第三十七話 氷の城壁
第三十七話 氷の城壁
「はいはーい!」
「なんでしょう、エリナさん」
「先輩がここに残るのは、ここにいる人達を守る為?」
元気よく手をあげたエリナさんが、首を傾げながら三好さんを見つめた。
その瞳を正面から受け止め、彼女は頷く。
「ええ。この中学校には100人以上の住民が集まっています。何人か覚醒者もいますが、皆さん『LV:1』。ここで戦えるのは、私だけです」
「つまり、自分しか守れる人がいないから、ここに残るんだよね?」
「……ええ」
「だったら、私達にも『残って戦って』って言うべきじゃないの?」
「ちょ」
エリナさんの言葉に、思わず頬が引き攣る。
「いいえ。貴女達は未成年です。子供が命を懸けて戦うなど、あって良いはずがありません。綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが、私は大人として──」
「でも先輩も18歳でしょ?」
「18なら、もう成人ですから」
「それに、私達と同じ冒険者。お巡りさんでも自衛隊でもないよね」
「立場など関係ありません。私にはここを守れる力と、意思がある。それだけで十分でしょう」
「力と意思なら私にもあるし、立場は関係ないって言うのならたった3歳の差で『未成年』とか『成人』とか言うのはおかしいよ」
1歩、エリナさんがミーアさんに近づく。
「ね、先輩。先輩は……本当に、ここの人達を守りたくて残るの?」
「………」
下からのぞき込む様な視線に、三好さんの顔から笑みが消えた。
「……私は、貴女のそういう所が……」
「先輩」
「ここの人達を守りたいという意思に、偽りはありません。ですが貴女達が残りたいというのでしたら、止めもしません。しかし、いざとなればすぐに逃げてください。良いですね?」
「はーい!あ、でもその前に」
2人の会話に置いて行かれていた自分に、エリナさんが振り返る。
「ごめんね京ちゃん。京ちゃんは、どうする?帰るのなら今ゲートを開くよ!」
「いや、どうするって……」
返答に困る自分を急かすでもなく、エリナさんは待ってくれる。
視界の端では三好さんがゴーレムに何かを渡しているが、彼女もチラチラとこちらを見ていた。
「……ゲートを開くって、エリナさん。何回も転移する魔力があるの?」
「わかんない!」
「いやわかんないって……」
「でも、京ちゃんの意思が大事だよ。私は自分で決めてここに来たけど、京ちゃんは『私が行くから』っていうのが理由の大半だよね?」
「それは……」
その通りなので、否定できない。
本音を言えば、氾濫が起きている場所になど1分1秒もいたくなかった。しかし、エリナさんを置いて1人で帰れというのも酷すぎる選択である。
「……んー。ごめんね?困らせちゃった?」
「……いや」
深呼吸を1回。混乱する頭を落ち着かせる。
何も、難しく考える必要はないのだ。やる事は、先ほどまでと変わっていない。
「僕も残るよ。でも、限界だと判断したらゲートを開いてほしい。……お願い、できる?」
「もちのろんだよ!」
大きな胸に拳をあて、笑顔で答えてくれるエリナさん。そんな彼女に、少しだけ申し訳なく思う。
自分の両親が窮地にあった時、エリナさんは命を懸けてくれた。それなのに、似た様な状況で僕は我が身大事だ。
だが、この考えを変える気にもなれない。まだ、死にたくなんてないのだ。
「………!」
何やら、三好さんが驚いた様子でこっちを見ている。
はて。いったいどうしたのだろう。まさか自分から『帰れ』と言っておきながら、本当に帰りたがっている僕を意外に思っている……とか?
しかし、その割にエリナさんが残ると言った時には、明確な拒絶の意思を見せていたが……。
『……2人とも。正気かね』
ぼそり、と。イヤリングからアイラさんの声が響く。
『別に、そこの住民が100や200死んだ所でどうでも良いだろう。少なくとも私にはどうでも良い。それより、2人の命の方が重いからね。そこの愚妹に付き合う必要はないよ』
「はい、パイセン!」
『なんだい、エリナ君』
「先輩に文句があるのなら直接言えばいいと思います!」
『むり』
びっくりする程情けない声が返ってきた。
『だって、その……どう説得すればいいか、わかんないし……』
「忍者の任務は絶対!私は先輩を連れて帰るまでここを離れんZO!」
そう言って、エリナさんが歩道の端に駆け足で向かっていった。あれは……消火栓?
『京ちゃん君。君のゴリラパワーでエリナ君とミーアを殴り飛ばし、連れ帰る事はできないか?』
「え、いや無理ですよそんなの」
こっちは人を殴った経験もないのだ。この腕力で手加減を間違えようものなら、三好さんがミンチになるかもしれない。
ついでに、エリナさんって何か武術をやっていそうなのだ。素人の自分なんて、軽くいなされる気がする。
『ダメかぁ……』
「あと誰がゴリラですか」
『そこを今ツッコムのかね』
「そうしないと、全然落ち着かないからですよ」
本能が今すぐ逃げ出したがっているのを、理性で抑えているのだ。先ほど深呼吸したけれど、それでもまったく冷静になれた気がしない。
「というか、さっきエリナさんも言っていましたが自分で説得してくださいよ。他人の僕がどうこう言うより、よっぽど道理が通りますし」
『ミーアを説得?勘弁してくれ。私からあの子に言うべき事などない』
「いやあるでしょ、言いたい事ならたくさん」
なんせ、対三好さん用の会話デッキについて1時間以上ウザ絡みされたのだ。
地味に迷惑を被った身としては、そろそろ和解とは言わずとも姉妹で会話ぐらいはしてほしい。
普段なら、色々と複雑な家庭の事情に『配慮』はする。だがこの状況となると話は別だ。
『いや、その。言いたい事と言うべき事は違うというか……』
「すみません、ちょっといいですか?」
「へ?」
『ぴぇ』
突然話しかけられて、慌てて振り返る。
そこには、三好さんが少しだけ眉をひそめて立っていた。
機嫌が悪い……というよりは、不思議そうにしていると言うべきか。
「あの、なんでしょう……」
「貴方に、1つお聞きしたい事があります」
「はあ……」
こっちはこっちで、何なんだこんな時に。
そう思いながら、三好さんの方を見て……何となく気まずくなり、視線を彷徨わせる。
アイラさんといいこの人といい、やたら顔とスタイルが良い。正直、目のやり場に困る。
「矢川君。貴方は……貴方は、普通の人、なんですか?」
「は?」
質問の意図がわからず、疑問符を浮かべる。
普通かって、そりゃたぶんそうなのでは?スキルとかは、色々と特異な部分があるが。
そもそも普通の定義が何かによる。精神的な意味なのか、頭や身体についてなのか。
どういう意味かと聞き返そうとした時、エリナさんの声に遮られた。
「敵襲!てきしゅー!」
いつの間にか民家の屋根に登っていた彼女が、こちらに呼びかけてくる。
「数は!」
「15、いや16!」
先ほど交戦したのと、そう変わらない数だ。
鞘から剣を引き抜き、三好さんを庇う様に前へ出る。
「迎撃しましょう。僕が前に出るので、援護を」
「いいえ。巻きこんでしまうので、君とエリナさんも私と壁より上にいてください」
「え?」
肩を軽く引っ張られ、三好さんの方を振り返る。彼女が杖を掲げると氷の城壁から板が何枚も生え、階段の様になった。
それを上る彼女に、ケンタウロスの方を何度も振り返りながらついていく。自分が上った端から、氷の階段は崩れていた。
城壁の上に立ったところで、門も閉まる。ゴーレム達も内側に移動していた。
「私は、なんの勝算もなくここの防衛を買って出たわけではありません」
そう言いながら、三好さんが杖で城壁を1度ついた。直後、魔力が木の根の様に地面へと向かっていく。
壁を伝い、地に広がったそれは、あまりにも精密な動きで道路と住宅を遮る様に並んだ街路樹の根元へと伸びていった。
「運よく、薔薇の種子が手に入って助かりました」
ボコリ、と。音をたてて街路樹の根元から薔薇の蔦が伸びてくる。だが、それは自分の知る物と明らかに形状も大きさも異なっていた。
『土木魔法』
詠唱も魔法陣もなしに発動されたそれは、何の変哲もない薔薇の種子を有刺鉄線の様な物へ成長させたのだ。
五寸釘の様に鋭い棘が無数に生える蔦の太さは、しめ縄ほどもある。それが道を完全に封鎖したあげく、3重の壁となっていた。
高さも、それぞれが1メートルほどはある。ケンタウロスなら跳び越えられるだろうが……。
三好さんが、再度杖で氷の城壁をつく。すると再び魔力が流れたかと思えば、薔薇の有刺鉄線の隙間を埋める様に地面から氷の杭が生えてきたのだ。
『水氷魔法』
上と斜め前に向かって伸びる杭は、ランスの様に太く長い。下手に跳躍すれば、串刺しになるだろう。
「何より、少し前に雨が降った事も幸いです。少ない魔力で、これだけの事が出来る」
「ケンタウロス、そろそろ射程範囲だよー!」
エリナさんがそう言いながら、屋根の上で身を伏せた。同時に、ケンタウロス達が走りながら矢を番える。
放たれる強弓の矢。1つ1つが弾丸並みの威力をもつそれらが、城壁に殺到した。
「危ないので、下がっていてください」
「は、はい」
彼女に言われるまま、1歩引いておく。すると、自分達を庇うように2体のゴーレムが盾を構えて前に出た。
……あ、そう言えば白蓮出してない。
降り注ぐ矢は城壁や盾に細かな傷を作るばかりで、突き刺さりすらしなかった。よく見れば、盾の表面にも薄い氷の壁が展開されている。
『ボォ!ボォウ!』
前列のケンタウロスが吠えながら弓を馬体につけた袋に押し込むと、槍を手に取り突撃を開始する。
後列が未だ矢を放つなか、槍を持った前列は2手に分かれた。
片やそのまま直進し、薔薇の壁を穂先で叩きつけ強引にどかそうとしている。
そして、もう片方。奴らは道路から逸れ建ち並ぶ住宅に向かい始めた。恐らく、壁を破壊して強引に迂回するつもりなのだろう。
「無駄です」
しかし、三好さんがまた杖をついた。
街路樹がまるで別種の生物の様に動き出し、枝や根で通過しようとしたケンタウロスを絡みとったのである。
当然引き剥がそうとする怪物達だが、続けて周囲に発生した氷柱が四方八方から奴らの体を貫いた。
その氷柱は薔薇の壁を相手に苦戦しているケンタウロス達にも降り注ぎ、防御しようと掲げられた槍や腕ごとその身を穿たれていく。
分が悪いと撤退しようとした個体もいたが、伸びてきた街路樹に絡み取られ他の仲間達と同じ末路を迎えた。
あっという間に、16体のケンタウロスが全滅する。勝負とすら言えない、あまりにも一方的な虐殺だった。
「つよ……」
思わずそう呟いた自分に、三好さんが笑みを向けてくる。
「だから言ったでしょう。貴方達は、とにかく自身が生き残る事を最優先にしてください。一応避難所に繋がる道はここ以外塞ぎましたが、油断しないように」
「は、はい……」
え、めっちゃ頼もしいんだけど。あの時感じた危うさは錯覚か?
助けに来た、なんて思い上がりだったかもしれない。気まずくなって、逃げる様にエリナさんの所へと向かう。
「エリナさん。悪いんだけど、僕のリュックから『白蓮』を出したいんだけど」
「おっけー!にしても、先輩強いねー。パイセン、『鑑定』でわかる?」
「え、勝手に視ちゃっていいの……?」
「一緒に戦う以上は、知っときたいから!後で謝るけど!」
「あ、そう」
なら、自分も後で一緒に謝るか。
白蓮のヤカン頭を受け取り、城壁の内側に着地する。
「それで、アイラさん。三好さんのスキルやレベルって……」
『……20だ』
「えっ」
『ミーアのレベルは『20』。スキルは『土木魔法』『水氷魔法』そして『魔力節制』だ』
「……随分、高いですね。というか『魔力節制』って?」
『確か、より魔力を効率的に扱える様になるスキルだ。魔法に必要な魔力の減少と、詠唱破棄で魔法が使える大当たりスキルだよ』
「はぁ……」
それはまた、強いわけだ。
益々もって自分がここにいる意味などない気がしながらも、念のため白蓮の体を錬成する。
アスファルトの地面が抉れ、下の土がむき出しになった。まあ、緊急事態という事で許して……もらえるかなぁ?
ズシズシと歩く白蓮に問題が無い事を確認し、イヤリングに触れる。
「取りあえず、安心しました。無謀な戦いではなさそうですし」
『そうだな。腹立たしいが、ミーアは覚醒者としても優秀らしい。そのうえ、随分と積極的にダンジョンへ行っていた様だ。こと防衛戦に限れば、かなりのものだろう』
かなり不機嫌そうに、アイラさんが断言する。
『京ちゃん君でも、この守りを突破するのは難しいのではないかね?』
「え、僕ですか?」
『敵の戦力は未だ不明だからな。取りあえず、君の意見を聞きたい。真正面から、力押しでこの壁を超える事が出来るか?出来る場合、どの程度手間取る?』
「そう、ですね……」
三好さんの魔力と、魔法。そして地形。
無い頭を捻り、全力で自分がこれと相対した場合を考えて───。
嫌な汗が、頬を伝った。
「突破は、可能です」
『ほう、断言するか。では、時間はどのぐらい必要かね?』
「30秒です」
『……は?』
自分で考えて、出てきた結論に思わず冷や汗が流れる。
「たぶん、全力でいけば30秒で突破できます。もしもボスモンスターが出たらやばいかもしれません。警戒を強めます」
そう言って、白蓮に向き直る。
「万が一この壁が崩れたら、前進してモンスターと戦え。それまで待機」
ヤカン頭が頷くのを確認してから、風を使い1足で城壁の上に戻る。
「ここは矢が飛んでくるかもしれないので、壁の内側にいた方が良いですよ?」
子供を諭す様に笑いかけてくる三好さんに、首を横に振った。
「いえ、その……ボスモンスターが来たら、その……突破されるかもしれないので……」
「……そうですね。『万が一』を想定するのは大事です」
笑みを崩さぬまま、三好さんが正面を向き直った。
「では念のため、茨の壁をもう1つ───」
「てきしゅー!」
エリナさんが、大きな声でこちらに呼びかけてきた。
慌てて正面を見れば、僅かに坂になっている道を駆けてくる影が1つ。
まだ、遠い。『精霊眼』などの目に関するスキル無しでは、豆粒の様な大きさにしか見えない。
だが視える。自分には、視えてしまう。
奴が、何をするのかも。
「あ、ぇ……」
「次の敵ですか。数は?」
「1体!でも他のと様子が違うよー!」
「……なるほど、ボスモンスターですか」
三好さんが表情を引き締め、杖を強く握る。
「やはり矢川君は下がっていてください。ここは危な───」
「すみません!」
「へ?」
強引に、三好さんの腕を掴んで引き倒す。覆いかぶさる様にのしかかった自分に、彼女が目を見開いた。
そして、すぐに眦を吊り上げる。
「な、なにを!」
「きます!」
自分がそう叫んだのと、ほぼ同時。
───ゴォッ……!
あらゆる音をかき消すかのような、轟音。そして、衝撃。
半瞬遅れて腹の奥底を揺らす様な破砕音が轟き、辺りに氷の破片が舞った。
「な、なにが……」
唖然とする三好さんを横にしたまま、ゆっくりと、氷の壁に隠れながら『被弾箇所』を見やる。
あの分厚い城壁が、ごっそりと抉れていた。音をたてて今も蒸気を発しており、ゆっくりと破損範囲を広げている。
そして、城壁を穿った1撃。それを成した得物を見る。
溶けていく城壁の上で転がる、『燃え盛る投槍』。1メートル半ほどの長さをしたそれが、ただそこにあるだけで厚さ5メートル近い氷の壁を見る間に溶かしていっているのだ。
ここまで届く程の熱気。まるで、サウナの中みたいだった。
ゆっくりと、今度は攻撃の主へと視線を移す。
先ほどまで豆粒ほどにしか視えない距離にいた怪物は、いつの間にか非覚醒者でも肉眼で目視できる距離にまできていた。
基本的には、他のケンタウロスと変わらぬ姿形。あえて骨格の違いを探すとしたら、他の個体より2回りほど大きな所か。
しかし、骨格以外の異なる点はあまりにも明白である。
まず、驚くほどに白い。下半身の馬体どころか、上半身と頭部までも純白の体毛が覆っていた。
より馬に近づいた姿ながら、右手には黄金の穂先を輝かせた槍が握られている。
そして何より存在感を放つ、風にたなびく深紅の鬣。
炎を凝縮して形作られたそれから発せられる熱で、奴が通ったアスファルトの地面はドロドロに溶けて行く。否、通る前から道は崩れ始めていた。
だと言うのに、その悪路をものともせず怪物は疾走する。遠目から見ても、奴の速度は時速100キロを優に超えていた。
……ダンジョン庁のHPで、見た事がある。
ケンタウロスが出る、『Cランクダンジョン』のボスモンスター。
「レフコース……!」
ギリシャ語にて、『白』を意味する言葉。あまりにもシンプルなその名が、何の違和感も覚えさせない姿をしたモンスターは、真っすぐにこちらへ向かって来ている。
奴の左手には、この氷の壁を打ち砕いた物と同じ投槍が握られていた。
「跳び下ります!掴まって!」
「待ってください!まだ被弾箇所を修復すれば」
「ああ、もう!」
強引に三好さんを抱え、城壁から跳び下りる。
直後、敵を捕捉してからたったの『10秒』で──氷の城壁は粉砕された。
読んでいただきありがとうございます。
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