第二十二話 Dランク
第二十二話 Dランク
しとしととした雨が空気を濡らす5月も、既にあと少しで中旬と言える頃。
市役所から出た自分達を、静かな雨音が出迎える。
「いやー遂にだね京ちゃん!!」
「うん」
玄関の屋根の下で、手の中にある小さな板切れを眺める。
『冒険者免許(D):矢川京太』
何とも簡素な身分証明。その下には住所やら何やらが載るだけで、前に見せてもらった父さんの運転免許証にどこか似ている。
だがこれが、自分が『プロ』や『一流』と呼ばれる存在になった証であるのだと思えば、不思議な重たさがあった。
きっと、オークチャンピオンと戦う前だったのなら何も感じなかったと思う。
あの日、自分は死ぬかもしれなかった。怪物でありながら人の様に武の術理を用いる存在に、頭蓋を割られかけたのだ。
オークチャンピオンのランクも、『D』。ようやく、自分は奴と同格になったわけか。
……アレと、再び戦って勝てるだろうか。
理性も本能も、勝利を確信している。だが、気持ちだけが猜疑心を抱いていた。
今でも鮮明に思い出せる、理性と闘志を宿したチャンピオンの瞳。真っすぐにこちらを睨みつけ、槍より先に自分を貫いた眼光。
あの時、前へ踏み出せたのは両親を殺されたという怒りからだった。蓋を開けてみれば、エリナさんのおかげで五体満足であったけれど。
怪物の、自分を殺しうる存在の『殺意』に。
はたして、僕は立ち向かえるのだろうか?
「京ちゃん」
「っ!」
こちらを覗き込んで来たエリナさんの顔に、思わず一歩後退る。
「どうしたの?難しい顔して」
「いや……少し将来に不安を」
「まだ早いよ京ちゃん!?人生これからなんだからね!認知症になるまで頑張ろう!」
「いやその励ましもどうなの?」
『おーい。入口で何を立ち止まっているんだい。お姉さん待ちくたびれてしまうよー』
「あ、すんませんパイセン!!」
「すみません、今向かいます」
わざわざ車を出してくれたアイラさんから、念話がくる。
「ほら行こ!京ちゃん!」
「……うん」
傘をさし、駐車場を歩く。
水たまりを避けながら、手の中の免許証を濡らさない様に気を付けて。
先の疑問の答えを、未だ出せぬまま。
* * *
というわけでやって参りました『Dランクダンジョン』。
立ち向かえるかわからんと、うじうじ悩んでいてもしょうがない。ボスモンスター以外はスペックのごり押しで戦っても死にはしないんだから、取りあえず試せばいいのだ。
大丈夫そうならこれまで通り。駄目そうなら慣れれば良い。ソロで潜るわけでもないのだから。
そんなわけでいつもの様に準備を終え、ダンジョンの中に。
ゲートを潜った先、硬い石の床に足をつける。
ランタンの明かりで照らされた周囲への印象は、まず『天井が高い』だった。
ストアで聞いた情報では、たしか天井まで10メートルもあるらしい。通路の幅も広く、2車線道路ほど。
石畳の床に、ブロックを積み上げた壁。緩やかな風が、カビ臭さと共に通り過ぎていく。
「エリナさん、警戒をお願い」
「任された!!」
彼女に周囲を見てもらいながら、『白蓮』を起動。ペンライトと鏡を取り付け、前に出す。
「アイラさん、通信は大丈夫ですか?」
『感度良好だとも。きちんと見えるし、聞こえている。入る前にも伝えたが、今回はデータ取りの事は考えなくて良い。まず、『Dランク』に慣れたまえ』
「はい」
「イェアー!」
エリナさんのそれはどういう返事なのだ。いや笑顔で拳を突き上げているから、了解の意なのだろうけども。
深呼吸を1回。気分を落ち着かせ、探索を開始する。
このランクから、ダンジョンの難易度は大きく変わると聞いた。
まず、構造が通常と異なる。より3次元的なものになっているのだ。
今見えている左右の壁にはそこそこの厚みがあり、それでいて天井までは繋がっていない。ようは、登れるのだ。
迷路の様に入り組んでいながら、壁の上を歩ける。だが、それは『罠』だ。ストアにて、『絶対に登るな』とわざわざ釘を刺されている。
壁が厚いと言っても人が1人歩ける程度。そして何よりここのモンスターは、
「京ちゃん、羽の音だ」
「っ……」
右手の剣に力を入れながら、左手で小型ナイフに触れる。
「……数は2つ。10時の方向から近づいているよ」
「了解」
彼女が告げた方角を睨みつける。
目の前には壁。しかし、その上には空間がある。
奴らは、翼をはためかせて現れた。
『ギィ!ギィイ!』
一見すると、『ゴブリン』に似た容姿をしていた。
ギョロリとした大きな目に、捻じれた鼻と大きな耳。だが異なるのは、肌の色が灰色である事。
そして、側頭部から伸びる角と、背から生える蝙蝠の翼がある事か。
『インプ』
下級悪魔。しかし人間からすれば十分に驚異である怪物達だ。このダンジョンの高所は彼らの領域。不用意に壁の上へ登ろうものなら、立ちどころに群がられ床に叩き落とされる。
耳障りな声をあげる2体のインプは、右手に槍を握りながら何も持たぬ左手をこちらに向けてきた。
ほぼ同時に、言語とは思えない奇怪な声。
「とぉ!!」
エリナさんの掛け声に合わせて、ナイフを投擲。棒手裏剣と共に飛んでいき、頭上のインプへと向かう。
見事両方とも命中し、その個体は悲鳴をあげて床に落ちた。5メートル以上の落下も合わさって、動かなくなる。
だが、もう1体は仲間の墜落を気にした様子もなく『詠唱』を終えた。
『ギャギャギャ!』
不愉快な声と共に、放たれる青い炎の矢。そう、こいつらは『魔法』を使う。
空を飛び、体は小さく、飛び道具まで使うのだ。そのうえ身体能力もゴブリン以上。
本当に、厄介なモンスターである。
『概念干渉』
軌道を『精霊眼』で予測し、剣を合わせる。刀身に青い炎を巻き付かせるなり、そのまま相手へと思いっきり振り抜いた。
どうも予想外の反撃だった様で、インプは避ける事もできず返された炎に直撃。悲鳴をあげて火だるまになりながら落ちて来た。
『ギャ、ギャア!?』
床をのたうつその個体に、棒手裏剣が止めを刺す。
先に落ちた方も視界の端に捉えていたが、塩へと変わった。2体とも無事に倒せた事に、安堵の息を吐いてドロップ品を回収する。
今回も塩の中から取れたのはコインなのだが、これまでの物より大きい上に少しだけ金色だ。たぶん、金が混ぜられているのだと思う。いや、未知の金属かもしれないが。
ドロップ品をエリナさんに渡した所で、アイラさんから声がかけられる。
『やあ、2人ともお疲れ様。怪我はないかね』
「ノープロブレムだよパイセン!!」
「こちらも、問題ないです」
『ならば良かった。今後も油断しないようにね』
「はい」
「おっす!!」
個体の強さはそれ程ではないが、地形も相まって厄介なモンスターだ。慢心は出来ない。
しかし、身体は特に問題なく動く。緊張はするが、チャンピオンに殺されかけた時の様な感覚もない。
自分は、このランクで問題なく戦える。……はず!まだ不安はあるが、自分にそう言い聞かせた。
「よし」
小声でそう呟いて、探索を再開した。
少し進んだ所で、不自然に壊れた壁を見つける。表面が削り取られているのだ。
「これが、例の?」
「たぶんそうだねー」
そう言って、エリナさんがブラックライトを取り出した。
ランタンの明かりで邪魔しない様にしながら、壁の方を見る。すると、削られた箇所の横に文字が浮かび上がっていた。
「『B-4』らしいっす、パイセン!」
『よろしい。となると地図では……』
インプは、頭がいい。
こちらの言語を理解しているのかは不明だが、自衛隊が残す黄色のペイントが自分達冒険者の道標である事はわかっている様なのだ。
そのため、奴らはこうして壁を削ってまでペイントを隠す。ダンジョンは本当に不思議な場所で、こうして壊すと暫くしたら誰も触れていないのに元の状態へ戻るそうなのだ。何も書かれていない状態に。
だが、壊されなければそのまま。自衛隊は『じゃあインプから見えなければ良いのか』と、ブラックライトを当てないとわからない文字で地図の番号を書いている。
なお、このブラックライトはストアで販売していた物だ。少し意外だけど、相場よりちょっと安い。
それだけ、『絶対に持って入れよ』と言いたいのだろう。
『うん。では、このまま歩くと丁字路にあたるはずだ。そこを右に進んでくれ』
「はい」
「イェアー!」
その返事、気に入っているのだろうか。
なんてやり取りをして、移動を再開。ゆっくりと進んでいく。自衛隊の照明も壁同様破壊されるので、光源は手持ちの物のみ。
上からの奇襲に気を付けながら進むというのは、意外なほど神経を使う。
知らず、頬から顎を伝い汗が滴り落ちた。
「京ちゃん。上を注意してくれるのもいいけど、前や足元も気を付けてね」
「え、あ、うん」
エリナさんに肩を掴まれ、足を止める。彼女の小声に合わせ、こちらも声を落とした。
「前方、確か地図の通りだと曲がり角のはず。そこから微かに呼吸音がするよ。数は3」
『エリナ君の言う通り、君達の進行方向に角があるね』
「了解」
剣を握り直しながら、左手でナイフを抜く。
なるほど。上ばかりに意識が向いた侵入者を、こうして平面の奇襲で狙ってくるのか。
やはり、前情報どおりインプは頭がいい。
だがそれ以上にエリナさんが頼もしい。
「白蓮を先行させる」
「お願い」
石で出来たゴーレムボディに触れ、魔力を補給しながら小声で命令を出す。
ずしずしと重い足音をたてて前進する白蓮。頭部につけたペンライトの明かりで、暗くとも角を曲がったかどうかが視認できる。
それに。
『確かに3体いるな!思いっきりこっちを睨んできている!』
アイラさんからの念話で、状況もわかる。
バサバサという羽音が聞こえると共に、自分達も走りだした。
角を曲がれば白蓮目掛けて飛び上がったばかりのインプ達がおり、不意を突く事に成功する。
ナイフと棒手裏剣が1体を撃墜。残る2体が、こちらを睨みながら雄叫びをあげた。
1体がそのまま白蓮を上から攻撃している間に、もう片方が槍で頭と胸を守りながら高度を上げていく。
こちらの射程外に出る気か。
そのまま跳べば、迎撃で叩き落とされかねない。すぐ横の壁に足をかけ、風の後押しを受けながら疾走。勢いそのまま駆け上がった。
2歩で壁の上まで到達し、跳躍。眼を見開いてこちらを見るインプに、空中で剣を振るう。
ゴブリンよりは強いと言っても、オークに比べれば脆い。一刀にて斬り捨てる。
重力に任せて落下しながら下を見れば、白蓮に組み付こうとしている個体にエリナさんが鉤縄を投げた所だった。
「とりゃぁ!」
『ギェ!?』
絡めとられ床に叩きつけられたインプが悲鳴を上げ、その背を白蓮が踏みつける。
身動きが取れなくなったその個体は、次の瞬間には忍者刀で首を貫かれていた。
着地の瞬間に風を放出し、減速しながら足をつける。壁走りは訓練施設で練習こそしていたが、実戦で無事に成功して良かった。
「やはり……忍者か……!」
「違うから」
だからそんな目で人を見るんじゃありません。
その後も、順調にダンジョンを進み2時間ほどで無事に帰還。かくして、初めて『Dランクダンジョン』の探索は終了した。
心身ともに問題なし。悪くないスタートであった。
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