川家。
何が恐いって。
『………』
アイラさんが無言なのが洒落にならねぇ……!
冷や汗をドバリと出していると、エリナさんが扉の方に視線を向ける。直後、ノックの音。
『京太。エリナちゃん。有栖川教授、もうお帰りになるらしいけど』
「あ、今行きまーす!お菓子ありがとね、京ちゃん!また遊ぼう!」
「お、おう」
「今度ベーゴマの奥深さを教えてあげるね!」
「わかった」
「目標はベーゴマでビルを吹き飛ばせる様になる事だよ!」
「それはない」
「!?」
ホビーアニメって、どうして子供用の玩具で世界の命運左右するんだろうね……。
軽く現実逃避をしながら、エリナさんと一緒に玄関へと向かう。
「本日はありがとうございました。大変参考になるお話を聞けて良かったです」
「いえ。孫達がお世話になっている恩返しが少しでも出来たのなら、私も嬉しいです」
笑顔でペコペコと頭を下げる両親を、有栖川教授は穏やかな笑みで受け流す。
その碧眼がふと、こちらを向いた。
「京太君、と呼んでも?」
「あ、はい!」
慌てて姿勢を正した自分に、教授が数歩近づく。
ふわりと広がる、石鹸の香り。20代前半にしか見えない美貌が、こちらを覗き込んできた。
「……ふむ」
「え、えっと……」
「京太君」
「はい?」
「貴方、英語は得意ですか?あとはテーブルマナーも」
「え、いえ……あんまり」
こちらの答えに、何故か教授は満足そうに深く頷いた。
「そうですか。実は近々、孫達を鍛え直そうと考えています。良かったらその時、君も参加してみませんか?これでも教職です。人に教えるのは得意ですよ」
「へ?」
突然の申し出に、疑問符を浮かべる。
なんでそんな提案を?
「あら、いいじゃない!京太、せっかくだし教えてもらったら?」
「いや、でも悪いだろう。流石に」
「いいえ。複数人に教えるのは慣れていますから。それに、ご子息ももう冒険者という形で社会に出ている身。そういった教養を身に着けておくに越した事はありません」
柔らかく微笑みながら、しかし力強い断言に父さんがたじろぐ。
あと顔が赤いぞ父さん。まあ教授は年齢詐欺も甚だしい美女なので、気持ちはわかるけど。
「きょ、教授がそうおっしゃるのなら……」
あっさりと折れたな父さん。隣の母さんの目が恐い事になっているが、気づいているだろうか?
「でも、本人の意思が一番重要ですね。京太君。学業と冒険者業で忙しいと思いますが、私に君の時間を少しばかり預けてくれませんか?」
「え、あ、その」
返答に困り、咄嗟に視線を彷徨わせる。
すると、瞳をキラキラさせたエリナさんと目が合った。
……なんでこの人、チェスは強いのにこんな分かり易いのだろう。
「お、お願いします」
「ええ、任せてください。貴方をどんな社交界に出しても恥ずかしくない、素敵な紳士にしてみせます」
ニヒルに笑う姿すら、絵になってしまう。
そんな教授に、頭の中で必死にこの人の実年齢を唱えた。
本人は、本当に子どもへ接する感覚なのだと思う。思うのだが、そのせいで微妙に距離が近い。
危なかった。エリナさんで耐性がついていなかったら、即堕ちしていた自信がある。
今は精々『告白されたら数秒迷った後OKしちゃう』程度の堕ち具合だ。もう十分堕ちてないかって?完堕ちだと数秒すら迷わないからセーフ。
「それでは、私達はこれで」
そうして、教授とエリナさんは帰っていった。
玄関の扉が閉じた後、両親から聞いたのだが2人は国の『覚醒支援センター』ではなく別の所で覚醒を目指すらしい。
週に1回、有栖川教授のお知り合いの先生の所で実験に付き合うのだとか。
実験という響きで不安になるが、内容としては『座禅』と『滝行』、あと『登山』らしい。ほとんどサークル活動だ。
なんでも、その大学教授は覚醒のプロセスを研究しているのだという。その実験の1つに協力するという形になるわけだ。
こっちはこっちで不安だけど、アイラさん達のお婆さんの紹介だし、変な事にはならないだろう。
……それでももし厄介ごとに巻き込まれたら、警察に通報するし最悪乗り込むが。
何にせよ、『覚醒支援センター』に通うという話は消えた。有栖川教授には感謝である。
それはそれとして、厄ネタやらマナー講座へのお誘いやらが出てきちゃったけど。
リビングに連行される父さんを見ながら、小さくため息をつく。
『京ちゃん君』
「うわっ」
アイラさんの声が耳元から聞こえてきて、そう言えばイヤリングをつけたままだった事を思いだす。
『私もババ様のマナー講座、受けるのかい……?』
「え、そりゃあ『孫達』って言っていましたし。たぶんそうなんじゃないですか?」
やけに震えた声だなと、首を傾げる。
『そうか。わかった。私は旅に出る。探さないでく、あ、転移で帰宅はずるいですよババ様!?ちが、これはですね───』
魔力が途絶えたイヤリングを外し、じっと見つめる。
……もしかして僕、早まった?
読んでいただきありがとうございます。
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