第五十九話 悪魔の
第五十九話 悪魔の
「ここ、は……」
ぼんやりとする頭で、周囲を見回す。
教室……だったらしきボロボロの室内。両脇には大量の瓦礫が転がっている。
そして、扉の辺りに固まってこちらを見ている数人の男女。その中に見知った顔を見つけ、ようやく状況を思い出した。
「そうだ、デーモンが……!」
聞こえてきた轟音に、腰を少し落とす。
……近くじゃない。外?重い金属を地面に叩きつけた様な……。
「京ちゃん!」
「は?」
突然毒島さんにそう呼ばれ、思わず疑問符を浮かべる。
彼女ははっとした顔で、小さく咳払いをした。
「矢川さん!外でエリナさんが戦っています。あの巨大な光線を撃ってきた化け物はまだ浮かんだままですが、いつ動きだすかわかりません」
「な、なるほど。それで、その人達は……?」
何か知らない人達が、やけにこちらへ期待する様な目を向けているのだが。
「彼らは一緒に貴方の上にあった瓦礫をどかしていた人達です」
「あ……その、ありがとうございます?」
まだ少しぼうっとする頭で、感謝しながら廊下に出た。
いけない。いい加減ちゃんと目を覚まさなければ。
頭を左右に振って、意識をハッキリとさせる。耳に手を伸ばすが、イヤリングが壊れていた。これではアイラさんと連絡が取れない。
「……両親の場所はわかりますか?」
「まだ校舎の中です」
「……わかりました」
深呼吸を、1回。まだ周囲を舞っていた土煙に不快感を覚えながら、剣を握り直す。
「化け物どもは自分が迎撃します。皆さんは安全な所に」
「た、戦ってくれるのか……?」
問いかけてきた見知らぬ男子生徒に、頷いて返す。
「はい。あらためて、瓦礫をどかしてくださりありがとうございました」
全然覚えていないが、毒島さんが言うのならたぶんそうなのだろう。
「いや、いいんだ。頑張ってくれ……!」
「私達を助けて!」
「勝ってくれ!」
「君の可能性を信じているよ……!」
口々に発せられる応援なのか願望なのかわからない言葉に、少し戸惑う。
だがアレコレ考えている暇はない。少しだけ軽くなった足取りで、割れた窓の枠に足をかけた。
「じゃあ……行ってきます」
「はい。行ってらっしゃい」
「行ってこい」
送り出してくれる彼女らに、ちょっとだけ気恥ずかしさを覚えながら。
外に向かって、跳び出した。
風を蹴って加速しながら、周囲を見回す。
デーモンはレッサーデーモンどもから何かを吸い取っている様だが、後回しだ。
校庭にて、相方が戦っている。
「とたたたたたたた……!」
謎の掛け声と共に、グラウンドを縦横無尽に駆け回る自称忍者。
視覚ではなく別の器官で索敵しているのか、透明化を無視して爪を振るう『抜け殻』どもの攻撃をひらりひらりと避けて行く。
振るわれた爪にスライディングで股を抜け、横回転で脹脛を裂き。
バネ仕掛けの玩具の様に跳ねて突き出された腕を避けたかと思えば、その肘に片手を置いて側転。跳び越えながら山羊の頭を断っていく。
風に舞う木の葉の様な体捌き。その姿は忍者を名乗るのに相応しいものだった。
それでも多勢に無勢。密集して押し潰しにくる『抜け殻』どもだが。
───ブォォオオオオン!!
降ってきた鉄球が、纏めてひき潰す。
『白蓮』が鎖を振り回し、その先にある棘付きの鉄塊が怪物どもを薙ぎ払っていく。嵐の様な激しさで敵を蹴散らす様は、エリナさんとは正反対だ。
しかしだからこそ、あの大群を弾き返せている。問題は、ゴーレムの燃費だ。あれでは長くもたない。
急降下し、彼女のすぐ傍へ着地。同時に『抜け殻』の1体を縦に両断する。
「京ちゃん!」
「伏せて!」
「おっけい!!」
一も二もなくその場に伏せた相方の頭上を、己の刃が通り過ぎる。
空を切るそれは発火し、風を伴って嵐となった。
『炎馬の指輪』
『魔力変換・風』
荒れ狂う炎の乱舞。高すぎる出力に腕が持っていかれそうになるのを力づくで押さえ込み、制御。怪物どもを薙ぎ払う。
一閃、二閃、三閃。炎が躍るほどに皮袋は焼け落ち、嵐によって吹き飛ばされる。
ものの数秒でグラウンドを埋め尽くさんばかりに押し寄せていた『抜け殻』が灰となり、少し遅れて塩へと変わった。
「ふぅ……」
刀身の炎を消し、立ち上がった相方に振り返る。
「お待たせしました。状況は?」
「ううん、待ってないよ!えっとね」
突然、エリナさんがこちらの頭を両手で挟み己の顔へ引き寄せてきた。
ぎょっとしつつも、逆らう事なく腰を曲げる。兜越しに、彼女と額を合わせた。
「ちょ、顔が近い……!」
『その童貞っぽい声、京ちゃん君か!?』
「どういう声ですかこの残念女子大生」
『良かった、無事だったか……!』
「だから言ったでしょーパイセン。京ちゃんならすぐに起きてくるって」
彼女のイヤリングから、アイラさんの声が聞こえる。なるほど、念話を聞かせる為か。
それはそれとして、顔が近い。彼女の美貌が視界を占め、鼻孔を何だかいい香りが埋め尽くす。
いけない。戦闘中だというのに頭が変になる。
「パイセン、状況説明よろ!」
『よかろう。自衛隊、先走った部隊が全滅。救助、遅れる。敵、パワーチャージ中。たぶんもうすぐ終わる』
「わかりましたけど、なんでカタコト……?」
『君達お馬鹿どもにもわかる様言っただけだが?』
「後で覚えてろよ……」
この人が馬鹿と言いたい気持ちもわかるが、こっちだって逃げられない事情があるのだ。
反論している暇もないと、顔を離す。その際、エリナさんがこちらの耳に触れてきた。
一瞬だけ、かすめる様に彼女の指先が耳たぶに当たり心臓が跳ねる。
「はい、予備のイヤリング!これでパイセンとお話できるよ!」
『ハーイ、京ちゃん君。お耳の恋人、アイラさんだよ』
「……はい」
言いたい事はあったが、その時間はない。
「今からデーモンを攻撃しに行きます。出来そうなら援護を」
「やれたらやるね!」
『それやらないやつだよエリナ君』
「そうなの!?」
残念美女2名の漫才を背に、白蓮へ魔力を補給する。流し込む時に、他人の魔力を感じた。
戦闘が長引いて、エリナさん達から魔力を供給されていたらしい。どおりでまだ動いているわけだ。
もう少し、頑張ってもらうぞ。
「じゃあ、後で」
「うん、また後で」
一瞬だけエリナさんに視線を向けた後、駆けだす。
地面を蹴って跳躍し、風を蹴って天を駆ける。あっという間に校舎より高い所に上れば、悪魔もちょうど『食事』を終えたらしい。
最後のレッサーデーモンを投げ捨て、その口腔に魔力を集め出した。
発射まで10秒もない。
否。
10秒もある。
「しぃぃいいい……!!」
あの時とは加速が違う。迷いなどなく、正面から突っ込んだ。
極光が放たれる寸前、悪魔の首が間合いに入る。切っ先が喉を掻き切る刹那、怪物は信じられない反応速度で体を大きく反らせた。
空中でブリッジに近い体勢になったかと思えば、間髪入れずに繰り出されるサマーソルト。顎へ繰り出された蹴りを避ければ、続いてもう片方の足が回転蹴りとして放たれた。
こいつ、接近戦まで出来るのか!?
兜をかすめた爪先。鋭い爪が火花を散らし、続いて逆袈裟に大鎌が振るわれる。
それを剣で打ち払いカウンターを狙えば、相手は身をかがめて回避。肩からタックルをしかけてきた。
左籠手で受けながら後退。出来上がった距離を、悪魔が翼をはためかせて詰めてくる。
振り下ろされる大鎌を剣で受け、違和感に気づいた。
重い。レフコースと同格というには、全ての能力が上回り過ぎている。
刃同士で火花を散らし、弾かれたのはこちら側。そのまま回し蹴りの要領で放たれた尻尾の横薙ぎを跳んで回避し、大上段から剣を振り下ろす。
後退して避けられたが、距離を空けすぎる様子はない。魔力砲を撃とうとすれば、今度こそ首を獲れると見抜かれている。
強い……!どうしてこう、化け物のくせに達人みたいな技量の奴ばかりなのか。
『京ちゃん君!相手は恐らく魔力砲のリソースを身体強化に回している!長続きはしない!』
「そう言われましても……!」
悪魔が左手をこちらに向けた直後、予知が発動。風の足場を消し斜め下に避ければ、先ほどまでいた場所を熱線が通り過ぎる。
レッサーデーモンどもが使っていた火球とはものが違う。あれの直撃を受ければ、間違いなく火傷じゃ済まない。
風を蹴って方向転換しながら、弧を描く様に距離を詰める。勢いそのまま袈裟懸けに斬り込むが、大鎌で弾かれた。
「ちぃ!」
振り向きざまにナイフを投擲するも、伸びてきた爬虫類の様な尻尾に弾かれる。
鱗で刃を砕き、その先端がこちらの左足を捕らえた。尾を切り落とそうと剣を振り上げるが、それより先に横方向への急加速。己の意思に反し、体が振り回される。
1回転のち放られた先は校舎の4階。窓ガラスを突き破って廊下に叩きつけられるも、即座に片膝立ちになった。
『■■■■!』
「この!」
直後、突っ込んでくる悪魔の巨体。窓どころか壁すら破壊して体当たりをしかけてきた。
押し出される柄と刀身がぶつかり、背中が壁に衝突。肺が押し潰される感覚を味わいながら、破砕音と共に教室の中へ。
誰の物かもわからない机を蹴散らし、中央に。互いに得物が弾かれ、次の瞬間には切り結んでいる。
袈裟懸けに振るわれた鎌を横薙ぎで弾き、拳を繰り出すが柄で払われた。続けて回転切りを放つも手首を肘で受けられ、こちらの爪先を潰しにきた踵を足さばきで回避。
横に身体を逃しながら首を狙うも巨体が屈む事で空を切り、こちらも下段斬りを跳躍して避ける。上を取った状態から風を使って加速。床と平行になりながら回転しつつ剣を振るうも、大鎌の柄で受け止められた。
そのまま刀身を滑らせて指を狙うが、バトンの様に相手の得物が回転。剣が宙に浮き、尻尾の横薙ぎが脇腹に直撃する。
未来が視えているのに、反応が追い付かない!
「がっ……!」
『■■■■■───ッ!!』
苦悶の声を漏らし黒板へ叩きつけられた自分に、悪魔が追撃をしてくる。
重力で床に落ちながら教壇を蹴り飛ばし、目くらましに。無視して突撃してきた怪物に木製のそれは容易く砕けるも、狙いは僅かに甘くなった。身を小さくしたこちらの頭上を鎌が通り過ぎる。
反撃に剣を振るうも、石突で器用にも刀身が弾かれた。直後、奴の回し蹴りが脇腹に直撃する。
胸甲越しだというのに、凄まじい衝撃。メキリ、と鎧が割れ、サッカーボールの様に弾き飛ばされた。
背中で壁を突き破り、放り出された空。追いかけてきた悪魔の大鎌を上に避け、脳天に剣を振り下ろす。
しかし、
『■■■ッ!!』
「ちぃ!」
角で刀身が弾かれ、奴の左腕が放った熱線で左足首が焼ける。
欠損まではいかないが、激痛で風の制御が乱れた。このままでは落下する。
「このぉ!」
その前に悪魔の右羽を掴み、剣で叩き切る。
怪物の口から絶叫があがり、頭突きがこちらの胸に打ち込まれた。
トラックにでも撥ねられた様に上へ飛ばされる身体。乱れる視界の中、悪魔が大鎌を壁面に引っ掛けるのを目撃する。
直後、引き上げる様に高度を稼いだ相手のボディブローがこちらの腹部に直撃。連続で与えられた衝撃に胸甲が完全に砕け、自分は屋上へと叩き込まれた。
フェンスを破壊し、コンクリの床を数度バウンドしても止まらない身体。給水タンクを支える鉄骨に背中を打ち付け、ようやく停止した。
雨が強くなり、巨大な水たまりの様になっている屋上。そこに、怪物が跳び上がってきた。
こちらもふらつきながら立ち上がるが、兜がガシャリと落ちる。胸甲だけじゃなく、こちらもガタがきたか。
髪を留めていた布も解けた様で、ふわりと白い布が広がって落ちる。
自由になった髪を風に躍らせながら、悪魔と相対した。
視線が交差したのは、一瞬。次の瞬間には、互いに足元の水を弾き飛ばし駆けだしている。
大鎌と片手半剣が衝突し、甲高い音を奏でる。雨の中だと言うのに刃は熱い火花を散らし、命を刈り取らんとぶつかり合った。
一合、二合と打ち合い、それに合わせて立ち位置も変わっていく。
徐々に、防戦を強いられ始めた。刀身を左手で握り、ハーフソードにて対応。繰り出される円運動を中心とした大鎌の連撃を耐え凌ぐ。
斬撃を受けるごとに両肩と掌に激痛が走るが、余裕がないのは相手も同じらしい。
呼吸が乱れている。魔力を無理やり循環させているのか、体表は雨が蒸発するほどに発熱し口端からは黒煙が上がっていた。
アイラさんの言う通り、相手は長時間戦えない。だが、それはこちらも同じ事。
───ピキリ。
異音が、掌越しに伝わってくる。このまま受けていたら、剣を折られるのは必至。そうなれば斬り殺される。
焦れたのか、悪魔が上段に大鎌を構えた。好機!
防戦一方から切り替え、足を前へ。振り下ろされた刃を斜めに刀身で受けながら、その曲線に沿わせて滑らせた。
指狙い───ではない。切っ先を突き出し、悪魔の眼球を狙う。
左腕で逆手に刃を持つような状態だ。威力は十分。迫る切っ先に怪物は目を見開き、
『■■■■■ッッ!!』
咆哮をあげながら、角を合わせてきた。
「っ……!」
硬い感触。左角をへし折るも、切っ先は僅かに逸れこめかみを掠めていく。
予知が発動。咄嗟に左側へ自分から跳ぶも、間に合わない。横っ腹に蹴りが食い込み、体勢を崩した所に尻尾が叩きつけられた。
「がっ……!?」
衝撃に屋上を削りながら転がり、右手から剣が離れる。カラカラと雨に濡れた床を滑っていった。
まずっ……!
追撃に繰り出された、掬い上げる様な斬撃。それに寸での所で左の籠手を合わせるも、身体が打ち上げられる。
衝撃。半瞬遅れて、背中から給水タンクにぶち当たったのだと察した。
大量の水を浴びながら床へ落ちる自分に、落下が終わる前に仕留めると振るわれた大鎌。
どうにかもう一度籠手で防ご──うとした、刹那。
鉤縄が大鎌の柄に巻き付いた。
一瞬だけ振りが遅れ、互いの目が見開かれる。そこからの行動は、『誰がこれをやったのかを知っているか否か』の違い。
咄嗟に視線を縄の主に向けてしまった怪物と、ノータイムで顔面に拳を叩き込んだ自分。
大鎌が奴の手から離れ、赤と黒の巨体が吹き飛ばされる。
尻尾で屋上を削りながら体勢を立て直した悪魔。それを横目に、自分の得物へと走る。
『■■■■■ッ!!』
こちらに向けられた両手から連続して放たれる熱線。避ければ剣が遠のく。だから、そのまま走った。
こちらと相手との間に割って入る影も、知っているから。
迫る魔力の炎を打ち払う鎖。それでも迎撃しきれなかった分を鎧で受け止める白蓮。
衝撃で片膝をつくも、役目は果たしてくれた。片手半剣が手元におさまり、構え直す。
視線を戻し悪魔を見れば、奴も既に駆けだしていた。両手の爪を高熱で発光させ、この身を切り裂かんと振りかぶっている。
迎撃、間に合うか!?
「『千手万怨』」
声が、響く。
視界の端、屋上の扉脇に立つ少女。
ポニーテールに纏めていた紐が消え、ふわりと広がる黒い長髪。やぼったいジャージは、扇情的な衣装へ。
やたら布面積のないネックストラップの黒い水着で小ぶりな胸を覆い、下半身はハイレグなのにローレグな布。腰布も側面から始まり、薄っすらと透けている。
手足に着けられた黄金の装飾もあって、踊り子の服をより卑猥にした衣装。だが、繰り出される魔法は怪物すらも地に伏せさせる『猛毒の沼』。
「『水転毒湖』!」
彼女が掲げたナイフの文字が発光し、悪魔の周囲にあった雨水が変質する。
黒と紫がまだらに踊る毒の湖面。そこから伸びた幾本もの手が、奴の身体を掴む。
地力の差で、容易く振りほどかれる腕。だがその数は千に迫り、触れた先から毒が蝕む。
僅かに、本当に僅かに、デーモンの動きが鈍った。
その一瞬は、黄金よりも貴重な一瞬。考えるより先に、床を踏み砕き弾ける水を背にして吶喊する。
魔力切れか倒れ込みながら、こちらの行動に目を見開く毒島さん。毒の中に跳び込むのは、自殺行為と思ったのだろう。
だが言ったはずだ。
貴女の魔法は、僕を殺せない。
悪魔の身すら侵す猛毒に踏み込み、剣を振り上げる。反対側からは、巨大な手裏剣が放たれていた。
『■■■■■■───ッ!!』
左右に伸ばされた悪魔の腕。掌に発生した魔力が障壁となり、戦車砲すら防ぎかねない頑強さで刃を受け止めた。
風で加速した刃だろうと、この壁を打ち砕く事は出来ない。相手も間違いなく最後の魔力まで絞り出した防壁。ここさえ凌げば、カウンターでこの首を相打ち覚悟で狙いに来るのだろう。
だが。
『概念干渉』
いい加減───幕引きだ。
「おおおおおおお!」
ぐにゃり、と。2つの刃が障壁を『巻きこむ』。斬撃の、回転の速度が増し、その破壊力は眼前の怪物を仕留めるのに十分なものへと至る。
2筋の軌跡が、悪魔の身を通り過ぎた。
宙を舞う怪物の左腕と頭。腕を斬り飛ばした手裏剣はフェンスを突き破って校庭まで飛んでいき、自分も振り抜いた勢いに負けて膝から倒れ込む。
それでも、視界の端で確かに見た。
首を失った悪魔の身体が、塩の色に変わるのを。
「……はぁぁぁぁ」
盛大なため息を吐きながら、仰向けに転がる。疲れた、なんてものじゃない。また死にかけた。
濡れた床で後頭部や背中が気持ち悪いが、それを気にする余裕もない。肉体の傷も疲労も癒えていくのに、気力が枯渇寸前だ。
「京ちゃん!」
「矢川さん!」
エリナさんと毒島さんの声に、ノロノロと視線を上げる。
そして、吹き出しながら上体を跳ね起こした。
「んなぁ!?」
下からだから、2人の『食いこみ』が直視出来てしまう。その上、片方が完全に『痴女』だった。
なんだ毒島さんの恰好。上半身も小ぶりな乳房がこぼれてしまいそうな露出だが、下半身がやばい。
えぐいハイレグなのに、布の『高さ』がローレグなみに低い。なんと表現すればいいのか。とにかく、下手に動くとずれて乙女の秘所が見えてしまいそうである。
「何やってんですか毒島さん!?」
「それはこっちの台詞です!」
「ええ!?」
こんな痴女に説教される要素が自分に!?
「毒の沼に跳び込むなんて、正気ですか!?身体に異常は!?私、もう魔力切れで解毒なんて出来ませんよ!?とにかく病院に……!」
「あ、大丈夫です。僕毒とか効かないので」
「どういう生物ですか貴方!?」
「いや、そういうスキルとしか……てか前にも言ったし」
目が彼女の先端が見えそうで見えない小ぶりな胸とか、くびれた腰や綺麗な臍とか、少しだけ浮かんだ肋骨とか、色々と危うい鼠径部とか、もろ出しの美脚とかに行ってしまい思考が纏まらない。
もうこういう視線誘導の為の恰好では?なにこの対人戦特化の『魔装』。
「と、というか、隠してください!色々!」
「は?……ほああああ!?」
ようやく己の服装に気づいたらしい。毒島さんが奇声をあげながら両手で体を掻き抱く。
いや、それでも色々見えているのだが。乳首と股間さえ隠せばセーフとお思いで?
「ちが、違うんです!魔法を全力で発動したら、勝手に『魔装』が!」
「じ、事情はわかったから落ち着いて……」
「その前に見ないでください!!」
「ごめんなさい!」
慌てて首を逆方向に捻れば、そこにはエリナさんが。
こちらが座り込んでいる体勢な為、目の前に彼女の肉付きが良い太腿が……。
「2人とも!元気過ぎるのも考えものだよ!もっとシリアスな空気をたもとうね!!」
え、あんたがそれ言うの?
見上げる形だと巨乳で顔が見えないが、絶対ドヤ顔している。その美貌にやかましいぐらいのドヤ顔をしている。大事な事なので2回言った。いや思った?
というか、本当に乳でけぇな……。
「おい、そこの馬鹿と痴女と童貞」
「痴女じゃないです!!」
「私バカじゃないもん!!」
「………」
否定できずに視線を屋上の入口に向ければ、大山さんが呆れた表情でこちらを見ていた。
「自衛隊の車っぽいのが何台もこっちに向かって来ているから、恰好をどうにかしろよ。特にそこの痴女」
「だから痴女じゃなくって、気づいたらですね……!」
「『魔装』解除すれば良いだけだろ」
「あっ……」
しゅん、と。毒島さんの服装がジャージの上着と体操着姿に戻る。
耳まで真っ赤になりながら、彼女は顔を手で覆った。うん、なんというか、ありがとうございました。
取りあえず自分も立ち上がり……背を丸める。
激戦の後だから仕方がない。これは悪魔の仕業だ。あいつのせいで全身痛いから、ちょっと前傾姿勢なのである。
全て悪魔が悪い。色んな宗教もそう言っている。
「白蓮もお疲れ……」
魔力切れで倒れたままのゴーレムに補給をし、再起動させる。立ち上がった白蓮は、新品の鎧に大量の傷とへこみを作っていた。
まあ、仕方がないと受け入れよう。命には代えられない。
「京ちゃん!ドロップ品は回収したよ!ずらかろうぜ!」
「いや、状況が状況なので隠しようがない気が」
というか、ここでバックレたら絶対後で面倒な事になる。
「それでも気分だよ!忍者魂を忘れるの、ダメ!」
「忍者じゃねぇよ」
「あと京ちゃん、変装!『魔装』解除して!」
「は?……嫌です」
『魔装』解除したら女装したまんまじゃん。いやだよメイド姿で自衛隊に保護されるの。
「つっても、アタシらはもう『魔装』を解除したし。お前だけそのまんまだと悪目立ちしねぇか?」
「そうだよ。逆に目立っちゃうよ!」
「私も恥をかいたんですから……」
「最後のだけ私怨」
女子3人に迫られているのに、まったく嬉しくない。
白蓮を盾にして、じりじりと後退する。
「わかりました。どうにか着替えを調達してから『魔装』を解除します……!」
「もうそんな時間ねぇよ。腹くくれって。な?」
「いやだ。諦めたくない」
「大丈夫、すっごく似合っていたよ!」
「嬉しくねぇよ」
「いいじゃないですか。私より胸大きいんですから……」
「言っとくけど詰め物ですからね?」
いや胸筋という意味では彼女より胸囲があるかもしれんが。
白蓮がエリナさんのアイテムボックスに回収された隙をつき、走りだす。まずは両親と合流だ。その無事を確かめ次第、脱出を……!
『あ、京ちゃん君。今電話で確認したが、君の両親は自衛隊が保護したらしいぞ。良かったな!それと、今他の自衛隊の人達が屋上に向かっているぞ♪』
「謀ったな残念女子大生!!」
『いやだなぁ。私はご両親に君の所在を教えただけじゃないかぁぁ』
くっそ!念話ごしでもニヤケ面が想像つく!!
「ちくしょぉおおお!ちぃぃくしょおおおおおおお!!」
いつの間にか雨が止み、無駄に晴れわたった空の下叫ぶ。
その日、何か大事なものを失った気がした。
読んでいただきありがとうございます。
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