第百七十四話 出陣
第百七十四話 出陣
決戦の日。その日の空は、生憎の曇り空であった。
今にも泣きだしてしまいそうなありさまで、天気予報では暫くすると雨が降りだすらしい。
だが───その後は、晴れる。
『これより、ブリーフィングを始めさせていただきます』
窓の外に向けていた視線を、正面へと戻す。
ダンジョンストアの2階にある会議室には、30人ほどの冒険者と5人ほどの自衛隊員。そして、3人のダンジョン庁の職員が集まっていた。
『まずは、今日この場所へ集まってくれた事に、心からの感謝を。本当に、ありがとうございます』
マイクを手にそう告げて頭を下げたのは、赤坂雄介ダンジョン庁部長。
この作戦の、正確には『グイベル討伐作戦』の責任者。
顔をあげた彼は、思わず背筋が伸びる程に真剣な表情を浮かべていた。
『では、作戦の概要を改めてご説明します』
一応事前に資料は受け取っていたが、改めて書類に視線を落とす。何度確認しても、足りないぐらいだ。
なんせ、時間経過でダンジョンが拡大、複雑化しているのだから。
『現在、グイベルはダンジョン最下層の城塞都市にて休眠中。眠っている状態でも地脈を操作し、自分の支配領域を広げています』
参戦した覚醒者全員に配られたスマホには、ここまでの調査で判明した範囲の地図が入れられていた。
急造品とは思えないほど、細かく書き込まれている。オフラインでも起動するサポートアプリつきだ。
『傾向としましては、グイベル自身の位置は動かず、奴のいる場所より上の層が拡大しています。また、全ての階層に下へ繋がる階段が複数確認されています』
赤坂部長が、スクリーンに表示された地図を棒で示す。
『脱出用ゲートも奴のすぐ傍にある事から、皆さんには兎に角下の階を目指していただきたい。そうすれば、必ずグイベルの場所に辿り着きます』
支給されたスマホに、何かダウンロードする様な表示がでてきた。
『現在、支給したスマホに最新の地図を送っています。ダンジョン内にてご利用ください』
……本当に、どうやって手に入れたんだ。この地図。
これから挑むのは、並の『Aランクダンジョン』を超える死の世界。それを踏み越えて地図を書き記すなんて、どんな部隊が送られたのか。
その人達が討伐してしまえば……というのは、無理だから自分達が集められたのだったな。
エリナさんの様に索敵や隠密でこそ輝くスキル持ちなのか、あるいはこちらに戦力として割けない理由があるのか。どちらにせよ、今は考えても仕方がない。
『グイベル討伐にあたり、皆さんが協力して挑む必要があります。複数のチーム同士での連携は難しいと思いますが、どうか協調性をもって行動してください』
赤坂部長が再び頭を下げた後、顔を上げて話を続ける。
『出現モンスターは白い兵士の様な姿をした『サクス』。そして、飛竜である『ワイバーン』です』
続けて、スクリーンに映されたのはあの日見た怪物達。
古い時代の戦士の様な格好をした奴らは、サクスと命名された。たしか、ゲルマンの方で使われていた短刀の名前だったはず。
『どちらも日に日にステータスが上昇しており、現在は通常の『Aランクボスモンスター』と比べ僅かに劣る程度の数値となっております』
ケルベロスや酒吞童子と比べて少し劣る……か。
あの時戦った時は、随分と弱体化していたらしい。
『これらのモンスターは基本的に3体から10体の集団で行動する為、数的不利を取られないよう注意してください。そして、これらの───』
それから、10分ほど彼の話が続いた。
『……以上が、我々が持つ全ての情報です』
スクリーンを示していた棒を畳み、赤坂部長が懐にしまう。
『この作戦が終了後、可能な限り皆さんに報いるつもりです。私の立場から言えるのはこれだけですが……全力を尽くすと、お約束します』
赤坂部長がマイクを置き、自分達に向き直る。
そして、彼の部下達が、そして自衛隊員達がこちらに敬礼をしてきた。
「どうか、勝利を」
* * *
ストアの1階に降り、それぞれの『Aランク候補』達が思い思いに作戦開始まで過ごす。
何というか、どの人も意外なほどリラックスしていた。体に余計な力をこめる事もなく、自然体で談笑している者もいる。
だが、その瞳は、魔力は、刃の様に鋭かった。
……疑問なのは、その中に例の3人組はいない事。
説明会には毎回参加していた、赤坂部長の子飼い。尻尾を巻いて逃げたとも、彼が出し渋ったとも考え難い。
となれば、別件で何かあったのだろう。残念な事に、その手の話題に事欠かない時代だ。
代わりに、意外な人物が今作戦に参加する。
「……本当に、貴女もダンジョンへ入るのですか?」
視線を向けた先。そこには、ガチガチに緊張したアイラさんがいた。
その隣には、教授が凛とした様子で立っている。
「く、くどいぞ京ちゃん君!私の念話の有用性は、君達が1番知っているだろう」
「それはそうですが……」
いくら地図があっても、戦闘をしながら迷わずに進むのは難しい。今回のダンジョンは迷路の様に入り組んでいるのだから、なおの事。
ダンジョンの拡大もある。迅速に移動する必要がある以上、彼女の能力は非常に有用だ。
だが……。
「外からでは無理なのですか?」
「十中八九、無理だ。『デンコ』とかいう同好会のゴーレムでも、あのダンジョンでは碌に通信が出来ないほど大気中の魔力が乱れている。前回、私と君達との間で念話が途切れたのを覚えているかね。アレと似た様な状況だ」
「しかし」
「……京太君」
食い下がる自分に、有栖川教授が柔らかく笑う。
「不安なのはわかります。この子は普段自信満々なくせに、いざとなったら不安と恐怖で呼吸すら怪しくなる。そのうえ、肝心な所で腰が引けて予想外のミスをする事もあります」
「ババ様?この土壇場で孫に対する評価が酷過ぎないかババ様?」
「ですが……やる時はやる子です。私もダンジョン内でこの子の護衛に専念するつもりですので、どうか……今は心配の言葉ではなく、エールを」
「教授……」
穏やかに、しかし確信をもって告げる彼女に、何も言い返せそうになかった。
この人はこの人で、正直参加するとは思っていなかったけど。以前から教授がレベル上げを急ピッチでやっていたとは知っていたが、まさか間に合うとは。才能だけで出来る事ではない。
それだけの覚悟を抱いて、お孫さんと同じ戦場に立っている。
ならばと、教授の言う通りアイラさんへとかけるべき言葉は。
「……頑張れ、なんて言いません。勝ちましょう。全員で、生きて帰ります」
「……当然だな」
そう答えるアイラさんだが、しかしその指先は震えたままだ。
「だがな、私にとって現状何が1番不安なのかと言うと……この場にいる『Aランク候補』達全員と、念話を繋げなければならない事だよ」
彼女の緊張は、ダンジョン自体だけではないらしい。
意識して自分だけに視線を向けている様で、他の参加者達とは目を合わせまいと必死な様子だ。
なんというか、ある意味この人らしい。
「京ちゃん君」
「はい」
「嘘でもいい。友人としてでも、人としてでも良い」
そんな彼女が、こちらを不安そうに見つめてくる。
「私の事を、好きだと言ってくれないか?───私を愛してくれる人がいると、思わせてくれないか?ババ様達だけじゃない、家族以外からも……」
有栖川アイラ。彼女のコミュニケーション能力が著しく低いのは、両親から愛されていなかったという記憶が原因だ。
ゆえに……いいや。
難しい事を考える必要はない。
「大好きに決まっているでしょう、この残念女子大生。そんな事もわからないんですか?」
ただ、普段から思っている事を口に出せば良い。
思わず呆れが顔に出てしまうが、取り繕うのも面倒である。眼前の残念な生物を見つめ、ついでにため息も吐いておいた。
彼女は一瞬だけきょとんとした顔をしたかと思えば、顔を真っ赤にして怒鳴ってくる。
「だ、誰が残念かこの童貞!私ほどの知的でクールな美女をつかまえて、どの口が言うのかね!」
「無論、この口が」
「むきぃぃいいい!」
「おお、パイセンがいつもの調子に」
「姉さんらしいですね」
「そこぉ!私のイメージが誤解される様な事を言わないでもらおうか!」
ズビシッ、と。アイラさんが微笑ましそうに見ているエリナさん達を指さす。
いや、誤解もなにもないが。貴女はそういう奴だよ。
「ふん。良いだろう。参加者全員纏めて華麗にナビをしてやろうではないか。もう京ちゃん君なんて薄情な奴は知らん。私にはサナ君がいるのだ、サナ君が。なー、サナくぅん」
そう言って彼女が掲げたのは、鳥籠に入った精霊の少女。
相変わらずの無表情でこちらを見つめ、ふよふよと浮かんでいる。
そっと、籠の隙間から指先を入れてみた。のんびりとした雰囲気からは想像もできないスピードで、彼女は自分の人差し指を両手で掴み口をつけてくる。
「……僕の方が好感度高いようですが」
「餌付けとか卑怯じゃないかね!?普段クッキーを上げているのは私だぞ!?」
「あんたも餌付けしてんじゃねぇか」
そしてそのクッキーに魔力籠めてんの僕と教授だよ。
あと指先から凄い勢いで魔力が吸われているのだが、パンクとかしないよな。サナさん。
「まったく……エールをと言ったのに、こういう形でしたか」
「すみません、教授。アイラさんがあまりにも当たり前の事を言うので、つい。……あ、好きというのは、決して、その」
「『どういう好き』かはこちらで勝手に解釈しますが、アレはレディに対するものではありませんでしたよ?」
「そうだババ様。私にはババ様がいる!」
「まあ、アイラには丁度良い対応でしたが」
「私は孤独だ……」
「姉さん、大丈夫です。私は毎晩姉さんの事を思っていますよ……!」
「助けてエリナ君」
「ねえねえ京ちゃん、今日は旗をかかげて良い!?」
「ダンジョンに入るまでなら」
「おっしゃあ!」
「ふふ。おかしいな。建物の中なのに、雨が降ってきたや」
わいわいがやがやと、いつも通りに過ごす。
───ずっと、こうしていたいな。
そんな思いを、奥にしまいこんで。時計へと視線を向けた。
時間だ。
『皆さん。作戦開始時刻となりました』
赤坂部長の声が、響く。
『この作戦に、日本の未来がかかっています。この世に永遠などありはしない。いずれは、我らの故郷も消えてしまうでしょう。かつては栄華を極めたアトランティス帝国が、1夜にして滅びた様に。唐突な終わりを迎えるかもしれない』
参加者達の隙間から、彼の顔が見える。
『だが、それは今日ではない。今日という日は、皆が力をあわせこの国を救った日だ』
その瞳に陰りはなく。表情は凛としたまま。
『異なる世界の亡霊を、あの世に送り返してしまいましょう』
「応っ!」
彼の言葉に、『魔装』を纏った冒険者達が答える。そして、列をなしてゲートへと皆が足を向けた。
列が進む先は、怪物が住まうこの世ならざる迷宮の入り口。
我先にと足を踏み入れるのは、戦士の装いをした百鬼夜行。
「行くぜブラザー!今日は俺達が日米合同艦隊だ!」
「やれやれ。星条旗を掲げた男と共に戦場へ行く……父が見れば嘆くかもしれんが、存外心地よいものだな」
「行くぜおめぇらぁ!ヘッド連合、出陣だぁ!」
「応よ!俺のリーゼントが火を噴くぜぇ!」
「ならば俺のアフロは爆発だぁ!」
「行きますわよ。優雅に、しかし苛烈に。何より七難八苦をいただきに」
「ええ、お嬢様。どこまでも御伴いたします」
「言葉は不要。互いに、鍛え抜いた武で語るとしよう」
「違いない。それがアタシら流ってやつさね」
次々と、迷うことなく1本道を進んでいく超人達。彼らが英雄となるか物の怪となるかは、後に続く者だけが知っている。
その最後尾に立つ自分達より、更に後。名も顔も知らぬ未来の誰かだ。いずれそんな誰かに語って聞かせる事が出来たのなら。苦笑交じりにこう伝えよう。
他者の評価なんて、気にする奴らじゃなかったと。
後世があるかもわからないし、あったとしても知った事ではない。ただ、自分達は『今』を生きていく。
ゴーレム達を組み立て、同じくアイラさんの『とっておき』も準備した。もはや、ことここに至ってはマギバッテリーの秘匿は努力義務程度にしか感じない。
最後尾の中の最前列。『インビジブルニンジャーズ』の1番隊が、3番隊こと教授達を背にゲートの前へと立った。
「では、行きましょうか」
「応!」
こちらの言葉に、左手を自分の肩に置いたエリナさんが旗を掲げて力強く答えた。
「ええ」
右手を肩に添えたミーアさんが、朗らかに笑ってみせた。
「行ってこい。私達もすぐに入る」
少し後ろで、胸の下で腕を組んだアイラさんがニヒルに笑った。その隣では、教授が真剣な面持ちでこちらを見つめている。
『ブラン』達もそれぞれが頷いて、準備は万全だと伝えてきた。
ならばと、深呼吸を1回。その後、肺いっぱいに息を吸い込んで。
「『インビジブルニンジャーズ』!出陣!」
「おおおおおお!」
今日だけは、このふざけた名前を叫んでやろう。
笑え。笑って、踏み込んでいけ。
なにせ今日はハロウィンだ。百鬼夜行に加わるのなら、これぐらいは傾いて当然。
あの世逝きの列に並びそびれたトカゲの背中を、きつめに押し出してやるとしよう。
扉を潜った瞬間、いつもの地面が消えた様な、されど浮遊感のない感覚を味わって。
直後に、白亜の迷宮が出迎えた。渦巻く魔力が万雷の喝采の様に弾け飛び、自分達の周囲で踊り狂う。
純白の床を踏みしめ、荘厳な壁に飾られたこれまた白い炎が灯った燭台に照らされながら。
ゆっくりと、鞘から剣を抜いた。
───さあ、冒険を始めよう。
読んでいただきありがとうございます。
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