第百七十三話 朝日よりも
第百七十三話 朝日よりも
決戦の日まで、1週間を切った。
グイベル討伐までの、最後の土日。そのタイミングで、自分が何をしているかと言えば。
「また一緒にキャンプへ行きたいとは思っていましたが、こんなに早く来れるとは思っていませんでした」
満天の星空の下で、ミーアさんが淹れてくれたコーヒーを1口含む。
砂糖の甘さとミルクの滑らかさ。そして、それらにより丁度良くなった苦味が口内に広がった。
「そうですね……山寺さんには、感謝しないと」
あの生臭坊主は困った人ではあるけど、良い人でもある。
例のモンスターが見つかった山とは、また別の山をこうして貸してくれたのだから。
何でも、昔はブームに乗ってここをキャンプ場にしようと設備を揃えていたらしい。どこかで聞いた様な話だ。
だが、モンスター云々でキャンプ場の需要が低下。今は修行場の1つ扱いだが、今日だけは自分達の貸し切りである。
「……空が、綺麗ですね」
隣の椅子に座る彼女が、星空を見上げてポツリと呟く。
そう言う貴女の方こそ綺麗です、なんて。気障な台詞を言う度胸はない。それに、今はそういう事を言っても野暮なだけに思えた。
まるで、宝石が散りばめられた様な空。そして、その中で淡く輝く丸い月。
中秋の名月と呼べる時期は過ぎてしまったが、自分には十分過ぎるほど綺麗に思えた。
これを口説きの道具にするのは勿体ない。ただ同じように空を眺め、頷く。
「そうですね。月が綺麗だ」
「……夏目漱石だったりします?」
「僕らの状況で『もう死んでも良い』は、縁起が悪すぎでしょう」
「それもそうですね」
クスクスと、ミーアさんが笑う。
そして、両手で持つマグカップへと彼女は視線を落とした。
「……『答え』、出しちゃいましたね。私達」
「ええ。あの夜は2人揃って迷っていたのに、意外なぐらいアッサリと」
───迷宮へ、これからも赴くのか。
───無論。そして、あの竜さえも討ち取ってみせる。
前回キャンプへ行った時の自分にこう告げたら、自殺志願者でも見る様な目を向けてくるに違いない。
だが、もう決めた事だから。
「まあ、僕はミーアさんと違ってきちんとした理由は言えませんけどね。戦うと決めた理由が多すぎて、上手く言葉にできません」
「良いんじゃないでしょうか。こういうのに、シンプルである事や複雑である事に優劣はありません。ただ、答えを出す事が出来た。それだけで、大きな事だと思います」
「です、ね」
「ええ。そうですよ」
2つ分、コーヒーを飲む音が夜に溶けていく。
「……勝てますかね?」
「勝てる……と、思いましょう」
ミーアさんの問いに、我ながら自信なさげに笑う。
「勝機はあると、そう思っています。前回より僕らは強くなった。そして、今度は他の候補者達もいる。あの時とは、戦力が何十倍も違いますから」
「そうですね……普通なら勝てるどころか獲物の奪い合いが起きそうなのに、勝利を確信できないのが、あの竜の恐ろしい所です」
「ええ……本当に、おっかないですよ」
コーヒーの表面に、波紋ができる。
奴の姿を思い出し、自分の手が少し震えたのだ。それを自覚し、苦笑する。
「なら、ミーアさんは───」
「逃げませんよ?」
この前アイラさんに言われた事を思い出し、『逃げても良いんですよ』と言おうとした瞬間。
とうのミーアさんに、言葉を被せられてしまった。
「逃げませんから」
「……そうですね。そう言うと、思っていました」
こちらに真剣な瞳を向ける彼女に、笑みで返す。
『逃げても良い』と言われて、嬉しい人もいれば。そうでない人もいる。それだけだ。
彼女にとって無用だと言うのなら、これ以上は無粋だろう。自分はただ共に、武器を振るえばそれでいい。
「……さて。そんな決定事項は横においておくとして、別の話をしませんか?」
それまでの静かな雰囲気とは一転、朗らかに彼女が笑う。
「唐突な話題変換ですね。それで、どんな話を?」
「そうですねー……」
竜の話は終わりだと、ミーアさんが右手の人差し指を自身の唇に当てて考える素振りを見せる。
美人がやれば、大抵の事は絵になるものだ。そう思っていると、彼女はいたずらが思いついた子供の様に笑う。
「恋バナとかどうですか?修学旅行とかだと、鉄板でしょう?」
「男女でするものじゃなくないですか?」
「良いじゃないですか。さ、京太君。どうぞ」
「え、しかも僕から?」
「男性なのですから、格好良い所を見せてください」
「うわぁ、男女差別だ」
クスクスと笑うミーアさんに、後頭部を軽く掻く。
この残念女子大生2号め。気になる相手として、貴女の名前を言ってやろうか。
……そんな度胸あったら、とっくの昔に彼女いない歴と年齢がイコールではなくなっている。
小さくため息をつき、視線を星空へと戻した。
「そうは言ってもですね……特定の誰かと付き合いたい、とかはないので。あまり語る事がありません」
嘘は言っていない。『特定の誰か』という1人ではなく、エリナさんやアイラさん、ミーアさんに凸凹コンビと、付き合いたい相手を思い浮かべると5人も出てくるだけだ。
……我ながら、とんだ節操無しである。
僕って、こんなダメ男だったのか。日本の法律的に誰か1人としか付き合えないし、2兎を追うどころか5兎状態。そもそも誰とも付き合えない可能性の方が高い気がする。
マジで情けねぇ……。
「えー。なら、好みとかないんですか?髪は長い方が良いとか、短い方が良いとか」
「特にないですね。その人に似合う髪型なら、どちらでも」
「じゃあ身長の高い低いとか」
「それも、別に。高くても低くても、気になりません」
「ではでは、胸は?」
「……ひ、人の価値は外見で決まらないと、思います……!」
「凄く迷いましたね、今」
「内面。人は内面ですよ、ミーアさん」
隣からジトっとした視線が向けられている気がするが、全力でスルーした。
本音を言えば『大好きです!ボイン!』と夜の山へと叫びたいが、それをやったら変態だ。名実ともに『Aランク候補』となるのは全力で拒否したい。
ミーアさんやエリナさんの様な、スケベ族残念目とは違うのだ。
「今失礼な事を考えませんでした?」
「イエ、ナニモ」
「ちょっとこっちを向いてください」
「ハハハ。いやぁ、本当に。決してやましい事は」
「まあまあ、良いですから。あ、マグカップは机に置いてくださいね?」
「……?」
普段のじゃれ合いと比べてやけに食い下がる上に、妙な事まで言ってくる。
疑問に思いながら、素直にマグカップを机に置いてから彼女の方に視線を向けた。
そして。
「んなっ!?」
「じゃ、じゃーん……」
おっぱい。
キャンプ用のリクライニングチェアに、横向きで寝そべりこちらを向くミーアさん。そのシャツが、首辺りまで捲り上げられていた。
まるでグラビアアイドルみたいな体勢で、小さな三角形の黒い布地しか纏っていない彼女の上半身が露出している。
細く、それでいて柔らかそうな腰も。小さなおへそも。何より、爆乳と評すべきお胸様も。
左右のお胸様が合わさり、深い谷間を形作っている。もっちりとした質感が視覚からでも伝わってきて、その柔らかさとハリが想像できてしまった。
紐が僅かに食い込む爆乳を見せつけ、ミーアさんが顔を真っ赤にしながらこちらに笑いかけてくる。
「言っておきますが、水着ですよ?『まだ』付き合ってもいないのに、下着姿なんて見せません」
「……!……!?」
言葉が出てこず、金魚みたいに口をパクパクとさせる事しか出来ない。
え……霊山が2つ?双子山?
というか、気のせいでなければ先端が微妙に尖って……。
「はい、ここまでです!流石に限界なので!」
上体を起こし、勢いよくシャツとセーターを纏めて着直すミーアさん。
その拍子に爆乳が『たゆん♡ばるん♡』と揺れるが、この人もしや誘っているのか?
いけない欲望と理性がせめぎ合う中、未だ耳まで赤い状態で彼女はこちらを見てくる。
「もう1度聞きます。胸は大きい方と小さい方、どちらが好みですか?」
「大きい方です」
「よろしい」
胸の下で腕を組み、うんうんと頷くミーアさん。え、まさかこれを言わせる為に、こんな仕込みを?
アホなの?土下座して感謝するべきだろうか。ありがとうございます。
「……京太君ってアレですよね。彼女さんとか出来たら、今以上に色ボケになる気がします」
「男ってそういう生き物……いや何ですかその今も色ボケみたいな評価!?」
「おや。では、私のテントに夜這いをかけないと誓えますか?」
「当たり前ですけど!?僕のオリハルコンの理性を舐めないでもらえます!?」
「……理性というか、ヘタレ?」
「言いやがりましたねこの残念2号!?」
「残念ではありません。知的クールです」
「……今のセリフ、アイラさんみたいですよ?」
「私にとっては、誉め言葉ですね」
ミーアさんは本当に嬉しそうな様子で、自信満々な笑顔と共に胸をはる。
それによってまたも揺れたお胸様の動きに視線が引き寄せられるが、我ながら類まれなる理性で夜空へと顔を向けた。
「はいはい。お姉さんが大好きなのは知っていますよ」
「嫉妬ですか?安心してください。京太君やエリナさんも、同じぐらい大好きです」
「はいはいはい」
とってつけた様なフォローを適当に聞き流し、机に置いていたコーヒーをとる。
1口飲んでから、はてと首を傾げた。
もう少し残っていた気がしたが……気のせいか。
「僕は紳士ですので『勘違い』して襲ったりしませんが、他の男にはそういう事しない方が良いですよ」
「なるほど、やっぱり嫉妬ですね!」
「いやマジで言ってんですけど……」
この人無防備過ぎないか?今もこちらは理性と獣性が熾烈な戦いを繰り広げているのだぞ。
ミーアさんが、姉を色んな意味で好きなのは知っている。だから、勘違いしてはいけない。
『もしかしてこの人僕に対してもアイラさんと同じぐらい好感度ある?アタックしたら即日ベッドインでは?』などというアホな考えが浮かぶが、全力で蓋をした。我ながら痛い童貞の妄想である。
「というか、さっきから僕ばかり好みとか言わされているんですけど。言い出しっぺのミーアさんはないんですか?」
「そ、そんな破廉恥な!?何を言わせようとしているんですか!?」
「何を言う気だ残念女子大生その2」
両手を頬に添え、『いやんいやん』と悶えるアルティメット残念。
すげぇや。ここだけ切り取ったら花も恥じらう乙女なのに、実態はただの脳みそ真っピンクシスコンだなんて。
「まあ、アレです!とにかく、夜這いとか絶対にしないでくださいね!こういう所で流れに任せて『そういう事』をすると、キャンプの神様に嫌われて死にますよ!」
「死ぬんですか」
「そうです!チェーンソーでお腹をズバーッてされたり、鉈で頭をドーンってされるんです!」
「さてはスプラッター映画見たな?」
「姉さん一押しの映画を先週!」
「仲良しでよかったですね」
「はい!!」
あら良いお返事。
「……人の事を色ボケ扱いしますけど、ミーアさんも恋人が出来たら更に脳みそピンクっぷりが加速しそうですね」
「それは私も同意します。たぶん『愛しています。この歩くスケベの遊園地が!建築基準法違反で逮捕ぉ!』って言いながらベッドに押し倒しますね」
「自覚はあったんですね」
そして自覚した上でそれなんですね。あと、どうしたら素面でそんな100年の恋も冷めそうなセリフが出てくるんですか。
何より自信満々のドヤ顔するんじゃありません。このアルティメット残念オーバーロード。
まさか、この世にアイラさんと肩を並べる残念美女が存在するとは。流石姉妹。
「ふぅ……そろそろ、眠りましょうか」
「コーヒー飲んだばっかりですけどね」
「ラジオで良い感じの曲を流していると、それだけで眠れるものですよ?」
「そういうものですか」
「そういうものです!キャンプですから!」
残っていたコーヒーを飲み干すミーアさんに倣い、自分も胃袋へと流し込む。
「私が洗っておくので、カップをこちらに」
「良いんですか?ありがとうございます。じゃあ、机や椅子は自分が」
「はい。そっちはお願いしますね」
空になったマグカップを渡し、椅子を畳んで担ぐ。
重さ的には全て同時でも良いのだが、サイズ的に持ちづらい。
どの順番で軽トラに持って行こうかと考えていると、ミーアさんがこちらへ振り返る。
「ああ、そうそう」
「はい?」
マグカップを両手に持った彼女が、照れた様な、それでいて小悪魔めいた笑みを浮かべる。
「ごちそうさまでした」
「……?こちらこそ、ごちそうさまでした?」
確かに、飲み終わったのならそう言うのが礼儀である。
しかし、妙に彼女の笑顔が色っぽいものだから、自分の頬も少し赤くなってしまった。
……あのマグカップ、どっちも同じデザインだったな。まさか……いや、そんなはずもないか。
頭に浮かんだ考えを振り払い、椅子を軽トラへと運んだ。
その後、自分のテントに入って毛布にくるまれても中々眠れなかったのは、言うまでもない。
彼女のテントから落ち着いた音色が聞こえてくるけれど、心臓がうるさ過ぎて曲やシチュエーションを楽しむ余裕すらなかった。
1時間ぐらいしてどうにか眠る事はできたが、浅い眠りだったのは言うまでもない。
しかし、まあ……。
翌朝。何故かミーアさんも眠そうな様子で2人並んで見た日の出は、どんな宝石よりも綺麗だった。
「ねえ、京太君」
「……なんでしょう」
だが、それほどまでに綺麗な朝日よりも。
「また、来ましょうね。今度は、皆で」
そう言って笑った彼女の方が綺麗だと思うのは……我ながら、気障だなって。苦笑しながら。
「ええ。絶対に」
強く、頷いた。
* * *
そんな、いつもと少し違うけど、それでも『日常』と呼べる日々は過ぎていき。
自分の人生の中で、最も『非日常』と呼べる日がやってきた。
10月31日。
本来なら学校へ行く支度をする時間に、学生鞄ではなくリュックの中身を確認する。
前日に、前々日に、更にその前から準備はしていたが、これが最終チェックだと片手に持ったメモと見比べていった。
それも終えて、リュックを背負う。そして、『ブラン』の入ったボストンバッグを肩にかけた。ズシリとした重みを感じながら、軽くバッグを撫でる。
玄関に向かえば、両親が既に待っていた。
2人揃って、なんと表現すれば良いのか困る顔で。
「……京太」
母さんが、自分を抱きしめてくる。
父さんが、自分の頭に手を置いてくる。
「───いってらっしゃい」
「───行ってきます」
言いたい事も、言うべき事も。お互い沢山あったけれど。
それは、今じゃなくて良い。帰った後で、良いのだ。
だから笑って行こう。両親が、涙をこらえて笑みを浮かべてくれるのだから。
笑う門には福来る。その方が、縁起がいい。
なにより。
「よっ!」
「おはよう」
玄関の外で待っていたこの人に、不安で泣きそうな顔なんて、見せたくなかったから。
「行ける?」
「うん。勿論」
あっさりとした、確認。
それでいい。これでいい。エリナさんとは、これだけで良いのだ。
荷物を彼女のアイテムボックスに預ける。武器ケースは、雫さん経由で渡してあった。
いつもの、ダンジョン探索へ行く時と同じ流れ。それを噛み締めていれば、エリナさんが『あ、そうだ』と言ってこちらを見てきた。
「ねえねえ京ちゃん。この前のさ、『告白』。アレ私3点て言われちゃったけど、どういうのが良いの?」
「……?ああ、あの『愛してるゲーム』の亜種っぽいの」
一瞬何を言ったのかわからなかったが、納得して手を叩く。
「たしか、『君の瞳に恋しちゃったんだぜ』だっけ?」
「『ZEEEEE!』だよ京ちゃん。ここ大事!」
「1番の修正点だよバカ野郎。『ZEEEEE』はやめなさい。あとエリナさんの場合、『君』じゃなくて『貴方』とかの方が雰囲気でますよ。絶対」
「マジかー」
気の抜けた返事をする彼女に、小さく肩をすくめる。
いつも通りで良いとは思ったが、ここまでとは。内心ガチガチだった自分が馬鹿らしくなってくる。
……うん。
「ありがとう、エリナさん」
「良いって事よぉ!なにが?」
サムズアップしてから疑問符を浮かべるエリナさんに苦笑を浮かべ、そっと左手を差し出した。
「行きましょうか」
「応とも!」
転移の為に、ガッシリとこちらの手を彼女がとる。
伝わってくる柔らかさに、温もりは。胸の高鳴りよりも、安心感の方が強かった。
エリナさんもそう思ってくれたのなら……なんて。これは、あまりにセンチメンタル過ぎるか。
ニッ、と。彼女が笑う。
「『インビジブルニンジャーズ』!出陣じゃぁ!」
「まだ早いまだ早い。それはせめて、ゲートについてから」
「応!おう!?いつもとツッコミが違う!?」
今日だけは、そのふざけた名前で。
竜退治へと、出かけよう。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。