第百七十二話 告白ではありません
第百七十二話 告白ではありません
決戦の日取りが知らされてから、3日が経過。
アイラさんのおかげで、自分もようやくその事に実感を持てた。あと1週間と少しで、あの竜に挑むのだと。
そんな『竜退治』という、非日常全開な予定が入っているわけだが。
「で、あるからして。この式には」
それはそれとして、日常が突然なくなったわけではない。
黒板と教科書で睨めっこし、ノートにシャーペンで書き込みながら、こんな事をしていて良いのかと少し不安になる。
将来の事を考えれば、やはり学歴は大事だ。冒険者なんて職業、いつまでも続けられるとは思えない。というか、冒険者がずっと必要な社会とかガチで文明の危機だ。異世界に憧れた事はあるが、中世レベルの生活は嫌である。
しかし、自分達が参加する作戦は日本の、場合によっては世界の命運を左右する重要なものだ。
あの竜を討つまでの間、勉強サボっても良くない?その分、レベル上げや剣術の稽古をした方が有意義では?
そんな思考が顔に出ていたのか、数学の先生がチラチラとこちらを見てくる。
いけない。無駄に有名人となったせいで注意はされないが、だからこそ己を律しなければ。
因果応報という言葉があるぐらいだし、真面目に生きておくに越した事はない。
実際は諺通りといかない世の中だとしても、そう思って暮らした方が精神衛生上良いのだから。
もやもやを抱えたまま、授業に意識を戻す。
……それはそれとして、数学って将来就職して使うのかと問いたい。
* * *
「なるほど。それで授業中、百面相していたのですか」
「まあ、はい……」
放課後。雫さんの工房へとやってきていた。
いつもの様に愛花さんはいるが、エリナさんは不在である。何でも、ご両親とテレビ電話で話す事があるのだとか。
決戦に向かうのは、彼女も同じ。話したい事も、話すべき事も、山ほどあるだろう。
いつものテンションで『京ちゃんもお話しする?』と聞いてきたが、家族水入らずを邪魔するほど野暮ではない。
元々工房に呼ばれていたのもあって、丁重にお断りした。
「決戦についての事は別として、数学を学ぶのは大事だと思いますよ?論理的な思考が身に付きますので、問題解決能力が向上します。きっと、冒険でも役立ちますから」
「うっす……」
「諦めろ、京太。優等生にアタシ達の気持ちはわからん」
いつもの仏頂面で、雫さんが奥の方から戻ってくる。
「私が優等生……一応、優等生ですね。エリナさんが近くにいると、忘れそうになりますが。あの人、塾にも行っていないのにいつも学年上位ですし」
「英語がペラペラな段階でアタシからすれば優等生だ」
「判断基準そこですか……それに、私は言うほど喋れませんよ?日常会話が一応できるって程度です」
「京太。英語で赤点とったら、一緒に補修行こうな」
「すみません。僕有栖川教授から教えてもらっているので、たぶん英語は大丈夫です」
「今からお前のあだ名は裏切り者だ」
「ただ、数学とか世界史の方が最近不安です……」
「今からお前のあだ名は同胞だ」
「いや、雫さんは苦手科目多すぎでしょう……」
「鉄打っている時間の方が大事なんだよ、アタシは」
持ってきた木箱を机に置き、雫さんがそっと目を逸らす。
「それにほら。アタシの仕事に京太達の命が関わっているわけだから、そちらに専念するのは正しいはずだ。遠い未来の事じゃなく、目の前の危機に、それもド級のピンチにこそ対処すべきだろう。ドラゴンとか、ドラゴンとか。あとドラゴンとか」
「ああ言えばこう言う。遠い未来って、2学期の期末は来月の今頃ですよ?」
「思い出したくねぇ……!中間の記憶ごと闇に葬りてぇ……!」
苦虫をダース単位で噛み潰したような顔で頭を振った後、雫さんが木箱を親指で示しながらこちらへ向き直る。
「そんな事より!京太、修理した腕輪だ。持っていけ」
「ありがとうございます。早かったですね。もう少しかかると聞いていましたが……」
「お前達の為なら、勉強なんて放置してこっちに専念するに決まってんだろ……!」
「免罪符を得ましたね、この勉強嫌いめ」
珍しくドヤ顔サムズアップをする雫さんに、愛花さんがげんなりとした顔をする。
「まったく。京太君やエリナさんの為なら、英語の辞書も開くし、私に専門書の音読や説明を頼んでくるのに」
「うるせぇ。その話はするな」
肩をすくめる愛花さんの言葉に、そう言えばフリューゲルの事で航空力学やら何やらを一生懸命調べてくれたのを思い出す。
「なんというか、ありがとうございます。2人とも」
「……別に。職人として当然の事だ」
「どういたしまして。困った時はお互い様ですよ。それに……『ヒーロー』の助けが出来るというのは、嬉しいですから」
ぷいっと横を向く雫さんに、ニッコリと笑う愛花さん。
彼女の言葉に、思わず頬を引きつらせる。
「だから、ヒーロー呼びは勘弁してくださいって。僕はそう大したものじゃないんですから」
「いやです。言っておきますけど、私は『ヒーローなんだからアレをしろコレをしろ』とか言うつもりはありませんよ?ただ、勝手に貴方の事をそう思っているだけです」
「それはそれで嫌なんですが」
いたずらっ子の様に笑う愛花さんに、強く否定も出来ず言葉に迷う。
何というか、この人は自分の事を『ヒーロー』と呼ぶわりに他の人みたいに期待あふれた目を向けてこないのだ。
だが、好意的な視線だとは思う。それがどういう意図のものかはわからないので、やっぱり女子って難しい。
いっそ、普通に聞いてみるか。
「ヒーローと言いますが、逆に僕のどこがヒーローだって言うんですか?わりと情けない所を見せていると思うんですが。さっきの数学どうこうみたいに」
「そうですねー。確かに残念な人だなー、と思う事はあります」
「アタシやエリナの胸を目で追ったり、愛花の太腿や尻をチラ見したりしているからな。あとアイラさんとかミーアさんもいやらしい目で見ているし」
「誠に申し訳ございません」
雫さんの言葉に、腰を深く曲げた。
弁明をさせてもらうのなら、健全な男子高校生ゆえ致し方ないのです。身近に美少女ばかりいたら、誰だってこうなるって。
中学の頃の自分に言ったら血の涙を流して殴り掛かってきそうな悩みだが、日々煩悩を刺激されている。毎日理性がグラインダーで削られまくっているのだ。
「しかし、京太君の情けない所ですか」
愛花さんが、その形の良い顎に手をあてて考えるそぶりをする。
「まず、普段からお母さんに買ってもらった服ってファッションで、自分で選んだっぽいのは黒系ばかり」
「胸や尻にすぐ鼻の下を伸ばすくせに、自分からはアクションできないヘタレ」
「人と接するのが苦手で、仕事と割り切らないと初対面の人にはかなり緊張してしまう」
「そもそも、アタシら以外と話している所を見た事がねぇ。あと会話の内容が仕事以外だとアニメやゲームの事ばっか」
「あ、あの……それぐらいで勘弁していただけると……」
盛大なちくちく言葉に、胸が針の筵である。
シンプルに辛い。なんか生きている事が申し訳なくなってきた。
「でも」
「だが、まあ……」
愛花さんと雫さんが互いの顔を見た後、苦笑を浮かべた。
そして、再びこちらを見る。
「そういう、どこにでもいそうな人だって、知っているから」
「あの時助けてくれた事に……感謝、してやらんでもない」
柔らかい笑みを浮かべる愛花さんと、頬をほんのり赤くしながら目を逸らす雫さん。
「体育祭のあの日、貴方が空を駆けていく姿を見て。思わず見惚れてしまったんです。瓦礫の下敷きになっていたのに、すぐに剣をとって怪物に向かっていった貴方に」
「そのくせ、普通に怖がってはいたんだからおかしな奴だよな。本当に。怖いもの知らずか多重人格かと思ったが、ただ『我慢して必死なだけ』なんだから」
2人の言葉に、どういう顔をすれば良いのかわからず後頭部を掻く。
デーモンと戦った時の事か。あの時は、ただただ家族や友人を守る事に全力だった。
必死にない頭を捻って、その結果全員無事に逃げるのは無理だって結論づけて。泣く泣く……というか、たしか実際涙目になりながら剣を振るったものである。
「あの時、京太君ちょっと泣いていましたよね?兜で分かりづらかったですけど」
「バレていましたか……我ながら情けなかったので、忘れてください」
「バカ。怖いって思いながら戦える方が、かっこ……頑張ったって感じるんだし、良いだろうが」
「凄く格好良かったですよ!雫さんもそう言っています!」
「そこまでは言ってねぇ!」
愛花さんの脇腹に頭突きする雫さんだが、ひらりと躱された。
「だから……そうですね。私達は、貴方の格好い所も格好悪い所も知って、その上で。『ヒーロー』だって、思っているんです」
胸に手を当てて、愛花さんが真っすぐにこちらを見つめてきた。
大和撫子然とした顔に、少しだけ朱に染めて。
「ねえ、京太君」
「え、あ、はい」
彼女の浮かべた笑みに少しだけ見惚れてしまい、反応が遅れる。
それを誤魔化す様に、背筋をしゃんと伸ばした。
「これからも、私達のヒーローでいてくれますか?色んな姿を、すぐ近くで見ていたいんです。格好良い所も、格好悪い所も。凛々しい顔も、間の抜けた顔も。貴方の事を、ずっと見ていたい。その許可を、くれませんか?」
「は、え?」
まるで告白の様な言葉に、呆気に取られてしまう。
え、まさか、マジで?そういう事なの?
頬が熱い。自分でもわかるぐらい、真っ赤になっている。
口をパクパクとさせている自分に、愛花さんがくすりと笑った。
「そういう顔も見る事が出来て、満足です。『今のは』告白ではないので、そう慌てないでくださいね?」
「へ?……あ、はい!そうですね!うん!大丈夫です。早とちりとか、していないので!」
全力で頭を上下に振る。
あっぶねぇ!?なんだこの魔性の女!?勘違い製造機か!?痴女みたいな『魔装』している上に、頭無自覚悪女とかヤベーよ!青少年の教育と情緒に深刻なダメージ与えちゃうよ絶対!
「ヘタレたか」
「違いますよ。ただ、『順番』を守っただけです」
「さよけ」
順番?なんの?どういう事?
意味深な会話をする凸凹コンビに、思考が追い付かない。ダメだ。完全に脳みそが茹だっている。
「それで。返事をいただいても?」
「あ、う、その……はい」
これは、勝てない。
告白めいた言葉に、もうまともに会話を続けられる気がしなかった。これが作戦だとしたら、この人はやっぱり悪女である。
「ふむ。その表情、さては私に何か不名誉な勘違いをしていますね?」
「痴女なのは事実だろう。『魔装』的に」
「アレは私の意図しないものです!」
雫さんに、顔を真っ赤にして怒鳴る愛花さん。まあ、あの格好は弁護の仕様がない痴女だが。
彼女は誤魔化す様に『おほん』と咳払いすると、こちらに近づいてくる。
咄嗟に後退しようとしたが、それも失礼かと思って踏みとどまった。目の前で立ち止まるかと思った愛花さんは、どういうわけか更に近づいてくる。
「え?え?」
そっと、こちらの胸に手が添えられて。
ほとんど寄りかかる様な体勢で、彼女は背伸びをし耳元へと顔を近づける。
「私も、初めてなんですよ?何もかもが」
「は……」
今度こそ、思考が完全に停止した。
ただ周囲の状況だけが、データとして脳に入ってくるだけ。
愛花さんは顔を真っ赤にしながら離れ、その薄い唇の前で人差し指をたてる。これは自分達だけの秘密だと、言わんばかりに。
……やっぱ悪女では?
「おい。痴女と童貞」
「痴女じゃありません!」
「うるせぇ。アタシは忙しいんだ。それ以上いちゃつくなら、よそでやれ」
雫さんが、面倒そうにため息を吐く。そして、ポケットから何かを取り出した。
掌で隠されていて、何を持っているのかわからない。だが、確かに魔力を感じる。
「京太。ちょっと手を出せ」
「は、い」
まだ頭がぼんやりとしているが、反射的に腕を彼女に差し出した。
咄嗟だった事もあり、普段剣を握る右手ではない方。自分の左手を雫さんは優しく掴むと、指輪をはめてくる。
薬指に。
「───」
「こいつは、この前アタシと愛花。そして『木蓮』で倒したオークチャンピオンのドロップ品を改造した物だ。偶然遭遇しちまって、倒す事になっただけだぞ?そういう事に、しておいてくれ」
無骨な鋼色の指輪。そこからは、かつて戦った強敵の気配を僅かに感じる。
「1回限りの使い捨てなのは、変わっていない。だが、出力は限界まで高めてある。お前の戦いにもきっと役に立つ……はず。いいや、絶対に役立つ」
「あ、その」
「こいつの代金は、良い。ツケでも何でもない。アレだ。お試し商品ってやつだ。だから、ちゃんと使え。帰ってきたら感想を聞くし、ちゃんと壊れたかも確認するからな。使うの忘れていました、ってなったら。怒るぞ」
「えっと」
「な、なんだよ。まさか、要らないとか言わないだろうな」
雫さんが、その三白眼でこちらを睨みつけてくる。
だが身長差で上目づかいになっている彼女の頬は、その髪と同じく赤くなっていた。
「雫さん雫さん」
「なんだよ愛花。アタシはこいつの仕様説明をだな」
「左手の薬指って、そういう意味ですか?」
「……あっ」
愛花さんの言葉に、ようやく自分が指輪を嵌めた場所に気づいたらしい。
先ほどまで以上に、それこそ顔から火が出るんじゃないかという様子で彼女は慌てだした。
「ばっ、ちが、違うからな!?偶然、指輪を嵌めやすい位置にその指があっただけだ!京太!てめぇ紛らわしい腕を出すな!右手!右手を出せ!」
「は、はい!」
「ふん!」
勢いよく左手の薬指から指輪を抜き、今度は右手の薬指へと嵌められる。
「よし!こっちが正解だな!さっきのは忘れろ!」
「はい!」
そろそろ、心臓がやばい。『賢者の心核』もあってそこらの覚醒者の数倍は頑丈なはずの心臓が、今にも弾け飛びそうなぐらい高鳴っている。
この天然セクハラドワーフ、なんという『間違い』をするんだ。勘違いして、こっちが『結婚しましょう』とか言ってしまったらどう責任をとってくれるのか。
この凸凹コンビ、ダブルで悪女である。無自覚に人を攻略しないでほしい。自分は一昔前のラノベヒロインよりチョロいのだぞ。
「ヘタレ……てはないですね、ええ」
「あ、当たり前だ!アタシにそういう意図はない!」
「意図はない、ですか。『右手の薬指』、ですけど」
「は?そうに決まってんだろ。左手じゃないんだし」
愛花さんが、それはもう楽しそうに笑っている。お気に入りの少女漫画を読む乙女の様に、口元をニヨニヨさせていた。
「いいか、京太。絶っっ対に勘違いするなよ。それと、この指輪を使えよ。感想を言いに来い。良いな!?」
「も、勿論です!絶対行きます!」
「よし、言質とったからな!」
「はー。『生きて帰ってきてね』と、もう少し甘酸っぱく言えないものですかね。雫さんは」
「うるせぇぞ金床!」
「それを言ったら戦争ですよドチビ!?」
いつもの様に、ギャアギャアと仲良く喧嘩をしだした凸凹コンビ。
それに、自分もようやく普段通りの思考が出来る様になった。
……特大の非日常が迫る中でも、日常は続く。
それでいいのかもしれない。きっと、その方が自分には合っている。
その辺のパイプ椅子に腰かけ、2人のじゃれ合いを見物する事にした。こちらばかり見られるのは、不公平だろう。
彼女らの掛け合いは、傍で眺めていて飽きそうになかったから。
……それはそうと、今日はやけに工場が静かな気がする。お休みなのだろうか?
※告白ではありません(自己申告)
読んでいただきありがとうございます。
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Q.どうして工場が静かだったの?
A.大山母と工場の人達が工場主こと大山父を簀巻きにしたから。