第二章 プロローグ
第二章 プロローグ
───緊張のあまり、吐きそうになった経験というものは、誰しもあると思う。
それは受験の時だったり、面接の時だったり、とんでもない失敗をした直後だったり。理由やタイミングは人それぞれながら、まったくない事もないだろう。
今すぐ逃げ帰りたい。自室にこもって、ゲームや漫画で現実逃避をしたい。寝て起きたら全て解決していてほしい。
自分は今、正にそんな心境だ。
しかし、逃げられないから吐きそうな程追い詰められているのである。そもそも、踵を返して良いのなら吐きそうになんてなりはしない。
いいや、落ち着け矢川京太。ダンジョンで数々のモンスターを屠り、オークチャンピオンさえ打ち倒した自分がこの程度で腰が引けるものか!
命をかけた戦いと比べれば、この程度なんの問題もなかろうに!
……わりぃ、やっぱつれぇわ。
手から提げている紙袋の中身を確認したり、周囲を見回したりと、無為に時間を潰す事約3分。
そろそろ不審者として通報されかねない。これはもう……腹をくくるしかないだろう。
「すぅ……ふぅぅ……よし!」
深呼吸を1回。大丈夫。足は動くし、心音も落ち着いた。
後は、ただ動くのみ。
「逃げよう」
撤退。否、これは背後への前進である。
逃げられない、なんて誰が決めた。道はいつだって、どこにだって続いている。
固定観念に囚われるな。人はいつだって───自分で進む先を、選んでいいのだから!
『おや京ちゃん君。帰ってしまうのかい?』
「ヒュッ……」
思わずおかしな感じに空気を吸い込み、むせそうになりながらも視線を巡らせた。
聞き慣れた声は、しかしいつもの様に耳元ではなく前方から聞こえている。
「い、いつから……」
『3分ほど前だねぇ』
視線を眼前に、カメラ付きのインターホンへと向ける。
『悲しいなぁ。せぇぇっかく君を出迎える準備をしていたというのに。まさかここまでチキンだとは。そんなんだから京ちゃん君には友達が私達2人しかいないんだぞぅ?』
「……2人?」
『はっはっは。友達でないのなら通報しようかなー』
「すみません。たぶん僕達は友達です、アイラさん」
カメラに向かって全力の愛想笑いを浮かべる。
だってアイラさん、何だかんだ胡散臭いし。あと年上だから『友達』って言い辛い……。
こう、大学生ってすごく『大人』って感じするじゃん?お酒とか飲んでいるから余計に。
『ふっ。今の台詞、録音したからな……!』
「え、こわ」
『さあ、入りたまえマイフレンド』
彼女がそう言うと、目の前にある格子状の門が開いた。すげぇ、これ自動なんだ……。
周囲は閑静な住宅街。眼前の邸宅も優美な外観をした、2階建ての一軒家である。
門を潜れた左右に芝が植えられた庭があり、緑に挟まれた石畳を10メートルぐらい歩いて玄関に到達。
自分が扉の前に立つと共に、勢いよく内側から戸が明け放たれた。
「ようこそ、京ちゃん君!歓迎してやるとも!盛大になぁ!」
「ブォオオオオオオ!!」
クラッカーを鳴らしながら『休肝日なんぞクソくらえ』と書いたタスキをかけたアイラさん。上下ともに黒のジャージ姿という、随分とラフな服装だ。
そしてその隣では、朱色に黄色の模様が描かれた着物姿のエリナさんが、ほら貝を吹いている。
あ、違うわ。ほら貝唇につけながら口で言ってんのか。どっちにしろ謎である。
「……ど、どうも」
現在、自分はアイラさんのお宅にやって来ていた。
というのも、この前のオークの一件できちんとしたお礼をまだしていないのである。
本来はエリナさんに両親が直接言おうとしたのだが、彼女は1週間前からアイラさんとお婆さんの家で暮らしているらしい。
しかも大学教授であるお婆さんと、両親の予定が合わず下手に時間を空けすぎるよりはと、こうして自分が菓子折り片手にやってきたのだ。
そう。異性の、暮らしている、家に!!
変な事を言わなければ大丈夫……。お礼を言って菓子折り渡してすぐに帰れば大丈夫……。何も問題ない。ないったらない。
もしも他人が今の僕を見たら、『たかが友人の家を訪ねるのに何をそこまで緊張するのか』と思うだろう。
だがしかし。それはチョコレートケーキの3千倍は甘い!
なにせ相手は我が友エリナさんと、友達?なアイラさんなのだ。発言こそ色々と残念な2人だが、見た目だけならすこぶる良いのである。あとスタイルも。
こんな異性が2人もいるところに長居出来るか!僕は帰らせてもらう!
緊張で心臓が止まる前になぁ!
「ようこそ京ちゃん君。玄関で立ち話もなんだ。ついて来てくれ」
「リビングでお菓子食べながらゲームパーティーしよー!」
「あ、お菓子と言えば、これを……」
よし、自然な流れで菓子折りを出せたな。
自画自賛して精神安定を図りつつ、紙袋をエリナさんに差し出す。
「ん?なあに?」
「この前、両親を助けてくれたお礼に……その、2人は今日来られないから……」
うら若い乙女2人しかいない家に、大人が行くよりも『友達』である自分だけが行った方が良いと両親が言ったのである。
勘弁してほしい。せめて母さんは同行してく……いや親同伴は別の方向性で嫌だなぁ。
「あらま!気にしなくてよかったのに」
「いや、そういうわけには」
なにせ、無関係なのに片腕犠牲にしてまで助けてくれたのだ。菓子折りじゃどう考えても足りない。
だが、どんな風に恩を返せばいいのかもわからない程の『借り』である。両親も後日きちんとお礼を言いに行かなきゃと予定を立てているが、どう感謝を伝えればと頭を抱えていた。
「まあまあエリナ君。そういうのは素直に受け取るのがマナーというやつだよ」
「そっすねパイセン!パパさんとママさんによろしく言っておいてね、京ちゃん!」
「はい」
「さあ、話はこれぐらいにしてリビングに行こうか!!」
なんでこんなテンション高いの、アイラさん。
まるでクリスマスを前にした小学生の様なテンションだ。こちらの後ろに回り込み、背中をグイグイと押してくる。
ちょ、力は弱いけど小さな掌の感触がこそばゆい……!
「い、いや。僕はこの辺でおいとまを……」
「んー?何か予定でもあるのかね」
「京ちゃんどうしたの?まさか忍者の襲撃があった!?」
「いや、そういうわけではなく」
「だったら、ここで帰るのは礼を失しているのではないかなぁ?」
「そ、それは」
「そうだよ京ちゃぁぁん。遊んでこうぜー」
「なんで2人してそんな悪人面なんですか!?」
明らかに堅気じゃない笑みを浮かべる残念美女と残念美少女。
だが、これで帰ると言うのは確かに失礼だ。お礼を言いに来た立場なのである。
逃げ道は、ないというのか……!
「わかり、ました……」
「一名様ごあんなーい!」
「今夜は帰さないぞ☆」
「いや夜までには帰して……」
靴を脱ぎ、背中を押されるがままにリビングへと通された。
どうでもいいけど、スリッパが凄いモコモコである。外観からもわかっていたが、廊下を歩いた感じやはりこの家はでかい。
アイラさん達って、もしかして良い所のお嬢さんがた……?
「改めてようこそ、京ちゃん君。自分の家と思って寛いでくれたまえ。今日はババ様もいないからな。好きに騒げるぞ!」
「は、はあ」
エリナさんが開けた扉を、アイラさんに押されるまま通り抜ける。いやいつまで押しているんだ。
通されたリビングはキッチンと繋がっているのだが、それを加味してもかなり広い。教室ぐらいあるんじゃないか?
置かれている家具や絵画は落ち着いた印象ながら、素人目にも良い物だと判断できる。
だが綺麗に磨かれている机にはごちゃっとお菓子やジュースが積み上げられ、液晶テレビの前にはゲーム機がセット済み。その周囲には人を駄目にする類のクッションが人数分置かれていた。
……何というか。その『ババ様』とやらが今日いないのを良い事に、本気で羽を伸ばしているのだろうな。
「おいおい京ちゃん君。レディの家をあまりジロジロ視るものじゃぁないぞ?」
「あ、すみません」
「さては、私の下着が落ちていないか探していたんだね!?」
「いいえ」
「このスケベさん!!」
「冤罪です」
どうしよう。さっきまで緊張していた自分が馬鹿に思えてきた。
「ちなみに私が今履いているのは黒の紐パンと言ったらどうする?」
「……はぁ!?」
思わず、ジャージ姿のアイラさんの身体を視る。
華の女子大生のくせに、人を招き入れといてかなりズボラな服装。しかし、美人は何を着ても様になるものだ。そのうえ、スタイルも抜群ときている。
自己主張の強い胸元や、くびれた腰の下にある股間周りにもつい視線をやってしまった。
「はっはっは!嘘に決まっているだろう君ぃ。トマトみたいに顔が真っ赤だぞ京ちゃん君!」
「こ、この……」
どうやらからかわれたらしい。不覚にも滅茶苦茶ドキドキした。
「そうだぞ京ちゃん!今日のパイセンは黒の紐パンじゃない!ピンク色の普通のやつだぞ!!」
「エリナ君。ちょっと待ってエリナ君」
トマトみたいに顔が真っ赤だな、アイラさん。
エルフ耳の先まで赤くした彼女が、エリナさんの肩を掴んで力なく首を横に振っている。
しかし、そうか……ピンクなんだ……。
「えっと……ゲーム、しますか」
「……うん」
「どったのパイセン。自分からパンツの話始めたのに」
心底不思議そうに首を傾げるエリナさん。
最近わかったのだが、この人陽キャのコミュ強に見せかけて明るいコミュ障だな?
それはそれとして、ありがとうございました!
「よかろう。今宵私は修羅になる!2人纏めて奈落に突き落としてやるからな!!」
「望むところっすパイセン!2度と1人でトイレに行けない身体にしてやる!!」
「あんまりヒートアップしないで下さいね、2人とも」
多少変な空気になってしまったものの、その後はいつも通りというか、何というか。
普段と違い顔こそ直接見えているが、ゲームで遊んでいる内に緊張もほぐれてくる。
そうして、気が抜けていたからか。つい、こんな事を聞いてしまった。
「そう言えば、なんでエリナさんがお婆さんの家に?」
聞いてから、少しだけ後悔する。
あれだけ『家族』というものに拘っていた2人に、この質問は地雷だったのではないかと。
背中に冷や汗を流す自分に、エリナさんは気にした様子もなく答えた。
「んー。パパが貿易関係の仕事で、急にイギリスへ行く事になったから。ママもそれについて行ったの。本当は私も行こうって話だったんだけど、無理を言って残ったんだー」
「そ、そうなんですか」
よかった。まだ普通……いや普通か?
この前『あんな事』が起きた直後に、娘を日本に置いてイギリスに行くか?
「……あの、ご両親に腕の事は伝えたんですよね。その、オークチャンピオンに」
「言ってないよー。もう治っているし!」
そう言って、笑顔でVサインをするエリナさん。
いや伝えろよ。娘の腕が千切れたとか、大ニュースだぞ。
「治っているのに伝えても、心配させるだけじゃない?じゃあ言わなくていっかーって」
「ええ……」
ドン引きしているこちらに、アイラさんがケラケラと笑う。
「まあ、私といる事も彼らは知らないだろうがね!かなり嫌われているわけだし。ババ様も私の所在を知らせてはいないだろうからね」
「え?」
「パパとママは、別にパイセンの事嫌ってないよ。ただ、どう接すればいいかわかんないだけ」
「そうかね。まあ、どちらでも良いがね」
……なんか、凄く意味深な会話がされている気がする。
「そら、隙有りだぞ2人とも!」
「げっ!」
「なんの!忍法変わり身の術!」
「人を盾に!?」
冷や汗を流しながら、画面上の展開を利用して話題の転換に挑戦する。必要以上に大声でリアクションして、この空気をどうにかしようとした。
2人もいつも通りの様子なので、どうにか誤魔化せたと思う。……思い、たい。
「それはそうと、京ちゃん君。今この家には、高齢者であるババ様と、うら若き乙女である私。そしてエリナ君が住んでいるわけだが」
「ちょ、画面端に追い込みながら話しかけないでください!エリナさん、エリナさんヘルプ!」
「ごめーん。残機全滅しちゃった」
「くっ、この悲しきモンスターを相手にタイマンだと!」
「私のあだ名について小一時間ほど問いただしたいが、スルーしてあげよう。このアイラお姉さんは寛大だからね!」
「寛大な人は空中コンボで他人をハメないと思います。脱出方法を教えてください」
やべぇ、どれだけコントローラーガチャガチャしても抜け出せねぇ。延々と空中でお手玉されている。
「そんな家の防犯に、一役かってはくれまいか?」
「……は?」
その時、自分の灰色の脳に閃光が駆け抜けた。
『心核』による補助を受けた高速思考。それにより、彼女の発言の意図を読み取る。
これは、まさか……『泊まっていけ』と言われている?
嘘だろ、最初の方に言われた『今夜は帰さない』ってマジだったの!?
ど、どうしよう。お泊りの準備なんてしてない。というか友達の家に泊まる事自体初めてなのに、しかも異性しかいない家に?
ムリムリムリ!緊張で眠れる気がしないって!
と、というか?耐えられるか、僕の理性は。耐えられ……るな。たぶん。流石にそこまで獣ではない。
でも、絶対今後2人の事を意識する!だって美人なんだもん、この人達!
男子高校生の惚れやすさ舐めるんじゃねえ。少しの切っ掛けでコロッといくんだぞ!?
いや、むしろこれは……ぼ、僕に気がある可能性が!?嘘、どこでフラグたったの!?
この間僅か2秒。顔に強い熱を感じながら、どうにか答えた。
「よ、よろこんで!」
いや何を肯定してんだ僕ぅ!
「おや、良いのかい?まだ『白蓮の様なゴーレムを1機、売ってくれないか?』と本題を言っていないのに」
「 」
───KO!
画面で、空中コンボをハメられていた自キャラが遂に撃沈した。
そして、こちらを悪戯っぽい笑顔で見てくるアイラさんに自分の思考もフリーズする。
……うん。
「いずれ地獄に堕ちやがれください……!」
「はっはっは!私は長生きする気なので、いつ天国か地獄に行くかもわからんがね!」
「どうしたの京ちゃん。お顔真っ赤だよ」
「何でもないです……!」
コントローラーを置き、顔を覆って脱力する。
負けた。色んな意味で。戦闘能力はクソ雑魚らしいのに、この残念女子大生には勝てそうにない。
腹を抱えて爆笑しているアイラさんを、チラリと見る。
……この馬鹿笑いしている顔すら綺麗なのだから、流石にずるいと思うなぁ。
「パイセン!次はこのゲームやろ!レースなら負けないから!」
「はーっはっはっは!よかろう。君達に真の強者というものを教えてあげようじゃないか!」
「なんの、牛糞まみれにしてやる!!」
「こちらの台詞だ、エリナ君。牛の貯蔵は十分か……!」
色々台無しだよちくしょう。
……いや白蓮と同じのを売ってくれって話は?
読んでいただきありがとうございます。
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