第三十六話 穏やかな笑み
第三十六話 穏やかな笑み
ダンジョン周辺は住民が『避難』しているので、その範囲内に自分達以外の人間はいない。
そんな無人の街を走る最中、段々と人の声が聞こえ始めた。
「ぎゃあああああああ!」
「助け、誰か、助けぇ……!」
それは悲鳴。それは断末魔の叫び。
耳にするだけで本能的な恐怖が掻き立てられ、前に出す足が重くなる。
雨の残り香しかなかった風に、鉄と煙の臭いが混じりだした。
だが、隣を走る彼女は止まらない。故に、自分も止まれない。
道に、血と骸が増えて行く。まるでゴミの様に打ち捨てられた遺体が、ここで何が起きているのかを語っていた。
今度は、前と違って立ち止まらない。奥歯を噛み締め、強引にでも足を動かす。
すると、道路の向こうから1台の車が走ってきた。猛スピードのその車は、T字路で曲がり切れず電柱に衝突してしまう。
まだ遠い位置にいる自分達にまで届く、腹の底を揺らす様な轟音。どう見ても、あの車はもう走れる状態ではない。
這う這うの体で、男女と小さな子供が車から降りてくる。少しふらつきながらも、彼らはこちらを見つけると走って来た。
夫婦らしき男女と、男性の方に抱えられている子供。
彼らは、何かを叫んでいた。だがそれを認識するより先に、加速する。
視界の端。車が先ほど曲がって来た道の向こうから、『怪物』が姿を現したのだから。
アスファルトの地面を削る蹄。馬の脚が悠々とその巨体を押し出し、すぐにでもあの家族に追いつこうとしている。
本来馬の頭がある位置には筋骨隆々とした人間の上半身が生えており、その頭部は人と馬が混ざった様な奇妙な形。馬面、という表現すら生温い。あえて言うのなら、頭髪と髭以外には毛の生えていない馬の頭か。
『ケンタウロス』
奴は歯をむき出しにして、不気味な笑みを浮かべている。右手に握る槍をわざとらしく振り回して獲物を、あの家族を追いかけていた。
追いつけなかったのではない。わざと、速度を緩めて追い立てていたのだ。獲物が逃げるさまを見る為に。
だがそれも飽きたのか、あるいは自分達への警戒かは不明だが、奴は『遊び』をやめた。
気色の悪い笑みこそ浮かべたままだが、槍の穂先を逃げる家族へとピタリと定まる。
蹄がアスファルトの地面を踏み砕き、加速。その音に後ろへ振り返った一家が悲鳴を上げるのを、『背中から』感じ取る。
数歩にて、100メートルはあった距離は詰めた。あの家族より、自分の方がこのケンタウロスに近い。
怪物の顔から笑みが消し飛び、瞬時に槍の穂先が狙いを変える。この動きだけで、自分より奴の方が技量は上に思えた。
だが、関係ない。
『ブルァァ!!』
嘶きの様な雄叫びと共に放たれた突きを、踏み込みながら回避。
互いの勢いそのままに、両手を広げて奴の巨体と正面からぶつかった。
「おっ」
衝撃で大気が振動し、激突の轟音が鳴ると共に。
自分の喉が、震える。衝突の痛みを誤魔化す為に。そして、自身の全力を引き出す為に。
「おおおおおおおおおおお!!」
質量差で押し込まれかけるも、風によって拮抗。そのまま地面を踏み砕きながら、冬の農耕馬の様に長い体毛を鷲掴みにする。
背筋も使って、ケンタウロスの体を持ち上げた。
あちらも衝突の衝撃で反応が遅れた様で、碌な抵抗もなく宙に浮く。
『ブ、ブルヒ』
「らぁぁぁあああああ!!」
ケンタウロスが半瞬遅れて暴れ出すと同時に、斜め前に向かって勢いよくぶん投げた。
普段日常では聞かない様な、重く大きな音が響く。アスファルトの地面が一部砕け、怪物の下に小さなクレーターが出来上がっていた。
悲鳴をあげるケンタウロスの頭を、素早く近づいて踏み抜く。
小さく痙攣する体から数歩離れつつ、剣を抜いて構えた。警戒しつつ睨みつければ、数秒ほどで塩に変化する。
それを見て、ようやく胸を撫で下ろした。
オークチャンピオンと同格かと思ったが、予想外に脆い。地面に叩きつければ骨が折れるし、頭を潰せば死んでくれる。
「えっと……」
剣を手にしたまま、例の家族へと振り返る。
ぱっと見、大きな怪我はなさそうだ。衝撃波で転倒した様で、地面に座り込んだまま自分を見上げている。
「その、大丈夫ですか……?」
「は、はい。……あ、あの、貴方は……」
「あ、僕は大丈夫です」
「そ、そう、ですか……」
何とも言えない沈黙が、数秒流れた。
露骨に警戒した様子で、子供を抱きかかえる夫婦。そして、呆然と自分を見ている幼稚園ぐらいの少女。
……え、もしかして怖がられている?
そんな、助けたのに……いや冷静に考えると、化け物を素手で殺した見知らぬ他人とか普通に怖いな?
慌てて、右手の剣を後ろ手に隠す。いや今更意味があるかわからんんが。
「聞こえますか?そこのご家族……」
「!?」
驚いた様子で周囲を見回す夫婦。すぐ近くにエリナさんが立っているのだが、どうやら『透明化』を使っているらしい。
「我々は『インビジブルニンジャーズ』……社会の影を歩む者達……」
「い、インビジブルニンジャーズ……!?」
またその名前を……。
他人のふりをする為に、少し離れた位置で周囲を警戒する。パーティー名として押し切られたが、こんな変てこな名前をした集団の一員と知られたくない。
「我々はとある人物を助ける為、ここに来ました。あなた方はすぐにこの場を去るのです……」
「は、はいぃ!」
「あ、その前にゴーレムを連れたエルフの女の人見ませんでしたか!?凄い美人さんだよ!」
「はい……?」
突然テンションを切り替えたエリナさんに、夫妻が困惑する。
「あの、エルフかはわかりませんけど、避難所の方で魔法使いの覚醒者がいると逃げる途中で聞こえた気が……」
「たぶんその人ですね!ありがとございました!じゃ、そゆことでー!」
また走り出したエリナさんに続き、自分も駆けだす。
何となくチラリと振り返れば、先ほどの一家がこちらに一礼した後そそくさと逃げて行くのが見えた。
……あの人達も、無事に安全な所まで行けるといいけど。
『そこから一番近い避難所だと……恐らく市立中学だな。2人とも、3つめの信号を右だ!』
「おっす!」
「はい」
頷きつつ走りながら、道路に散らばる遺体から目を逸らす。
それにしても、あちこちで車が横転しているな。しかも、全てに『矢』がつき刺さっている。
となると……。
───ブォォオオオオ……!
突如、大きな笛の音が轟く。
これは、ほら貝?いや、角笛か……?
「左斜め前方向、そっちから沢山足音がくるよ!さっきの笛の音もそっち!」
「了解」
加速し、エリナさんの前に出る。ほぼ同時に、数十メートル先にある十字路の左から硬い足音を響かせてケンタウロスの一団が現れた。
1体や2体じゃない。二桁はいる。まるで訓練された騎兵隊の様に、奴らは一斉に得物を構えた。
『ボォウ!ボォウッ!』
『フォオ゛オ゛オ゛オ゛!』
奇妙な声を発し、十数体のケンタウロス達が走りながら弓を引き絞る。
小型だが、内包された魔力は馬鹿に出来ない。弦から奴らの太い指が離れた刹那、凄まじい速さで矢が放たれた。
そこら中に転がる車は、これの餌食になったのだろう。
徒歩で逃げれば追いつかれ、乗り物を使えば射貫かれる。それゆえの、この惨状か。
タイヤや運転手を狙ったとしても、走っている乗用車を横転させる程の矢。それが、自分目掛けて殺到するのは血の気が引く光景である。
だが、
「おお!」
風でもって、薙ぎ払う。
左腕に風を纏わせ、一閃。迫る矢の軌道が逸れ、あらぬ方向に飛んでいった。自身と、背後を走るエリナさんには1本も届かない。
『ボォオ!』
驚愕か怒りかの声をあげながら、即座に弓を投げ捨て槍を取るケンタウロス達。
ランスチャージの様な構えで突撃してくる怪物どもに、自分も正面から吶喊する。
背後にエリナさんがいる以上、下手な回避はできない。何より、先の衝突でこいつらの身体能力はおおよそわかっている。
鏃型の陣形で迫る相手の中央へと踏み込み、僅かに身を捻る事で突き出された槍を回避。同時に、両手で握った剣を振るった。
体格差ゆえに首を狙えないが、なんの防具もない上半身と馬体の付け根へと刀身を走らせる。
一刀両断。肉も骨も断ち切り、そのまま『風車斬り』の要領でもう一撃。続く2列目の胴も引き裂いた。
敵集団とすれ違い、振り返る。ガリガリとアスファルトの地面を削りながら方向転換した事で、エリナさんが自分を追い抜いていった。
一瞬だけ、視線が交差する。
「先に!」
「おうよぉ!」
透明化しているエリナさんはともかく、自分は奴らから丸見えだ。このまま逃げれば、避難所にケンタウロス達を誘導する事になる。
怪物達もすれ違った後、距離をとった所で方向転換。白目の見えない瞳を吊り上げて、再び自分へと突っ込んできた。
仲間が2体も殺されたのに、一糸乱れぬ様子で隊列を再編。先ほどと遜色のない騎兵突撃が行われる。
力も強い。技もある。連携すらする怪物の群れ。なるほど、これは確かに『Cランク』だ。『Dランク』とはものが違う。
だが、どいつもオークチャンピオンより弱い。
『ボォォオオオオオオオ!!』
魔力を帯びた、恐らく何らかの『スキル』なのだろう咆哮。だが全て体表にて弾かれる。『概念干渉』を使うまでもなく、『心核』が浸透しようとする魔力を打ち払った。
猛スピードで迫る槍の群れへ、こちらからも突撃。風を纏わせた斬撃でもって、並んだ穂先を纏めて薙ぎ払う。
返す刀でもう一閃。今度は眼前3体の『前脚』を叩き潰した。得物を破壊され、続けざまに足も潰された最前列。そして、猛スピードでやってくる後列。そこから起きる事など、子供でも予想がつく。
盛大な追突事故が起きる中を駆け抜け、今度は距離を取らせる前に反転。走り抜けようとする手近な個体に斬りかかる。
『ブォ!ブオォ!』
ケンタウロス達も槍を短く握って応戦するが、遅い。
上からの突き下ろしを『精霊眼』で避けながら、密着する様に剣を振るう。そのまま集団の中へと跳び込み、手当たり次第に斬りかかった。
こうも近く、そのうえ隊列の内側で暴れられれば走る事も難しいのだろう。奴らの足が、止まった。
はたして、度々創作で聞く『足の止まった騎兵など鴨』という言葉は本当なのか?
少なくとも───こいつらには、当て嵌まるらしい。
腹を、馬体を、足を狙って刃を振るう度に鮮血が舞った。風を纏っていなければ、今ごろ自分は頭からつま先まで赤く染まっていただろう。
だが数体が団子状態から抜け出し、機動力を取り戻す。奴らはすぐさま再突撃を行い、こちらに迫って来た。
モンスターの感情なんぞよくわからないが、間違いなく『殺意』と『怒り』に満ちた視線でこちらを貫いている。
ならばと、切っ先に風を纏わせてそこらに散らばるケンタウロスの塩と、それに変わる前の血肉を巻き上げた。
この前コカドリーユにやられた、目くらましからの奇襲を試す。
白と赤で覆われた互いの姿。それでも奴らが減速しない事を魔力の流れで察知し、内心で舌をまく。
だが、構わない。『精霊眼』でもって位置を特定。突き出される槍に合わせて跳躍し、左の拳を顔面へと叩き込む。
相対速度もあって砕け散る頭蓋には目もくれず、そいつの肩を蹴って再度跳躍。慣性で前進する首を失った身体の勢いも利用して、一息に次のケンタウロスへ。
空中で体を回転させながら、風を放出。2体の馬体を纏めて両断しながら着地した。
残るは───1体。
『ブァアアアアア!!』
半狂乱になったかの様に、吠えながら槍を突き出してくる。それでも着地の瞬間を狙う理性はあるらしい。
だが、『視えている』。
頭目掛けて放たれた槍を僅かに屈んで避けながら、一撃で胴を斬り捨てた。どちゃり、と。背後で分かたれた体が転がる。
「ふぅぅ……」
残心。ぐるりと、周囲を見回して視界内全てのケンタウロスが塩に変化したのを確認し、イヤリングに触れる。
「アイラさん。こっちは片付きました。エリナさんと合流したいので、ナビをお願いします」
『……ああ。わかった』
「……どうしたんですか?」
隠す様子もなく声に苛立ちを混ぜたアイラさんに、首を傾げる。
『……説明は後でしよう。君は敵の接近を警戒しながら、まずエリナ君と合流してくれ。ミーアもそこにいる』
「わかりました」
何故イラついているのかは謎だが、救助対象とは会えたらしい。
剣を手に周囲を警戒しながら、ナビ通りに進む。徐々に人の死体よりも散らばる塩の方が増えていき、やがて白一色で道路が埋め尽くされるまでになった。
……もしや、この塩は全てミーアさんが倒したモンスターなのか?だとしたら、いったいどれだけの敵を返り討ちにしたのか。
本当に救助は必要だったのかと思い始めながら走っていると、住宅街の中にそびえたつ『氷の壁』に突き当たる。
でかいし、分厚い。まるでテレビで見る城壁だ。
「これは……」
「あ、京ちゃーん!」
高さ3メートルはある壁を見上げていれば、近くの住宅の屋根からエリナさんが飛び降りて来た。
猫の様に着地した彼女が、小走りに近寄って来る。
「エリナさん、三好さんと合流できたって聞いたけど……」
「それがねー」
彼女にしては珍しく、困った様な笑みを浮かべていた。
「先輩、自衛隊が助けに来るまではこの避難所を守るってー」
「……え」
『そういう事だ。あの堅物め……!』
思わず唖然とする自分と、吐き捨てる様に呟くアイラさん。
そこに、氷の壁の一部が門の様に開いて1人の女性と2体のゴーレムが現れた。
三好さんである。彼女は宝玉のついた杖を手に、自分達を見つめて来た。
「矢川君も、本当に来ていたのですね。助けに来てくれた事には感謝しますが、貴方達は『空間魔法』で逃げてください」
毅然とした態度で、三好さんが断言する。
「私はここに残り、住民を1人でも多く助けます」
……はい?
口を大きく開けて愕然とする自分に、彼女は笑いかけてくる。
「貴方達が付き合う必要はありません。どうか、撤退を」
そう告げる三好さんの笑顔は、驚くほど穏やかなものだった。
穏やかで、あるはずなのに。どうして……。
どうして自分は、『危うい』なんて思ってしまったのだろう。
読んでいただきありがとうございます。
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